第25話 適材
訓練場を後にする前に、エインは兵士たちへそれぞれの指導メニューを渡した。
全員を同じ訓練に入れる必要はない。昨日までの結果をもとに、魔力操作を維持できる者には移動を加え、まだ安定しない者には基礎を繰り返させる。総魔力量が足りない者には、魔力を使い切って回復させる訓練を続けさせる。エイン自身が毎日付きっきりになる必要はなく、決められた手順を守って記録を残してもらえば、次に見るべきところは分かる。
「今日からは、この通りに進めてください。分からないことがあれば記録を残しておいてください。僕が戻ったら確認します」
兵士たちはそれぞれ手元の紙へ目を落とした。戸惑う者もいたが、以前のように不満を口にする者は少ない。一か月間、エインの訓練を受けてきたことで、少なくとも彼が思いつきだけで指示を出しているわけではないことくらいは理解している。
エインは最後に全体を見渡してから、訓練場を離れた。
あとは自分がいなくても回るようにしておけばいい。
そう考えていた。
領務院へ戻ったエインを待っていたのは、訓練よりも別の意味で厄介なものだった。
机の上に積まれた書類である。
ここ最近は訓練や防護壁の修復、ダンジョンの調査などに時間を取られていたため、処理しなければならないものが増えていた。エインは椅子に座ると、上から順番に書類へ目を通していく。
内容を確認し、必要なものだけを残す。自分が判断すべきもの、専門家へ回すもの、確認だけで済むものを分けていくと、山になっていた紙は少しずつ減っていった。
すべてを終えた頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「……今日はもう休もうかな」
エインが椅子の背へ身体を預けた、そのときだった。
扉が叩かれた。
返事をすると、評議会からの使者が入ってくる。
「エイン様、王国中央評議会より呼び出しがございます」
「またですか?」
「はい。できれば、すぐにとのことです」
エインはしばらく黙った。
今日はもう十分働いたつもりだったが、王国中央評議会からの呼び出しを無視するわけにもいかない。
「分かりました」
立ち上がったエインは、軽く息を吐いてから評議会の会議室へ向かった。
中へ入ると、何人かの評議員がすでに席についていた。その中央には、見慣れない書類が置かれている。
「急に呼び出してすまない」
「いえ。それで、今日は何でしょうか」
エインが席につくと、評議員の一人が書類を開いた。
「軍用学院の設立についてだ」
「軍用学院?」
「そうだ。陛下の決定で、王国内に新たな学院を設立することになった。軍に必要な知識と技術を、これまでより体系的に教えるための学院だ」
エインは書類へ目を落とした。
魔法、身体能力、医療、生物、戦略。
軍事に関係する様々な分野を学ばせるための教育機関らしい。
「設立そのものには反対意見もある」
別の評議員が口を挟んだ。
「軍の訓練施設なら既存のものがある。わざわざ学院を新設する必要があるのか、という意見だ。建物、人員、教材……新たな支出は決して小さくない」
「ですが、陛下が決定された」
「その通りだ。だからこそ、我々も準備を進めている」
そこで評議員の視線がエインへ向いた。
「そこで君に相談がある」
エインは嫌な予感を覚えた。
「教員を引き受けてもらえないだろうか」
「……僕が?」
「君ほど多くの分野に精通している人間はそうはいない。魔法だけでなく、身体強化、魔法、研究、戦闘。今回の学院には適任だと思っている」
エインは少し考えた。
そして、首を横に振った。
「すみません。教員にはなりません」
即答だった。
「理由を聞いても?」
「僕が教えるより、もっと適した人がいると思うからです」
エインは学院の資料をもう一度見た。
「学院を作るなら、僕一人が何でも教えるより、それぞれの分野を専門にしている人を集めたほうがいいと思います」
「つまり、教員にはならないが、人材を探すことには協力する、と?」
「はい」
こうしてエインは、学院に相応しい人材を探すことになった。
最初に向かったのは、王都でも名の知られた魔法研究者だった。
長年研究を続けているだけあって、知識は豊富だった。魔法の理論についても一通り説明できる。エインは期待していた。
もしかすると、自分が知らないことを知っているかもしれない。
自分が見落としている考え方があるかもしれない。
そう思って、いくつか質問をした。
「この現象が起きる条件は?」
「古い記録では、魔力の性質によるものだとされています」
「では、その性質を変えるには?」
「そういう方法は確認されていません」
「試したことは?」
「ありません」
エインは黙った。
最初は、まだ何も思わなかった。
知らないことなら仕方がない。研究者だからといって、すべてを知っているわけではない。
だから別の質問をした。
「では、これまでとは違う条件ならどうなりますか?」
「危険ですので、試す必要はないでしょう」
「……なぜですか?」
「既存の理論から外れますので」
そこで、エインの期待が少しだけ沈んだ。
それでも、まだ次があると思った。
王国には多くの専門家がいる。ここが駄目でも、別の人なら。
次に会った生物学者は、魔物の生態について長年研究している人物だった。
エインは最近遭遇した魔物の話をした。
「通常では考えにくい環境に魔物が現れた場合、何を調べますか?」
「まず、既存の生態分類に当てはめます」
「当てはまらなかったら?」
「新種の可能性があります」
「その場合は?」
「記録を取り、既存の資料と比較します」
「それでも説明できなかったら?」
「……現時点では、判断できないでしょう」
エインは相手の言葉を聞きながら、膝の上で指を組んだ。
まただ。分からないところまで来ると、そこで止まる。もちろん、それ自体は悪いことではない。けれどエインが求めていたのは、その先だった。
なぜ分からないのか。何が足りないのか。どこまでなら分かるのか。何を調べれば先へ進めるのか。
そういう話をしたかったが、そこまで踏み込む人間はいなかった。医療の専門家もら体術の達人も、戦略家も同じだった。
誰もが一定以上の腕を持っている。王国で専門家として扱われるだけの理由もある。技術も経験もあり、普通の人間から見れば十分に優秀なのだろう。
それでも、エインには物足りない。話を聞くほど、その感覚は強くなっていった。最初のうちは、単に自分とは考え方が違うのだと思っていた。次は、自分の質問の仕方が悪いのかもしれないと思った。その次は、まだ適切な人間に会えていないだけだと思った。
だが、一人、また一人と話していくうちに、その考えも維持できなくなっていった。誰も、エインが期待していたところまで来ていない。その事実が、少しずつ重くなっていく。
もっと凄いものを見られると思っていた。もっと知らないことを知れると思っていた。自分では思いつかないような技術を見て、それを理解するために頭を使えると思っていた。
なのに。
「……これだけ?」
思わず、声が漏れる。自分でも驚くほど、落胆していた。相手が悪いわけではない。むしろ、彼らはそれぞれの分野で十分な実績を積んでいる。王国が専門家として認めているのも当然だ。
だからこそ、余計に困った。
自分が期待しすぎていたのかもしれない。王国で最も優れた人間たちなら、自分より遥かに深い場所まで進んでいると思っていた。自分が知らないことを教えてくれると思っていた。けれど実際には、どの分野でも似たところで足が止まっている。既に知られている方法を使い、既に分かっている範囲で答えを出す。そこから先へ進もうとする者が、ほとんどいない。
エインは王都の通りを歩きながら、何度も今日までの会話を思い返していた。
胸の奥に残っているのは、苛立ちよりも失望だった。
学院を作る。
軍を強くする。
そのために必要な人間を集める。
簡単な仕事だと思っていたわけではない。それでも、ここまで難しいとは思っていなかった。何より、自分が知らないことを教えてくれる人間を探すことが、これほど難しいとは思わなかった。
エインは足を止め、夕暮れの王都を眺めた。
それでも、諦めるという考えは浮かばなかった。いないのなら、探すしかない。王都にいないなら、王都の外へ行けばいい。名前が知られていなくても、本当にその道を極めている人間がどこかにいるかもしれない。
エインはゆっくりと息を吐いた。
「……探そう」
期待していた分だけ、落胆は大きかった。だが、その落胆があるからこそ、エインはまだ見ぬ人材へ興味を持ち始めていた。
王国で専門家と呼ばれている人間ではなく、その肩書きすら持たない誰か。
既存の常識の外側で、ひたすら何かを追い続けている人間。
もし、そんな人間がいるのなら。
エインは今度こそ、その人に会ってみたかった。




