第7話 初めての遠出
その日、二人は少しばかり遠出することになった。
「どこいくの?」
言葉を覚えても、相変わらず幼い仕草のサムエルが可愛らしく首を傾げて尋ねた。
「本を探しに行くのよ」
「本を?」
「そう。あなたが読む本、もうないでしょう?」
もともと、イデアの蔵書は魔術書や百科事典、学術書などが大きな割合を占めていた。ところがサムエルが興味を示したのは、それらとは対照的な物語ばかりだった。物語の類もないわけではなかったが、参考になるかもしれないと思って置いていただけなので数が少なく、ほとんど読み尽くしてしまった。
他に読むものがないので渋々といった様子で魔術書を読んでいたが、その顔には『つまらない』と書いてあるようで。イデアは彼のために新しい本を探しに行くことにしたのだ。
サムエルを伴って小屋を出たイデアは、杖を使って地面に魔法陣を描いていく。
最後に杖の先を中央に当てて魔力を込めると、魔法陣から光が溢れると同時に地面が盛り上がり始めた。
「わぁ!」
サムエルが感嘆の声を上げる。その間にも地面はむくむくと大きくなり、そしてはじけた。ややあって、土煙の中から現れたのは、馬の形をした土塊。ただし、本物の馬と同じように首を振り、嘶きを上げている。鞍も手綱も、イデアの魔法できちんと生成されている。
「遠出になるけど、あなたは箒に乗れないからね」
箒に二人乗りすることもできるが、彼の大きな身体では箒の方が臍を曲げてしまう。そんなことを考えながらイデアが馬にまたがろうと鞍に手をかけると、ふわりと彼女の身体が浮いた。
「ちょ、ちょっと!」
「ん?」
サムエルが、後ろから彼女の腰を掴んで抱き上げたのだ。
慌てるイデアをよそに、サムエルは彼女を横向きに座らせてから、軽々と後ろ側にまたがった。そして、彼女の身体を抱きしめるようにして腕を回し、手綱を握ってしまう。
「サムエル」
「なに?」
「どこでおぼえたの?」
「なにを?」
「そ、それ……」
「それ?」
イデアは顔を真っ赤にして唇をモゴモゴさせた。文句を言いたいのに、はっきり言うのは気恥ずかしいのだ。だが、サムエルには何が言いたいのか分かったらしい。一つ頷いてから、ニコリと微笑んだ。
「本に書いてあった! 〝きし〟は、おひめさまを、エスコートする!」
「騎士?」
「うん!」
「あなた、騎士だっけ?」
「イデアを守るのはボクだよ!」
サムエルが恥ずかしげもなく告げるので、イデアの頬の赤みがまた増した。
「でも、せまいわ」
イデアは逞しい腕に囲われた自分の身体をモゾモゾと動かした。どうにも落ち着かない。
「落ちたら危ないよ」
「大丈夫よ」
「うん。でも、ボクはこうしていたいな」
「……なんで」
「だって、イデアがかわいいから」
返す言葉が見つからなかった。これではまるで、物語に出てくる王子や騎士の口説き文句だ。
目を見開いて口をパクパクとさせるイデアをうっとりと見つめてから、サムエルはかわいらしく首を傾げる。
「どっちに行けばいい?」
「……あっち」
イデアは真っ赤になった顔を隠すようにそっぽを向きながら、南を指さした。本を探しに行くなら、かつて人が暮らしていた痕跡が残る場所しかない。一番近いのは、小屋から南に位置する、とある王国の都だ。
「行くよ!」
サムエルが馬の腹を蹴り手綱をさばくと、土塊の馬が嘶きを上げてから南へ向かって駆け出した。
しばらく進むと、深い森に入った。
「大きいねぇ」
「そうね」
この数百年で、森の様子もすっかり変わった。かつて人間が暮らしていた頃には想像もできなかったほど巨大に成長した木々が鬱蒼と茂っているのだ。
「本に書いてあるよりも大きいね」
「魔王の呪いで汚染された大地で生き残るために、大きく進化したのよ」
「じゃあ、人間も大きくなる?」
「ならない」
「なんで?」
「だって、私しか生き残っていないんだもの。進化しようがないわ」
「どこかに生き残ってるかもしれないよ。イデアみたいに」
これには、今度はイデアがきょとんと目を見張った。
「まさか」
そんな可能性はないと、イデアは確信していた。
「この数百年、世界中を見て回ったけど、生き残っている人間は一人もいなかった」
魔王が死んだ後、イデアが最初にしたことは生き残った人間を探すことだった。世界中を飛んで回り、それこそ隅から隅まで探したのだ。だが、人間に出会うことは終ぞなかった。
どの大陸も魔王の魔力による汚染がひどく、大地は人間が住めない環境になっていたのだ。数百年経った今ではすっかり浄化されたが。
魔王の死に際の呪いにより、イデア以外の人間は死滅した。それが事実だ。
「じゃあ、本当にボクとイデアだけなの?」
「そうよ」
「……それって、寂しいね」
「……そうね」
そんなことを話している間に、森の出口が見えてきた。その瞬間、ぞわりとした悪寒が、イデアの足先から脳天を駆け抜けた。
「なにかいる!」
イデアの声に応えてサムエルが手綱を引いたが、間に合わなかった。二人を乗せた土塊の馬が森を抜ける。その向こうには丘陵地が広がっていて、その中央にこんもりとした黒い山が見えた。
「あれは……!」
山ではない。頭らしき部分がのそりと動いて、一対の真っ赤な瞳がギロリと二人を睨みつけたのだ。




