5 憎むべき足音
歪による凶行の一報は憎嶋にも届けられた。理桜と別れた後、横渡と合流して歪の実家に向かおうとしていたところだった。
ニュースでは犯人は男とだけ報じられたが、所属する組織を通じてさらに詳細な情報が憎嶋には伝わった。そして彼らはすぐに情報にあった犯人の特徴が歪に一致していることに気づいた。
「これ、どういうことですか?」
新村が困惑した様子で憎嶋に訊いた。
「歪が羽愛羅のために行動したんだ。狂気的だけどな」
歪と羽愛羅が従兄妹の関係であることも憎嶋達はわかっていた。しかしそのことを重要視はしていなかった。
「だが不思議だな。従兄妹とはいえほとんど交流がなかったはずだ。その歪が羽愛羅のためにこんなことをするのか? 利己的な動機だとしても羽愛羅は引きこもりだ。本来逃走の役に立つとは考えられないはず。……歪は羽愛羅が自分と同じく能力の素質を持っていると知って接触したのか?」
「でも本部以外で誰が能力者になるかわからないはずですよね」
「ああ、そのはずだ。だが歪には能力がある。きっとその能力で情報を集め、能力の素質を持つ者を集めようとしてるんだ。他の班にもそう伝えろ。こっちの手の内はバレてるかもしれねえ、事態は緊急だ」
近所の目撃者などもう構ってられない。憎嶋は夜を待たずに羽愛羅宅に突入することを決めた。
兄妹の関係となった歪と羽愛羅は夜まで憎嶋に対抗するための作戦を考えることにした。改めてこれまでに歪が見てきた予知の内容を改めて正確に教え、憎嶋の脅威を再確認した。しかしそんな憎嶋を倒すのに有力な策は何一つ見つからなかった。
「お兄ちゃんも昔空手やってたよね」
羽愛羅は歪を眼を輝かせて見る。
「ああ、秤と一緒に習わされたな。でもすぐにやめたし、素人の格闘技レベルで対抗できる相手じゃない」
「そっか……」
「……大丈夫だ。能力の使い方は上手くなってきている。学校に侵入したときから能力をコンパクトに使うことを意識してみたんだ。おかげで襲撃を成功できた。それにどれくらい遠くの未来を見るか調整できるようになってきた。このまま能力が成長していけば憎嶋だって倒せるようになるはずだ」
歪は慰めのようにそう言った。
そんな時に歪は自身の脳の疼きを感じた。これは予知を確認しろという脳からの合図なのだろうか。それに応えるように歪は自分の額を指で叩いた。
***************
時刻は今から三十分後。二人は羽愛羅の部屋で憎嶋達の組織について判明していることを整理していた。
いきなり階下からドンッと音がした。
「何だろう?」
「……羽愛羅はここで待っていてくれ。見てくる」
そう言って歪は羽愛羅の部屋のドアノブに手をかけ、僅かに開ける。するとドタドタと複数の人間の足音が室内に届いた。
侵入者がいる。憎嶋達に違いない。
歪は羽愛羅に部屋のどこかに隠れるように目配せした。しかし羽愛羅の部屋は物が多いものの人が隠れるような場所はほとんどなかった。羽愛羅は焦って物音を立ててしまう。
威嚇するような足音は目的の部屋の位置を特定したのか、真っ直ぐに近づいてくる。
部屋のドアの前で足音が止んだ。
ダン!
——ドアが勢いよく開けられ、銃を構えた憎嶋が歪の目に映る。次の瞬間にはすでに額を撃ち抜かれていた。
***************
「憎嶋が来る。もう三十分もない」
予知から覚めるとすぐに羽愛羅に内容を伝えた。
「えっ、襲撃は夜じゃなかったの?」
「ニュースを見て予定を早めたみたいだ。羽愛羅、逃げる準備を。最低限でいい」
「う、うん」
羽愛羅は返事をして自分の部屋に走っていった。
歪はすでに必要なものはまとめてある。憎嶋が踏み込んでくる時間がわかっている以上脱出が間に合わないことはないだろう。
歪は落ち着いて玄関である行動の予知を始めた。
あえて羽愛羅の家に留まり、憎嶋達の突入のタイミングで彼らの車にスマホを置いていくという作戦の予知だった。五回憎嶋に勘づかれて殺されたが、予知を繰り返し絶妙なタイミングを見つけ、スマホを仕掛けるのに成功する。
歪は求めていたのはここからだった。歪はさらに予知の時間を進める。憎嶋達の車内での会話を羽愛羅のスマホで盗み聞くためだ。
憎嶋達から十分な情報を得て予知を完了させるとすでに二十分も経過していた。歪はふらつくほどの疲労感に襲われたが、そばで心配そうに待っている羽愛羅を見つけて抱きしめた。
「大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ。行こう」
外に出た二人は人気のない道を通って羽愛羅の家から離れた。
二人はある程度距離を取ると人のいない家屋に侵入した。
「ここなら当面は大丈夫だ」
予知を使って安全を確認した歪が告げる。その時、ズキッと歪に頭痛が走る。
「大丈夫? お兄ちゃん」
「昨日今日で予知を使いすぎた」
予知は想像以上に歪の体力を消費していた。憎嶋に捕まると確実に殺され、それ以外でも失敗すると体を打ちつけたりとリアルな苦痛が走る。そんな精神的苦痛も歪を疲れさせていた。
「少し休もうよ」
「そうしたところだがもう一仕事ある。今日しかできないことだ」
「逃げられたか」
憎嶋が羽愛羅宅に踏み込んだ時にはすでにもぬけの殻だった。
「逃げたのはついさっきだな」
憎嶋はキッチンの椅子やクッキングヒーターに触れて温度を確認してそう判断した。
「俺達の一手先をいく逃亡。これで二回目だな。やはり歪が能力で俺達の情報を得ているようだな。しかも能力を使いこなしちまってるようだ」
憎嶋は頭を掻きむしる。歪の能力は想像以上に逃亡に適しているようだ。
「憎嶋さん、これ」
横渡が黒い服を広げて憎嶋に見せた。学生服のようでその前面に血痕がついていた。
「殺しの物的証拠だな」
そして憎嶋達は車に戻った。
ここには歪のスマホなど仕掛けられてはいない。しかしこの車内の会話は予知によってすでに歪に知られている。
そんなことも知らずに彼らは歪についての話を続けた。
「三人殺すなんて異常ですよ」
「……これは俺の経験則からの話なんだが、能力者の中には転生前からどこかおかしいって奴が多い。俺はそういう奴らのことを倒錯者と呼んでいる」
「倒錯者ですか」
新村はその表現に眉をしかめた。
「こんな殺戮を許しておけねえだろ。少なくとも歪を捕らえることは社会正義だ。罪悪感なんて覚える必要ねえぜ」
「そう……ですね」
「罪悪感なき仕事には格別の旨みがあるんだぜ。覚えておきな」
「どういう意味ですか?」
「わからねえか。この仕事長く続けたいなら罪悪感など抱かない仕事を選べってこと。まあ、罪悪感を感じない人間もいるが。そういった奴はこんな仕事でも十分楽しいんだろうな」
憎嶋は具体的な誰かの顔を思い浮かべて愚痴った。
——そのとき、憎嶋のスマホに着信があった。相手は憎嶋の直属の上司だった。
丁度いい。歪達の捜索のため応援を頼もう。
憎嶋はすぐに電話に出た。憎嶋が応えるのを待たずに上司が口を開く。
『憎嶋、亥櫃歪らの捜索は中断だ。緊急で取り掛かってもらいたい任務がある。ある能力者の処理だ』
憎嶋は呆れた。ここで増員して捜索すれば確実に歪を捕らえられる。それを中断するというのは今の憎嶋には考えられないことだった。
「三人殺した殺人犯を放っておけって? それじゃあそっちは何人殺しだ?」
憎嶋は皮肉を込めて笑って言ったが、上司はそれに応じるでもなく真剣な声で言い放った。
『十人だ』




