第3話 回答
町へ戻った翌朝、エインは昨夜まとめた報告書を手に、領務院の執務室へ向かった。
防護壁の異常が起きてからというもの、町の空気はどこか落ち着かない。廊下を行き交う職員たちも、普段より声を潜めている。壁際には防護壁に関する記録が積まれ、昨日までとは比べものにならないほど資料の量が増えていた。
執務室の奥では、上司が書類に目を通していた。エインが入ってきたことに気づくと顔を上げたが、その表情は報告を聞く前から疲れているように見えた。
「北東の森でダンジョンを確認しました」
エインが報告書を机に置くと、上司の手が止まった。
町から三時間ほどしか離れていない場所に、ダンジョンが存在していた。しかも、自然発生するものとしてはあまりにも町に近い。
エインは確認した範囲を一つずつ説明した。周辺に残っていた複数の魔物の足跡、争った痕跡、散らばっていた骨。そして、そこから推測される魔物たちの状態。
「魔物同士で食い合っていた可能性があります」
上司は眉を寄せた。
町へ現れた魔物たちは、どれも妙に痩せていた。最初は防護壁を抜けたことばかりが問題にされたが、森で見つけた痕跡を合わせれば、その理由もある程度見えてくる。
ダンジョンの中で餌が不足し、魔物同士が争うようになった。生き残ったものが外へ逃げ、森にも餌がなければ、やがて人間を襲う。
そこまでは、筋が通っていた。
問題は、その先だった。
「防護壁の異常との関係は、まだ分かっていません」
エインはそう続けた。
防護壁の異常が確認されたのは三週間前。魔物の侵入が増え始めた時期も近い。今回見つかったダンジョンがいつ発生したのかは分からないが、少なくとも偶然で片づけるには重なっているものが多すぎた。
「ただ、無関係とは考えにくいです」
上司は報告書を閉じず、そのままエインを見た。
「何を調べるつもりだ?」
「ダンジョンが、どうやってできるのかを調べます」
発生条件なら、記録はいくらでもある。
人の住む場所から離れていること。周囲の魔力環境。地脈。地下構造。魔物の生息状況。いくつかの説も残されている。
だが、それはすべて「ダンジョンができた場所」についての話だった。
エインが知りたいのは、その一つ前だ。
何もなかった場所が、どうしてダンジョンになったのか。
上司はしばらく考えた末、好きに調べろ、とだけ言った。ただし森へ戻るのは資料を調べてからにしろ、と念を押された。
エインは礼を言って執務室を出た。
廊下へ出たところで、すれ違った職員から声をかけられた。
「エインさん、次の巡回は――」
「今日は調査を優先します」
「ああ、そうでしたね」
職員は納得したように頷き、それから少し考えるようにエインを見た。
「エインさんって、王立領務院の特務調査部に所属する一級巡回士でしたよね。こういう調査も仕事なんですか?」
「そうです」
エインはそれだけ答えた。
特務調査部の一級巡回士。
それが、エインの現在の所属と役職だった。
特定の分野だけを専門にするのではない。町や領地で起きた問題を調べ、原因を探り、必要に応じて魔術師や鍛冶師、医術師など、それぞれの専門家を繋ぐ。どこへ持っていけばいいのかさえ分からない問題を扱うことも多い。
今回のような案件は、まさにそのための仕事だった。
だからエインは、まず資料室へ向かった。
そこから三日間、ほとんど外へ出なかった。
古いダンジョンの発生記録を探し、発生地点の地形図を照らし合わせ、魔力濃度の変化や地脈について書かれた論文を読み漁る。何十年も前の調査報告だけでなく、何百年も前の冒険者が残した記録まで引っ張り出した。
机の上には読み終えた本が積み上がり、床にまで資料が広がっていった。
分かったことは多かった。
自然発生するダンジョンは、人の住む場所から離れた土地にできる。
発生する場所には、いくつか共通した魔力環境がある。
地脈の変化が関係しているという説もあれば、地下に蓄積した魔力が何らかの条件によって凝集するという説もある。
魔物が集まることで周囲の環境が変化し、その結果としてダンジョンが生まれるという説まであった。
けれど、どの記録を読んでも同じところで途切れている。
どうして、その場所だったのか。
どうして、その時だったのか。
発生したあとに何が起きたかについては、いくらでも記録がある。それなのに、発生する直前の土地について書かれたものはほとんどない。
エインは一冊の本を閉じた。
机の上には、調べた内容を整理した紙が並んでいる。
発生条件。
周囲の魔力。
地形。
地脈。
魔物。
人の存在。
そこから導き出せる共通点を並べても、今回のダンジョンには当てはまらない。
町に近すぎるのだ。
それだけではない。
人の存在や魔力がダンジョンの発生を妨げるという記録が正しいなら、町のすぐそばに自然発生したという事実そのものが説明できない。
「……途中がない」
エインは椅子に座ったまま、机の上を見つめた。
発生した。
存在している。
そこから先は分かる。
けれど、その間に何があったのかが分からない。
エインが考え込んでいる横で、積み上げられていた資料が突然崩れた。
「わっ」
床に本が散らばる。
拾い集めていたのは、エインの補佐を務めるリナ・フォースだった。
巡回士補佐として資料整理や各部署との連絡を担当しているのだが、本人はどうにも要領が悪い。丁寧に仕事をするくせに、書類を持てば一枚落とし、棚へ向かえば途中で別の資料を見つけて目的を忘れそうになる。
今も三冊まとめて拾おうとして、そのうちの一冊を足元へ落としていた。
エインが拾い上げる。
「ありがとうございます」
リナは受け取った本を抱え直し、何気なく机の上を覗き込んだ。
「ずいぶん調べましたね」
「まだ足りません」
「ダンジョンのことですか?」
エインが頷くと、リナは机の紙を眺めた。
彼女は資料の内容を理解しているわけではない。魔術理論も地脈も専門外だ。ただ、そこに並んだ言葉を目で追っていた。
「でも……」
リナが首を傾げる。
「ダンジョンって、できる前は何なんでしょう?」
エインの指が止まった。
「……できる前?」
「はい」
リナは自分でも何を言っているのか分からないような顔をしていた。
「だって、最初からダンジョンだったわけじゃないですよね?」
それだけ言うと、また落ちた本を拾い始める。
エインは答えなかった。
机の上に並んだ資料を、もう一度見た。
発生したダンジョンについての記録。
発生条件についての研究。
発生後の変化。
どれも、ダンジョンそのものを起点にしている。
だから見つからなかった。
自分が探していたのは、「なぜここにダンジョンができたのか」ではない。
その前に、何が起きていたのかだ。
エインは椅子から立ち上がった。
「リナ」
「はい?」
「三週間前の防護壁の記録を持ってきてください」
「防護壁の?」
「最初に異常が確認された時刻まで分かるものを」
「分かりました」
リナは資料を抱えて立ち上がり、今度は机の角に膝をぶつけた。
「痛っ……」
エインはそれを見たが、何も言わなかった。
もう別のことを考えていた。
三週間前。
防護壁の異常。
魔物の侵入。
北東側への偏り。
痩せた魔物。
そして、町の近くに突然現れたダンジョン。
これらを、別々の出来事として見る必要はないのかもしれない。
エインは新しい紙を机の中央へ置いた。
まず、三週間前に何が起きたのか。
そこから始める。
ダンジョンができたから魔物が出てきたのではない。
何かが起きた結果として、ダンジョンができたのかもしれない。
そう考えれば、防護壁の異常も同じ一本の線の上に置ける。
まだ仮説にすぎない。
けれど、仮説なら確かめられる。
エインは紙に日付を書き、その横へ防護壁、北東の森、地下水脈、魔力の流れと続けて書き込んでいった。
答えが見つかったわけではない。
ただ、今まで見えなかったものが、少しだけ見えるようになった。
そのことが、エインには何より嬉しかった。
分からない。
だから、調べる。
調べれば、次に調べるべきものが見えてくる。
その繰り返しの先にしか、答えはない。
エインは新しい資料を開いた。
今度は、ダンジョンの本ではない。
町の地下を流れる水脈についての古い記録だった。




