第16話 幼馴染
朝、エインはいつもより少し早く目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗く、王都の通りにも人影は少ない。しばらく寝台の上でぼんやりしていたが、もう一度眠るほど眠気も残っていなかった。エインは身体を起こし、ゆっくりと身支度を始める。剣を腰に佩き、部屋を出る頃には、いつもの調子を取り戻していた。
王都へ戻ってから、こうして何でもない朝を迎えるのは久しぶりだった。
外へ出ると、朝の空気は少し冷たかった。店を開ける準備をしている者や、荷車を引いて通りを進む商人の姿がちらほら見える。エインは急ぐこともなく歩き始めた。ダンジョンに籠もっていた間も身体は動かしていたが、こうして目的もなく王都を歩くのは妙に心地いい。
しばらく歩いていると、王都の一角にある広い敷地へ辿り着いた。
そこには、巨大な魔物がいた。
ルカだ。
以前よりも身体には肉が戻っている。痩せ細っていた頃に比べれば、明らかに力も戻ってきていた。それでも元々の身体が巨大なのだから、少し回復した程度では人間と並んで歩けるような大きさにはならない。四本の脚で立つだけで、近くの建物より頭一つ分ほど高く見える。
「おはよう、ルカ」
エインが声をかけると、ルカがゆっくりと頭を上げた。
「おはよう」
「ちゃんと言えるようになったな」
「調子は?」
「げんき」
「それならよかった」
ルカはしばらくエインを見ていたが、やがて巨大な身体をゆっくりと動かした。エインの横へ並ぶ。
「一緒に来るか?」
返事はないが、ルカと並んで歩く。
王都の朝には、もうこの光景も少しずつ馴染み始めていた。もちろん初めて見る人間は驚く。それでも以前のように、道の向こうから人が一斉に逃げ出すことはない。ルカも人間に近づきすぎないよう気をつけているらしく、エインの隣を歩きながらも、道幅を考えて少し離れて進んでいる。
途中でリナと会い、挨拶を交わした。
「おはようございます、エインさん。ルカもおはよう」
「おはよう」
「……もう完全に普通に挨拶しますね」
「覚えるのが早いからな」
「私より早いかもしれません」
「それは否定できない」
「ごはん」
ルカが口を挟んだ。
リナが笑う。
「朝ごはん、もう食べたでしょう?」
「ごはん」
「成長期ですね」
エインはルカを見上げた。
「身体も戻ってきてるから、実際そうなのかもしれないな」
そんな会話をしながら歩いていると、気がつけばいつもの出勤時間が近づいていた。
「じゃあ、また後で」
「はい」
ルカに見送られ、エインは領務院へ向かった。
午前中は書類を片付け、防護壁の報告に目を通し、昨日届いた調査記録を確認する。特別な問題はない。何枚か気になる記述はあったものの、今すぐ動く必要があるほどではなかった。
昼食を取ろうとしたところで、警報が鳴った。
最初は遠くで、鐘が一度だけ鳴る。
続いて二度、三度。
領務院の中から人の動く気配が一気に増えた。
「魔物の群れです!」
誰かが叫んだ。
エインは立ち上がった。
「どこから?」
「西側です!」
西。
その言葉を聞いても、エインは特に何も感じなかった。
北東で起きていた問題とは関係がない。あちらは今、ひとまず抑えられている。西側から魔物が来ること自体は、それだけで異常というわけではない。
「現場を見てきます」
エインは剣を取り、領務院を出た。
西側へ向かう道には、すでに多くの人が集まっていた。警報を聞いて避難する者、防衛隊へ合流する者、指示を飛ばす者。それらを横目に、エインは足を速める。
やがて防護壁が見えてきた。
さらにその先。
轟音が響いた。
ドンッ――!
地面が揺れるほどの音だった。
続けて、何か巨大なものが倒れる音が響く。
エインは足を止めなかった。
防護壁の門を抜け、外周防衛隊のいる場所へ到着する。
そこで初めて、エインは魔物の群れを目にした。
「……」
思わず目を細める。
多い。
遠くまで見渡しても、魔物の姿が途切れない。大小さまざまな魔物が群れを成し、防衛隊の陣形へ向かって押し寄せている。
その最前線で、また轟音が響いた。
ドゴォンッ!
一体の大型魔物が地面を転がっていく。
その向こうに、巨大な剣を構えた男が立っていた。
「そこ、開けるな!」
男が叫ぶ。
次の瞬間、三体の魔物が同時に飛びかかった。
男は退かなかった。
一歩踏み込む。
大剣が横薙ぎに振り抜かれ、魔物の身体をまとめて弾き飛ばした。衝撃で土煙が舞い、周囲の兵士たちが一瞬だけ目を細める。
エインはその姿を見た。
大きな背中。
無駄に力の入った立ち方。
あまりにも見慣れた動き。
「……アイン」
聞こえるはずのない距離だった。
だが、その男が振り返った。
一瞬、目が合う。
「……エイン?」
男の顔が歪む。
次の魔物が迫ってきた。
アインは笑った。
「後で話そうぜ!」
「相変わらずですね」
エインも剣を抜いた。
「何が?」
「考える前に突っ込むところが」
「お前も相変わらず、考えてから来るな!」
幼い頃から、何度も聞いた声だった。
二人は幼馴染だった。
生まれ育った場所が近く、物心ついた頃にはすでに一緒に遊んでいた。剣を握るようになったのもほとんど同じ頃だ。
ただ、二人のやり方は最初から違った。
アインは、身体を動かして覚える。
エインは、考えて覚える。
何度も勝負をした。
剣ならアイン。
魔法ならエイン。
走ればアイン。
細工ならエイン。
何かを始めるたびに勝敗が変わるから、二人は飽きなかった。
そして今も、それは変わっていない。
「右!」
アインの声が飛ぶ。
エインは振り向いた。
魔物が一体、こちらへ回り込もうとしている。
エインは踏み込んだ。
「分かってます!」
剣が閃く。
魔物が倒れた。
その直後、アインが別の魔物を叩き伏せる。
「やっぱり速いな!」
「アインも」
「俺は昔から速い!」
「知ってます」
「なら褒めろ!」
「十分強いですよ」
「そういうところだよ、お前!」
アインが笑う。
エインも笑った。
けれど、次の瞬間には二人とも前を向いていた。
魔物はまだ押し寄せている。
アインは迷わず前へ出る。
エインはその動きを見ながら、自分が動くべき場所を選ぶ。
昔から変わらない。
アインは先に走る。
エインは、その背中を見て追いつく。
それは二人が幼い頃から、何度も繰り返してきたことだった。




