第37話 集結
王からの招集は、通常の呼び出しとは明らかに違っていた。
王城から直接届いた命令書には、理由がほとんど記されていなかった。ただ、可能な限り速やかに王城へ集まること。そして招集者がエインであることだけが記されている。
それだけで、異常事態だと理解するには十分だった。
ノエンは手元の解析資料を閉じると、すぐに立ち上がった。防護壁の外で確認された未知の魔力については、まだ結論が出ていない。むしろ調べれば調べるほど、人間の魔法体系とは異なる痕跡が見つかっていた。
そこへ王からの直接招集だった。
「……エインさんが王を通して呼び出すということは、相当な事態なのでしょうね」
ノエンは机の上に残った資料へ目を向けたが、続きを調べる時間はなかった。
一方、ヴィタも同じ頃、自分の研究室を出ていた。
机の上には魔物の骨や牙、皮膚の一部が並んでいる。西から現れた魔物たちの生態を調べ、生息域の変化を追い続けていた彼女は、王城からの使者を見た瞬間、珍しく表情を変えた。
「王から? しかもエインが呼んでる?」
使者が頷く。
「はい。至急とのことです」
ヴィタは少しだけ考え、それから研究資料を机の端へ寄せた。
「分かった。すぐ行くよ」
学院の建設予定地でも、同じ命令が届いていた。
セドリックは魔法実験用の設備について書かれた図面を眺めていたところだった。ミレイアは建設予定地の端で、どの程度の広さがあれば魔物を扱うための環境を作れるか考えている。
ガルドはいつものように木剣を振っていた。
そしてアレシアは、王城から届いた命令書を一度読んだあと、静かに紙を折り畳んだ。
「王を通して全員を集める、か」
彼女は小さく息を吐く。
「これは学院の話じゃないわねえ」
その場にいた全員が、同じことを考えていた。
エインが急いでいる。
そして、エイン一人では判断できない何かが起きている。
⸻
王城の会議室には、普段よりも多くの人間が集まっていた。
王。
ノエン。
ヴィタ。
アイン。
そして、軍事学院の教師として招かれた四人。
セドリック・アーヴェル。
ミレイア・セレナ。
ガルド・ヴェイン。
アレシア・ヴァルド。
全員が席についている。しかし、誰も無駄な会話をしていなかった。
アインは腕を組み、扉の方を見ている。ガルドも同じように黙っていたが、その視線は鋭い。
しばらくして、会議室の扉が開いた。全員の視線がそちらへ向く。
入ってきたのはエインだった。
王都へ戻ってから、ほとんど休んでいないのだろう。服には旅の途中で付いた汚れが残り、髪も整えられていなかった。それでも足取りは乱れておらず、その目にははっきりとした意志があった。
エインは席に着かなかった。
部屋の中央まで歩き、そのまま全員を見渡す。
「集まっていただいてありがとうございます。急な招集になってしまい、申し訳ありません」
ノエンがすぐに口を開いた。
「いえ。それよりも、何があったのですか。王を通して私たちを招集するほどの事態なのでしょうか」
エインは頷いた。
「はい。王国に、これまでとは比較にならない危険が迫っています」
会議室の空気が変わった。
エインは、自分が調査へ向かった村について話し始めた。
人の住んでいた小さな村に戦闘の跡はなかったが、村を捨てて逃げたような形跡があった。しかし、人々は王都へ逃げたのではなく、川へ向かっていた。
その先で発見した調査団の死体。鋭利なもので切断された者、溺死した者、焼かれた者、死後それほど時間が経っていないにもかかわらず、異常な速度で腐敗していた者。
そして、川の向こう岸。記録では荒地だった場所を覆っていた、深い霧。
「その霧は、物質と魔力を分解していました」
エインの言葉に、セドリックが眉を寄せた。
「分解、ですか?」
「はい。普通の石を投げれば砕けました。魔力を込めて強化した石も同じです。魔法も、霧に触れた瞬間から消えていきました。ただし、僕の高出力の魔法だけは霧を押し切ることができました」
セドリックの目が変わる。
「……そんな現象、聞いたことがない」
「僕もです」
エインはそのまま続けた。
霧の奥にあった館。そこで発見した、本来なら死んでいるはずの調査団、死体のまま動いていた人間。そして、その館の最上階から聞こえた会話。
王国を攻めるという計画、死霊、霧、さらに、竜族と幻獣族の墓を利用して増やされた戦力。
エインが最後まで話し終えた頃には、会議室は完全に静まり返っていた。
最初に口を開いたのはヴィタだった。
「……竜と幻獣?」
「はい」
「それが本当なら、かなりまずいね」
普段と変わらない口調だったが、その声には軽さがなかった。
「竜は種類によって違うけど、成体なら一体で軍と戦える。幻獣はもっと面倒だよ。そもそも生態がほとんど分かってないし、確認されている個体ですら能力が違う。死霊になった状態でどこまで生前の能力を使えるのかも、分からない」
ノエンもゆっくりと口を開いた。
「エインさんがこれまで調べていた未知の魔力とも、関係している可能性がありますね。私が防護壁の外で発見した魔力は、人間が扱ったものではありませんでした。魔族、あるいは未知の種族によるものだと考えていましたが、今回の霧も含めて考えれば、別々の現象とは言い切れません」
「僕もそう思っています」
エインは頷いた。
「今回見つけた死霊術師が、すべての原因とは限りません。ただ、少なくとも王国への攻撃を計画していました。話の内容から判断する限り、十日後の夜明け前に動くつもりです」
アインが初めて口を開いた。
「あと何日だ」
「僕が帰還するまでに一日かかっています。残りは、おそらく八日か九日です」
「時間がないな」
アインの短い言葉に、誰も反論しなかった。
王はしばらく黙っていた。
エインの報告を聞きながら、何度か確認するように視線を落としていたが、やがてゆっくりと顔を上げる。
「エイン」
「はい」
「お前は、どうするべきだと考える」
エインはすでに答えを考えていた。
「王都の防衛だけでは、止めきれない可能性があります」
「理由を聞こう」
「敵が竜や幻獣を死霊として使えるなら、防護壁まで到達されること自体が危険です。防護壁は強力ですが、何度も攻撃されれば絶対とは言えません。また、敵の数が分からない以上、一箇所で迎え撃つ方法は危険です」
エインは会議室の中央に広げられた王国周辺の地図を見た。
「王都へ向かうまでの経路に、複数の防衛線を作るべきです。一度に全てを倒そうとするのではなく、何重にも部隊を配置して、少しずつ敵の戦力を削る。第一陣で数を減らし、第二陣でさらに減らす。それでも突破してきた敵を、王都周辺の部隊が迎え撃つ形です」
アレシアが地図を見た。
「敵の進行方向は?」
「まだ正確には分かりません。ただ、王都を狙うなら大きく迂回する理由はありません」
「なら、複数の経路を想定する必要があるわね。相手がこちらの配置を知っている可能性も考えるべきよ。一方向だけを固めれば、そこを避けられる」
エインは頷く。
「そのために、皆さんの意見が必要です」
全員の視線が集まった。
「僕一人では、対策を考え切れません。魔法、魔物、戦闘、戦略。それぞれの専門から、考えられる対抗策を出してほしいんです」
セドリックはすぐに考え始めていた。
「霧への対策が最優先だな。魔法が分解されるなら、通常の攻撃魔法は使えない。だが、エインの魔法が通った理由を調べれば、何か突破口があるかもしれない」
「私も協力します」
ノエンが続ける。
「エインさんが霧に使用した魔法について、できる限り詳しく教えてください。出力だけが原因なのか、それとも魔法そのものの性質なのか。そこを調べる必要があります」
ヴィタは腕を組んだ。
「竜と幻獣については、できる限り情報を集めるよ。王国に残っている資料だけじゃ足りないかもしれないけど、種類が分かれば弱点も変わる。死霊になっていても、生き物としての特徴まで完全になくなるわけじゃないはずだから」
その言葉を聞いていたミレイアが、ヴィタへ視線を向ける。
「それなら、お姉ちゃんが手伝ってあげる」
ヴィタは一瞬だけミレイアを見ると、わずかに口元を緩めた。
「助かるよ。魔物を扱うことなら、あたし一人で調べるより早い」
「俺は軍の配置を考える」
アインが言った。
「今の兵士が、どこまで戦えるかは分かっている。戦える場所に配置する。無理な場所に置いても死ぬだけだ」
ガルドも頷いた。
「前衛の戦い方は俺が見る。竜が相手なら、普通の兵士を正面からぶつけるわけにはいかん。生き残ることを優先した戦い方を考える」
「戦略については私が考えるわ」
アレシアは地図を見ながら言った。
「ただし、情報が足りなすぎる。敵の数、種類、移動速度。最低限それが分からなければ、戦場を作れない」
「分かりました」
エインは全員を見た。
「必要なものがあれば、すべて書き出してください。僕から王に報告します」
王は静かに頷いた。
「許可できる範囲で、最大限の支援をする」
しかし、そこでエインはすぐに次の言葉を続けなかった。
一度だけ考えるように視線を落とす。
そして、再び王を見る。
「……もう一つ、相談があります」
「何だ」
「王都の地下牢についてです」
会議室にいた数人の表情が変わった。
アインがエインを見る。
「地下牢?」
エインは頷く。
「最奥に封じられている者がいると聞いています」
王の表情が明確に硬くなった。
「その話をどこで聞いた」
「以前、領務院の古い記録で存在だけを知りました。詳しい内容までは書かれていませんでしたが、王国が通常の牢では収容できないと判断した人物がいると」
王は答えなかった。
エインは続ける。
「今回の戦力として、使えないでしょうか」
「ならん」
即答だった。
それまで静かだった王の声が、初めて強くなった。
「絶対に、許可しない」
会議室の空気がさらに重くなる。
エインは王を見たまま、理由を尋ねた。
「そこまで危険な人物なのですか」
「危険という言葉では足りない」
王はゆっくりと言った。
「王国にとって敵であるかどうか以前に、あれを自由にするという選択そのものが間違いだ。二度と外へ出してはならない」
「分かりました」
エインは一度頷いた。しかし、引き下がらなかった。
「それでも、一度会わせてください」
「エイン」
「もし王都が落とされれば、どうなりますか」
王が黙る。
「防護壁が破られ、王城まで敵が入れば、地下牢も無事では済まないと思います。最奥の牢がどれほど強固でも、王都そのものが失われれば、封じ続けることはできない」
「だからといって、あれを使う理由にはならん」
「使うかどうかは、まだ決めていません」
エインの声は静かだった。
「ただ、何も知らずに戦力から外すべきではないと思っています」
王は険しい顔のまま、エインを見つめている。
「僕は、解放することを提案しているわけではありません。もし協力する意思があるなら、誰かとペア契約を結ぶ方法があります。完全に自由にするのではなく、制約をかけた上で力を借りることはできないでしょうか」
ペア契約。
魔力を介して二者を繋ぎ、一定の制約を与える特殊な契約。契約の内容次第では、片方が一方的に行動することを防ぐこともできる。
王はすぐに答えず、長い沈黙が続いた。
やがて王は深く息を吐く。
「……お前は、会ったこともない相手を戦力にしようとしている」
「はい」
「何者なのかも知らない」
「だから会いに行きます」
「危険かもしれん」
「それでもです」
エインの答えに迷いはなかった。
「今の状況では、戦力を選り好みできません。もちろん、危険だと判断すれば協力は求めません。でも、何も知らないまま可能性を捨てることもできません」
王は目を閉じた。
しばらくして、ゆっくりと口を開く。
「……一度だけ会え」
エインは顔を上げる。
「ただし、解放は認めん。お前自身も牢の中へ入ることは許可しない。外から話をするだけだ」
「分かりました」
「そして、危険だと判断した場合はすぐに戻れ。あれに深入りするな」
「はい」
エインは頭を下げた。
会議が終わると、ノエンたちはそれぞれ準備へ戻っていった。
セドリックとノエンは霧について調べるため、エインから詳細な話を聞き取る。
ヴィタとミレイアは竜と幻獣についての資料を集めるために研究室へ向かった。
アインとガルドは軍の配置について話し合い、アレシアは王国周辺の地図を持ち出していた。
残された時間は少ない。全員が理解していた。
王都は、これまで経験したことのない戦いを迎えようとしている。
エインだけは、その流れから少し外れて王城の奥へ向かった。
案内役の兵士が前を歩いている。
王城の地下へ続く階段。
一段降りるごとに、空気が冷たくなっていく。地下牢には、通常の犯罪者も収容されている。しかし、さらに奥へ進むと、人の気配が少なくなっていった。兵士の数だけが増えている。鉄格子も、普通のものではない。魔力を通しにくい特殊な金属が使われ、壁には複数の魔法陣が刻まれていた。
「ここから先です」
案内役の兵士が立ち止まる。その声にも、わずかな緊張があった。
エインは頷き、さらに奥へ進む。
地下牢の最深部。そこは他とはまったく違っていた。
扉の前には、何重もの鍵がかけられており、壁には魔法陣が無数に描かれている。そして、その奥には何も見えないほどの暗闇が続いている。
「ここです」
兵士が言った。
「中にいる者の名前は?」
エインが尋ねると、兵士はすぐには答えなかった。
「……名前を呼ぶことも、許可されていません」
「そうですか」
エインは扉を見る。
「では、ここから話します」
兵士が鍵を開ける。重い音が地下に響いた。
一つ、二つ、三つ。
何重にもかけられた鍵が外されていく。最後の鍵が開いた瞬間、扉の向こうから冷たい空気が流れてきた。魔力ではない。
しかし、エインは本能的に理解した。
ここにいる。王が、決して外へ出してはならないと言った存在が。
エインは暗闇の奥を見つめた。
「初めまして」
返事はない。
それでも、誰かがこちらを見ている。そんな感覚だけがあった。
エインは一歩も中へ入らず、静かに続ける。
「僕はエインといいます。少し、あなたと話がしたくて来ました」
地下牢の奥。長い沈黙が続いた。
やがて――。
暗闇の中で、何かがゆっくりと動いた。




