第26話 異端
王国中央評議会から戻った翌日、エインは朝から資料室に籠もっていた。
机の上には、魔法、医学、生物学、武術、戦術。それぞれの分野で名を残した人物の記録が積み上がっている。けれど、読み進めるほどにエインの表情は曇っていった。
どの人物も優秀だった。既存の知識を正確に扱い、それを後進へ教えるだけなら、十分な人材はいる。だが、今回必要なのは、まだ答えの出ていない問題に対して、自分で考え、試し、失敗して、それでも先へ進める人間だった。
エインは一度、机の上の資料をすべて横へ寄せた。
そして、別の棚へ向かう。
学院の名簿ではなく、事件記録。表彰された研究者ではなく、処分された研究者。現在の評価ではなく、過去に何を成し遂げたのか。
探す場所を変えてしばらくして、エインの手が一冊の記録で止まった。
魔法学会からの追放処分。
理由は、既存の魔法理論に反する独自理論を発表したためだと書かれており、エインは処分理由を何度も読み返した。
「否定された、とは書いてない」
理論が間違っていたから追放されたわけではない。
既存理論と矛盾していたから、受け入れられなかった。
名前は、セドリック・アーヴェル。
現在の居場所を記録から辿ると、王都の外れにある、使われなくなった研究施設へ行き着いた。
エインが古びた扉を開けると、奥から何かが砕ける音がした。
「誰です?」
「王都で巡回士をしているエインと言います。少し話をしたくて来ました」
「おかえりください」
即答だった。
エインは扉の前で足を止め、部屋の中を見渡した。大量の紙と魔法具が散乱し、その中央で一人の男が魔法陣を組み直している。
「あなたの研究を読みました」
「なら、私が追放された理由も知っているでしょう」
「はい」
「だったら話は終わりです。私の理論は王国では認められていない」
エインは首を横に振った。
「今日は研究の是非を決めに来たわけではありません」
「ではなんの目的で?」
「スカウトです」
セドリックの手が止まった。
「……私を?」
「はい。王国で新しく軍事学校を作ることになりました。そこで魔法を教えてほしいんです」
「私が?」
「あなたにしか教えられないことがあると思っています」
セドリックはしばらくエインを見つめたあと、鼻で笑った。
「随分と簡単に言いますね」
「そうですか?」
「私の理論を理解しているわけでもないでしょう」
「まだ全部は理解していません」
「なら、なぜ私を教師にしたいのですか?」
エインは少し考えてから答えた。
「分からないことを、分からないままにしておける人だからです」
セドリックの眉がわずかに動いた。
「……と、言いますと」
「あなたの理論が正しいとは思っていません。間違っている可能性もある。ただ、間違っているなら、どこが間違っているのかを調べればいい。正しいなら、なぜ今まで証明できなかったのかを調べればいい」
エインは机の上に置かれた魔石へ目を向けた。
「僕は、そのどちらなのかを知りたいだけです」
セドリックはしばらく黙っていたが、やがて魔石を一つ取り上げ、床へ置いた。
「なら、試してみましょう」
「何をですか?」
「これに魔力を流してください」
エインは魔石へ手を触れ、魔力を流した。淡い光が浮かび上がる。
セドリックは首を横に振った。
「違います」
「量ですか?」
「いいえ」
「速度?」
「それもいいえ」
答えは返ってこない。
エインはもう一度魔石を見た。
「これが、あなたの理論を確認するための魔石ですか」
「そうです」
「では、条件を変えてみます」
そこからエインは、魔力の量、流す速度、触れる位置、魔石の角度を一つずつ変えていったが、結果は変わらない。
条件を戻して、別の条件を変える。それでも変わらない。
日が傾き始めても、セドリックは何も言わずに見ていた。
やがてエインは魔石から手を離した。
「今日はここまでですね」
「諦めますか?」
「いいえ」
エインは魔石を見つめた。
「今日の実験で、結果が変わらない条件がいくつか分かりました」
セドリックが黙る。
「それだけでも次に試す条件は減ります」
「……それを失敗とは思いませんか」
「思いません」
エインはあっさり答えた。
「数ある仮説の一つが減っただけです」
しばらくして、セドリックは小さく息を吐いた。
「わかりました」
「では、引き受けていただけますか?」
「一つ条件があります」
「なんでしょう」
「私の理論を学生に押しつけるつもりはありません。正しいとも間違っているとも決めつけず、自分で確かめさせる。既存の理論についても同じです。それでもいいでしょうか。」
「そのために来ました」
エインは迷わず答えた。
「お願いします」
一人目が決まった。
次にエインが向かったのは、魔物研究に関する記録をまとめた資料室だった。
そこで見つけた名前は、ミレイア・セレナ。
危険区域への無断侵入。研究施設への魔物の持ち込み。規則違反の数々。そして、隣国への侵攻事件。
エインは記録に目を通し、そこで初めて知った。
ミレイアは、かつて数百もの魔物を率いていており、単なる魔物研究者ではない。
魔物を使役することのできる、王国で唯一の人物だった。
その能力が、過去の隣国侵攻を成功寸前まで押し上げた理由の一つになっている。
エインは記録を閉じると、すぐに彼女の現在地へ向かった。
王都から離れた森の奥。防護壁を出て、南東へ1時間ほど歩いた場所。
そこへ足を踏み入れた途端、エインは複数の気配を感じ取った。木々の間から、大小さまざまな魔物が姿を現す。
普通なら襲われてもおかしくない状況だったが、魔物たちはエインを警戒するだけで、こちらへ飛びかかってはこない。
その中央で、一人の女が木の実をかじっていた。
「あら、いらっしゃい」
「ミレイアさんですか?」
「ええ」
彼女はのんびりと笑った。
「こんなはずれまでどうしたの?」
「スカウトに来ました」
「...スカウト?」
「王国で軍事学校を作ることになりました。そこで魔物学を教えてほしいんです」
ミレイアは少しだけ目を丸くした。
「せっかくだけどお断りね」
「理由を聞いても?」
「んー、面倒そうじゃない」
エインは少し考えた。
「では、試してもらえませんか」
ミレイアの目が細くなる。
「試す?」
「はい。あなたの時間をそこに費やす価値があるかどうかです」
ミレイアはしばらくエインを見つめ、それから森の奥へ歩き始めた。
「そしたらついてらっしゃい」
しばらく進んだ先に、一匹の魔物がいた。
巨大な牙を持つ獣で、前脚に深い傷を負っている。
エインは反射的に剣へ手を伸ばした。
「待って」
ミレイアが手を上げる。
「この子、怪我してるの」
「治療ですか?」
「どうするかは、あなたが決めてあげなさい」
エインは魔物を見る。
傷の深さ。呼吸。体重のかかり方。
そして、何度も向けられる視線。その先には、別の魔物がいた。
エインは剣から手を離した。
「戦う必要はありませんね」
「どうして?」
「怪我をしているのに、逃げていません。あちらの魔物を追い払おうとしているわけでもない。なら、敵ではない可能性が高い。力比べや小競り合いの類でしょう」
エインはその場に腰を下ろした。
「それなら、僕から近づく必要もない。本人同士で解決できるはずです」
ミレイアは何も言わない。
エインも動かない。
やがて、怪我をした魔物がゆっくりとこちらへ歩いてきたが、エインは手を伸ばさなかった。
ただ、その場にいる。
魔物はエインの前で足を止め、鼻を鳴らした。その様子を見て、ミレイアが笑う。
「なるほど、悪くないわね」
「何がですか?」
「魔物が近づいてきても、倒そうとしなかったでしょう?」
「必要がなかったので」
「それが大事なの」
ミレイアは楽しそうに笑った。
「魔物ってだけで、魔物を悪だと決めつける人は嫌い」
「……なるほど」
「あなたは魔物を見て、最初に『どうしてこうしてるのかな』って考えたでしょう?」
エインは少しだけ考えてから頷いた。
「そうですね」
「なら、教えてあげる」
ミレイアは森の奥を振り返った。
「魔物のことをね」
エインは頷いた。
こうして二人目も決まった。
王都へ戻る道すがら、エインは二人の名前を紙に書き留めた。
セドリック・アーヴェル。
ミレイア・セレナ。
どちらも、現在の王国では評価されていない。
けれど、記録を辿れば、誰にも真似できないものを持っている。
エインは次の資料を開いた。
そこに記されていた名前を見て、少しだけ目を細める。
ガルド・ヴェイン。
そして、アレシア・ヴァルド。
残る二人も、簡単には頷いてくれそうにない。
エインは紙をめくりながら思わず笑みを溢す。
そのほうがいい。
簡単に認められる人間より、自分の価値を確かめようとする人間のほうが、きっと面白い。




