第15話 日常
王都へ戻って三日目の朝、エインは机の前で固まっていた。
目の前には、書類の山がある。一つではない。机の左右に分けられた山が二つ。その奥には、まだ封を切っていない書類が束になっている。さらに机の端には、エインがダンジョンへ向かう前に「帰ってきたら確認する」と脇へ避けていたものまで残っていた。
三日前に見たときより、高くなっているような気がする。
もちろん、実際に増えたわけではない。エインがいなかった三週間あまりの間に届いたものが、処理されないまま積み上がっているだけだ。それでも、こうして目の前に並べられると、どう見ても山だった。
「……これ、全部ですか?」
向かいに立っていたリナ・フォースが、少しだけ申し訳なさそうに頷く。
「全部です」
「多いですね」
「三週間以上いなかったんですから、仕方ありませんよ」
「三週間……」
エインは呟きながら、一番上の書類を手に取った。王都南区の水路に関する報告書だった。ざっと目を通すと、途中に簡単な図面が挟まっている。水路そのものではなく、上に設けられた蓋の一部が古くなっているらしい。
「これはフェリに回してください」
「フェリさんに?」
「水路そのものより、蓋の構造が問題です。図面を見る限り、荷重が一か所に集中しています」
「図面だけで分かるんですか?」
「分かるというより、気になります」
「気になる……」
リナが首を傾げる。エインは図面をもう一度眺めた。
「実物を見れば変わるかもしれません。でも、このままだと壊れる場所が予想できます」
「なるほど……」
リナが書類を受け取る。エインはすぐに次の書類へ手を伸ばした。
今度は魔術具の修理申請だった。魔力を流すことで動く簡単な器具らしいが、使用するたびに出力が落ちるという。
「これはノエンに」
「魔力の問題ですか?」
「まだ分かりません。使用前と使用後で、魔力の流れがどう変わるか調べてもらったほうがいいと思います」
「分かりました」
その次は倉庫の棚の破損。その次は街道の補修。その次は巡回士から上がってきた報告書。エインは一枚ずつ目を通していく。必要なところだけを読み、誰に回すべきかを判断し、必要なら短い指示を書き込む。書類を読む手は止まらない。
リナはしばらく黙ってそれを眺めていたが、やがて我慢できなくなったように口を開いた。
「……読むの、速くありません?」
「そうですか?」
「速いです。私、一枚読むだけでも結構かかるんですけど」
「全部読む必要がないものもありますから」
「それ、書いた人が聞いたら泣きません?」
「必要なところは読みますよ」
「そういうところです」
リナは小さくため息をついた。
エインは気にせず、次の書類を手に取った。
ダンジョンから戻ってきて三日。ようやく王都での生活が元に戻り始めていた。もっとも、エイン自身には「戻ってきた」という実感があまりない。ダンジョンにいた間も、やることは絶えなかった。ルカの状態を調べ、核を観察し、魔力の流れを記録し、ノエンと何度も話し合い、どうにか町への影響を抑える方法を考えた。
王都へ帰ってきたからといって、やることがなくなったわけではない。むしろ、別の意味で増えている。
「エインさん」
リナが机の上の書類を指した。
「それ、今日中に全部終わります?」
エインは残りの量を確認した。
「終わらせます」
「……やっぱりそう言うと思いました」
リナは諦めたように椅子へ座り直した。
そのとき、扉が二度叩かれた。
「どうぞ」
扉が開く。
現れたのは、王立魔法研究院所属、三等魔導士のノエン・ヴァルディスだった。淡い金髪を後ろでまとめ、両腕に何枚かの書類を抱えている。
「おはようございます」
「おはようございます、ノエン」
「防護壁の件、少し進みました」
ノエンはそう言って、手にしていた書類を机の端へ置いた。
「フェリが必要な部品の確認を終えましたので、本日から修復に入れます」
「本当ですか?」
「はい。破損していた部分については交換が必要ですが、それ以外の部分はまだ使用できます」
エインは頷いた。
「それなら、今日見に行きます」
「分かりました。私も向かいます」
そこでノエンの視線が机の上へ移った。書類の山、エイン、そしてまた書類の山。
「……こちらは大丈夫ですか?」
「たぶん」
「たぶん、ですか?」
「終わらせるので」
ノエンは少し考えるようにエインを見た。
「そうですか」
それ以上は何も言わない。
「では、防護壁の修復準備へ行ってまいります」
「僕もすぐ行きます」
「書類はどうされるのですか?」
エインは机を見た。書類がある。確かにある。けれど、防護壁の修復も今日から始まる。
どちらを先にするべきか、数秒考えた。
「……午前中で終わらせます」
ノエンは少しだけ目を細めた。
「無理はしないでくださいね」
「大丈夫です」
「そう言うと思っていました」
ノエンは苦笑して、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
リナが小さな声で言った。
「絶対、無理する人の返事ですよね」
「そうですか?」
「そうです」
エインは答えず、次の書類を手に取った。
紙をめくる音だけが、静かな部屋に続いていた。
*
結局、エインが防護壁の前へ着いたのは、昼を少し過ぎたころだった。
「遅い」
待っていたフェリガン・グラウスが、開口一番そう言った。
「すみません」
「謝るくらいなら早く来い」
「次はそうします」
「次がある前提で言うな」
フェリは呆れた顔をしたが、それ以上は言わず、すぐに作業へ戻った。
防護壁の中心にある大型の魔力装置は、エインたちが町を離れる前とほとんど変わらない姿でそこに立っている。巨大な金属製の構造体。その表面には細かな傷が残り、内部へ続く魔力回路の一部には交換された跡がある。
以前は正常に動いていた。それでも三週間前から異常が起こり、町へ入り込む魔物が現れた。今は、その原因となった外部からの影響を抑える方法が見つかっている。だが、それで装置が完全に元へ戻ったわけではない。
エインは装置へ近づき、表面へ手を触れた。
冷たい。
その奥を流れる魔力は、以前より安定している。
「どうですか?」
ノエンが尋ねた。
「今のところ問題ありません」
「私の測定でも同じ結果です」
ノエンは手元の測定器を確認した。
「ただ、内部の一部には負荷の痕跡が残っています」
「そこは交換しますか?」
エインが訊くと、フェリが取り外した金属部品を持ち上げた。
「こいつは交換する」
「やっぱりですか?」
「使えないわけじゃない。だが、次に同じような負荷がかかったら持たん」
フェリは部品の端を指で示した。
「見ろ。ここだけ削れ方がおかしい」
エインは身を屈めた。確かに、周囲とは摩耗の仕方が違う。
「強度を上げることは?」
「できる」
フェリは即答した。
「ただし、強くするだけじゃ駄目だ」
「どうしてですか?」
「壊れる場所が変わる」
フェリは新しい部品を装置へ当てながら言った。
「一か所を頑丈にすれば、そこにかかっていた力が別の場所へ逃げる。そこが弱けりゃ、今度はそっちが壊れる」
エインは部品と装置を見比べた。
その言葉を聞いて、ふとダンジョンの核が頭をよぎった。
一つの流れを止めても、それで終わりではなかった。流れは別の場所へ回り込んだ。
「……なら、壊れた場所が分かるようにすればいい」
フェリが顔を上げた。
「何?」
「強くするだけじゃなくて、異常が起きたときに、どこからおかしくなったのか分かるようにするんです」
ノエンも装置の側から振り返った。
「魔力の流量を測る、ということでしょうか?」
「それだけじゃありません」
エインは装置の周囲を歩いた。
「今は全体が正常に動いているかどうかしか分からない。これをいくつかの区画に分けて確認できるようにする。どこかで流れが変わったら、その場所を絞れるようにするんです」
ノエンはエインの言葉を聞きながら装置を見た。
「監視する場所が増えますね」
「増やします」
「管理する項目も増えます」
「はい」
フェリが腕を組んだ。
「面倒だな」
「でも、次に壊れたときは原因が分かります」
フェリは黙った。
しばらく装置を眺めてから、交換する部品を台の上へ置く。
「……それなら悪くない」
「そうでしょうか?」
「原因が分からなきゃ、また同じことになる。だったら、面倒でも見えるようにしておいたほうがいい」
ノエンは渋々頷いた。
「理屈は通っています。あとは実際に組めるかどうかですね」
フェリが鼻を鳴らした。
「組むのは俺だろ」
「はい。お願いします」
「お前は本当に遠慮がないな」
そう言いながらも、フェリの手はすでに工具へ伸びていた。
ノエンは魔力回路の確認を始める。
エインは二人の作業を見ながら、装置の周囲を歩いた。
壊れたものを直す。
それだけなら、交換して終わりだった。
けれど今回は違う。
同じことが起こったとき、また原因が分からなくなるのは困る。直したという結果だけが残っても、次に同じ問題が起きたときに何も分からなければ、また最初から調べることになる。
だから、分かるようにしておく。
「エイン」
ノエンの声がした。
「こちらの術式について確認していただけますか?」
「はい」
エインはすぐにそちらへ向かった。
三人で防護壁を直していく。魔術を扱うノエン。金属を扱うフェリ。そして、その間を行き来しながら全体を見るエイン。それぞれの手が別々の場所で動きながら、少しずつ一つの装置を形にしていく。
作業は思ったより時間がかかった。
壊れた部分を交換するだけなら、もっと早く終わっただろう。だが、今回はそれだけではない。魔力の流れを確認するための仕組みを追加し、異常が出たときに場所を絞り込めるようにする。
フェリが金属部品を加工し、ノエンが術式を組み込み、エインが実際の魔力の流れを確認する。一つ組んでは確認し、数値がずれていればやり直す。
「ここ、少し流れが速いです」
「どれくらいだ?」
「本来の値より少しだけです」
「少しなら問題ないんじゃないか?」
フェリが言った。
「今は問題ありません。でも、長時間続くなら別です」
「人使いが荒いな」
「すみません、お願いします」
「簡単に言うな」
それでもフェリは工具を持ち直した。
ノエンが術式を一度解除する。エインはその間に記録を取った。一度目はうまくいかなかった。二度目は逆方向へ流れた。三度目でようやく安定する。
「……これなら大丈夫です」
エインが言うと、ノエンは頷いた。
「では、この状態で固定します」
フェリが部品を押さえ込む。
「動かすなよ」
「動かしてません」
「念のためだ」
「分かりました」
夕方が近づくころには、最後の部品が収まった。
ノエンが手を止める。
「……これで最後です」
エインは装置へ手を添えた。
魔力を流す。
防護壁全体へ、静かに魔力が広がっていく。
以前とは少し違う。
流れそのものは同じだ。だが、途中にはいくつかの確認点が増えている。何かが起こったとき、どこから変化したのかを追えるようになっている。
エインは目を閉じた。
魔力の流れを確かめる。
安定している。
どこにも引っかかりはない。
「問題ありません」
ノエンが小さく息を吐いた。
「よかったです」
フェリは工具を片付けながら、装置を見上げた。
「これでしばらくは持つだろ」
「たぶん」
「またそれか」
「でも、前よりは分かります」
エインが答えると、フェリは少しだけ笑った。
「それなら十分だ」
エインはもう一度、防護壁を見上げた。
町を覆う魔力の膜が、夕暮れの空に薄く浮かんでいる。
直った。
それだけではない。
次に何かが起きたとき、今度は前より早く気づける。
そのことが、エインには大事だった。
「帰るぞ」
フェリが言った。
「はい」
「飯、食ってないだろ」
「まだです」
「やっぱりな」
フェリが呆れたように肩をすくめる。
「腹減ったまま仕事すると、ろくなことにならんぞ」
エインは少し考えた。
「……それは困りますね」
「分かったなら食え」
「はい」
ノエンも測定器を片付けながら頷いた。
「私もご一緒してよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
三人は装置を後にした。
*
その日の夜、王立領務院の裏手にある中庭には、普段とは少し違う光景が広がっていた。
巨大な魔物がいる。
ルカだった。
四本の脚を地面につき、身体を横たえるようにして食事をしている。ダンジョンから出てきたばかりの頃に比べれば、明らかに肉が戻っていた。肩や脚には厚みがつき、動くたびに大きな身体がしっかりと地面を踏む。
それでも、元々が巨大な魔物だ。
普通の厩では到底収まらない。
そのため、王都へ戻ってから急いで中庭の一角を整え、簡単な屋根と柵が設けられていた。
もっとも、その柵がルカを閉じ込めているわけではない。
ルカがその気になれば、越えることなど難しくない。
「……やっぱり、こうして見ると大きいですね」
少し離れた場所からリナが呟いた。
「何度見ても慣れません」
「僕は少し慣れてきました」
「エインさんは近すぎるんですよ」
エインはルカのすぐ近くに立っていた。
ルカはそんなことを気にする様子もなく、目の前の肉を食べている。
「ごはん」
「食べてるよ」
「ごはん」
「もう少し?」
ルカが頷いた。
エインは用意していた肉を追加で運んだ。
一人分の食事とは比べものにならない量だ。
大きな塊をいくつも並べると、ルカは一つずつ口へ運んでいく。
「……昨日より食べますね」
少し離れたところからノエンが言った。
「身体が戻ってきているからだと思います」
「それでも、これだけ食べるのですか?」
「元々大きいので」
ノエンは改めてルカを見上げた。
「そうでしたね」
ルカは何も気にせず食事を続けている。
その身体は、少しずつ変わっていた。
ダンジョンから出てきたばかりの頃は、巨大な身体に似合わないほど痩せていた。皮膚の下に骨が浮き、傷も多かった。今はまだ完全とは言えないものの、肩や脚には肉が戻り、動きにも力がある。
「ルカ」
エインが呼ぶ。
巨大な頭がこちらを向いた。
「今日はどう?」
ルカは少し考えるように目を細めた。
「げんき」
「そう」
「みず」
「水もある」
「ごはん」
「今食べてる」
ルカはしばらくエインを見た。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……エイン」
「何?」
「ありがと」
エインの手が止まった。
リナも黙る。
ノエンが目を瞬かせた。
ルカはそれ以上何も言わず、再び食事へ戻った。
エインは少しだけ笑った。
「どういたしまして」
ルカの尾が、ゆっくりと地面を叩く。
大きな音が中庭に響き、足元の草が揺れた。
「……ずいぶん覚えましたね」
ノエンが言った。
「はい」
「人間の言葉を覚える速度が、やはり普通ではありません」
「そうですね」
エインはルカを見た。
「でも、覚えた言葉をどう使うかは、少しずつ分かってきました」
「そうですね。最初は『みず』と『たすけて』だけでしたから」
「今は『ごはん』が増えました」
「大事な言葉なのでしょうね」
ノエンが微笑む。
「生きるために必要な言葉から覚えているのかもしれません」
エインは少し考えた。
「そうかもしれません」
そのとき、ルカが再び顔を上げた。
「エイン」
「はい」
「ごはん」
「まだ食べる?」
今度は、はっきりと頷いた。
リナが笑う。
「それだけは覚えるのが早いですね」
エインも笑った。
「分かりやすいですから」
ルカは二人を交互に見て、それからまた食事へ顔を戻した。
穏やかな夜だった。
ダンジョンの奥で何が起きていたのか。
なぜあの場所にダンジョンができたのか。
あの核はいったい何なのか。
そして、ルカの身に起きた変化は何だったのか。
分からないことは、まだいくつも残っている。
けれど、今この瞬間、ルカは苦しんでいない。
防護壁も動いている。
王都の明かりも、いつも通りに灯っている。
エインはそれを眺めながら、手元の皿を片付けた。
「エイン」
「はい?」
「みず」
「分かりました」
エインが水を運ぶ。
巨大な器に水を満たすと、ルカはゆっくりと顔を下げた。
その様子を見ながら、リナが笑う。
「すっかり日常ですね」
「そうですね」
ノエンも頷いた。
「つい数日前まで、ダンジョンの中にいたとは思えません」
エインはルカの背中を見た。
「本人が元気なら、それでいいんじゃないですか」
「そうですね」
ルカは水を飲み終えると、満足したように顔を上げた。
「ごはん」
「それはもう食べたでしょう」
「ごはん」
「まだ食べるんですか?」
ルカが大きく頷く。
リナがとうとう声を上げて笑った。ノエンも口元を押さえながら笑っている。エインは困ったようにルカを見上げた。
「……分かりました。少しだけですよ」
「はい」
ルカの尾が、また地面を叩いた。
その音を聞きながら、エインも笑った。
*
翌朝。
エインが領務院へ向かうと、門のところでリナが待っていた。
「おはようございます、エインさん」
「おはようございます」
「昨日の書類、追加です」
リナが両手で抱えていた束を差し出した。
エインはそれを受け取った。
「昨日の分、終わったんですか?」
「終わりました」
「本当に?」
「本当に」
「……じゃあ、これもお願いします」
「はい」
あまりにも自然に渡されたので、エインは一瞬だけ書類を見下ろした。
「増えましたね」
「仕事ですから」
「昨日も聞きました」
「便利な言葉ですよね」
リナが笑う。
エインも少しだけ笑って、書類を抱え直した。
「これ、どこからですか?」
「東区です。あと、北側の街道からも一つ」
「分かりました」
エインは歩き始めた。
その後ろから、リナがついてくる。
「そういえば、ルカは?」
「外です」
「今日も?」
「今日もです」
「王都の人たち、だいぶ慣れてきましたね」
「そうですね」
昨日までは、ルカが歩くだけで人だかりができていた。
今日は道の端から眺める人はいるものの、悲鳴を上げる者はいない。
子どもが遠くから指を差し、親が慌てて手を引く。
ルカはそれを気にすることもなく、空き地へ向かって歩いている。
巨大な身体が街の中を進むたびに、建物との大きさの違いがよく分かる。それでもルカは決して乱暴に歩かなかった。人のいる場所では足を止め、荷車が通れば道を空ける。
誰かに教えられたからなのか、それとも周囲を見て覚えたのかは分からない。
ただ、少しずつ王都の生活に馴染んでいる。
「エイン」
遠くから声がした。
ルカがこちらを見ている。
「どうしました?」
「みず」
「あとで行きますね」
ルカは満足したように歩いていった。
リナがその背中を眺める。
「本当に、普通に会話してますね」
「まだ短いですけど」
「それでも十分ですよ」
エインもルカを見た。
ダンジョンの中で初めて見たときは、ただ飢えていた。
何かに怯え、何かに苦しみ、言葉も持たなかった。
今は違う。
「エイン」
「ごはん」
遠くからまた聞こえた。
エインは思わず笑った。
「……それも会話ですか?」
リナが笑いながら言う。
「大事な会話なんじゃないですか?」
「そうですね」
エインは書類を抱え直した。
そのとき、廊下の向こうからノエンが歩いてきた。
「おはようございます、エイン」
「おはようございます、ノエン」
「防護壁の記録を確認してまいりました。昨夜から今朝にかけて、異常はありません」
「よかったです」
「昨日追加した監視部分も、正常に動作しています」
「それなら、しばらくは大丈夫そうですね」
「はい。ただ、しばらくは継続して確認したほうがよいでしょう」
「お願いします」
ノエンが頷く。
「それと、フェリから部品について確認したいことがあるそうです」
「分かりました。あとで行きます」
「はい」
そこへ、またルカの声が飛んできた。
「エイン!」
三人が同時に振り向く。
「ごはん!」
リナが吹き出した。
ノエンも思わず笑う。
エインはしばらくルカを見つめ、それから諦めたように息を吐いた。
「……分かりました。今行きます」
ルカの尾が地面を叩く。
返事だけは、ずいぶん元気だった。
エインは書類を抱えたまま中庭へ向かう。
その背後で、リナとノエンも笑いながらついてきた。
防護壁は今日も動いている。ルカは少しずつ元気になっている。書類は相変わらず増える。
フェリからは新しい部品の相談が来て、ノエンからは防護壁の記録が届く。
ダンジョンで起きたことは、まだ何一つ完全に解決したわけではない。それでも、今は誰も急いでいなかった。
ルカが食事をしている。
リナがその様子を見て笑っている。
ノエンが記録を確認している。
そしてエインは、また新しい問題を一つずつ手に取っている。
昨日までとは、ほんの少しだけ違う。けれど、それでいい。壊れたものを直し、直したものを確かめる。分からないことがあれば、そのときに考える。今はただ、それを繰り返していけばいい。
「エイン」
「はい?」
「ごはん」
「もう分かりましたから」
ルカの大きな尾が、嬉しそうに地面を叩いた。
ドン、と鈍い音が響く。
その音を聞きながら、エインは笑った。
王都へ戻ってきてから三日。
ようやく、いつもの一日が始まろうとしていた。




