6 倒錯者の庭
憎嶋は応援要請に応えて現場へと向かっていた。その現場とは少年院だった。
「被験者を回収しようと向かった増岡隊が全滅したそうだ」
「全滅……」
「新村、お前配属されたのがこっちでよかったな」
「そ、そうですね……」
「それに増岡は研究者連中とズブズブだったからな。かなり悪どいことやってたらしいしバチが当たったんだろう」
「何やってたんですか?」
「転生対象の能力者を研究者どもに横流ししてたらしいぞ。被験体にするんだと」
「え、それって転生させずにってことですよね」
「怖いよな。人体実験だぜ。犯罪者相手でも憚られるぜ。俺だったら同情しまくってろくに仕事にならねえな」
そんな話をしているうちに目的地についた。
施設の門の近くには憎嶋達と同じ組織の車両が止まっていた。「見てきます」と言って、横渡が降りてその車両を調査しに行く。彼はすぐに一人の男を連れて戻ってきた。
「こいつ誰?」
「増岡隊に同行していた研究員の研咲さんです」
「なるほど」
横渡は研咲を憎嶋の車両に置いて再び増岡隊の車両を調べに行った。憎嶋達はその間研咲に聞き取りをすることにした。
「それじゃあ色々と聞かせてもらおうか。対象の能力は?」
「知りません」
「じゃあ名前は?」
「知りません」
「なんでだよ」
「被験体の名前など気にしないからですよ。ただ今回の被験体はすごいとは聞いています。女を残忍に殺したそうです。殺人を犯した少年ということで我々も期待をしていたんですが、まさか覚醒済みだとは! ぜ、是非回収したい!」
研咲は気味の悪い笑みを見せる。
「こいつは罪悪感を感じない人間ってことか。仕事が楽しそうで羨ましいぜ」
憎嶋達の呆れた眼差しを気にせずに研咲は今回の被験体に行う実験を想像しているようだった。
「対象はまだ中に?」
「あ……ああ、はい。門を通った人はいませんでした」
「一人も?」
「ええ、一人もいません」
「…………そうか」
「憎嶋さん、増岡隊の車両に資料が残ってました」
戻ってきた横渡が憎嶋に資料を手渡す。そこには対象の少年が起こした事件の詳細が記されていた。
「なるほど。相当に危険な奴だな」
憎嶋はそう言うといきなり研咲の頭を掴んだ。
「お前、研咲だったか。被験者殺すぞ。捕獲は難しい。転生させた方が犠牲が少ない」
憎嶋の不遜な態度での提案に研咲は悔しそうに頷いた。
「でもそんな危ない奴転生させたら、異世界の方が大変なことになるんじゃないですか」
「こっちの世界が大変になるよりマシだ。それに異世界は複数存在するが、場合によっては転生者同士がバッティングすることがある。異世界のことはそいつらに任せようぜ」
「……そうですね。わかりました」
「ヨコ、ついてこい。新村、お前は研咲を任せる」
「はい」
憎嶋と横渡は少年院内に足を踏み入れた。まだ入り口だというのにすでに僅かながら血の匂いが漂ってきた。
「人の気配がしたら対象かは確認しなくていいからすぐに俺を呼びに来い」
最近配属された新村と違い、横渡は憎嶋の部下として何度も能力者との戦いに挑んできた。憎嶋も横渡を信頼しており、失敗が死に繋がるような指示をしたことも一度や二度ではない。その横渡に慎重な指示を出したのは、今回の対象が特別危険な能力者であることを示していた。
「絶対に相手に先に気取らせるな。仮に不意に出会ってしまったとしても命乞いは無駄だ。命ある限り逃げてこい。相手がどれだけ無害に見えようとだ」
「わかりました」
憎嶋は横渡に強く言い聞かせてから、別れて捜索を始めた。
憎嶋が院内を進むとすぐに人の死体が見つかった。増岡隊の隊員だった。死体はうつ伏せで床にめり込むように倒れていた。その周辺の床は重い物が落ちたかのようにひび割れている。頭が入り口の方を向いていることから、逃げたが追いつかれて殺されたことがわかる。
さらに進むと似たような状況の死体がいくつも見つかった。その死に顔はどれも恐怖の感情に染まっていた。
「なるほど、これじゃあ俺以外に殺せるはずもねえ」
さらに武装していない一般人の死体も見つかった。施設の職員や他の少年達の安否は不明と聞いていたので、この死体は彼らのものだと推測できた。
対象の少年が殺害したのは十人と聞かされていたが、それは増岡隊の人数であり、彼らも含めるとその数は倍以上に膨れ上がるだろう。
「確かにこれは、歪以上か……」
憎嶋でもこれだけの規模の大量殺人に関わるのは初めてだった。
張り詰めた緊張の中、憎嶋は開けた場所に出た。運動場のようだ。そこでようやく生きた人間を見つけた。
「……お前が殺したのか?」
声をかけた憎嶋の方をその少年は向いた。彼の顔は平然としていて、死体だらけのこの環境にふさわしくない。
「うん。急に腕を掴んできて……」
少年の足元には憎嶋の見知った顔があった。仲が良かったわけじゃない。顔を合わせる度に絡んでくる幼稚な男だった。
憎嶋は惨劇の様子を思い浮かべる。増岡に腕を掴まれ、連れていかれそうになった少年。振り払おうとするが増岡も屈強な男だ。腕が痛くなるほど強く引き摺られ、暴れる少年。そして本能を呼び起こし、増岡を潰した。パニックになった少年はそのまま増岡の部下達を圧死させていく。逃げる人々が全て敵に見えたのかもしれない。
「お前を襲ってきた奴らはともかく、職員さんとかは殺す必要なかったんじゃないか?」
「でも、仕方ないよ」
「仕方ない、か」
その言葉を憎嶋は反芻する。そして改めて少年に話しかけた。
「俺はお前を転生させに来た。能力者は転生させなくちゃいけない。お前みたいなやつのことな」
「よくわからない」
「まあわからなくても仕方ない。今回はわかるように説明してないからな」
そして憎嶋は先ほど資料で見たばかりの情報を思い出し、少年の罪を語った。
「……お前は近所のお姉さんを殺したんだって? 家族ぐるみの付き合いでお前にも優しくしてくれたんだってな。
俺も似たような人いたよ。姉の友達でさ、美人で憧れの人だった。たまに家に泊まりに来ていてさ、クソガキだった俺は風呂を覗こうとして姉貴にバレてボコボコにされたな」
少年は興味がなさそうに聞いていた。
「当時は大人びて見えたけどまだ高校生とかだったんだよなあ。今の俺からしたら全然子供だ。——お前が殺した子もそれくらいだったな」
「……やめて」
「罪の意識はあるのか? 確かお前は彼女への劣情で殺したんだよな」
「だって、触らせてくれなかったから。僕の手をぶったから……」
「だから、殺したんだな。でもお前はさっき拒んだんだよな。そいつが腕を掴んだとき拒んだんだよな。それが普通の反応だ。お姉さんも急に触られて嫌だったんだ。
自分は拒むくせに、相手に拒まれると怒り狂う。それがどれだけ自分勝手かわからないのか? ああ、言っておくが俺は弁護士でもカウンセラーでもない。言い訳は聞かないぞ」
「やめて!」
「他人の感情が理解できない。他者の人格を無視している。他人が生きているということを理解しない。自分だけが尊重されると思い込んでいる。どこまでも自分本位。それがお前。まさに倒錯者」
「おかしいの、僕?」
「おかしいよ。まあ、人間ってどいつもこいつも大なり小なりおかしいところがあるけどな。どんな人間でもある程度は他人の人格を無視している。そうじゃなければ生きていけない。だって人間は何十億といるんだもんな。四六時中他人の気持ちを考え続けたら疲れちまう。競争もできないだろう。
でもお前は無視しすぎた。近くの人間の感情を、出会った人間の感情を、向き合ってくれた人間の感情を、すべて無視して進んではいけない方に進んだ。
だからお前は——」
話を打ち切って憎嶋は銃を向けて撃った。しかし銃弾は少年に届くまでに消えた。
「どんな能力か知らないが、その力を持ってこの世界にはいれないぜ」
そう言いながらも憎嶋の常人を遥に超えた動体視力は全てを捉えていた。銃弾は少年に到達する前に下向きに落ちた。銃弾が水平方向に突き進む力をほとんど無視して真下に向く力が加わった。
それだけで憎嶋は少年の能力を『重力操作』だと考えた。
「お前は幸運だ。俺に殺されて、別の世界でも罪を背負い続けられる。罪を償い続けられる」
「いやだ」
「普通の人間は一度しか死ねないんだ。その一度きりの人生の意味。お前も一度死んで考えてみろ」
「うるさい!」
少年が手を振り下ろすと、憎嶋の体に上から圧がかかる。常人ならすぐに押し潰されてしまうほどの重力の圧に憎嶋は膝をついた。
「何言ってるか、わかんないよ」
「…………そうか」
——突然、憎嶋は立ち上がった。
少年はその姿を見て何度も手を振り下ろす。
これまで普通の人間は簡単に潰れて動かなくなった。それなのに憎嶋は生きて立ち上がった。それが不気味で、ゴキブリを叩き潰すように何度も何度も、憎嶋にかかる重力を増やして増やして、さらに増やして、叩き潰そうとした。
それでも憎嶋は潰れない。のしかかる重力に耐えうる肉体が彼の最大の武器だった。
「俺を支えてくれよ」
大きな音がして憎嶋の体が宙を飛んだ。
ありえなかった。鉄の塊が空を飛ぶとかつての人々が思えなかったのと同様に、少年はその重力に縛られた肉体が飛ぶとは思えなかった。そして少年は見惚れていた。筋肉の躍動の結果をただ見守ることしかできなかった。
憎嶋は空中で体勢を整えると少年の頭に足を向け、それを押しつぶすように着地した。
「ゾンビみたいな倒し方で悪いな」
憎嶋は念入りに少年にトドメを刺した。
「ヨコ! もういいぞ」
憎嶋が叫ぶと銃を持った横渡が姿を現した。
「すみません。援護しようと思いましたが、警戒されていたので撃てませんでした」
「大丈夫だ。銃は俺も試したが効かなかった。判断は間違ってない」
そして憎嶋は自身が殺した少年の死体を眺める。頭が潰された少年は確実に死んでいる。
我ながら酷い殺し方だ。しかし捕まって研咲らによって人体実験されるよりはマシだったか?
憎嶋は死体に手を合わせた。転生先で彼が更生することを祈って。
それが済むと少年の死体に横渡がシートをかけた。死体の処理は憎嶋達の仕事ではないが、そのままの状態で晒しておくのは気が引けるからだ。
転生ができる人間の死体は特殊だ。
死体は死後三時間経つと頭から順に消えていく。それから数分もせずに全身が消滅する。さらに死亡前一時間から死後三時間までの間に体から離れた体液や頭髪などの痕跡も同じようにこの世界から消えてなくなる。
憎嶋はこの不思議な現象を転生の準備と捉えていた。どんな力が働いてこのような現象が起こるのか。それについてはまったく想像つかないことだ。
神隠しと呼ばれた現象も実際はこれと同じものを指すのではないだろうか。それこそ転生も含めて全てが本当に神の仕業なのかもしれない。そして自分の特別な肉体は転生を促すために神が与えたもの……。
憎嶋は死体を見る度にそんなことを考える。答えなんてわかるはずもないというのに。
「さて、戻るか」
憎嶋が立ち上がった瞬間、装備しているトランシーバーに通信が入った。そこから動揺している新村の声が届く。
『大変です! 車が奪われました!』
「どういうことだ?」
『亥櫃歪と夢方羽愛羅です! 奴らが研咲さんを人質にとって逃走中です!』




