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8 目覚めの時間

「いったいどれだけ検問があるんだ」

 歪は羽愛羅に運転を任せ、憎嶋の仕掛けた幾つもの罠を予知を使って躱していた。

「そろそろ次の予知をする。結果が出るまでは——」

 次の言葉を吐く前に後部座席に歪の体が倒れていく。

 バックミラーでその様子を見た羽愛羅は慌ててブレーキを踏み、車を停止させた。

「お兄ちゃん!」

「ぐっ、があっ、ああああぁ」

 羽愛羅が呼びかけるが歪は体を起こせずに悶えている。

 歪は研咲に訊くべきことを訊かなかった。それは能力を使用することにデメリット。短期間に何度も繰り返し能力を使うと脳が負荷に耐えきれなくなる。これが憎嶋が狙っていた能力者の弱点だった。

 そしてもう一つ、これは未来予知の特有の弱点なのだが、未来予知では予知を使ったことによる影響は反映されない。つまり度重なる予知によって脳に負荷がかかり歪が行動不能に陥ることを予知することはできなかった。

「ど、どうしよう……」

 羽愛羅は頭を抱えた。

 歪は激しい頭痛の中で羽愛羅に車を動かすように口を動かしたが、声がかすれて伝わらない。急がなければ憎嶋達に車を見つけられてしまう。しかしどうにかしようとしてもどうにもならなかった。

 外が騒がしくなっていく。二人がいる車を複数の人間が囲んでいるようだった。

 もう予知を見たところでどうにもならない。

 歪は羽愛羅を自分の胸元に引き寄せた。羽愛羅もそれに応えて、せめて転生先でも一緒にいれるようにと願いを込めて歪を強く抱きしめた。

 拡声器を通した声が聞こえてくる。

「もうすでに君達は包囲されている。抵抗は無駄だ。諦めて投降しなさい」

 歪には投降のために車から出ていくことすらできる気力が残っていなかった。

 ——もういい。

 歪が諦めてゆっくりと目を閉じた瞬間、突然騒々しい雑音が聞こえなくなった。

 ——何が起こった?

 歪が何とか重い瞼を上げて状況を確かめようとしたが、そこは暗闇。

 元から抱き合っていたが羽愛羅との距離がいっそう近くなっているようだった。狭い。車の中という狭さではない。もっと狭い。ギリギリ二人が入れる箱のような場所に二人はいた。

 歪は右手側の壁に手をつけると、壁が真ん中で割れて奥に動いた。暗闇が晴れた。

 それは昨日まで歪がいた彼自身の部屋だった。二人は部屋のクローゼットに詰まっていた。

「ここは?」

 羽愛羅は歪を支えて一緒にクローゼットの外に出る。

 この奇妙な現象は歪によるものではない。それならば当然羽愛羅によるものということになる。彼女は狼狽えているがそう考えるのが自然だ。

「転送したのか? ここに俺達を」

 容態が落ち着き、ようやく声を出せるようになった歪は羽愛羅に尋ねた。

「いや……そんな私は何も……」

 歪は自分が最初に能力を使った時を思い出す。あのとき歪は無意識に能力を使っていた。

 羽愛羅も追い詰められて能力が覚醒したんだ。

「ここは俺の部屋だ」

 羽愛羅にその事実を伝えた。

「羽愛羅の能力だ。きっと。羽愛羅が俺を助けてくれたんだ」

「そんな、私は何も……」

「ありがとう」

 歪に感謝されると羽愛羅は顔を赤くした。

「ここも安全とは言い切れないだろう。だけど少しここで休もう」

 歪はそう言ってベッドに横たわった。頭痛はまだ治らない。

 部屋は憎嶋達の捜索がされたままになっている。羽愛羅はテーブルの上に秤の写真を集めたアルバムがあるのを見つけた。

「これって……」

「見つけちまったか」

 羽愛羅は秤がカメラ以外の方向を向いている写真ばかりだということに気づいたのだ。

「……冷静になってみると俺は、秤に兄妹以上の感情を抱いていたんだと思う。あいつは応えてくれなかったけどな」

「私ならお兄ちゃんだけを見てるよ、どんな時も」

 羽愛羅は歪に近づいて、その頬にキスをした。兄妹を超えた愛情表現だった。

「ありがとう……」

「うん。ねえ、ずっと逃げ続けなくちゃいけないんだよね」

「ああ。このままだとな。何度か予知で殺されてわかった。憎嶋は危険だ。恐ろしく強く執念深い。あいつがいなくならない限り、この世界に平穏はない」

「あいつらに私達の邪魔はさせたくない。だから私も自分の力で何かできるか考えてみるね」

 羽愛羅はそう言って立ち上がった。


 歪がベッドで脳を休めている間、羽愛羅は自分の能力の検証をすることにした。まず先ほど起こった現象から自身が持っているのは移動することのできる能力だと検討がついた。

 さらにそこで羽愛羅は気がついた。憎嶋達から奪った装備が部屋の中にあったのだ。このことから人の移動だけではなく物の移動もできるとわかった。

 では移動できるものの条件と移動できる場所の条件は何か。羽愛羅自身が共に移動する必要があるのか。

 その疑問を一つずつ確かめていく。羽愛羅は部屋の中にある小物を使って能力を試し始めた。


 辺りがすっかり暗くなったが、部屋に電気をつけるわけにはいかない。近所の人間に歪のことがどう伝わっているのかわからないが、もし明かりを見られて通報ということになったら確実に憎嶋が来てしまう。

「羽愛羅?」

 小さい声で歪が呼んだ。羽愛羅はそれに気づいて歪のそばに寄る。そして今までの検証の結果判明したことを歪に伝えた。

「色々試してみたんだけど、私の能力は指定した人や物を別の場所に転送ができるみたい」

「やはり転送能力か」

「うん。さっきみたいに自分を指定して離れた場所に移動したり、逆に離れた場所の“もの”を自分の近くに転送してくることもできるっぽいよ。転送できる量には限界があるかもだけど、あの装備とかを一気に運べたからあんまり気にしなくてもいいかも」

 歪は暗闇の中羽愛羅の指さす先を見た。うっすらだが装備があることを確認した。

 羽愛羅はさらに詳細な能力の情報を歪に伝えた。

「転送先の場所指定には私がその場所に一度行ったことがあるか、その場所の手掛かりが必要みたい。その地のお土産とかそこへの飛行機のチケットとか」

 一度行ったことがある場所というのは引きこもりの羽愛羅には厳しい条件だった。そもそも彼女は引きこもりの前からもインドアで旅行など遠出をするはなかった。

「あと何かを転送してくるとき、それが遠くにあると、“もの”を指定するのにも手がかりが必要になるみたい、その“もの”自体の手がかりとその“もの”がある場所の手掛かりが。近くにある“もの”の指定は頭の中でイメージするだけなので簡単なんだけど」

「なるほど。その手掛かりの条件って?」

「詳しくはまだわからないんだけど、所縁のあるものならとりあえず何でもいいみたい。さっきはお兄ちゃんが手掛かりになってこの部屋に転送できたっぽいし。あと私の家から着替えを持ってこようとしたときは私が着替えと家の手掛かりになって成功したの。でも私があまり関わりがない親の私物とかは指定できなくて持ってこれなかった」

「なるほど」

「あっ、どうする? 次はお兄ちゃんの実家に転送する?」

「いや、俺の部屋に奴らが来たとしたらもうすでに実家の方にも奴らの手が及んでいる可能性が高い。飛んだ先で即転生という可能性もある」

「で、でもこの能力なら敵から逃げ続けられるよ」

「ああ。だがずっと逃げてるわけにもいかない。憎嶋はずっと俺達を追い続けてくる。俺達を転生させるために。

 研咲によると異世界は複数あるようだ。だから必ず二人同じ世界に行けるとは限らない。離れ離れになったら永久に会えないんだ。そんな恐れを抱いたまま逃亡生活を続けるなんてお前にさせたくない」

 憎嶋は明らかに普通の人間とは違う。歪は初めに見た予知で憎嶋にそんな印象を抱いた。

 顔を合わせた瞬間に憎嶋の身体のすべてが、必ずお前を殺すと主張していた。

 しかし羽愛羅は憎嶋の恐ろしさを知らない。まだ顔を合わせたことがないからだ。予知の内容はあくまで歪が口頭で伝えたに過ぎない。それでは憎嶋の恐ろしさの一割も伝わっていないだろう。

「でもそれって……戦うってことだよね?」

 羽愛羅は不安そうな顔を歪に見せた。彼女は憎嶋に追われ続けることよりも歪が直接危険な戦いに身を投じることの方を恐れているようだ。

「心配するな。どうやら俺の方もさっき能力が成長したみたいなんだ。この力と羽愛羅の力があれば憎嶋達にもきっと勝てる」

 しかしそうは言いながらも歪は憎嶋に勝つビジョンが見えていなかった。

「それじゃあ、この力、どうにか戦いに活かせないかな?」

「……少し考えてみる」

 タイムリミットは憎嶋が歪を追い詰めるまでだ。



 憎嶋達は他部隊から連絡を受け、歪に奪われた車両の確認を行った。

 積まれた装備はほとんどが車中から消えており、研咲の血だけが生々しく飛び散っていた。

 異送局に帰ってきた憎嶋は歪の逃走経路の検討を始めた。

「報告によるとあの車両は完全に包囲されていたようです。包囲に参加した隊員の報告によると車内に人影が動いたのを見たそうです」

「つまり包囲されたときには車内に歪達はいたというわけだ。それなのに近づいてみると誰もいない。この世紀の脱出ショーには能力が使われているな。だが歪の情報収集系の能力ではどうにかできる状況じゃない」

「ということは」

「そうだ。歪でない残った一人、羽愛羅だ。彼女の能力は移動系の能力ということだ」

 横渡も新村も異論はなかった。

「高校での虐殺は歪と羽愛羅の共犯と見ていい。それで羽愛羅の能力が目覚めたんだろう」

「移動系ですか、厄介ですね。その気になれば延々と逃げられてしまいますし」

「それだけじゃない。場合によってはもっと恐ろしいことが起こるぜ」

「恐ろしいこと?」

「詳細がわからないから確かなことは言えないが、移動系なら局内に潜入される可能性がある。局のセキュリティを強化しておくべきだ」

「上が憎嶋さんの言うこと聞いてくれますかね」

 憎嶋は局内の後ろ盾を失ったばかりだった。新しい上司は融通が効かず憎嶋と折り合いが悪かった。

「ダメもとで頼んでみる」

 そう言って憎嶋はスマホを手に取った。

 しかし憎嶋達の想像通り、上司は局本部にセキュリティ強化のために人員を増やすことこそが秘密の漏洩に繋がると言って提案を却下した。さらに歪確保の指揮権を与えられたにも関わらず、取り逃したことについて憎嶋を責める口ぶりでもあった。

「ふざけやがって」

 憎嶋は自分を局に誘ってくれた恩人のことを回想した。彼がいなくなってから局がおかしくなっている。研咲のような危険な研究者やそれに協力する派閥の人間が日に日に力を増していく。局の未来を任されたというのにそんな連中を抑えられない自分の力のなさを嘆いた。

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