第28話 始動
王立軍事学院の建設予定地は、王都の中心から少し離れた場所にあった。
王城から見れば西北西側。王都を囲む防護壁の内側ではあるものの、周囲にはまだ建物が少なく、広い土地だけが残されている。以前は王国軍の演習場として使われていたらしいが、ここ数年はほとんど利用されていなかった。
朝から降っていた雨はすでに止んでいた。
湿った土を踏みながら、エインは広大な土地を歩いていた。
「……広いな」
手に持っているのは、一枚の簡単な見取り図だった。
土地の大きさ、周囲の道路、防護壁までの距離、水路の位置。
現時点では、それしか書かれていない。
建物の予定もない。訓練場もない。
何をどこに作るのか。それすら、まだ決まっていなかった。
エインは土地の中央で足を止めた。
王が学院の設立を認めた。評議会にも話は通っている。教師となる人材も、すでに四人確保している。それでも、ここにはまだ何もなかった。
「さて……」
エインは周囲を見渡した。
魔法を教えるための場所が必要になる。魔物を研究するための場所も必要だ。
武術の訓練場、戦略を学ぶ教室。
さらに、兵士を育てるならそれだけでは足りない。
宿舎、食堂、医務室、倉庫、武器庫、訓練用の設備、魔法を使うための安全な場所。
考え始めると、いくらでも必要なものが出てくる。
しかし。
「僕一人で決めることじゃないな」
エインは見取り図を折り畳んだ。
教師を集めた理由は、それぞれの専門知識を学院で教えるためだけではない。学院そのものを作る段階から、彼らの意見が必要になる。
エインは土地をもう一度見回した。
「……後で集まってもらおう」
その数日後。
エインは同じ場所に立っていた。
空はよく晴れており、まだ建物のない土地には、草の匂いと乾いた土の匂いが混じっている。
最初に現れたのはガルドだった。
以前と変わらない格好で、腕を組みながら土地を見渡している。
「ここか。思ったよりも広いな」
「そうですね」
ガルドは周囲を歩き始めた。足元の土を踏み、地面の硬さを確かめる。
「地面は悪くない」
「そこを見るんですか?」
「訓練場を作るならな」
当然だろう、と言いたげな顔だった。その直後、後ろから声が聞こえた。
「ガルド?」
エインが振り返る。
そこにはミレイアが立っていた。
以前会った時と同じように、どこか掴みどころのない雰囲気を纏っている。
ミレイアはガルドを見るなり、少しだけ首を傾げた。
「生きてたんだ」
「お前もな」
「うん。死んでないよ」
「見れば分かる」
エインは二人を見比べた。やはり知り合いらしい。
「会うのは久しぶりですか?」
エインがそう言うと、ミレイアがこちらを見る。
「久しぶりっていうほどかなあ」
「過去の侵攻からだと数年は経ってますよ」
「うん」
「まあな」
二人は簡単に答えた。
それ以上は何も言わない。しかし、ガルドの表情は先ほどよりわずかに柔らかかった。
しばらくすると、さらに二人が現れた。
セドリック。
そしてアレシアだった。
四人が同じ場所に揃った瞬間、エインはわずかな違和感を覚えた。それぞれを別々に探し、別々にスカウトした。
なのに。
四人は、まるで以前から同じ場所にいることが当然だったかのように顔を合わせている。
「久しぶりね」
アレシアが言った。
「何年ぶりだ?」
ガルドが答える。
「数えてないわね。歳はとりたくないもの」
ミレイアが言う。
「数えるほど会っていないでしょう」
セドリックが呆れたように息を吐いた。
「そういう意味ではない」
四人の間に、自然な会話が生まれていく。
エインは少し離れた場所で、その様子を眺めていた。セドリックとガルドが何かを話している。ミレイアは途中から別の話題を持ち出し、アレシアが笑っている。
かつて、隣国を滅亡寸前まで追い詰めた四人。
その記録だけを読んでいた時には、想像できなかった光景だった。もっと殺伐とした関係を想像していたが、目の前にいる四人は違う。
長い時間を経て再会した、古い知人のようだった。
「……偶然?」
アレシアが言った。
四人の会話が止まる。
エインを見る視線が集まった。
「何がですか?」
「私たちを選んだことよ」
アレシアは腕を組んだ。
「魔法、生物、武術、戦略。教師を探していたという話は聞いている」
「はい」
「でも、よりによって四人とも同じ戦場にいた人間。それも全員が指揮をとっていた。」
エインは黙った。
「偶然なのかしら」
アレシアの視線が少し鋭くなる。
「それとも、最初から狙っていた?」
セドリックも、ミレイアも、ガルドもエインを見ていた。
エインは少し考えた。
「偶然です」
「即答ね」
「ただ」
エインは続けた。
「過去の記事であなたたちが同じ戦場にいたことは知っていました」
四人の表情がわずかに変わった。
エインは正直に答えた。
「人材を探している時に、最初にセドリックさんを見つけました。その後、ミレイアさんを探した」
「その次に俺か」
「はい」
「最後が私」
アレシアが言った。
「そうです」
「つまり、最初から四人を集めるつもりではなかった」
「ありませんでした」
エインは四人を見た。
「でも、あなたたちを探している途中で、同じ記事に何度も名前が出てきた」
風が吹いた。草が揺れる。
「それで、少しだけ気になりました」
ミレイアが小さく笑った。
「少しだけ?」
「かなり気になりました」
「素直でいいねえ」
エインは視線を落とさなかった。
「最初は偶然だと思いました。でも、資料を読み直して考えたんです」
北東のダンジョン。核。西から現れた魔物。これまでの常識では説明できない出来事。
「これから先、過去の常識だけでは足りなくなると思います」
四人は黙って聞いていた。
「今まで魔物の大規模な襲来は稀でした。でも、もうそうとは言えません。知らなかったものが現れて、分からないことが増えている」
エインはゆっくりと言葉を続けた。
「そういう時に必要なのは、正しい答えを知っている人だけではないと思います」
セドリックに視線がわずかに動く。
「新しいことを考えられる人間」
次にミレイアを見る。
「今までの当たり前に縛られない人間」
そしてガルド。
「必要とされなくなっても、自分が正しいと思うことを続けられる人間」
最後にアレシアを見る。
「そして、結果だけではなく、その先まで考えられる人間」
沈黙が落ちた。
「あなたたちは、一度王国の常識から外れた」
エインは言った。
「でも、だからこそ持っているものがあると思います」
アレシアが小さく息を吐いた。
「随分と買ってくれてるけど、期待外れだったら?」
「その時は考えます」
「考えるのね」
「はい」
ミレイアが笑った。
「やっぱり変な子ねえ」
「よく言われます」
ガルドが腕を組んだ。
「話は分かった。それで、ここに集めた理由は何だ」
「学院を作るためです」
エインは持っていた見取り図を広げた。
「まだ何もありません」
四人が紙を覗き込む。
「だから、何が必要なのか教えてください」
「……それだけ?」
ミレイアが聞いた。
「はい」
「建物の設計まで私たちが考えるの?」
「専門的な部分は、専門家に任せます。でも、あなたたちが教えるために何が必要なのかは、僕には分かりません」
エインは見取り図を指した。
「必要な設備を教えてください。それをもとに作ります」
四人はしばらく紙を見ていた。
最初に動いたのはガルドだった。
「訓練場は広くしろ。広いほどいい」
「具体的には」
「……最低でも、二百人は同時に動けるようにしろ」
エインは紙に書き込む。
「屋根は?」
「必要ない。晴れてる日の戦いばかりではない。」
エインは一瞬だけ顔を上げた。
「分かりました」
「武器も必要だ。木剣だけではない。槍、盾、短剣。身体の使い方を覚えさせるなら、複数の武器が必要になる」
「保管場所も必要ですね」
「ああ」
ガルドは土地の一角を指した。
「ここを使え」
エインは地面を見る。
「なぜですか?」
「日当たりがいい」
それだけだった。
しかしエインは頷いた。
「分かりました」
次に、セドリックが口を開いた。
「魔術の訓練施設は、通常の教室と分けるべきです」
「理由は?」
「内容にもよりますが爆発します。」
エインの手が止まった。
「……どの程度ですか?」
「新築の建て直しは流石に嫌でしょう」
エインはしばらくセドリックを見た。
「分けましょう。どのくらい離しますか?」
「できるだけ」
ミレイアが笑った。
「セドリックは昔から壊すの好きだったもんね」
「語弊があります」
「でも壊れたよね?」
「実験の結果です」
エインは黙って紙に書き込んだ。
魔術訓練施設、独立した建物、防護設備、広い実験場。
そして、セドリックはさらに言った。
「魔力を測定する設備も必要です」
「今、王都にあるのは王宮にあるもののみです。作りますか?」
「材料があれば」
エインはその言葉を聞いて、少しだけ嫌な予感がした。
「ちなみに材料は何が必要ですか?」
セドリックの答えを聞きながら、エインの手が止まった。
「……高そうですね」
「高いです」
セドリックは即答した。
ミレイアが見取り図を覗き込む。
「私の場所は、魔物がいるから建物だけじゃ足りないよ」
エインが顔を上げた。
「生きた魔物ですか?」
「うん」
「学院の中に?」
「学院の中に」
ガルドが眉をひそめた。
「危険だろう」
「だから管理するんだよ」
「逃げたらどうする」
「捕まえる」
「誰が」
「私」
ミレイアは当然のように答えた。
「それだけじゃないよ。飼育する場所もいるし、怪我をした魔物を診る場所もいる。観察するための建物も」
エインは紙に書き始めた。
魔物飼育施設、観察施設、隔離施設、医療設備。
「食料も必要ですね」
「いるねえ」
「……毎日ですよね?」
「生きてるからねえ」
エインは少しだけ遠くを見ながら、すでに金額の計算を始めていた。
そして、最後にアレシアが見取り図を手に取った。
「私は教室が欲しい」
「普通の教室ですか?」
「普通でいいわ」
エインは少し安心した。
しかし、その直後だった。
「ただし、地図を置くための部屋は別に必要ね」
「別に?」
「大きな地図を広げる場所が必要だから」
「どのくらいですか?」
「最低でも、この土地くらいの大きさの地図を」
「......」
「冗談よ」
アレシアが笑う。
エインは一度だけ息を吐いた。
「戦略を教えるなら、地図や模型が必要になりますね」
「そう。戦場を頭の中だけで考えるのは難しい。実際に駒を動かして、自分で考えさせる場所が必要」
「分かりました」
「それと、屋外にも場所が欲しい」
「屋外ですか?」
「地図の上だけで戦略を学んでも意味がないもの」
アレシアは広い土地を見渡した。
「実際に人を動かす。地形を使う。距離を測る。そういう訓練ができる場所が必要よ」
エインは頷いた。
「模擬戦場ですね」
「そういうこと」
四人の話が終わった頃には、最初はほとんど何も書かれていなかった見取り図が文字で埋め尽くされていた。
屋内訓練場、屋外訓練場、武器庫、魔術施設、実験場、防護設備、魔力測定設備、魔物飼育施設、隔離施設、観察室、医療設備、戦略教室、模型室、模擬戦場。
さらに、宿舎と食堂、倉庫、職員用の部屋、生徒が生活するための設備。
考えれば考えるほど、必要なものは増えていく。
エインは見取り図を眺めた。
「……」
「どうしたの?」
ミレイアが聞く。
「いえ」
エインは紙を見たまま答えた。
「かなりのお金がかかりそうだなと思って」
四人が黙る。
エインは頭の中で計算していた。土地はすでに確保されている。しかし建物は必要だ。
資材、人件費、設備、特殊な機材、魔物の飼育費用、維持費。
完成したあとも金はかかり続ける。
「王国軍の訓練施設を一つ作る程度では済まないですね」
「今さら?」
アレシアが言った。
「分かっていましたけど、改めて紙に書くと」
エインは苦笑した。
「思った以上です」
セドリックが腕を組む。
「評議会は認めるのですか?」
「分かりません」
「反対する人間はいるでしょうね」
アレシアが言う。
「間違いなく」
「不要な支出だと言う人もいるでしょう」
エインは見取り図を畳んだ。
「そうでしょうね」
ガルドがエインを見る。
「どうする」
エインは少し考えた。
「説得します」
「簡単に言うな」
「簡単ではありません」
エインは答えた。
「でも、必要なので」
四人を見渡す。
「僕は、あなたたちを集めました」
そして、足元に広がる何もない土地を見る。
「ここまで来て、途中でやめるつもりはありません」
風が吹いた。
まだ建物のない土地を、草が揺れていく。
「ただ、評議会を説得するには」
エインは見取り図を持ち上げた。
「まず、この金額をどう説明するか考えないといけませんね」
ミレイアが笑った。
「大変そう」
「それはもう」
「頑張ってね」
「他人事ですか」
「専門外だから」
「それはそうです」
エインは小さく息を吐いた。
この土地に必要なものは分かった。何を作るべきなのか、どのような設備が必要なのか。
そして、それを実現するために、どれほどの金が必要になるのかも。
問題は、その先だった。
評議会。
学院の設立そのものに反対していた者たち。軍事力の強化には賛成しても、ここまで大規模な設備を認める者がどれほどいるのか。
エインは土地の出口へ向かって歩き始めた。
「エイン」
後ろからアレシアが呼んだ。
エインが振り返る。
「何ですか?」
「もし、断られたら?」
エインは少しだけ考えた。
「もう一度説明します」
「それでもだめなら?」
「別の方法を考えます」
「諦めないのね」
「必要だと思っているので」
アレシアは小さく笑った。
「そう」
エインは再び歩き始めた。
王都の中央には、王立領務院がある。そして、王国の意思を決める者たちが集まっている。
手に持っているのは、一枚の見取り図。
しかし、その紙の上には、まだ存在しない学院の姿が書かれていた。
エインはそれを抱えたまま、評議会へ向かう。
まだ何も建っていない土地の後ろで、四人の教師たちがそれぞれの場所を見ていた。
いつかそこに、自分たちの教える場所ができる。
まだ想像でしかない。
それでも。
学院は、少しずつ形になり始めていた。
そして次にエインを待っているのは、魔物でも戦場でもない。
王国の中で最も厄介な相手。
評議会だった。




