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魂の所在  作者: 杜 妃湖
8/23

疑念

「⸺そういえば…髪。整えたのか?」

加茂の一件から3日後の朝。ロールキャベツをつつきながら総司が口を開く。

ロールキャベツはシーゴが、

「一度にたくさん作って…冷凍するといいよ。スープに入れても、解凍してそのままでも出せる。ね、手伝うから…」

と勧められて作り置きしておいたものだ。

葵は総司のその言葉を聞くと、やっと気づいたの⸺と言いかけてその言葉を飲み込む。

「そうなの。ええと…シー…じゃない、ママ友さんがね、託児スペース付きのサロンを教えてくれて。それで行ってきたの。どう?」

「いいんじゃないか?似合ってる。」

その一言に葵の顔はパッと花が咲いたように輝いたが⸺次の一言で花はしぼんでしまった。


「⸺で、いくら?そういうとこって割高なんだろ?」

葵は目を伏せながら蚊の泣くような声で「カットとカラー、トリートメントで…16000円…だけど…ちょっとお店でハプニングがあって…半額に…」と伝える。

それを聞いた総司は大きなため息をつくとこう言った。

「なんで女の髪はそんなに高くつくかな…。」

葵の伏せた目に涙が溜まりそうになったが⸺それを必死で堪えると葵は薄く微笑んで総司にこう返した。

「そうよね。ごめんなさい。次は事前にちゃんと言うから。」


朝餉が済んで総司が慌ただしく出かけていく。葵は琢磨を抱き上げてそれを見送るが⸺その時だった。

ふわり、とフローラル系の香り。

匂いに敏感な赤子のいる狭山家に香水は置かれていない。

「あなた⸺」と葵が言いかけたが総司は一言「行ってくる」と言ってドアを閉めてしまった。

葵はしばし呆然と立っていたが、ふと踵を返すとクローゼットへと向かう。その表情に一切の感情はない。

「葵…?」

シーゴが声をかけるがそれすらも無視して葵はクローゼット前へ。総司のスーツを片っ端から引っ張り出していく。

「これじゃない…」そう言ってぽい、と投げ捨てたスーツをシーゴが拾ってもとの通りにおさめる。

「これでもない…じゃあこれ…?違う…」ポイポイと投げ捨てられてゆくスーツ。

葵はしばし逡巡すると、次はワイシャツのポケットをまさぐっていく。

と、その時だった。

1枚の名刺がひらり、と床に落ちた。


「クラブ胡蝶 麗華」の文字。

同じフローラルの香りがどぎついほどに香っている。

葵はそのまま名刺を裏返すとそこには⸺

「先日は同伴ありがとう♡アフターもぜひよろしくね!」右肩上がりの媚びたような癖のある文字と共にメッセージアプリの連絡先。

葵はそのまま名刺を持ってキッチンへと向かうと、無表情のままコンロに火を灯し⸺それを焼いていく。

もくもくと煙をあげ、火の勢いが強まる。

「葵、危ない!!」

シーゴは葵から名刺をひったくると蛇口を捻り一気に水につける。黒くぶすぶすと変色した紙が排水口に流れてゆく。


「⸺ッ…」

葵が声にならない叫びをあげる。名刺を燃やしたときに右手の小指に少しだけ⸺火傷をしたようだ。

「ああ、葵…ほら、早く冷やさないと…」

シーゴは葵の手を引くが葵は動かない。

「葵…?」

シーゴが不思議そうに葵の顔を見ると⸺葵はぶるぶると肩を震わせながら大粒の涙を流していた。

「何…?同伴て…アフターって…自分は他所の女にお金使って…私のささやかな贅沢は咎めるわけ…?」

「葵、こんなのはよくある売上のための口上で⸺実際に旦那様がそれをしたかどうかは⸺」とシーゴが宥めるが、葵はそれを遮り声の限り、

「五月蝿いッ!!」と怒鳴り散らした。


その声にすやすやと眠っていた琢磨がビクリ、と体を震わせると⸺たちまちに泣き出す。

その声に葵は我に返ると火傷も冷やすことなく、琢磨の元へ。

「ああ…ごめんなさい…ごめんね…ママが悪いね…せっかく眠っていたのに…」

葵は琢磨を抱き上げるとゆっくりとゆすりながらあやしはじめた。

シーゴは黙って冷凍庫から弁当用の保冷剤を持って来るとそっと葵の火傷にあてる。

「葵。俺が代わるから⸺君はせめて手当を…」

シーゴの申し出に葵は首を横に振ると震え声で子守唄を口ずさむ。

「Hush little baby...don't say a word...ごめんね…ごめんね…」

それを見たシーゴもまた口を開き、葵の声をなぞるように低いバリトンボイスで歌う。

30分ほどかけてようやく泣きやんだ琢磨をそっとベビーベッドに寝かせると、葵はそのままへたり込んでしまった。そして首だけをシーゴに向けると涙の残る顔のまま薄っすらと笑い、こう問いかけた。

「シーゴ…永遠の愛、って…なぁに…?」

本棚に置かれた二人の挙式時の写真が嘘くさく天井のライトを反射させる。それが写真の中で微笑む総司の顔を歪ませ、葵は力なく「はは…。ばっかみたい…」と独りごちる。


保冷剤の冷たさだけがただ一つ正しい真実のような午前10時過ぎ。

何かの糸がプツリと切れてしまったような葵の背をただただシーゴは撫でることしかできなかった。



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