第41話 利己
墓地を離れた後、エインとアインは王都までの道を並んで歩いた。
来た時とは違い、二人の間に重い沈黙が続くことはなかった。だからといって、何かを話し続けていたわけでもない。時折、短い言葉を交わしながら、ただ同じ方向へ歩いていた。
王都が近づくにつれて、人の姿が増えていく。行き交う人々の声や、店先から聞こえてくる物音が少しずつ大きくなり、二人はいつもの場所へ戻ってきたのだと実感した。
やがて、分かれ道に差しかかる。
「じゃあな」
アインが足を止めて言った。
「うん」
エインも立ち止まった。
「今日は……ありがとう」
「何にだ」
「誘ってくれたこと」
アインは少しだけ目を細めた。
「俺も行くつもりはなかった」
「そうなの?」
「ああ。でも、今日は行かなきゃならない気がした」
エインは頷いた。
自分も同じだった。
なぜ今日だったのかは分からない。ただ、始祖と会い、迫る侵攻を知り、これから先に待っているものを考えた時、どうしても一度、エミリーのもとへ行かなければならないような気がした。
そして実際に行ってみれば、長い間、自分たちが知らなかったことを知ることになった。
「あいつも、喜んでるだろ」
アインが言う。
「久しぶりに会いに行ったんだから」
「怒ってるかもしれないよ」
「それはそれで、あいつらしい」
二人は少しだけ笑った。
それから、アインは背を向ける。
「また明日な」
「うん。また明日」
互いに手を振ることもなく、それぞれの帰路についた。
エインが家へ戻った時には、すでに身体の疲れをはっきりと感じていた。
ここ数日、まともに休んでいたとは言えない。侵攻の可能性が明らかになってから、軍の状況を確認し、始祖のもとへ行き、これから何が起こるのかを考え続けていた。
それでも、今までとは違っていた。
身体は疲れている。けれど、心の奥にあった何かが、ようやくあるべき場所に収まったような感覚があった。
エインはベッドへ入ると、目を閉じた。
今日の出来事を、抱きしめるように。誰にも触れさせない大切なものを、そっと胸の中にしまうように。額縁に入れて、大切に飾るように。
墓地で見たエミリーの姿。昔と変わらない笑顔。
「振り返らなくていい」
「でも、忘れないで」
その声を、心の中へ刻み込む。
忘れない。忘れる必要もない。
自分たちは、あの人を失った。その事実は変わらない。けれど、それだけではなかった。
あの人は最後まで自分たちのことを考え、人生で一度だけ祈ることのできる祝福を使い、自分たちが生きていけるよう願っていた。
そして今も、二人は生きている。
それならば、自分たちはこれから先も生きていかなければならない。
ゆっくりと息を吐いた意識が遠のいていく。
今日はもう、何も考えなくていい。
エインはそう思いながら、ゆっくりと眠りに落ちた。
まるで今日という一日を、心の奥に大切にしまい込むように。
同じ頃、アインもまた、自宅へ戻っていた。
帰る途中で何を考えていたのか、自分でもよく分からなかった。
エミリーのこと、孤児院のこと、あの日のこと、そして、これからのこと。
今までならば、どこかで考えるのをやめていたかもしれない。思い出せば苦しくなることを分かっていたからだ。
けれど今日は違った。思い出しても、以前のように逃げたいとは思わなかった。
辛かった。苦しかった。今でも、あの日のことを思い出せば胸が痛む。それでも、その記憶の中にはエミリーがいる。だから、もう目を逸らす必要はないのだと思った。
アインもまた、ベッドへ倒れ込むようにして横になった。
そして、ほどなくして眠りに落ちた。
泥のように深く。
今日という一日を抱きしめるように。
二人は、それぞれの場所でゆっくりと眠った。
翌朝。
エインは、目を開けると同時に、自分でも驚くほど頭が冴えていることに気づいた。
眠気が残っていない。身体の疲れも、ほとんど感じなかった。何より、頭の中が静かだった。
ここ数日、考えなければならないことが多すぎた。
迫る侵攻、竜、幻獣、死霊、始祖から聞いた話、軍の状況、防護壁。
自分たちに何ができるのか。
考えれば考えるほど、次の問題が浮かび上がってきた。しかし今は違う。
何をするべきなのか。自分は何をしたいのか。
それが、はっきりと見えていた。
エインはベッドから起き上がり、窓の外へ目を向けた。
侵攻まで、残り八日。長い時間ではない。だからこそ、迷っている暇はなかった。
できることをする。ただ、それだけだった。
エインは身支度を整えると、頭の中でこれからの予定を一つずつ整理していった。
まず、ノエン。
自分の光の魔法について、もう隠す理由はない。
始祖と出会ったことで、自分の魔法について考えることが増えた。あの光が何なのか。なぜ自分だけが使えるのか。そして、何より重要なのは、エイン自身がその魔法をどのように扱っているのかということだった。
事実だけでは足りない。どのような感覚で魔力を扱っているのか。光を生み出す時、何を感じているのか。自分の中では当たり前になっていることも、ノエンにとっては重要な手がかりになるかもしれない。だから、全てを話す。
自分が知っていることだけではない。自分が感じていることも。説明するのが難しい感覚であっても、何も隠さずに伝えるつもりだった。
次に、ヴィタとレイシア。
竜と幻獣についての分析を進める。
相手が死霊である以上、生きている竜や幻獣と完全に同じとは限らない。それでも、元となった存在について知ることができれば、戦い方を考える材料にはなる。
どのような能力を持っていたのか、どのような攻撃をするのか、どのような性質があるのか。
分かることは全て調べる必要がある。
そして、レイシアにはもう一つ確認したいことがあった。
周囲にいる魔物を、戦力にできないか。
侵攻してくる敵だけを見ていては駄目だ。周囲に存在するものの中に、こちらの戦力になり得るものがいるのならば、それも考えなければならない。
可能かどうかは分からない。だからこそ、レイシアに確認する。
ガルドには、軍の前衛戦い方を教えてもらう。
七日間。
侵攻までの残された時間のうち、最後の一日を除けば七日しかない。
その短い期間で、今の軍に足りないものを少しでも叩き込んでもらう。仲間と共に戦い、後ろを守り、前に立つ者として戦う。それを、ガルドから学ぶ必要がある。
アレシアとは戦略を考える。
敵がどこから来るのか、どのような方法で攻撃してくるのか、何を狙ってくるのか。
分からないことばかりだった。
だからこそ、一つの可能性だけを考えるわけにはいかない。どのような方法で攻撃されても、どのようなルートを敵が選んでも、できる限り、全てを守れるように。
防護壁を中心に考えるだけでは足りない。王都のどこへ敵が向かう可能性があるのか、軍をどこに配置するのか、何かが起こった時、どのように対応するのか。
一つずつ考えていく必要がある。
そして、アイン。
これについては、すでに相談していた。
防護壁に敵が到達する予測ができた時点で、エインとアインの二人で相手を攻め落としたい。
今の二人ならば、味方を巻き込むことなく本気で戦えるかもしれない。一度、それを試してみたかった。
敵の規模は分からない。竜や幻獣の死霊がどれほどの強さを持っているのかも分からない。それでも、戦う前からできないと決めるつもりはなかった。
自分一人では難しい。だから、アインが必要だった。
「俺は構わない」
相談した時、アインはすぐに答えた。
「ちょうどいい」
「何が?」
「俺も試したい」
そう言って、アインは自分の腕を見た。
「強化した魔纒をな」
二つ返事だった。
エインが一緒に戦いたいと言えば、アインは迷うことなく了承した。それは昔から変わらない。
二人で生き残ってきた。二人で魔物の生息地の中心へ向かった。あの日から、何度も共に戦ってきた。だから今回も、一緒に戦う。
エインはそこまで考えると、一度息を吐いた。
やることは多い。八日しかない。けれど、不思議と焦りはなかった。やるべきことが分かっている。ならば、一つずつやればいい。
エインは家を出た。
王都は、すでに侵攻に向けて動き始めていた。軍の者たちは準備を進めている。それぞれが自分にできることをしていた。
エインは軍の者たちの前へ立ち、集まった者たちを見渡す。
これから何が起こるのか、誰にも分からない。
敵の規模も、戦いがどれほど続くのかも、本当に王都を守り切れるのかも。
それでもここにいる者たちは戦う。自分たちの守るべきもののために。
エインは、自分が考えていることを伝えた。
残された時間は八日。
短い。しかし、まだ八日ある。できることはある。準備する時間もある。
何もせずに恐れているよりも、一つでも多くのことを準備する。一人でも多くの者が生き残るために、一つでも多くの可能性を作るために。
軍を鼓舞した後、エインは学院へ向かった。
そして、零期生と一期生を集める。
侵攻が迫っていること、王都が戦場になる可能性があること、その時は、街の中でもいつでも戦えるよう準備しておくこと。
エインは、そう指示を出した。
もちろん、敵を撃ち漏らすつもりはない。防護壁を突破させるつもりもない。戦場を王都の中まで入れるつもりなど、最初からなかった。
それでも、万が一はある。
どれほど準備をしても、全てが予想通りに進むとは限らない。
だから、備える。
最悪の事態が起こらないように。そして、もし起きてしまったとしても、すぐに対応できるように。
それが終わる頃には、すでに一日の時間が大きく過ぎていた。
しかし、エインにはまだやるべきことが残っている。
地上での準備を進める、仲間たちと話す、戦いに備える。
そしてもう一度、あの場所へ行く。
エインは地下へ続く道の前で足を止めた。
始祖。
魔法、魔術、魔族、魔力。
その全ての始祖。
初代国王と出会い、その死後も王国が存続するよう、この場所に留まり続けている存在。
二代目の国王によって犯罪者に仕立て上げられ、地下牢へ投獄された存在。
エインは、もう一度会う必要があると考えていた。前回、聞くことができなかったことがある。
自分の魔法について。迫る侵攻について。そしてこの先、自分たちが戦う相手について。
知りたいことは、まだ残っていた。
エインは地下へ続く道を見つめる。
昨日とは違う。不安がなくなったわけではない。恐怖を感じなくなったわけでもない。ただ、自分がどうしたいのかは分かっていた。
守りたい、生き残りたい、そして、知らないことを知りたい。
だから、行く。
エインはゆっくりと歩き出した。
地上では、侵攻に備える者たちが動いている。
残された時間は、八日。
その時間を無駄にするつもりはなかった。
エインは、もう一度始祖に会うため、地下へと向かっていった。




