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魂の所在  作者: 杜 妃湖
17/23

決断と拒絶

それから数日が経った。

総司は朝餉の時間に葵にゆっくりと口を開いた。

「葵…その…。最近お前ちょっと疲れすぎじゃないかな…。」

葵はうっすらと笑いながら答える。

「そう…?最近は琢磨も夜泣きが減って…私も眠れてるし…別にあなたが心配するようなことはなんにも…なぁんにもないのよ…?」

いつもの微笑み。だがその瞳だけは深い黒を宿したままだ。

総司は朝餉のトーストをほぼ飲み込むようにして、大きく息をつき⸺そして意を決して葵にこう告げた。

「病院に行かないか⸺心療内科に。会社の同僚に産後うつの奥さんを抱えてる人がいてさ…その人に聞いたんだ。お前は大丈夫って言うけど…その…心配なんだよ…。」

葵は小首をかしげて総司を見つめている。

ジリジリと喉の奥が焼けるような時間が経過して⸺

葵はゆっくりと口を開いた。


「あなたは私がどこかおかしいと…そう言いたいの…?」

柔らかだがどこか棘のある口調で葵は総司をじっと見つめる。感情の込められていなかった瞳はやや上目遣い気味に⸺やんわりと総司を睨みつけている。

「そうじゃない、そうじゃないんだ…。ただその…心配なんだよ…。全部お前に押し付けて、ひどいことまで言って…お前の心に負担をかけてしまって…今更だけど…その、カウンセリングだけでも…」

その瞬間だった。

バチン!と音がして箸がテーブルに叩きつけられる。

葵はゆっくりと立ち上がると一言。

「バカにしないで。命を…小さな小さな命を預かってるの…。そんな所、行ってられない。」

そういうと葵はまだ残る自分の朝餉を生ゴミ入れに捨て、皿を洗い、「終わったらお水につけておいて」と言い残してベッドルームに消えて言った。


「葵…旦那様心配していたじゃないか…。悪気があって言ったのではないと思うよ?」

跡をついてきたシーゴが葵の肩に手を置き、宥めるような口調で囁く。

葵はその手に自らの手を重ねるとニッコリと微笑みながらこう言った。

「…だから?今更なんだっていうの?ねえ、シーゴ…。あなたも私が頭がおかしいとでも?」

「そうは言ってないよ、葵。ただ…」

とシーゴが言い切る前に葵はそのままシーゴの首に手を回し自らその唇を貪るように求めた。

シーゴは一瞬たじろいだが、その小さな唇が震えているのに気づくと葵の背に手を回してキスに応じる。

キッチンで途方に暮れる総司をよそに、寝室で繰り広げられる愛の営み。情交ではないにしろ、それが葵の脳を麻痺させるのには充分なものであった。


総司は最早見送られることもなくフラフラと出勤して行った。押し寄せる後悔。ラッシュアワーの人の波がその後悔を喉元までせり上げてゆく。

会社の最寄り駅で押し出されるように電車から降りた総司は、そのままホームに座り込んだ。

「何もかも…すべて遅かった…。でも…。取り返したい…。今更だけど…。」

誰に言うともなく独りごちると総司はフラフラと立ち上がり、会社までの道のりを歩いて行った。


昼下がり。狭山家のポストに何通かの手紙が投函される。

葵はそれを手に取ると手際よく分別してゆく。

リサイクル業者のチラシ。くだらないDM。今日も代わり映えのないものばかり。

と、1枚の封書に目が止まった。

契約しているクレジットカード会社の明細。

葵は訝しがりながらゆっくりとそれを開封してゆく。

そして中身を見て⸺息を呑んだ。

数日おきに数万から数十万の出費。

葵は駆け足でPCを立ち上げ家計簿ソフトを開く。

大きな買い物をした覚えはない。きちんと貼られたレシート類もそれを物語っている。

再び明細を見て、ゆっくりと電卓を弾いてゆくと⸺そこに叩きだされた数字は215万円あまり。


「なに…これ…?」

葵の顔が見る間に青ざめてゆく。

それを見たシーゴが駆けつけるも葵はカタカタと震えている。

シーゴはやや強引に葵から明細をひったくると、目でそれを追ってゆく。そして静かに口を開いた。

「葵、落ち着いて。最近どこかでカードを落としたり…或いは長期間置きっぱなしにはしなかった?」

葵は首を横に振る。

シーゴは葵の財布を持ってくるとカード類をすべて取り出し、再び尋ねる。

「本当に?この中にあるもので全てだね?」

念を押されて頷くことしかできない葵をシーゴはそっと抱きしめる。

「まずは落ち着こう。落ち着いてからでいい。すべてのカードを止めるんだ。そして問い合わせを。出来そうか?」

その言葉に葵は青ざめたままゆっくりと首を縦に振ると、そのまま机に突っ伏してしまった。


シーゴはそれを見ながら一つの疑念を抱いていた。

総司の帰らなかった夜。あそこに鍵があるのではないか。机に突っ伏した葵の背中をゆっくりと撫でさすりながら、シーゴはこれから訪れるであろう嵐の気配を痛いほど感じていた。

外もまた⸺叢雲が集まり梅雨らしい雨が降りそうな気配を帯びて、あたかも狭山家のこれからを示しているようであった。


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