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10 異世界より

 歪が転生して半年が経った。

 その間に憎嶋達は残された羽愛羅を一度は追い詰めたが、転生させる寸前で能力を使われ取り逃してしまった。

 そして羽愛羅の能力は逃亡には最適であったため、その後も異送局から逃げ続けることができていた。

 しかし異送局の本部は羽愛羅を危険視してはいなかった。彼女の能力は厄介ではあるが直接的に破壊活動には結びつかない。そのため憎嶋は羽愛羅追跡から外され、羽愛羅を追う人員は大幅に縮小されていた。

 そんななか羽愛羅を追うのは憎嶋の部下の新村ただ一人だけだった。

 彼は目撃情報から羽愛羅がとあるホテルの一室に隠れているとわかり踏み込むことにした。

 ホテルのフロントからマスターキーを借り、ゆっくりとドアを開ける。部屋の奥に銃を向けながら進むとベッドに座った少女を見つける。しかし彼女は新村を視認しているはずだというのに動こうとはしない。

「逃げないのか?」

「逃げるよ。私の能力はすぐに発動できるから」

「説得を聞く気になったのか。そうか、居場所を突き止められては逃げ、追い詰められては逃げ、もう半年か」

 羽愛羅は答えない。

「もういいんじゃないか。十分戦ったよ。君の兄も満足してくれてるさ」

「満足なんてしないよ。そっちこそ、もう私を追うのはやめてくれない? 最近異送局は調子に乗ってるみたいだね。こんな真っ昼間に突入してくるなんて。こんなんだと末端のあなた達は不満なんじゃない?」

 確かに羽愛羅の言うことにも一理ある。異世界の噂が広まっていた頃は慎重で深夜にしか行動することがなかったのに半年経って噂が落ち着くと、緊急時以外でも日中に転生の仕事を指示されることがあった。歪追跡で警察に指示を出せたということが異送局の権限をさらに強め、上層部を調子に乗らせたというのも一因だった。

 それに加えてあのような事件があったにも関わらず人体実験を行い続ける上層部に不信感がないわけではなかった。

「それに、転生させることに正義があるの? 確かに転生を望んでいる子はいるかもしれない。昔の私やあなた達が今朝始末した美心みこちゃんとか」

 羽愛羅の口から出てきた名前が意外なもので新村は驚いた。美心というのは確かに今朝憎嶋が転生させた少女の名前だった。

「なぜ彼女のことを……」

 新村はある可能性を思いつく。憎嶋が恐れていたことだが、上層部が気にしなかったことだ。

「でも、あなた達はそんな人以外も転生させてる。この世界で生きたいと思っている人も無理やり異世界に送ってる。それって勝手なことだと思わない?」

「確かに、勝手かもしれないな。悩んでいるよ、俺も憎嶋さんも。でも君達の事件に関わって少し迷いは少し落ち着いた。やっぱり能力者を放置することはできない。君達には二回目の人生があるから、そこで妥協した」

「悩んでいるのに意志は固いんだね」

「ああ。もしこの行いが間違いだったとわかったなら償うよ。だからその時まで全力で戦うんだ」

「危険な考えだね」

「納得してくれないか。さっき君は言ってたな、昔はこの世界が嫌で転生を望んでいたんだろ」

「うん。いじめられて……死にたいと思った。でもお兄ちゃんは私のためにあいつらを殺してくれた。もちろん私をいじめた奴らが死んだからといってこの世界が理想の世界になった訳じゃない。でも私の理想の世界のためにあそこまでのことをしてくれたお兄ちゃんとならこの世界で生きてみてもいいって思ったんだ」

「そうだとしても、もういいだろう。君の大切な歪は転生した。君もこっちの世界には未練なんてないはずだ」

「そうだね。でも私が異世界に行ったとしてもお兄ちゃんに会えるとは限らない。お兄ちゃんと一緒に暮らすにはこの世界じゃないとダメだった」

「どうしてそこまでこだわる? 彼は……実の妹を殺したかもしれないんだぞ」

 そのとき羽愛羅の顔に戸惑いが見えた。しかしすぐに受け入れたように冷静に話を続けた。

「それはきっとお兄ちゃんも後悔してるはずだよ。秤ちゃんは本当に可愛くて優しい理想の妹だったはずだから」

「後悔しているなら自首すべきだと思うけど」

「それは色々事情があるんだよ」

「僕は彼の妹の事件の調査をしてきた。その上で言わせてもらうと、亥櫃歪に秤を殺さなければならないほどの事情があったとは思えない」

「黙れ! お兄ちゃんは必ず私のことを助けてくれる!」

「それは……」

 ——突然新村の首が切り裂かれた。誰かがバスルームにでも隠れていて背後を取られてしまったのだと新村は悟る。

 首から血が溢れ出る。少しでも血を抑えようと手を動かそうとするも背後の何者かに手を掴まれてしまう。新村は薄れゆく意識の中で部屋の鏡に映った男の顔を見た。

 それは紛れもなく亥櫃歪だった。



 局内で待機中の憎嶋のもとに横渡が駆け込んでくる。その顔はこれ以上ないほどに深刻だった。

「……新村が死にました」

「あいつも覚悟はできてただろう。こんな仕事だからな。でも残念だ……」

「羽愛羅がこんなことをするなんて」

「羽愛羅じゃねえな。もしかしたら」

 ——憎嶋のスマホが鳴った。メッセージの受信通知だ。それは死んだはずの新村から送られてきたものだった。

『今夜十二時、俺の死に場所で 亥櫃歪』

「歪? 転生したはずじゃ……」

「復活したってことだ。どうやったかは知らないがな。……ヨコ、お前は来るな」

「憎嶋さん、覚悟はできてます。俺も連れてってください」

「ダメだ。俺が決着をつける。俺がダメだったら、もうあいつを止められる奴はいない。全力で逃げて組織もやめろ。お前には守るべき家族がいるんだろ。いいな」

「すみません……」

「……今日はもう帰っていいぞ。俺も時間までは適当に過ごす」

「はい。どうかご武運を」

 横渡に見送られて憎嶋は局の建物を出て行った。

 憎嶋は街を歩きながら半年前の歪との戦いを回想する。

 そもそも憎嶋が二度同じ相手と戦うというのは初めてだった。憎嶋と正面から戦った者は皆等しく転生させられたからだ。

 しかしどうやったかはわからないが、歪は異世界から帰ってきた。

 その事実が大きな疑問を憎嶋に投げかける。

 ——何のために戦うのか。

 一度転生させた以上、歪はもう転生することはない。これまでの転生という大義名分はなくなった。これから行うのは純粋な殺人だ。

 そのためのモチベーションが憎嶋にはなかった。

 ——新村の敵討ちか?

 しかし新村を単独で羽愛羅のもとに行かせたのは上層部の指示だった。新村を死地に向かわせた者も間接的に殺したと言える。それは平和なところから危機感もなく指示だけ出している上層部、そして変わっていく局に抗わない憎嶋。

 それと倒錯者とどちらがマシなのか。

 憎嶋は決して彼らを肯定したりはしない。しかし彼らを完全に悪とみなして自身の行いを正当化することを嫌っていた。

 異送局の歪みが大きくなるほどに憎嶋の迷いも大きくなっていった。

 この迷いは歪を殺すことで晴れるだろうか。正真正銘の殺人者となって晴れるのだろうか。

 考えているうちに時間は過ぎていく。

 憎嶋は予定の時刻よりも早く目的の場所にやってきた。半年前に歪を葬った場所だ。

 そしてその歪が姿を現したのは十二時ちょうどだった。

「幽霊が来るには少し早いな。丑三つ時まで待てばよかったのに」

「さっさと用を済ませて羽愛羅と過ごしたいからな」

「異世界に行ってからも仲が良いな。遠距離恋愛とか耐えられるタイプか。そうだ、異世界生活はどうだった?」

「お前の言う通り、暮らしやすいいいところだったよ。魔物っていう殺してもいい生き物がたくさんいて、そいつらを殺してきた。心は全く痛まなかったな。ゲームのレベル上げと同じだった。なんだっけ? 罪悪感なき仕事には格別の旨みがあるんだったな」

「なるほど。そこも予知で聞いてたのか。油断も隙もねえな。まあいいや。充実した暮らしができてたなら帰ってこなくてよかったんだぜ」

「大切な妹に呼ばれてしまってな。羽愛羅を一人にするわけにはいかないだろ」

「いや、あいつはそろそろ兄離れを進める時だね。俺も姉貴とは長く会ってないしな」

「たまには会うといい。俺も久しぶりに羽愛羅の顔を見て安心できた」

「お前に家族を説かれるとは思わなかったな。

 さて、どうやって戻ってきたのかについては終わってから聞こうか。今はただ再会を祝おうぜ」

「祝いは羽愛羅とする。お前に退場してもらった後でな」

「嫌われたもんだな。一度殺したから仕方ないか。でもあのとき、俺がお前を転生させたとき、お前は笑っていたな」

「顔に出ていたか?」

「なるほど、お前はあえて俺に負けて転生したわけだ。そして異世界でせっせと修行してきたと」

「わかったようだな。俺は異世界で邪魔されずに能力を極めてきた。この前に見せたのがレベル2だったな。そしてこれから見せるのが前人未到のレベル4」

「4か……」

 恐ろしい想像に至った憎嶋は一気に距離を詰めて歪に襲いかかった。憎嶋が蹴り上げる足先を歪は余裕を持って回避した。

「未来を予知し一瞬で幾通りもの行動をシミュレーションできるんだ。そして複数のシミュレーションした結果の中から好きに選んで自動で実現させることができる」

 歪は憎嶋の攻撃を最小限の動きで避け接近し煽るように顔の前で手を振った。

 しかし続いての歪の攻めを憎嶋も回避した。

「予知とまではいかねえがシミュレーションなら俺でもできるぜ。精度の差は純粋な身体能力で埋める」

 不可能なことはどれだけシミュレーションしたところで不可能。歪が純粋な殴り合いで勝つのは不可能だった。

 憎嶋は脅威の集中力を見せる。歪と憎嶋お互いがお互いの攻撃を予知予測し合い、命中を外し続ける。戦いは膠着した。

「お前がいくら攻撃したところで俺には効かない」

 憎嶋はそう言いながら安堵していた。

 レベル4は思ったより強くない。厄介なことは確かだが、勝つのは難しくない。

「確かにこのままだと負けはしないが勝てもしない。それはそうだ。だからこれは勝ちを実現するためのレベル3」

 歪は自身の右手の甲を額に叩きつけた。

 その動作により憎嶋の脳内に具体的な映像が流れた。

 それは歪の足技を憎嶋が躱すというイメージだった。

「ちゃんと映ったか?」

「これが予知……」

 憎嶋はすぐにこの能力の正体に辿り着いた。

 この予知を実現させてはいけない! 

 憎嶋がそう悟るも体が反射的に攻撃を躱した。

 予知は実現した。歪の心臓のあたりが妖しく光った。

「覚えているな、レベル2の能力を。レベル3はその拡張。両者にビジョンが共有される代わりに身体能力の強化の上限がなくなる。今、予知が実現したことで俺の身体能力は二倍になった。前回は二倍でも勝てなかったが、四倍はどうかな?」

 再び歪が能力発動の動作をとり、新たな映像が二人の脳内に流れる。

 再び憎嶋が歪の攻撃を躱すイメージだった。

 憎嶋は二択を迫られる。

 躱して予知を実現させると歪の身体能力が強化される。かといって実現させないためには最適ではない回避の仕方をしなければならず、レベル4のシミュレーション相手では回避しきれない可能性が高い。

 憎嶋はカウンターを狙ったが、シミュレーションも併用している歪の動きには通用しなかった。

「迷ったな」

 歪はあえて拳を空ぶった。予知が実現した。再び歪の胸が光った。

「これで四倍」

 繰り返されるほどに憎嶋の取れる選択肢は減っていく。次の予知は憎嶋が脇腹を歪に蹴られるものだった。これは迷う必要はない。憎嶋は全力で回避行動をとった。

 しかし歪の身体能力は元の四倍。それに加えてレベル4のシミュレーション能力が憎嶋に牙を剥く。

 ——八倍——十六倍。

 予知を実現させる度に歪の身体能力が憎嶋のものに追いついていく。

 何度も繰り返される攻撃にとうとう憎嶋は抵抗する素振りもなくなった。

「ここで終わりか……俺は転生できない。お前達は恵まれていたんだぜ……」

「そうかもしれないな。でも俺は妹と共に生きたかっただけだ」

「変えるのか、世界を」

「羽愛羅がそれを望むなら」

 憎嶋には世界を変えようなんて気はなかった。上層部に不満があっても従うことしかしてこなかった。

 ——倒錯した者の意志こそが世界を変える原動力になるのかもしれない。

 憎嶋は最期にそう思い至った。

「じゃあな、憎嶋」

 憎嶋は胸を突く歪の拳を喰らってついに倒れた。

 歪は憎嶋が確実に死んだことを確かめるとその場を去っていった。


 憎嶋の死体は放置された。その後、歪による罠ではないことを確認した上で横渡が回収、新村の死体と共に歪の影響が及ばない場所で弔った。

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