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分からないまま、歩いていく 〜それが無理だと、誰が決めたんですか?〜  作者: ChikA


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第30話 選抜


軍事学院の設立が正式に動き始めてから、エインが最初に取りかかったのは建物のことではなかった。


学院の建設には、魔法を用いたとしても三か月はかかる。その間に土地を整え、建物を建て、設備を揃えなければならない。だが、完成してから生徒を集め始めるのでは遅すぎるとエインは考えていた。建物が形になるまでの時間を、選抜と準備に使えばいい。


学院という場所を作るなら、まずそこに入る人間を決めなければならない。


誰でもいいわけではなかった。


エインは机の上に広げた書類を眺めながら、しばらく考えた末、以前軍の指導を始めた時に兵士たちへ伝えた四つの言葉を、そのまま募集条件として採用した。


分からないことを放置しないこと。


分からないままでも、できることがあると理解すること。


自身が弱いことを自覚すること。


そして、本気で死ぬ気で取り組むこと。


それを聞いた評議会の一部からは、これが条件と呼べるものなのかという疑問も出た。しかしエインは細かな説明を付け加えなかった。


この四つの言葉を読んで意味が分からないなら、考えればいい。考えた上で自分には関係がないと思うなら、それでも構わない。


エインが欲しいのは、最初から完成された人間ではなかった。


分からないものを前にして、考えることをやめない人間だった。


募集は王都全域へ出された。新設される王立軍事学院の第一期生を募集するという知らせは、商店街の掲示板にも、領務院の前にも、軍の詰所にも貼られた。一定の条件を満たす者であれば、出身や身分を問わず選抜試験を受けることができる。学院では戦闘だけを教えるわけではない。魔法、生物、医療、武術、戦略。これまで別々の場所で扱われていた知識を、一つの場所で学ぶことができる。


将来、王国を守る人材を育てる。


その言葉は、多くの人間の目に触れた。


王都には百万人を軽く超える人間が暮らしている。巨大な円形の防護壁の内側には住宅地や商業区、行政機関や訓練施設が広がり、壁に沿って歩けば一周するだけでも丸七日を要するほどだった。その中で、現在軍に従事している者は約二万人いる。


軍への応募者は、毎年千人を超える。


だからエインは、学院の募集にもそれなりの人数が集まると考えていた。新しい制度への興味を持つ者もいるだろう。軍へ直接入ることには抵抗があっても、まず学ぶという形なら応募する者もいるかもしれない。


最低でも千人程度。


それくらいは集まると思っていた。


しかし、選抜初日の朝。


集合場所となった広場に立ったエインは、目の前に並んだ人間たちを見て、しばらく何も言えなかった。


「……これで全員ですか」


隣にいた領務院の職員が、手元の書類を確認する。


「はい。事前に登録された応募者は三百二名でしたが、二名が辞退しています」


つまり、三百人。


エインは広場を見渡した。


若い者もいる。すでに成人している者もいる。身体の大きな者も、小柄な者もいた。緊張から表情を固くしている者もいれば、腕を組みながら周囲を観察している者もいる。


三百人。


普通に考えれば、決して少ない人数ではない。


しかし、王都には百万人以上の人間がいる。軍には二万人が所属し、毎年千人を超える応募者が軍へ集まる。


その王都で、新しく作られる軍事学院に集まったのは、たった三百人だった。


エインはその数字を頭の中で繰り返した。


そして、考えを巡らせる


人々は恐れたのではないか。


西から現れた魔物の大群。これまで王都では稀だった魔物の襲来。街の外から響き続けた戦闘の轟音。門から入り込んだ魔物。逃げ惑う人々。傷ついた者たち。そして、


自分では何もできなかったという現実。


人々は魔物を恐れた。傷つくことを恐れた。死ぬことを恐れた。けれど、それだけではない。


自分自身の無力さを恐れたのだ。


力がないからこそ、戦う場所へ行きたくない。戦えないからこそ、危険から遠ざかりたい。

自分と、自分が愛するものをどう守るのか。そこまで考え、そのために自ら動こうとする者は、エインが思っていたよりも遥かに少なかった。


広場に集まった三百人を見ながら、エインは自分では解決できない問題に直面していることを理解した。


魔力が足りなければ増やせばいい。身体能力が低ければ鍛えればいい。魔力を操れなければ、できるまで繰り返せばいい。理解できなければ考えさせればいい。


それらには方法がある。


しかし、恐怖によって最初の一歩を踏み出せない人間を、どうすれば変えられるのか。


エインには分からなかった。


無理に変えることが正しいのかどうかさえ、分からない。


「……始めましょう」


その言葉を合図に、選抜試験が始まった。


試験は四つ。


身体能力。


魔力量。


魔力操作。


思考力。


まず身体能力を確認する。走る、跳ぶ、運ぶ。戦闘を行うための最低限の身体能力があるかを確認するための試験だった。


次に魔力量を測定する。


これは単純に、体内にどれほどの魔力を持っているかを調べるものだった。魔法を扱う上で魔力量は重要だが、エインはそれだけで人間を判断するつもりはなかった。


どれほど大量の魔力を持っていても、それを扱えなければ意味がない。


だから三つ目に、魔力操作の試験を用意した。


石へ一定量の魔力を流し続ける。


軍の訓練でも行っていた、地味な試験だった。


魔力を流しすぎれば失敗する。足りなければ維持できない。途中で集中を切らせても失敗だった。


最後が思考力だった。


これは知識を問う試験ではない。


問題を与え、それをどう考えるかを見る。


正しい答えを知っているかどうかではなかった。分からない時に、何が分からないのかを理解できるか。情報が不足していることに気づけるか。できないと判断した時、そこで思考を止めるのか。


それとも、別の方法を探そうとするのか。


エインが見ているのは答えではない。


考え続けることができるかどうかだった。


選抜が始まると、三百人は少しずつ分かれていった。


身体能力で基準に届かない者がいる。魔力量が足りない者がいる。魔力を上手く扱えない者もいる。問題を前にして、考えることをやめてしまう者もいた。


一方で、予想以上の能力を見せる者もいる。


若いにもかかわらず、現役の兵士に近い身体能力を持つ者。魔力量だけなら軍の魔術師を上回る者。石へ流す魔力を、ほとんど誤差なく維持できる者。


そして、誰も思いつかなかった方法で問題を解こうとする者もいた。


エインは結果を書き留めながら、何度も手を止めた。


今できないからといって、将来もできないとは限らない。能力が低いからといって、成長しないとも限らない。


軍の訓練を通して、それはすでに分かっている。


だから選抜は単純に、合格と不合格へ分けるだけのものにはできなかった。


それでも、全員を受け入れることはできない。選ばなければならない。その判断の難しさは、魔物を解析する時とも、魔法を分析する時とも違っていた。


目の前にいるのは人間だ。


選ばれる者がいる。選ばれない者がいる。その差が、これから先の人生を変える可能性もある。


エインは、手元の書類を閉じた。


「……難しいな」


その日の選抜が終わる頃には、すでに空は夕暮れに染まり始めていた。


広場から帰っていく応募者たちを、エインはしばらく眺めていた。


悔しそうな顔をしている者がいた。何も言わずに去っていく者もいる。友人らしき人間と、試験について話している者もいた。


その背中を見ながら、エインはふと考えた。


今、軍にいる人間たちは何を考えているのだろう。


彼らも魔物の大群を見た。実際に戦った。仲間が傷つく姿を見た。自分自身も傷ついた。それでも、今も軍に残り、訓練を続けている。


なぜ逃げなかったのか。何を恐れ、それでも何を守ろうとしているのか。


エインは広場を後にした。


向かったのは、軍の指導を行っている訓練場だった。


王都の中心部から離れた場所にある訓練場へ近づくにつれて、聞き慣れた音が響いてくる。


足音、剣がぶつかる音、地面を踏みしめる音。


そして、怒鳴り声。


「足を止めるな! 敵の前で止まるつもりなら今すぐ帰れ!」


エインは、少しだけ口元を緩めた。声の主は分かっている。訓練場へ入ると、前衛の兵士たちを相手にアインが大剣を振るっていた。


一か月前とは明らかに違う。


以前なら数回走っただけで息を切らしていた兵士たちが、今は何度吹き飛ばされても立ち上がる。


アインの大剣を受け止め、身体ごと押し込まれる。足が地面を削る。そして限界を超えれば、容赦なく吹き飛ばされた。


一人の兵士が地面を転がったが、その兵士はすぐに立ち上がり、剣を拾う。


そして、再び構えた。


「次!」


アインの声が響き、兵士たちが前へ出る。


エインは少し離れた場所から、その光景を眺めていた。


恐怖がないわけではない。


アインの前に立つ兵士たちは、誰もが緊張している。


それでも逃げない。


エインは次に、中衛と後衛の訓練場所へ向かった。


そこで、彼は足を止めた。


兵士たちが走っていた。


しかし、ただ走っているわけではない。


走りながら、それぞれが魔力を操っている。


ある者は掌の上に小さな火球を生み出す。ある者は風を発生させる。別の者は、手の中に集めた魔力を消さないように維持していた。


「集中を切らすな!」


指導役の声が飛ぶ。


「速度を落とすな! 魔力だけに集中するな、身体の動きも維持しろ!」


兵士たちは走り続ける。


魔法を使う。途中で失敗する。火球が消える。魔力が乱れる。足がもつれる。


それでも止まらない。


エインは、しばらく黙ってその光景を見ていた。


自分が以前、兵士たちの前で見せた光景。最高速で走りながら、全身へ魔力を流し、その状態で上空へ向けて魔法を放つ。そして空を覆っていた雨雲を、まとめて消し去った。


あの日、兵士たちはエインを見ていた。


そして今。


拙いながらも、その姿を真似しようとしている。


走りながら魔力を操る、身体を動かしながら魔法を発動する、魔力を維持する。


もちろん、まだエインとは比べものにならない。


魔法を一度発動しただけで息を切らす者もいる。速度を上げれば魔力が乱れる。集中すれば足元が疎かになる。


それでも。


誰一人として、訓練をやめていなかった。


「エイン!」


声に振り返ると、アインが大剣を肩に担ぎながら歩いてきた。


「選抜はどうだった?」


「思ったより、集まりませんでした」


「どれくらいだ?」


「三百人です」


アインの表情が少し変わる。


「……それだけか。王都にはもっと人がいるだろ」


「います」


エインは、走り続ける兵士たちへ視線を向けた。


「でも、戦うことを選ぶ人は少なかった」


アインはすぐには答えなかった。


二人はしばらく、訓練場を眺めていた。


その時、一人の兵士が走りながら火球を作ろうとした。


魔力が乱れ、火球がすぐに消えた。


兵士は悔しそうな顔をしたが、立ち止まらない。走り続けながら、もう一度魔力を集める。そして今度は、小さな火球が掌の上に残った。


「……あいつらは変わったな」


アインが呟いた。


「そうですね」


「最初はまともに走ることもできなかった」


「今も、まだ十分ではありません」


「お前は本当に厳しいな」


「アインが言いますか」


「俺は前衛担当だからいいんだよ」


「意味が分かりません」


アインが笑った。


エインも少しだけ笑う。


そして、もう一度兵士たちを見る。


彼らは最初から強かったわけではない。魔纏を扱える者も、最初はほとんどいなかった。魔力を正確に操れる者も少なかった。走りながら魔法を使える者など、一人もいなかった。


それでも今、彼らは挑戦している。


自分にできないことを理解している。


できないからやらないのではない。


できないから、できるようになろうとしている。


エインは訓練場の中央へ歩いていった。


兵士たちが少しずつ彼へ視線を向ける。


「今日は、学院の選抜試験を見てきました」


走っていた兵士たちの速度が少し落ちた。


「王都には百万人以上の人がいます。軍には二万人ほどの人がいて、毎年千人以上が軍へ応募します。でも、今回学院へ応募したのは三百人でした」


兵士たちは黙って聞いていた。


「少ないと思いました」


エインは一度、言葉を止める。


「でも、今ここを見ていて考え直しました」


彼の視線が、一人ひとりへ向けられる。


汗に濡れた顔。疲れ切った身体。それでも、まだ動こうとしている兵士たち。


「三百人しかいないからといって、その三百人に価値がないわけではありません。怖いと思いながらも、それでも一歩を踏み出した人間なら、僕たちは強くできるかもしれません」


訓練場が静かになった。


「学院は、強い人間だけを集める場所にはしません。今できるかどうかだけで、人を判断するつもりもありません。ただ、自分から何もしない人間を、僕たちが強くすることもできません」


エインは静かに続けた。


「だから、選ばれた人間には教えます。できるようになるまで。限界だと思った先へ進む方法を」


それを聞いていたアインが、大剣を肩から下ろした。


「聞いたな!」


兵士たちの身体がわずかに強張る。


「お前らも、まだ終わってねえぞ! 学院に入るやつらが来る頃には、今のお前らより強くなってるかもしれない!」


兵士たちの間に、小さなざわめきが広がった。


「だったらどうする!」


アインが大剣を構える。


「抜かれる前に強くなれ!」


その言葉を合図にするように、前衛の兵士たちが再び動き始めた。


中衛と後衛も走り出す。

魔力が集まり、火が生まれる。風が走る。


魔法は何度も失敗した。


途中で消え、乱れ、制御を失う。それでも兵士たちは、もう一度魔力を集める。


拙い。


未熟だ。


まだ、エインのいる場所には遠い。それでも、前へ進もうとしている。


エインはその光景を見ながら、小さく息を吐いた。


三百人。


確かに少ない。


王都の人口を考えれば、あまりにも少ない。


この数が、すぐに増えることもないだろう。恐怖を感じた人間が、明日になったからといって突然変わるわけではない。

だからこそ、最初の一歩を踏み出した者たちを無駄にはできない。


学院へ集まった三百人。


そして、すでに軍で訓練を続けている者たち。


彼らが変われば、その姿を見て次の一歩を踏み出す者が現れるかもしれない。エインはまだ、その答えを知らなかった。

けれど、分からないことを放置するつもりもなかった。


訓練場の上空では、夕暮れの光がゆっくりと消えていく。


その下で、いくつもの魔法が生まれた。小さな火。弱い風。維持できない魔力。


どれも、まだ未完成だった。


それでも、昨日までできなかったことが、今日には少しだけできるようになっている。


その積み重ねを、エインは知っている。


だから待つことができた。だから、繰り返させることができた。


軍事学院の第一期生が決まるまで、選抜はまだ続く。


選ばれた者たちは、これから何を学ぶことになるのか、まだ知らない。


ただ一つだけ、確かなことがあった。


学院の扉をくぐった先にあるのは、守られるための場所ではない。


自分自身の弱さを知る場所。できないことを知る場所。そして、それでも前へ進む方法を学ぶ場所だった。


エインは再び走り始めた兵士たちを見ながら、その未来を思い描く。


まだ建物は完成していない。生徒も決まっていない。けれど、場所だけが学院を作るわけではない。そこに集まる人間がいる。教える者がいる。学ぼうとする者がいる。そして、できないことを理由に立ち止まらない者がいる。


なら、始められる。


魔法の光が、夕暮れの中で再び生まれた。


一人の兵士が走りながら魔力を操り、今度は先ほどより長く火球を維持する。


それを見たエインは、何も言わなかった。


ただ、静かに頷いた。


学院は、まだ存在しない。


けれど。


その最初の一歩は、すでに始まっていた。

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