第2話 生まれたての青年
他にどうしようもないので、イデアは青年を自分の棲家に招き入れた。
彼女一人が暮らすだけなので、小ぢんまりとした小屋だ。リビング、キッチン、寝室、地下には書斎、屋根裏には物置がある。
物珍しそうにしている青年を横目に、玄関に置いてあった杖を手に取った。
そして、魔法を使って青年の身体をキレイにしてから、清潔な服を着せる。その間も、青年は『あ』とか『うう』とか、喃語しか発しなかった。
(本当に、子どもなのね)
知能は幼児レベルのようだ。だが、恐ろしいほどの学習能力を持っていた。食事を出すと、イデアを真似て、椅子に座ってスプーンを使って自分で食べたのだ。
食事が終わると、すぐに青年は机につっぷしてうたたねを始めた。その様子にイデアは何度目か分からないため息が漏れたのだった。
すっかり眠り込んでしまった青年をそのままにして、イデアは地下の書斎に移動した。あの〝種〟について調べるためだ。
「いくら寂しくても、あんなおかしな子どもの世話なんかまっぴらごめんよ」
彼を〝種〟に戻す方法を探さなければならない。
ところが、ゆっくり調べものに没頭することはできなかった。
書斎の扉の外から、慌ただしい足音と、あちこちのドアや窓を開けては閉じる音が絶え間なく響いてきたからだ。同時に、『あ~!』『う~!』という不安そうな声。どうやら、眠っている間に姿が見えなくなったイデアを探しているらしい。
「ちょっと、静かにしてちょうだい」
イデアが書斎から顔を出すと、すぐに青年と目が合った。その途端、碧い瞳からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「ど、どうしたのよ」
ぎょっとするイデアに、青年がぎゅっとしがみついた。
「うぅぅ」
そのままイデアの小さな肩にぐりぐりと顔を押し付けて涙を流すので、彼女のローブがじわじわと濡れて冷たくなっていく。
イデアはどうすればいいのか分からず、行き場を失った両手をうろうろとさまよわせた。振りほどくべきか、優しく肩を撫でてやるべきか。
(うん。振りほどこう)
どうせ〝種〟に戻すのだから、優しくしてやる理由がない。
そう思って彼の身体に手をかけると、その肩が震えてぎゅうっと小さく縮こまっていることに気がついた。
『孤独を寂しいと感じるのは、人間として当たり前のことだよ』
ふと、ある老魔女の言葉が頭をよぎった。幼い頃ですら人と暮らした記憶のない、生まれながらに孤独なイデアを、何かと気にかけてくれていた人だ。
彼女のその言葉があったからこそ、今もイデアは人間の心を失わずにいられる。
イデアは少しの逡巡の後、青年の肩をぽんぽんと優しく撫でた。そして、
「……サムエル」
と、小さな声で告げると、彼の肩の震えがピタリと止まった。青年はゆっくりと顔を上げ、潤んだ瞳でイデアの顔を覗き込む。
「あなたの名前よ、サムエル」
青年が首を傾げるので、今度は彼の胸を指さした。
「サムエル」
続いて、自分の胸を指さす。
「イデア」
それを三度繰り返すと、青年──サムエルも同じようにイデアを指さした。
「い、いであ?」
「そう」
イデアが頷くとサムエルは嬉しそうに笑い、そして今度は自分の胸を指さす。
「さむえう?」
「サ、ム、エ、ル」
今度は一音ずつ教えてやると、サムエルはイデアを真似て口を動かした。
「さむえ、る!」
「そう。サムエルよ」
途端、彼の顔に満面の笑みが浮かんだ。文字通り、花が咲くように。
「サムエル!」
イデアの周りを飛んで跳ねて喜びをあらわにするサムエルを前に、彼女は不思議な気分になっていた。
(名前をつけてあげただけなのに)
しかも、なんとも安直で適当な名づけだ。
サムエルとは、はるか昔に実在したとされる予言者の名だ。その予言の力をもって一つの大国を導いたが、彼の死後、王国は急速に衰退していった。サムエルという偉大な指導者に頼りきりだった当時の国王はエン・ドルの魔女を頼り、魔女はサムエルの霊を死者の国から呼び戻したのだという。
彼はエン・ドルの魔女の落とし物から生まれた。だから、サムエルと名付けたのだ。それ以上の深い意味はない。
だが、彼にはそんなことは関係ないのだろう。イデアに名を付けてもらい、彼女の名を知れたことを、心から喜んでいるらしい。
「イデア!」
「なあに」
名を呼ばれてイデアが返事をすると、その笑顔がまた明るくなった。そして、イデアの身体をひょいと持ち上げてしまう。
「きゃあ!」
彼女の悲鳴など気にも留めず、小さな子供を高い高いするように持ち上げ、そのままくるくると回り始めた。
「イデア! サムエル!」
突然のことに驚くイデアをよそに、サムエルは満面の笑みを浮かべてくるくると踊るように回る。そうしていると、イデアの胸が何だかモゾモゾとかゆくなってきた。
それが嬉しいとか楽しいとかいう気持ちなのだということを思い出すには、彼女にとって孤独の時間が長すぎた。
今はただ、
(悪い気分じゃないわね)
そう思った。
(……仕方ないわね)
イデアは、この生まれたての青年と暮らすことを決めたのだった──。




