第11話 断絶
ノエンは研究成果を国へ提出するため、王都に戻っていった。エインが行った術式操作の手順、その過程で起きた異常、そしてエインが組み立てた手順をノエン自身が再現したことで反転術式として成立したこと。その一連の記録をまとめ、研究者の欄にはエインの名前を記して提出するという。
エインにとって、自分の名前がそこに載ること自体は大した問題ではなかった。自分が何をしたのかを正確に記録し、他の人間が同じ条件で試せるようになる。それができるなら、それで十分だった。
ノエンを送り出したあとも、そのことについて考えることはなかった。目の前には、まだ解決していないものがある。
エインは核の前に座り、淡い光を放つその姿をじっと眺めていた。ノエンの反転術式によって、核の外側は大きく変化している。周囲から取り込んでいた魔力の流れは弱まり、表面を覆っていた濁った光も薄くなった。
それでも中心だけは残っている。何度反転術式を施しても、中心部だけは活動を止めなかった。反転術式が届いていないわけではない。ノエンの術式は確かに核へ作用していたし、外側から少しずつ核の働きを失わせ、その変化は中心部にも届いている。
それなのに、中心だけが残る。
「どうして……」
エインは立ち上がると、核の周囲をゆっくりと歩いた。正面から見ても分からない。少し横へ回り、光の変化を確認する。さらに反対側へ回り、魔力の流れを追う。核は一つの塊に見えるが、その内部で起きていることは単純ではない。
周囲から魔力を集め、集めた魔力の性質を変え、変えた魔力を別の場所へ送り出す。それを絶えず繰り返している。
以前ノエンから聞いた説明を思い出しながら、エインは床に紙を広げた。魔力が入ってくる場所、変質する場所、そこから出ていく場所。目で確認できる範囲から一つずつ書き出し、線を引き、別の線と繋ぎ、流れを追っていく。
しばらくすると、紙の上にはいくつもの線が引かれていた。一本ではない。複数の流れが絡み合い、外側から中心へ入り、中心から別の方向へ流れている。
「……回路みたいだ」
魔力そのものに形があるわけではない。けれど、流れには道筋がある。一定の場所を通り、一定の方向へ進み、別の流れと合流している。
もしそうなら、中心部だけが残る理由も説明できるかもしれない。反転術式によって外側の働きが失われても、中心部へ魔力を送り続ける経路が残っている。だから中心は活動を続けられる。
そのとき、手の中に残っていた魔力がわずかに揺れた。反転術式の練習で使っていた魔力だった。エインは反射的に流れを整えようとしたが、また同じことが起きる。反転するはずのところで魔力が別の変化を始めた。
「また……」
術式を止めようとした。しかし、間に合わない。魔力が膨れ上がり、空気が震える。手のひらから放たれた術式が、エインの意図した方向からわずかに外れ、その先にあった核へ向かった。咄嗟に向きを変えようとしたものの、完全に消すより早く、その一部が核へ触れる。淡い光が弾けた。
核そのものが砕けることはなかった。大きな音もしない。ただ、魔力の流れが一瞬だけ途切れた。
エインは動かなかった。
先ほどまで中心部を巡っていた魔力の流れ。その一本だけが、消えている。いや、消えたわけではない。途中で切れている。
エインは核へ近づき、目を凝らした。中心部から外へ向かっていた流れの一つが、確かにそこで途切れている。しかし、核そのものは壊れていない。表面にも大きな変化はない。それなのに、その先へ魔力が流れていない。
「……壊れたんじゃない」
エインは先ほど描いた紙を取り上げた。そこに書いた魔力の経路と、今途切れた場所を照らし合わせる。一致している。
「切れた……?」
偶然だった。狙ってやったわけではない。そもそも、この術式自体が意図して作ったものではない。それでも、結果は出た。
エインは核から目を離さなかった。反転術式は核そのものの性質を変える。だから外側から順番に働きを失わせることができる。しかし中心部は、魔力を供給する経路が残っているため活動を続ける。
一方、今の術式は核を破壊しなかった。その内部を流れる魔力の経路だけを断った。だから、その先へ魔力が流れなくなった。
「……だったら」
エインは核を見つめた。核を壊す必要はない。中心部を消す必要もない。魔力が流れなければ、活動できない。活動できなければ、ダンジョンへ魔力を送り出すこともできない。
「……無力化できる」
しかし、その言葉を口にした直後、エインは首を振った。今の結果は偶然だ。術式そのものも意図して作ったものではない。反転術式を作ろうとしていたのに、反転にはならない。代わりに、遥かに強力な術式が生まれる。そして今回は、それが偶然核に触れた。偶然、回路が切れた。
「これじゃ駄目だ」
結果だけなら十分だった。けれど、再現できない。それでは、核を無力化したことにはならない。
エインは少し離れた場所へ移動し、小さな石を拾った。同じ術式を再現する。魔力を集め、流れを作り、反転させようとする。その瞬間、魔力が膨らんだ。エインは術式を放つ。石が消えた。
「……違う」
今度は魔力の量を減らす。石が砕けた。さらに減らす。今度は表面だけが削れた。流す速度を変える。術式が発生する位置を変える。変質させるタイミングを変える。
エインは一つずつ条件を変えていった。魔力の量、流す速度、変質のタイミング、術式の持続時間、対象との距離、接触の角度。試して、記録する。記録して、また試す。何度繰り返しても、核に触れたときと同じ結果にはならない。
エインは紙へ結果を書き込みながら、最初から考え直した。反転術式を作るために行った工程。魔力を集める。流れを整える。性質を変える。変化を維持する。その途中で、何かが起きている。けれど、何が起きているのか分からない。
それでも手を止めることはなかった。失敗したということは、まだ条件が合っていないということだ。ならば次は、その条件を変えればいい。
エインは再び魔力を集めた。術式を発生させる直前で止める。何も起きない。もう一度、今度は少しだけ流す。魔力が揺れ、術式が生まれる。強すぎる。エインはすぐに止めた。
そのとき、ふと核へ目を向ける。
中心部の回路。先ほど切れた一本が、まだ切れたままになっている。
エインは核へ近づいた。切れた場所の前後では、魔力の流れが明確に違っている。こちら側には流れている。向こう側には流れていない。それでも核は壊れていない。
エインはしばらく黙っていた。
核そのものを破壊する必要はない。
内部の流れを止めればいい。
ならば、回路を断つ。
そのためには、核を壊すほどの力ではなく、魔力の流れそのものへ干渉する必要があるのかもしれない。
「……構造」
核は、魔力の流れによって動いている。ならば、術式が干渉しているのは物質ではない。魔力の流れ、そのものなのかもしれない。
エインは新しい紙を一枚取り出した。そこに核の構造を描いていく。外から入る魔力、中心へ向かう流れ、分岐、合流、外へ向かう流れ。そして、先ほど切れた場所。線を一本ずつ追う。
もし、すべての回路を断つことができれば。
核は残る。
けれど、魔力を流せなくなる。
そうなれば、機能は止まる。
エインはそこで筆を止めた。
すぐに実行しようとは思わなかった。
一つの回路を断つことで、核にどんな変化が起きるのか。別の回路へ負荷が移るのか。切れた回路は時間とともに繋がるのか。すべての回路を断った場合、何が起きるのか。そして何より、なぜ自分の術式は反転術式にならないのか。
ノエンなら、同じ手順で綺麗な反転術式を使える。
なのに自分がやると、反転にはならず、別の、遥かに強力なものになってしまう。
その理由は、まだ何一つ分かっていない。
だから、まだ答えではない。
けれど、ほんの一部とはいえ、確かに流れを断つことはできた。
壊す必要はないかもしれない。
消す必要もない。
ただ、流れを止めればいい。
それなら、この現象を理解できれば、核を無力化できる可能性がある。
エインは紙の端に、新しい言葉を書いた。
――魔力回路。
その下へ、いくつもの条件を書き加えていく。
どの条件で術式が変化するのか。どの条件で魔力の流れへ干渉するのか。どこまでなら制御できるのか。そして、どうすれば同じ結果を意図して起こせるのか。
偶然だったものを、偶然のままにしない。
それが今のエインにとって、一番重要なことだった。
反転術式を習得するために始めた研究だった。それがいつの間にか、別のものへ変わっている。それでもエインは、それを問題だとは思わなかった。目の前に新しい疑問が生まれたのなら、それを調べればいい。
エインは再び魔力を集めた。
今度は壊すためではない。
切るためでもない。
まずは、何が起きているのかを知るために。
地下の静けさの中で、小さな光が生まれる。
エインはその光を見つめながら、最初の条件を書き留めた。




