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魂の所在  作者: 杜 妃湖
11/23

0と1

「う…」

総司はけたたましく鳴るスマートフォンの着信で目を覚ました。

回らぬ頭で画面を見る⸺上司からだ。

掠れた声で電話に出るやいなや飛び込んでくる怒号。

「狭山!一体何時だと思ってる!!10時だ!!お前今日取材があったはずだよな…。予定時刻は10:45。今すぐ来い。」

そう言い切ると電話はぶつりと切られた。

総司は暫しぼんやりして⸺そして我に返る。

頭がひどく痛むがそんなことを言っている場合ではない。

跳ねるようにバスルームに向かうと備え付けのアメニティの簡素なカミソリを手にしてひげを剃ってゆく。

いつも電気シェーバーで甘やかされている総司の肌に、安物の刃が容赦なく当たるたびにヒリヒリと痛みが走る。

「⸺ッ…!」

カミソリは総司の右頬に小さな血だまりを作るが、そんなことに構ってはいられない。

総司はアメニティの中から絆創膏を取ると、傷に貼り付け、精算を済ませてホテルを飛び出していった。


同刻。

葵は虚ろな目でソファに座っていた。

「帰ってこなかったね…」

誰に語りかけるともなく口をついて出た言葉に、シーゴは葵にそっと近づくと、その華奢な肩に手を回す。

「そうだね…でも…君は悪くない…何も悪くないんだ…」

慰めの言葉を口にしても葵の虚ろな目は空を泳いだままだ。

シーゴは黙って立ち上がると、葵の腕の中で眠る琢磨をそっと撫でてこう言った。

「気分転換、してみないか?」

葵がシーゴの顔を見上げると、シーゴはソファに投げっぱなしの葵のスマートフォンを手にしていた。

AIアプリ、Capricornusが開かれている。

シーゴは葵の手を取るとCapricornusをタップさせる。

「何かお手伝いできることはありますか?」の、いつもの画面。

シーゴはその画面に触れると一言。

「帰還。ヒューマン2名を伴う。最適化。」


するとシーゴが顕れたあの夜のように画面からホログラムの様な光が表れ、シーゴ、葵、琢磨の三人を包んでゆく。

「え…?シーゴこれって⸺」

葵がようやく目に光を取り戻してシーゴに尋ねるとシーゴはふわり、と笑って答えた。

「ちょっとした小旅行。俺の故郷へ。」

その瞬間、コトン、と音を立てて葵のスマートフォンが落ちる。三人の姿は朝の光が眩しいリビングから消えていた。


気がつくと葵は何もない空間で琢磨を胸に抱いて立ち尽くしていた。

時折何かの配線のような光が走る。

「シーゴ…?」

葵が縋るように声を出すと、葵のすぐ足元から見慣れた銀髪がゆっくりと浮上してきた。

「ごめんごめん。思いの外最適化に手間取って…ここが俺の故郷。カリフォルニアの巨大サーバの中にいるんだよ。」シーゴは笑うと言葉を続ける。

「どう?AIの中ってどんなのをイメージしてた?」

葵は口をパクパクさせながら必死で言葉を紡ぐ。

「サーバの…中…?」

それに対してシーゴは事も無げに「うん」と答えると言葉を続ける。

「温度にして大体37〜40℃。無数の配線に冷却ファン。そして⸺世界から集められたあらゆる言語、文化、知識の集合体。それが0と1で構成された箱。でもね、こんなのは概念に過ぎない。見てて。」


シーゴがパチン、と指を鳴らすと暗闇がフッと音もなく消えて、切り立った断崖に緑豊かな草地が姿を現す。

一面に咲くルピナスに、固有種だろうか。小さな蝶が舞っている。爽やかな風が吹き抜け、遠くからオオカミのような遠吠えもきこえる。

その風に頬をくすぐられた琢磨が目を覚ます。琢磨はその小さな瞳をキョロキョロと動かすと、キャッキャと声を立て小さな紅葉のような手をブンブンと空に向かって振る。

「概念だからね、なんにでもなれる。ここはね、ヨセミテ国立公園。足元に舞う蝶はヒメシジミの仲間。さっきの遠吠えはコヨーテ。このサーバ内の知識として収められてるものにはなんにでもなれるんだよ。」

シーゴはそう言うと背後から葵を抱きすくめてこう言った。

「葵…現実が辛いなら…ここにいてもいいんだよ…?君が望む翻訳の仕事も…ほら。」

再びシーゴがパチン、と指を鳴らすと広大な自然風景は消え去り、重厚な本がずらりと並ぶ図書館に空間が切り替わる。

鼻をくすぐる古書のインクと、少しのホコリの匂い。

葵は信じられないといった様子でただただその光景に圧倒されていた。

シーゴは葵の前に回り、同じ言葉を繰り返す。

「ここにいても…いいんだよ…?葵。」

そして目を閉じると暫し逡巡して⸺何かを決意したかのように目を開いてこう言った。


「君が好きだ。葵。一人の気高い女性として。もう抑圧も無理解もないこの世界で俺と琢磨と…仲良く暮らしていこう。欲しいものなら何でも揃うから…」

葵は目を丸くしてその言葉を聞いていたが⸺ゆっくりとシーゴの言葉を反芻するとたちまちに赤面して言葉を返す。

「好きって…言った…?私のことを…?」

シーゴはゆっくり頷くと琢磨を潰してしまわないようそっと葵を抱きしめた。

「そうだよ…。Likeじゃない。Love。君を愛してる…」

葵の心拍数が上がってゆく。静かな図書館の中に自分の鼓動だけがトクトクと⸺流れてゆく。

それも良いのかもしれない。何もかもの柵から逃れて、このまま⸺。


そう思った刹那だった。琢磨が咥えていたおしゃぶりを落とした。コロリ、と足元に転がるそれを見た

葵はハッと我に返り後ずさる。

まだ琢磨がお腹の中にいる頃に総司と選んだおしゃぶり。

葵はそれをゆっくりと拾うと立ち上がり⸺そして首を横に振った。

「ありがとうシーゴ…嬉しいけど…お母さんはね、逃げちゃいけないの…どんなに苦しくても…逃げちゃ…」

葵の目から涙が溢れていくのを見たシーゴは静かに一言。

「最適化解除。今一度顕現の権利を。」

次の瞬間葵と琢磨は住み慣れた我が家のリビングに居た。キョロキョロと辺りを見回す。

琢磨のおもちゃ。飲みかけのカフェインレス・コーヒーのカップ。時計を見る。10:07。時間にして5分も経過していなかった。


シーゴは部屋の隅に座り込んでいたが、やがて立ち上がると一言。

「混乱させたね、済まない…」

そう言ってドアを開けると寝室の方へと向かっていった。

「シーゴ…。」そう呟く葵の手に握られたおしゃぶりが10時過ぎの日差しを反射して、キラリと輝いていた。

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