第12話 不為
ノエンが王都へ戻ってから三日が過ぎた。地下深くにある核は、何事もなかったかのように光り続けている。エインはその前に座り、膝の上に置いた石を眺めていた。石には細い傷が一本だけ走っている。昨日から何度も術式を試しているが、あのとき核に起きた現象を、まだ一度も再現できていなかった。
「……もう少し、弱く」
指先に魔力を集める。石へ触れた瞬間、表面に光が走った。傷が深くなり、石の端が欠ける。エインはそれを拾い上げ、欠けた部分を親指で撫でた。違う。昨日の現象は、こんなふうに物そのものを傷つけたわけではなかった。核に流れていた何かが、途中で途切れた。その後、別の場所へ流れが移った。そこまでは覚えている。だから同じことを起こしたかった。
魔力の量を変え、速度を変え、術式を組む位置を変える。何度試しても、石は削れるばかりだった。エインは新しい石を取り、今度は術式を途中まで組んでから止める。そこから少しだけ形を変えた。魔力が弾け、石が二つに割れる。
「……これでもないか」
背後で小さく音がした。
振り向くと、ルカがこちらを見ていた。少し前までは核の近くにいるだけで警戒していたが、最近はエインが何をしているのかをじっと眺めるようになっている。エインは割れた石を拾いながら、「昨日のやつをもう一度やりたいんです」と言った。ルカが石を覗き込む。言葉の意味まで理解しているのかは分からない。それでも、エインが石を置けばルカも視線を戻した。
もう一度、試す。
魔力を集めたところで、ルカが突然よろめいた。
エインは反射的に手を止めた。「ルカ?」
ルカは答えず、胸の辺りを押さえたままうずくまる。呼吸が荒い。エインが駆け寄ると、ルカは苦しそうに顔を上げた。その視線が自分を越えていることに気づき、エインは振り返った。
核が明滅していた。
ほんの一瞬だった。けれど、エインには分かった。さっき魔力を動かした直後だった。
「……これか」
エインが核へ近づくと、ルカの顔が強張った。そこで足を止める。しばらくしてルカの呼吸が落ち着いたのを見てから、今度は一歩だけ後ろへ下がった。ルカも少しだけ楽になったようだった。
エインは何も言わずに核を見た。
もう一度近づく。今度は何も起きない。さらに近づく。やはり何もない。ならば、と指先にほんの少しだけ魔力を集める。核の表面に光が走った瞬間、ルカが身を縮めた。
「やめます」
エインはすぐに魔力を消した。
ルカのところへ戻り、しゃがみ込む。手を伸ばしかけて、途中で止めた。触れていいのか分からなかったからだ。代わりに少し離れた場所へ座る。ルカはまだ胸を押さえていたが、しばらくするとゆっくり手を下ろした。
「……すみません。夢中になっていました」
返事はない。
エインは核を振り返った。
昨日までは、どうすればこの現象を再現できるか、そればかり考えていた。けれど今は、それより先に気になることがある。自分が何かをすると、ルカに何かが起きる。ならば、原因が分からないまま続けるわけにはいかない。
そう考えながらも、エインは核から目を離せなかった。
昨日、自分の術式が触れた場所を探す。核の表面にはいくつもの淡い光が流れている。じっと見ていると、光が一本消え、その少し後に別の場所が明るくなるのが見えた。
「……あれ?」
エインは立ち上がった。
核へ近づく。目を凝らす。今度は魔力を使わない。しばらく待っていると、また同じことが起きた。ある場所の光が弱くなり、その分だけ別の場所が強くなる。
エインは昨日のことを思い出した。
切れた。
そう思っていた。
だが、正確には違うのかもしれない。
一本の流れが止まっただけで、他の流れまで止まったわけではなかった。むしろ、別のところへ移っている。
「……切れたんじゃない」
呟いてから、エインは言葉を失った。
核そのものは何も変わっていない。昨日もそうだった。表面を傷つけたわけでも、力を削ったわけでもない。ただ、流れていたものの一部が途切れた。
ならば。
エインは手を伸ばし、昨日切れた場所へ触れた。
ごく少量の魔力を流す。
淡い光が指先から核へ入り、一本の流れをなぞった。エインが意識を集中させた瞬間、その流れだけがふっと消えた。
できた。
昨日と同じだった。
エインは思わず息を止めた。
だが、喜ぶより早く、別の場所が強く光った。
「……そうなるのか」
エインが手を離す。
切れた場所はそのままだ。けれど、別の流れが太くなっている。
エインはしばらく黙っていた。
もう一度やれば、もっと分かる。そう思ったところで、背後を見る。ルカがこちらを見ており、さっき苦しんでいた姿が頭に浮かんだ。
エインは伸ばしかけた手を下ろした。
「……今日は、ここまでにします」
ルカが首を傾げる。
「もうやりません」
言葉が通じたのかは分からない。それでもルカは何も言わず、エインのそばまで歩いてきた。
エインは床へ座り、紙を広げた。核の形を簡単に描き、流れを線で書き込んでいく。一本が途切れたところから、別の線へ矢印を引いた。
そこで筆が止まった。
その先をどう書けばいいのか分からない。
線を全部繋げてしまえば、きっと簡単な図になる。けれど、今のエインには、それをする理由がなかった。自分が見たものだけを書きたい。分からないところまで勝手に繋げれば、後で何を信じていいのか分からなくなる。
エインは筆を置いた。
隣にいたルカが紙を覗き込む。
「分かりますか?」
ルカは紙ではなく、エインを見た。
エインは少し笑った。
「僕にも分かりません」
ルカが首を傾げる。
「でも、分からないまま壊すのは嫌なんです」
その言葉を口にしてから、エインは核を見上げた。
壊すことならできる。
あのときの力なら、核そのものを破壊することもできるだろう。けれど、それで何が起きるのかは分からない。魔物たちがどうなるのかも、ルカに何が起きるのかも分からない。
分からないまま壊せば、たぶん結果だけは出る。でも、その結果をもう一度作れるとは限らない。同じことが起きたとき、何をすればいいのか分からなくなる。
エインはそこで考えるのをやめた。
今は、そこまで考える必要はない。
まずは目の前のルカを見る。ルカは静かに核を見ていた。
「……ルカ」
呼ばれて、ルカが振り返る。
「あなたが先ですか?」
ルカは答えない。
「それとも、これが先ですか?」
エインの視線が核へ移る。
ルカが生まれたから核があるのか。核があるから、ルカたちは変わったのか。どちらなのか、それともまったく別の理由なのか。
答えはまだ見えない。
けれど、昨日までとは違っていた。エインは核を壊す方法ではなく、その答えを探したくなっていた。
横を見ると、ルカが立ち上がっている。
「どこに行くんです?」
ルカは地下の奥を指した。
エインはその先を見る。
暗い通路が続いている。
しばらく考えてから、立ち上がった。
「……分かりました。行きましょう」
ルカの後ろを歩きながら、エインは一度だけ核を振り返った。
まだ、何も分からない。だからこそ、もう少し見てみようと思った。




