9 宿敵対面
歪は夢を見た。未来予知ではなくただの夢——あの日の回想だった。
その日、歪は偶然友達と一緒に帰る秤の姿を見かけた。こっそりと彼女のあとをつけていると会話が聞こえてきた。秤は友達の一人にこんなことを言った。
「うるさいな。理桜は口だけで良いところないもんね」
言われた相手は苦笑いをするしかないようだった。
歪はその言葉を理解できなかった。優しい秤の口からそんな言葉が出る意味がわからなかった。目の前にいる妹が本物ではないように思えて、おかしくなりそうなほどに苦しんだ。
秤が一人になったので追いついて問いただした。
「秤、お前、今、あの理桜って子になんて言った? お前はあの子をいじめているのか?」
「違う! あれはいじめとかじゃなくて……ちょっとイライラしてたからいじっただけで……」
「秤はそんなこと言わない! いじめなんてしない」
歪は秤の弁明など耳に入らず彼女の肩を強く掴む。
「いたっ、わかった、謝るから、それでいいでしょ。放して」
秤はそう言って歪を払い除け、背を向けてスマホを使い始める。
その様子を呆然と見ていた。
秤はいじめの加害者だった。——違う、俺の妹はいじめなんてしない。弱き者にも手を差し伸べられる優しい子なんだ。
歪は目の前にいる秤を否定した。自分の妹を自分の理想の妹ではないと、否定した。
——秤の頭に何かが振り下ろされた。鮮血が飛び散り、秤はその場に倒れる。
落ちたスマホの画面では「ごめん」というメッセージだけが送信されていた。
歪は秤の死体を見つからないように殺害現場の近くの林に隠した。秤の荷物はまとめて近くの川に捨てた。秤を殺してから隠蔽工作をしている間は悪夢の中にいるようだった。家に帰った歪はようやく我に返った。
「おそらく奴は実の妹を殺害している」
憎嶋はこれまでの調査をまとめ、新村と横渡にそう伝えた。
「妹を殺したことがきっかけとなり能力が目覚めたんだ」
「……確かに歪の人間性を考えるとそこまで違和感はありませんね」
新村はこれまでに見てきた歪の周りの死について思い出す。ニュースで流れた高校生三人殺害、車両の襲撃と人質である研咲の殺害。歪は殺人に躊躇いがないように見えた。
「でも殺したのが歪だとするとあの捜索の跡はフェイクだったんでしょうか?」
歪の部屋には秤捜索のノートがあった。そこには歪の情緒が荒れていた痕跡も残っていた。
「確かにあれはフェイクとは思えない必死さだったな」
「それに俺達が侵入したのは奴に能力の素質があったからです。他に部屋を調べられる予定があったとは思えない。そのためにこんなものを偽装するでしょうか?」
「俺も同意見です」
横渡も新村に賛成する。
「……ああ、証拠から考えると俺もそっち側だ。だけどな、あいつは妹を殺してる。俺はわかる。あいつは倒錯者の中の倒錯者だ。絶対に殺ってるぜ。野放しにしておけねえ」
「憎嶋さんがそう言うなら俺達はそれに従いますよ」
「そうですね」
「ありがとう。俺は奴と戦うことになったら、妹のことを話して揺さぶってみようと思う」
「戦うって……」
「予感がするんだ。近いうちに奴と対峙することになる、そんな予感がな」
そのまま歪の足取りが掴めないまま二日が過ぎた。
憎嶋は歪の部屋に再びやってきた。そこはすでに歪達が去った後だった。
「……アルバムが全て持ち去られているな」
「全て? 本当だ。あんなにあったのに全部ない……」
「前回は持っていかなかったのはおそらく重くてかさ張るからだ。だが羽愛羅の能力があればいくら荷物があっても逃げられる」
「それじゃあこれから奴らの逃亡生活は楽になるってことですか」
「ああ。だがやることは変わらない。ひたすらに追いかけて能力を使わせる。負荷をかけて行動不能にしたタイミングで捕える」
——ふと、窓の外を見る。以前憎嶋達が部屋を監視するために車を止めていたところに歪の姿があった。
憎嶋と目が合った瞬間に歪は走り出した。
「誘ってるな」
そう呟くと憎嶋は窓から飛び降りて歪を追いかける。新村と横渡は突然のことで反応できず、置いていかれてしまった。
歪は入り組んだ路地を通り、憎嶋に追いつかれないように走る。
そして歪は人気のない開けた空き地に出たところで足を止めた。歪は振り返って一人で追いかけてきた憎嶋に向き合う。
「初めまして、だな、憎嶋。奇妙なことに」
「わかるぜ。俺も何故か初めて会った気がしない」
「羽愛羅は?」
「置いてきた。あいつは戦いに向いてないからな」
「それじゃあ今日はどちらかが死ぬまで付き合ってくれるんだな」
「ああ、負けそうになったからといって逃げ出したりはしない」
「よかった。追いかけるのに飽き飽きしていたところだ」
「俺も逃げるのに飽き飽きだ。そうだな、お前を殺したら次は追いかける側になろうかな」
「お前にはそっちは向いてないよ」
話している間も憎嶋は歪を観察する。そして憎嶋は歪が武器を携帯していないことに気づいた。
「俺達から奪った銃は使わないのか?」
「ああ、まだ慣れてないからな。慣れたところでお前相手にうまく使えるとは思えない」
「初対面なのにかなり高く評価してくれてんだな」
「何度も殺されたからな」
「悪かったよ。でもお前が大人しく異世界に行ってくれたら一回か二回で済んだんだぜ」
「それは無理だ。俺は大切な妹と一緒にいるためにこの世界を離れるわけにはいかなかったからな」
「妹? 妹はてめえが…………、まさか、羽愛羅のことか? へえ、お前ら倒錯してんなぁ」
「…………」
「妹分を守りたいっていうのは結構なことだ。でもお前は実の妹の方を殺しているだろ」
憎嶋の言葉で歪の顔は陰りを見せた。
「バレなかったのは奇跡だな。昨日高校で女子生徒三人を殺害。全く自分より弱い者ばかりを殺して情けねえな」
「じゃあ次はお前を殺してやるよ」
「やってみな」
憎嶋と歪はジリジリと距離を詰めていく。
予知の中でもないリアルな命の奪い合い、ほとんどの人間が経験することないであろう一対一の殺し合い。
憎嶋が先に仕掛けた。そこで驚くべきことが起こる。
なんと憎嶋の拳を歪は見て、躱したのだ。
これは予知したからではない。歪の動体視力によって憎嶋の攻撃を見切って避けた。それだけだった。
「意外とセンスがあるな。格闘技とかやってたか?」
「空手をな、幼い頃に少しだけ」
秤の方が強かったことは言わない。
「どおりで」
そう言いながらも憎嶋は違和感を覚える。これはセンスの問題ではない。そもそも彼は戦いを先ほどの一撃で終わらせるつもりだった。歪の予知については警戒はしていたが、憎嶋の攻撃は決して知っていたからといって避けられるものではなかった。
「一つ聞いていいか? なんでここを選んだ?」
憎嶋は構えたまま歪に尋ねた。
ここは人気が少ないとはいえ、少し離れているが住宅街がある。誰も訪れないという場所ではない。そもそも人目につかないというのは憎嶋にとっては助かるが歪にとっては有利でも不利でもないはずだ。
それに加えてここには障害物が少なく、羽愛羅が隠れられるような場所も少ない。憎嶋の意表をつく仕掛けをすることができない。その場合単純な実力勝負になる。憎嶋に負ける要素はない。ここは歪にとって戦いに最適な場所ではなかった。憎嶋のアクロバットな戦い方を封じられる分、室内の方が適していると言える。
歪からこの場所に憎嶋を誘導したというのに、それがあまりに不審だった。
しかし歪は質問に答えなかった。そこで憎嶋は、
「少し推理していいか? 当たったら褒めてくれ」
「いいぜ、話してみな」
「思うにこの場所が重要なんだな。ここはお前にとって思い出の地……というわけでなく」
「顔色を伺うのはやめろ」
「冗談だって。だが場所が重要なのは確かだろ。きっとお前の能力が関係している。……お前の能力は情報収集系、これまでのことを考えると未来予知とか。しかしそれなら…………レベル2か」
憎嶋の考えでは歪は秤、三人の高校生、研咲の五人を殺している。レベル2に能力が成長していたとしてもおかしくはない。
「お前、レベル2に成長しているな。この場所はその能力に関係している」
「だとしたら?」
「尚更排除しなくちゃいけなくなった」
憎嶋の推測は当たっていた。
羽愛羅が転送の検証をしているとき、眠っていた歪は予知を見た。その予知では、歪はこの今いる空き地で憎嶋と一対一で戦っていた。
そのビジョンはこれまでの歪の予知とは性質が違った。
そしてその予知は実現した。歪が意図的に実現させたのだ、憎嶋を誘導して。そしてそれがきっかけで歪の体に変化が起こった。
「占いでいうラッキーアイテムみたいなものだ。脳内のビジョンを実現させることで、一時的に俺の肉体は強くなる」
予知を実現させた段階で憎嶋に能力の詳細がバレても問題はない。
「さっきの動きを見るに身体能力が二倍ってところか。なるほど。それで俺と真っ向勝負。いいぜ、受けて立つ」
憎嶋の顔から笑みが消えた。二人は真剣な眼で向かい合った。そして静止。お互いの僅かな筋肉の動きを観察し合い、様子を伺う。今回先に動いたのは歪だった。歪は一気に距離を詰め、間合いに入った。
憎嶋の腹部に突きを入れようとする。しかし憎嶋はそれをいなして歪の体を叩いた。すると歪は吹っ飛ばされて地面に倒れる。
追撃をしようと憎嶋が駆ける。
——その顔を鉛の弾が掠めた。
「銃を使わないって言ったのに、嘘つきだな、お前」
持っているはずのない銃を歪は手にしていた。先ほど倒れた瞬間に、羽愛羅が空き地に銃を送って、それを歪が拾ったのだ。
二倍に強化された身体能力での正面戦闘、それはあくまでプランの一つだった。レベル2の能力をあえて憎嶋に説明することで羽愛羅の能力を憎嶋の意識外に置いた。
二倍の身体能力と銃。普通ならこれで負けるはずがない。しかし憎嶋は普通ではなかった。
「嘘の方が正しかったな」
憎嶋は銃弾を見て避けれた。彼は次々と俊敏な動きで銃弾をかわす。弾切れを狙っている様子でもない。ただ自身の実力を見せつけ、心を折ろうとしていたのだ。
銃が通用しないことを悟り、歪は距離を離そうとしたが、憎嶋はそれを許さなかった。
しかしただ憎嶋に蹂躙されるだけでは終われない。歪は接近してきた憎嶋のみぞおちに拳を当てた。しかし歪が感じたのは手応えではなく、拳に返ってくる強烈な痛みだった。
「くっ……!」
憎嶋の身体はまるで鋼鉄かのように硬くなっていた。人間の皮膚の下に似つかわしくない硬度の筋肉がそこにはあった。
「お前も能力者か?」
「いいや、俺はお前らみたいな能力者じゃない。それに及ばないただの特別。超人的な身体能力を持っているだけだ。お前の二倍程度では収まらないほどのな」
歪の拳が当たった部位を平気な様子で撫でながら憎嶋は答えた。
「……それは、厄介だな」
「厄介って、お前らほどじゃねえよ。俺は所詮生物だ。お前らみたいに人智を超えたもんじゃねえ」
憎嶋は余裕な顔に戻っていた。
「ところでお前、暴力は嫌いか」
「嫌いだ」
憎嶋に当てたはずの拳の痛みを実感しながら答える。
「そうか。俺もだ。昔から暴力が大嫌いだった。でも今はこうしてお前を殴ってる。嫌いなことでもやらなくちゃいけないときがある。この世界はそういうもんだ。生きづらいよな」
憎嶋の姿が一瞬にして視界から消える。そして歪の背中に激痛が走った。憎嶋の背後からの襲撃に歪は対処することができなかったのだ。
歪は能力があるといっても所詮は普通の人間だ。漫画の主人公のように苦痛に耐え続け、何度も敵に立ち向かう、そんな風に彼の体はできていない。その身体能力が二倍になったとしても、憎嶋ほどの膂力で一撃でも喰らえば悶絶は必至だった。
倒れる瞬間、羽愛羅の顔が歪の頭に浮かんだ。
「俺は優しいからな。これ以上苦しまないように一発で終わらせてやる」
憎嶋は懐から銃を取り出す。
「じゃあな」
銃の引き金が引かれ、不快な音が頭蓋に突き刺さる。薄れゆく意識の中、歪は——笑っていた。
憎嶋の指示によって歪の死体は運ばれた。その場に流れた血痕などは放置し、憎嶋は新村と横渡に号令を出した。
「急いで夢方羽愛羅を追うぞ」




