第9話 再現
ルカを抑え込んだ後も、エインは核の前から動かなかった。
最深部には、低く唸るような魔力の流れだけが響いている。核へ集まった魔力は内部を巡り、性質を変えながら再びダンジョンの奥へと流れていく。その一部が魔物の身体へ入り込み、これまで確認してきた異常を引き起こしている。
それは、ほぼ間違いない。
だが、エインにはまだ分からないことが多すぎた。
この核が先に存在していたのか。それともダンジョンが生まれたことで核が形成されたのか。魔物へ流れている魔力が、身体にどのような変化を与えているのか。そして、この核を壊した場合に何が起きるのか。
分からないまま壊せば、二度と確かめられない。
エインは核へ伸ばしかけた手を下ろした。
違う、まだ早い。
エインは核を見たまま、少し考えた。
「分からないまま壊しても、意味がない」
エインは床に手をつき、核から伸びる魔力の流れを目で追った。
「これが何なのかも、どうしてできたのかも分からない。魔物にどう影響しているのかも、まだ全部は分からない」
視線をルカへ移す。
拘束された身体は、ときおり小さく震えていた。
「それで壊して、たまたま上手くいったとしても……次に同じことが起きたとき、同じように対処できません」
「何をすれば消えるのかも、どうして消えたのかも分からない。結果だけ残っても、再現できないなら、解決したことにはならない」
エインにとって、それは特別な考えではなかった。
何かを直すなら、直った理由を知らなければならない。
同じ故障が起きたとき、また直せるようにする。そのためには、何が原因だったのかを知る必要がある。今回は、それがあまりにも大きいだけだ。
エインはそのまま核の観察を続けた。やがて、内部を流れる魔力の動きに目が留まる。ただ循環しているわけではない。
核に集められた魔力は、内部で何か別の性質へと変えられている。そして変化した魔力が、再びダンジョンへ送り出されていた。
もし、その変化を逆にできるのなら。
核そのものを壊さず、流れている魔力だけを元へ戻せるかもしれない。
エインの頭に、以前聞いた言葉が浮かんだ。
――反転の術式。
魔力の性質を反転させ、無に返す術式。
それならば、核を破壊せずに処理できる可能性がある。
問題は、それを使える人間がいないことだった。
エインは持ってきた文献を開いた。
古い記録をめくっていくと、反転の術式について記されたページがいくつも見つかった。どの文献にも、魔力操作の難しさについて似たような記述が残されている。
通常の魔力操作とは異なり、流れを維持したまま性質を反転させ、その状態を術式として固定する。
そのため、習得には長い修練が必要になる。
数年。
どの記録を見ても、その数字だけは大きく変わらなかった。
エインはページの上に指を置いたまま、しばらく動かなかった。
数年も待つことはできない。
ルカがいつまで今の状態でいられるのか分からない。核の影響がこれ以上強くなれば、ほかの魔物にも同じ異変が起きる可能性がある。
それでも、文献には「数年必要」としか書かれていない。
エインはその一文を何度も読み返した。
「……どうして数年なんだろう」
必要な年月そのものを疑ったわけではない。
数年という結果が生まれる理由を知りたかった。
反転術式が難しい。
では、何が難しいのか。
文献を読み比べていくと、いくつかの操作が重なっていることに気づく。
魔力の量を一定に保つこと。
流れを崩さないこと。
性質を変えること。
変化した魔力を維持すること。
一つ一つを見れば、エインがこれまで経験してきた魔力操作から大きく外れているわけではない。
ただ、それらを同時に行おうとすると難しくなる。
エインは余白に術式を書き写した。
そして、線を一本ずつ分けていく。
ひとまとめになっていた操作を、できることとできないことに分ける。まず魔力を一定に保つ。それができたら流れを変える。そこまでできれば、次は性質を変える。
最初から全部をやる必要はない。
そう考えると、やるべきことが少しずつ見えてきた。
エインは足元の小石を拾った。
魔力を流す。
小石の表面に光が走った直後、弾けるように魔力が散った。
エインは小石を拾い直した。
今度は流す量を減らす。
先ほどより長く保ったものの、向きを変えようとしたところで魔力が崩れた。
原因が見えた。
エインは紙に短く書き留めると、今度は魔力の量をさらに落とした。
結果は同じだった。ならば、量ではない。流す速度を変えてみる。それでも崩れる。次は、向きを変える直前で一度流れを止めてみた。
小石が震えた。魔力は崩れなかった。エインはそこで止めた。まだ反転には至っていない。それでも、さっきまでとは違う。
できなかったことが、どの条件ならできるのか。それが一つ分かった。
エインは同じ操作を繰り返した。
少しだけ量を増やす。崩れる。元に戻す。今度は速度を変える。また崩れる。変える場所を一つだけずらしてみる。
失敗するたび、紙に残した記録と見比べる。同じ失敗を繰り返さないために。そして、うまくいった条件を残し、そこから一つだけ変える。
そうしているうちに、気づけば周囲のことが目に入らなくなっていた。
壁際では、ルカが拘束されたままエインを見ている。
苦しそうに呼吸をしながら、それでも暴れることなく、じっとその様子を追っていた。
エインはふと顔を上げた。
視線が合う。
あのときと同じ目だった。身体は苦しみ、どうにか逃れようとしているのに、その目だけはエインへ助けを求めている。
「もう少し待ってくださいね」
そう声をかけてから、エインは再び小石へ向き直った。
今度は、これまでとは違う順番で魔力を動かす。流れを作り、維持する。そこで一度止める。そして、ごくわずかに方向を変える。
ほんの一周、小石の表面に淡い光が走ったが、次の瞬間には魔力が霧のように散っていく。成功とは呼べない。
それでも、エインは手を止めなかった。今までできなかったことが、一瞬だけできた。ならば、そこには理由がある。完成した術式をそのまま覚えるのではなく、そこへ至るまでの工程を一つずつ確かめていけばいい。
エインは新しい紙を取り出した。
文献に書かれている完成形を写すのではなく、自分が試した一つ一つの操作を書き並べていく。
何ができて、何ができないのか。どこまでは安定し、どこから崩れるのか。そして、何を変えれば結果が変わるのか。
数年必要だという記録を見ても、もうエインはその数字だけを見ていなかった。
数年かかる理由がある。ならば、その理由を一つずつ見つければいい。見つけた理由を変えられるなら、必要な時間も変えられるかもしれない。
エインはもう一度、小石を手に取った。最深部の静かな空間で、魔力がまた淡く揺らめいた。




