第31話 零期
選抜試験から数日後、王都の南側に設けられた仮設訓練場には、三百人の応募者たちが集められていた。
最初にこの場所へ集まったときと比べれば、空気は明らかに重かった。
誰もが結果を待っている。
身体能力、魔力量、魔力操作、理解力。
軍事学院が求める四つの能力について、それぞれが試験を受けた。そして、自分がどこまでできたのかも、ある程度は理解している。
問題は、それが通過に足るものだったかどうかだった。
仮設の台の上に立つエインは、集まった人々を静かに見渡していた。
三百人。
王都の人口を考えれば、あまりにも少ない。
軍への志願者なら毎年千人を超える。それにもかかわらず、新しく作られる学院への応募者は、その三分の一にも満たなかった。
エインは、この数日間、その理由について何度も考えていた。
そして、何度も考えても答えは同じだった。
人々は恐れたのだ。魔物を恐れ、傷つくことを恐れ、死ぬことを恐れた。
そして何より、自分が何もできないまま、大切なものを失うかもしれないという現実を恐れた。だからこそ、前へ出る者は少なかった。
守るために強くなろうと考える者よりも、危険から遠ざかろうと考える者のほうが多かった。
それを責めることはできない。
エイン自身も、彼らが間違っているとは思っていなかった。
誰だって怖い。
危険を避けたいと思うのは当然のことだ。けれど、誰かが前に立たなければならない。誰かが戦わなければならない。その誰かを増やすために、学院を作ろうとしている。
エインは手元の紙を確認した。
その上には、通過者の名前が並んでいた。
「結果を発表します」
静かな声だった。
しかし、その声が訓練場全体へ届くと、周囲から音が消えた。
「今回の選抜試験では、身体能力、魔力量、魔力操作、死考慮がの四項目を確認しました。単純に一つの能力だけが高ければ通過できる試験ではありません。それぞれの能力を、今後どのように伸ばせるかも含めて判断しています」
エインは一度、紙から顔を上げた。
「その結果、今回の選抜試験を通過した者は九十五名です」
一瞬、誰も動かなかった。そして次の瞬間、あちこちで息を呑む音が聞こえた。
三百人中、九十五人。
三割にも届かない。数字だけを見れば、厳しい結果だった。
名前を呼ばれた者は、安堵したように息を吐いた。中には、その場で拳を握り締める者もいた。
一方で、自分の名前を呼ばれなかった者たちは、黙って立っていた。悔しそうに唇を噛む者、俯く者、自分の結果をすでに理解していたのか、静かに目を閉じる者。
エインは、最後の一人まで名前を読み終えた。
そして紙を下ろした。
「以上、九十五名です」
訓練場に沈黙が落ちる。
落ちた者たちは、ここで終わりだと思っているのだろう。
それは表情を見れば分かった。しかし、エインはすぐに続けた。
「今回通過できなかった者に伝えておきます」
何人かが顔を上げた。
「三か月」
エインは、ゆっくりと言葉を続けた。
「建物の完成予定は、およそ三か月後です。そして学院が正式に始まる直前、もう一度だけ最終選抜試験を行います」
空気が変わった。先ほどまで俯いていた者たちが、次々と顔を上げていく。
「今回、通過できなかった理由は人によって違います。身体能力が足りない者もいる。魔力量が不足している者もいる。魔力をうまく扱えない者もいる。理解するまでに時間が必要な者もいる」
エインは集まった全員を見た。
「なら、三か月で足りないものを補ってください。何が足りなかったのか、自分で考えてください。分からなければ調べてください。それでも分からなければ、誰かに聞いてください」
声は大きくなかった。それでも、はっきりとしていた。
「次の試験まで何もしなければ、結果は変わりません。でも、三か月あれば変えられるものもあります。今回落ちたからといって、学院へ入る資格がなくなったわけではありません」
何人かの表情が変わった。悔しさが消えたわけではない。だが、その中に別の感情が生まれていた。
「僕は、今回の結果だけで人間の可能性を判断するつもりはありません。だから、次があります」
エインは紙を机の上へ置いた。
「三か月後、もう一度試験をします。そのときまでに、自分に足りないものを磨いておいてください」
静かな沈黙のあと、一人の青年が顔を上げた。
「……本当に、また受けられるんですか」
エインは頷いた。
「はい。ただし、次も同じように甘くはありません」
その言葉に、わずかな笑いが起きた。張り詰めていた空気が、少しだけ緩む。
「むしろ、今回より厳しくなると思ってください」
今度は、何人かが苦笑した。しかし、先ほどまでの絶望したような空気ではなかった。
エインは、それを確認してから最後の紙を取り出した。
「それから、もう一つあります」
再び、視線がエインへ集まった。
「今回の試験では、総合的な結果によって九十五名を選びました。しかし、その選び方だけでは判断できない者がいました」
エインは一人目の名前を見た。
「ロイド・フェルナー」
人々の中から、一人の青年が驚いたように顔を上げた。彼は通過者の中にいなかった。当然、自分の名前が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。
「前へ出てください」
ロイドは周囲を見回したあと、おそるおそる前へ出た。
「今回、あなたは総合評価では通過基準に届いていません」
周囲が静かになる。
「しかし、身体能力の試験では最高評価でした」
ロイドの表情が変わった。
「魔力量や魔力操作には課題があります。しかし、純粋な身体能力だけを見るなら、今回の参加者の中であなたが最も優れていました」
エインは次の名前を呼んだ。
「エリナ・クロイツ」
今度は、一人の少女が前へ出た。
「あなたも総合評価では通過していません。しかし、魔力量は今回の参加者の中で最も高かった」
ざわめきが広がる。
エリナは自分でも信じられないような顔をしていた。
「魔力の扱いには問題があります。必要以上に流してしまう癖があり、制御も安定していません。しかし、総量だけを見るなら、現時点でも軍の中にいる魔術師を上回る可能性があります」
エインは三人目の名前を読み上げた。
「カイル・レイン」
前へ出たのは、細身の青年だった。
「あなたは魔力操作の試験で最高評価でした」
カイルが目を見開く。
「魔力総量や身体能力は平均を下回っています。しかし、石へ一定量の魔力を流し続ける試験では、最も安定した結果を出しました。動きながらの操作にも適性があります」
そして、最後の名前を呼ぶ。
「ミア・セレス」
最後に前へ出た少女は、他の三人と同じように困惑していた。
「あなたは思考力の試験で最高評価でした」
エインは四人を見渡した。
「出された問題を解く速度だけではありません。理解できなかった問題について、どこが分からないのかを最も正確に説明できていました。さらに、一度説明された内容を、自分なりの方法で応用することもできている」
四人は並んだまま、エインを見上げていた。
自分たちは通過していない。それなのに、名前を呼ばれた。何を言われるのか、分からない。
エインは四人へ向かって言った。
「あなたたちは、学院の第一期生にはしません」
四人の表情が止まる。周囲からも、小さなざわめきが起きた。
「ただし、学院が完成するまでの三か月間、特別な立場を与えます」
エインは言葉を続けた。
「あなたたちは第〇期生です」
その言葉に、四人が顔を見合わせた。
「正式な生徒ではありません。教師になる四人の補佐をしてもらいます」
ロイド。
エリナ。
カイル。
ミア。
それぞれに異なる適性がある。
「魔法、生物、武術、戦略。学院には四人の教師が入ります。あなたたちには、それぞれの授業や研究を間近で見てもらいます」
四人の教師の名前を聞いた瞬間、周囲がさらにざわめいた。彼らの名を知らない者はいない。
魔法学会から追放された異端の研究者、セドリック・アーヴェル。
魔物を使役するという、他に例のない能力を持つミレイア・セレナ。
王都の外れで一人、武術を極め続けていたガルド・ヴェイン。
そして、かつて隣国を滅亡寸前まで追い込んだ戦略家、アレシア・ヴァルド。
学院が完成する前から、その四人のもとで学ぶ。その意味を理解したのか、四人の顔から緊張とは違うものが浮かび始めた。
「もちろん、あなたたちの能力が完成しているとは思っていません」
エインは四人へはっきりと告げた。
「むしろ、足りないものだらけです」
ロイドがわずかに肩を落とした。
「ですが、一つの能力だけなら、すでに他の人間を大きく上回っています」
エインは一人ずつを見る。
「一方で総合力では、平均にも届かないでしょう。そして、あなたたちが受けた最高評価はアインやノエン、ヴィタには遠く及びません。」
王都で名を知られる三人と比較され、四人の表情が強張った。
それは当然だった。
アインは前衛として王国でも数少ない魔纏の使い手であり、エインとともに最前線へ立つ。
ノエンは魔法に関する深い知識と解析能力を持ち、魔力量は人間であることを疑うほどを誇る。王国でも珍しい研究者だった。
ヴィタは魔物について異常なほどの知識を持ち、その行動を理解しようとしている。
今の四人が、彼らに敵うとは思えない。
しかし、エインは続けた。
「ただし、一つの能力だけを比べるなら、その可能性を比べるなら話は別です」
四人の視線が集まった。
「身体能力だけなら、ロイドはアインを超える可能性があります」
ロイドが息を呑んだ。
「魔力量だけなら、エリナはノエンを超える可能性があります」
エリナの指が震える。
「魔力操作だけなら、カイルはノエンやヴィタでも簡単には真似できないところまで到達するかもしれません」
カイルは何も言わなかった。
「そして思考力だけなら、ミアは僕を超える可能性があります」
最後の言葉に、ミアが目を見開いた。
「しかし、その先には今後皆さんが教えを乞うかもしれない教師達がいます。アインはガルドさんには魔法なしでは勝てないでしょう。同じように限定して比べると先生たちはこの王国、もしかしたら世界で比肩する人がいないほどの高みにいます。」
「現状に甘えず、遥か高みに喰らいつく気概が必要になります。」
エインは、可能性という言葉を軽々しく使うつもりはなかった。
未来のことは分からない。努力しても届かないことはある。才能があっても、それを伸ばせないこともある。
しかし、今回の試験結果には明確なものがあった。
四人には、異常なほど突出した能力が一つずつ存在していた。それは総合評価では弱点になる。けれど、使い方によっては、誰にも代わることのできない力になる。
「学院は、同じ人間を作る場所ではありません」
エインは言った。
「全員が同じように剣を振り、同じように魔法を使い、同じように考える必要はない。できないことがあってもいい。苦手なことがあってもいい。でも、自分にしかできないことがあるなら、それを伸ばすべきです」
四人の中で、最初にロイドが口を開いた。
「……俺たちは、生徒じゃないんですか」
「第零期生です」
「それは、生徒と何が違うんですか」
エインは少し考えた。
「学院ができる前に、学院を作る側に立ってもらいます」
四人が黙った。
「先生たちの補佐をしながら、何が必要なのかを見てください。授業が始まる前に、どうすれば人に教えられるのかを見てください。そして、三か月後に学院が完成したとき、自分たちが最初に何をするべきか考えてください」
それは、単なる特別扱いではなかった。むしろ、最初から学院の中へ放り込むようなものだった。
教師の補佐、研究の手伝い、訓練への参加。設備の確認。これから作られる学院の準備にも関わることになるだろう。
「断っても構いません」
エインは最後にそう言った。
「第零期生になる必要はありません。正直に伝えますが、第一期生よりも遥かに大変です。三か月後の最終試験を待って、他の人と同じように受験してもいい」
四人は互いを見た。
最初に動いたのはロイドだった。
「やります」
迷いはなかった。
「俺、身体だけなら誰にも負けないと思ってました。でも、今回の試験で他が全然できなかった。だから、もっと知りたいです」
続いてエリナが頷く。
「私もやります。魔力が多いだけで、何もできないなんて嫌です。せっかくあるなら、ちゃんと使えるようになりたい」
カイルはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……セドリック先生の研究を見られるなら、断る理由はありません」
最後に、ミアがエインを見た。
「私もやります。知らないことを知るのは好きなので」
四人の答えを聞き、エインは頷いた。
「分かりました。では、今日から第零期生として扱います」
こうして、九十五名の通過者と、四人の第零期生が決まった。
選抜は終わった。
しかし、エインにとっては、これが始まりだった。
人は少ない。思っていた以上に少ない。王都には百万人を超える人間がいる。それでも、新しい学院を目指して集まったのは三百人だった。その現実は、エイン一人の力では変えられない。
どれだけ制度を整えても、どれだけ環境を作っても、人が前へ進むかどうかまでは決められない。だからこそ、集まった者を強くする必要がある。一人でも多く。一人でも確実に。
エインは結果発表を終えたあと、王都の北側にある軍の訓練区域へ向かった。
学院の選抜とは別に、あの日から続いている軍の指導があった。訓練場が近づくにつれて、遠くから声が聞こえてくる。
「止まるな! 足が動くなら走れ!」
聞き覚えのある声だった。
訓練場へ入ると、そこには以前とは違う光景が広がっていた。前衛を担当しているアインは、相変わらず容赦がなかった。大剣を肩へ担ぎながら、走る兵士たちを見ている。誰かの動きが遅くなればすぐに声が飛ぶ。姿勢が崩れればやり直し。剣を振る速度が落ちれば、休憩ではなく追加の訓練だった。
「お前ら、自分が前に立つ意味を忘れたのか! 後ろにいる奴らを守るのが前衛だろうが! 腕が痛いなら腕以外を使え! 足が重いなら身体の動かし方を考えろ! 考える前に止まるな!」
厳しい。
相変わらず、ひたすらに厳しい。それでも、以前とは違っていた。誰も文句を言わない。少なくとも、エインが見える場所では。兵士たちは限界まで走り、倒れそうになっても身体を動かしている。
一方、中衛と後衛では、さらに奇妙な訓練が行われていた。
兵士たちが走っている。ただ走っているだけではない。走りながら、一人ひとりが手の中に魔力を集めていた。一定量の魔力を維持する。身体を動かしても乱さない。さらに、その状態で魔法を発動する。火の球が上空へ飛ぶ。風が走る。小さな光が生まれる。魔法は安定していない。途中で消える者もいる。勢いを失って地面へ落ちるものもある。
走る速度が落ちれば、魔力が乱れる。魔法に集中すれば、足が止まりそうになる。それでも、兵士たちは繰り返していた。
エインは、しばらく何も言わずに見ていた。
自分が一か月前、空へ向けて魔法を放ったときの光景が頭をよぎる。
雨雲を消し飛ばした、あの一撃。それを見た兵士たちは、あのとき驚いていた。けれど今、彼らはそれを真似しようとしている。もちろん、同じことはできない。現時点では、足元にも届かない。
それでも。
走りながら魔力を操る。身体の中へ一定量の魔力を流す。そして魔法を発動する。エインが見せたものを、自分たちなりに再現しようとしていた。一人の兵士が、走りながら魔法を放った。小さな火球が上空へ飛び、数十メートルほど進んだところで消えた。兵士は悔しそうな顔をしたが、止まらなかった。その隣では、別の兵士が同じように魔法を発動している。さらにその後ろでも。成功する者はいない。完成している者もいない。
全員が、まだ拙い。
それでも全員が前へ進もうとしていた。
エインは、その光景を見ながら立ち止まった。
選抜会場で見た三百人の顔が頭に浮かぶ。恐怖の前で立ち止まった者たち。そして今、恐怖を知りながら走り続けている者たち。違いは、才能ではないのかもしれない。能力でもない。ただ、一歩踏み出したかどうか。それだけなのかもしれなかった。
「エイン」
声に振り返る。
アインが、こちらへ歩いてきていた。額には汗が浮かんでいる。どうやら、自分も兵士たちと一緒に訓練していたらしい。
「選抜は終わったのか」
「はい。九十五人です」
アインは少しだけ眉をひそめた。
「三百人いたんだろ」
「そうです」
「少ねえな」
「思ったより」
エインは短く答え、訓練場を見回した。
「でも、こっちは増えてる」
アインも同じ方向を見る。
兵士たちは、まだ走っていた。一人が転びそうになる。隣を走っていた兵士が腕を掴み、止まることなく二人は再び走り始める。
「そうですね」
エインは小さく頷いた。
「こっちは、まだ伸びます」
学院はまだ完成していない。建物も、教室もなにもない。教師たちが揃い始めたばかりだった。それでも、すでに変化は始まっている。九十五人の通過者。四人の第零期生。そして、今この場所で限界を超えようとしている兵士たち。
すべてを変えることはできない。王都にいる百万人を、一度に変えることもできない。けれど、目の前にいる人間を変えることはできるかもしれない。
一人が強くなる。その一人が、次の誰かを守る。守られた誰かが、また前へ進む。その繰り返しが、いつか大きなものになる。
エインは再び、走り続ける兵士たちを見た。
まだ誰も完成していない。
だからこそ、これからがある。
そして王国軍事学院の最初の時間は、建物が完成するよりも先に、すでに動き始めていた。




