第17話 背を預ける
魔物の群れは、途切れることなく押し寄せていた。
防護壁の外側に築かれた防衛線は、すでに何度も魔物の波を受け止めている。土は踏み荒らされ、ところどころに爪で抉られた跡が残り、倒れた魔物の身体から流れた血が地面を濡らしていた。魔法が炸裂するたびに土煙が舞い、怒号と咆哮が重なって、まともに声を張らなければ隣にいる人間の声すら聞き取れない。
その最前線で、アインは大剣を振っていた。
「おらぁっ!」
振り下ろされた大剣が大型の魔物の肩口へ食い込み、そのまま地面へ叩きつける。轟音とともに土が跳ね、周囲の兵士たちが一瞬だけ身を引いた。
「左!」
エインの声が飛ぶ。
アインは振り返らなかった。
「分かってる!」
身体を沈める。
頭上を魔物の爪が通り過ぎた。そのままアインは踏み込み、振り下ろした大剣を横へ滑らせる。魔物の脚を切り払い、体勢を崩したところへ蹴りを叩き込んだ。
その魔物が倒れるより早く、別の個体が背後から迫っている。
エインはすでに動いていた。
「そこです」
剣が閃く。
魔物の攻撃を受け流し、そのまま首元へ刃を滑らせる。巨体が崩れ、地面に倒れ込んだ。
「助かった!」
「いつものことでしょう」
「それを言うなら、俺も何度も助けてるだろ!」
「そうですね」
「ならもっと感謝しろ!」
「ありがとうございます」
「軽い!」
アインが笑いながら大剣を振り抜いた。
その横をエインが走り抜ける。
二人は互いに目を合わせることさえほとんどなかった。それでも、不思議なほど動きが噛み合っていた。
エインが一歩下がれば、アインが一歩前へ出る。
アインが敵を引きつければ、エインが空いた場所へ入り込む。
エインが魔物の攻撃を誘えば、アインがその隙を叩く。
幼い頃から何度も一緒に遊び、喧嘩をして、剣を振り、競い合ってきた。
相手が何をするのか。
どこへ動くのか。
何を嫌うのか。
互いの癖など、とっくに身体に染みついている。
「エイン!」
「はい!」
アインが叫んだ。
次の瞬間、アインが大きく横へ跳ぶ。
その背後から魔物が飛び出してきた。
エインは待っていた。
アインが退いた場所へ、ちょうど魔物が姿を現す。
エインは踏み込んだ。
一閃。
魔物が倒れる。
「今のは昔と同じだな!」
アインが笑う。
「覚えてたんですか?」
「忘れるかよ!」
エインも笑った。
幼い頃、二人で森へ遊びに行ったときのことを思い出す。
当時は今ほど大きな魔物などいなかった。二人が相手にしていたのは、せいぜい野犬や小型の魔物くらいだった。それでもアインはいつも前へ出た。
エインが後ろから状況を見て、アインが前で敵を引きつける。
あの頃から、二人のやり方は変わっていなかった。
変わったのは、それぞれが扱えるものの大きさだけだ。
「エイン!」
再び声が響いた。
エインは顔を上げる。
アインが大剣を構えている。
「次、でかいのが来る!」
「見えてます!」
群れの奥から、一際大きな魔物が姿を現した。
四本の脚で地面を踏み鳴らしながら、こちらへ突っ込んでくる。周囲の魔物が巻き込まれて吹き飛ぶほどの巨体だった。
兵士たちの間に緊張が走る。
「下がれ!」
誰かが叫んだ。
しかしアインは退かなかった。
「エイン!」
「分かってます!」
二人は同時に前へ出た。
魔物が吠える。
その巨体が迫ってくる。
アインは真正面から受け止めた。
大剣を両手で握り、踏み込む。
「おおおおっ!」
衝突した瞬間、轟音が響いた。
アインの足元の土が大きく沈む。
それでも、退かない。
魔物の突進を真正面から止めている。
「今だ!」
エインは走った。
アインの身体を足場にするような無茶な動きはしない。ただ、彼が止めたことで生まれたほんの一瞬の隙へ入り込む。
魔物の側面へ回り込み、剣を振る。
一撃。
二撃。
三撃。
魔物が身体をよじった。
アインが叫ぶ。
「もう一回!」
エインは頷いた。
アインが大剣を振り上げる。
魔物がそれを避けようと身体を動かす。
その瞬間、エインが反対側から斬り込んだ。
魔物の巨体が崩れた。
地面が揺れる。
しばらくして、辺りに静けさが戻った。
「……やったな」
アインが肩で息をしながら笑う。
「ええ」
「やっぱりお前と組むと楽だわ」
「それは僕も同じです」
エインが答えると、アインが少しだけ目を見開いた。
「珍しいな。お前が素直に褒めるなんて」
「褒めたつもりはありません」
「じゃあ何だよ」
「事実を言っただけです」
「それを褒めてるって言うんだよ」
二人の間に笑いが生まれる。
けれど、それも長くは続かなかった。
遠くで、また魔物の咆哮が聞こえた。
一つではない。
いくつも重なっている。
エインはそちらへ目を向けた。
「まだ来ますね」
「そうだな」
アインが大剣を握り直す。
「じゃあ、もう一回だ」
「はい」
二人が再び前へ出ようとした、そのときだった。
空気が変わった。
先ほどまで騒がしかった戦場が、一瞬だけ静かになった。
魔物たちが動きを止めた。
「……?」
アインが眉をひそめる。
エインも足を止めた。
群れの奥。
魔物たちが、何かから逃げるように左右へ分かれていく。
一匹。
また一匹。
その間を、ゆっくりと何かが歩いてくる。
最初に見えたのは、脚だった。
太い。
あまりにも太い。
一歩踏み出すたびに地面が沈み、周囲の小さな魔物たちが道を譲っていく。
さらに身体が見える。
巨大だった。
先ほど倒した大型魔物とは比べものにならない。
頭部は防護壁の向こうからでも見えるほど高く、全身を覆う硬質な外皮には、ところどころ黒く濁った魔力のようなものが絡みついている。
エインは息を止めた。
「……なんだ、あれ」
誰かが呟いた。
その魔物は、こちらを見た。
赤く濁った瞳。
知性があるようにも見える。
だが、その目に映っているのは人間ではなかった。
ただ、敵を見る目だった。
アインが一歩前へ出る。
「エイン」
「はい」
「こいつは……」
アインの声から、さっきまでの軽さが消えていた。
エインは魔物から目を離さない。
巨大な身体。
異様な魔力。
そして、何より気になるのは――。
その魔物が、群れの先頭にいるのではないことだった。
魔物たちは、その巨大な存在を避けるようにしている。
まるで、
あれが来ることを恐れている。
エインは剣を握り直した。
「アイン」
「なんだ?」
「たぶん、あれがこの群れの理由です」
「……そうか」
アインは大剣を構えた。
エインも剣を構える。
二人の間に、言葉はなかった。
幼い頃から、何度も一緒に戦ってきた。
どちらが先に動くか。
どちらが前へ出るか。
そんなことを決める必要すらない。
アインが一歩踏み出す。
エインも同時に踏み出した。
巨大な魔物が咆哮する。
その声だけで、地面が震えた。
そして次の瞬間――。
それまで魔物たちを押し退けながら歩いていた巨大な存在が、初めてこちらへ向かって走り出した。




