暗闇の花と夜光虫
時刻は20時近く。
葵は夕餉の品をテーブルに並べ、真っ暗なリビングで頬杖をつきながら総司を待っていた。
手伝うといったシーゴの手をやんわりと振り払い作ったものは、だし巻き卵、焼き鮭。それからワカメと豆腐の味噌汁。そして、数少ない近所の知人からお裾分けしてもらったパイナップル。
「総司さん、喘息持ちなんでしょ?パイナップルの酵素って去痰にいいらしいのよ。だから、はい。」
そう言って渡された半分のパイナップルを一口大に切ったものが月明かりに照らされている。
シーゴは部屋の片隅で腕組みをしながらそれをただ眺めていた。
「ただいま…おい、なんだよ…電気もつけないで…」
総司が帰ってきた。ほんのりと頬を赤く染めて、おそらくはどこかで軽く飲んできたのであろうか。葵はゆっくりと立ち上がると口を開いた。
「おかえりなさい…。ご近所さんから頂いたパイナップル、切ってある…去痰にいいんですって…。」
その口調には感情が込められていない。
総司は少し戸惑いながらも部屋の電気をつける。色とりどりのおかずが並ぶ中、それはジップ袋に入れられてテーブルの真ん中に置かれていた。
「ねえ、あなた…。これ、なぁに…?」
感情の篭もらぬ表情のまま葵が問いただす。
総司は一瞬身じろぎして⸺そして答えた。
「お前に見つかるとうるさいと思ったから…言わなかっただけで…その…上司に誘われて行っただけだよ…。」
葵はジップ袋をひっくり返すとそれを総司に突きつける。
「ねえ…同伴、ってなに…?」
ジップ袋に入れられた名刺は焦げてはいたものの、そこには辛うじて読み取れる「同伴」の文字。
総司は青ざめたが⸺やがて開き直ったかのようにネクタイを緩め、カバンを床に放り投げてこう言った。
「あのな。外遊びくらい多少目を瞑れよ?働いてこの家に金を入れてるのは誰だ?俺だろ?なぁ…。息抜きくらいしないと…どうにかなりそうなんだよ!お前は琢磨を産んでから…一切俺に構わないよな!?違うか!?」
その言葉を聞いた葵は顔を上げると勢い良くまくし立てる。
「あなたこそ!!ねえ!一度だって琢磨をあやしたり…おむつを替えたり…寝かしつけたりしたことがある!?それにあなたなんて言ったの!?この家に金を入れてるのは俺!?冗談じゃないわよ!!私だって⸺仕事を続けてたらあなたくらい、いえ、あなたより稼いでた!!!!!」
肩で息を切らしてそう言った葵を総司は冷たい目でみると、「もういい。外で食ってくるから。」と一言言ってそのまま出ていってしまった。
「葵、落ち着いて…君の気持ちは分かる。でも男にもプライドが…」とシーゴが話しかけると、葵はポロポロと涙をこぼしながらこう言った。
「プライド…?それって…我が子より大切なの…?」
その顔を見てシーゴは慌てたように言う。
「済まない、そういうわけじゃないんだ…ただ…」
そんなシーゴを睨みつけながら葵は言葉を続ける。
「プライドなら私もあった!!留学までして手に入れた翻訳家としてのプライド!それを奪ったのは他ならぬあの人なのよ!?何が…何が家庭にいて欲しいよ…!!」
葵は顔を真っ赤にしてハアハアと息をしながら泣いていた。
シーゴは一度目を閉じて⸺何かを決心したかのように葵に近づくとその涙を拭い、唇に触れるか触れないかのキスを落とした。
「⸺ッ…シーゴ…?」
葵は頬だけでなく耳まで真っ赤にしてシーゴを見つめる。シーゴはゆっくりと微笑むと葵にこう語りかけた。
「俺なら…こんなキュートな奥様泣かせたりはしないけどな…。」
その瞳には一辺の迷いも曇りもない。
葵が思わずへたり込むとシーゴはニッコリと笑って食卓を指差した。
「君だけでも食べて…そして寝てしまおう。感情が大きく揺れたときほどエネルギーは必要だから。」
一方で部屋を飛び出した総司はクラブ胡蝶へ。
媚びた女たちの笑い声が響く薄暗い空間。
総司は麗華を指名すると席へどっかりと腰掛けて家では吸えないタバコを咥える。
そこに麗華がやってきて火をつけると⸺総司にしなだれかかり口を開いた。
「あら、狭山さん。こんな時間にいいの?奥さんは…?」その口は薄っすらと口角が上がり、まるで何かを愉しんでいるかのようだった。
「知らねえよ。あんな陰気臭え女…」
総司のその一言を聞いた麗華はクスクスと笑うと手際よく水割りを作り総司に手渡す。
「まぁ、聞かないでおくけど…せっかくいらしたんだから楽しみましょう?」
夜の帳が降りた歓楽街の光はまるで海に漂う夜光虫のように青く寒々と輝いていた。




