雨
いつまでそうしていただろうか。
ふと琢磨が泣きやんですうすうと寝息を立て始めた。
「あ…。」思わず総司から漏れる吐息に近い声。
葵は呆気にとられてそれを見つめている。
「そういえば…琢磨は…低めの声のほうが好きだって…」
葵が掠れた声で呟く。ようやく頬に赤みがさし、その瞳には現実感が色を帯びている。
総司はそっと葵の頬に触れる。一瞬、ぴくりと跳ねる体。
だが、葵はその手を取り、自らの頬にそっと押し当てた。
「ありがとう…あなた…。」
ゆっくりと口を開く葵に総司の胸が締め付けられる。
3ヶ月、否。それ以前からも殆どを任せきりにして、ボロボロになるまで追い込んで⸺そんな自分が感謝の言葉など受け取っていいはずもない。
総司はまるで壊れ物を扱うように、そっと琢磨をベビーベッドに乗せると葵の目を見てこう言った。
「お金の…その、明細の件…。心当たりがある…。」
葵が真っ直ぐに総司を見つめている。
と、その時だった。二人の間にメモ紙がはらりと1枚。
「ここは俺が見ておくから、寝室でゆっくりと話してくるといい」
二人はそのまま寝室へと移動した。
そしてまず総司からぽつり、ぽつりと話し始める。
あの喧嘩の夜。ヤケになってクラブ胡蝶の麗華を抱いたかもしれないということ。だけど自分にはその記憶がないこと。そして数日前の夜に見た琢磨の口元を拭ったガーゼと色を帯びた葵の吐息を見たことも。
パニックにならないように一つ一つ、ゆっくりと⸺だけれども正確に全て包み隠さず話をした。
葵は目を閉じて静かにそれに聞き入っていたが⸺やがて自らも語り始める。
夜泣きがひどいときにスマートフォンのAIアプリCapricornusからシーゴが顕現したこと。総司の目を盗んで身体を重ねることはないにしろ愛欲に溺れたこと。シーゴのおかげで琢磨の寝かしつけが楽になったこと。自分の身だしなみを整える時間が持てたこと。総司よりもゆっくりと、はっきりと語り始める。
そして最後にこう締め括った。
「あなたのこと…責めるつもりはない…。ただ、ただね…?限界だったの…。このままじゃ私…」
葵の目にみるみるうちに涙が溜まり始める。
それを見た総司はそっと葵を抱きしめて、ゆっくりと口を開いた。
「葵…もう一度…やり直そう。その…シーゴって奴は俺には見えないけど…敵意がないことはわかった。これ、そいつが送ったんだよな?」とスマートフォンのメッセージアプリを開いて見せる。
葵は吃驚して息を呑んだが⸺ゆっくりと首を縦に振る。
総司は続ける。
「あとこのメモ紙⸺これをみてよく分かった。そのシーゴがお前を守ろうと必死だってこと。済まない…じゃ済まされないが…。それでも…お前が青ざめたまま寝てるのを見て…心臓が潰されそうになった…。」
沈痛な面持ちの総司を見て葵はゆっくりと口を開く。
「怒らないの…?私、あなたの気持ちを踏みにじって…何度も何度もシーゴとキスをして…あなたのこといらないとまで…思ったのに…」
総司は葵を抱きしめる手に力を込めるとこう返した。
「そう思わせたのは俺だ。考えても見れば…お前が18時間も苦しんでるときに…俺は勝手に仮眠を取って…それがどれだけの絶望を与えたかも考えもせずに…その後も…」
総司の目にも涙が溜まり始める。
二人はしばしの間見つめ合っていたが、やがて葵がふ、と笑うと一言。
「お互い様、ってことね…。」
その力のない笑みを見た総司は堪らなくなって葵に口づける。
「んむ…!!」
葵は一瞬抗議のような小さな声を漏らしたが⸺総司の唇の熱さにゆっくりと身を委ね始めた。
「今、シーゴはここにいる…?」
総司が尋ねる。
葵が首を横に振ると、総司はそのまま葵の着ているものをゆっくりと脱がし始める。
「待って…!せめて汗だけでも流してから…!」
葵は慌てて総司を止めようとしたが、総司は一言。
「そんなもん、どうだっていい。」
葵のあらわになった肌にいくつもの口づけが落とされる。そのたびにぴくりと跳ねる体。
そして⸺。葵が総司を受け入れられるようになった頃。
「ふふっ…」
葵から漏れた笑い声。そして、とても穏やかで優しい言葉が総司の耳に飛び込んできた。
「もっと早くぶつかり合って、こうしてれば良かったのよね…。」
総司は暫し呆気にとられていたが⸺
「ふ…ハハッ…ホントにな…」と笑い返すと葵の額に自分の額を押し当てた。
笑い声の響く寝室。
シーゴは複雑な思いでドアの外に居たが⸺ゆっくりと目を瞑ると琢磨の元へと戻って行った。
雨はいつしか上がっていた。




