ココア
「依頼か?」
男はハッとして振り返る。外は夕日が沈み切り、その残り陽だけが地上を照らしている。今この部屋の明かりを担っているのは照明だけである。
「まあ、ちょっと…闇金に…手を染めてしまってな。」
「?」
「…つまりなんだ?闇金に手を染めて結局返済できなくて借金取りのお世話になりそうだから助けて欲しいと?」
「そうことになる。助けて欲しいんだ。」
「自業自得だろ。」
「そこをどうにかしてくれないか?」
「そもそも借金も返済できない奴が俺に金払えるのかよ。」
「…それはどうにかする。」
「…。」
ベルは顔をしかめる。
「"どうにかする"ってなんだよ。」
「稼ぎ口を見つけたんだ。だが今のままでは返済する前に借金取りに殺されちまう。だからあんたに時間を稼いでもらいたいんだ。」
「…ちなみに借りた相手は?」
「フロストバイト。」
「…。」
ベルは天を仰ぐ。クイン・ガルシア。その名前を再び聞くことになった。
「勘弁してくれ。」
「なあ頼む!あんた見るからに強いだろ?頼むこの通りだ!」
男は両膝に手をついて深々と頭を下げる。
「…時間を稼いでやれば、金も返すし俺に金も払ってくれるんだな?」
「約束する。」
「…話付ける程度ならやってやる。」
「よっしゃあ!マジで助かるよ!」
「名前を教えろ。」
「スティーブン・ジョーダンだ。」
「連絡先もな。どうにかできそうだったら教える。」
「わかった。あんた以外に従業員はいないのか?」
「いない。今日は帰れ。明日動く。」
スティーブンは満足したように外の暗闇の中へ消えていく。ココアはすぐ隣で寝ていたが、特にピクつくこともなく熟睡していた。
「今日はお前の活躍日だ。自宅警備員として尽力するように。」
ベルはココアに言う。つまり留守番である。ココアは短い手で敬礼する。
「猫缶やら果物やら色々買って置いてる。好きに食いな。…ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てろよ?」
「ニャ!」
ココアは返事をする。大丈夫そうである。
「じゃあ俺は裏社会のボスと話付けてくるから。」
ココアは手を振って見送ってくれた。ベルはスティーブンから教えてもらった場所に向かう。そこに金を借りた事務所があるらしい。早速向かうと、フロストバイト御用達の黒服を着た男が立っていた。
「ベル様。ご無沙汰しております。」
ベルの名はフロストバイト全域に広まっているようだ。初期とは対応が大違いである。
「たかが数日前だろ。クインはいるか?」
「はい。しかし今は外出なさって不在です。良ければ電話番号をお教えしましょうか?」
「はーい。もしもしー?」
「クイン。ベルだ。話があるんだが。」
「おー!ベル君か。久しぶりだね。今ブレッド君とお出かけ中なんだけど。」
「え、その電話ベルなのか?おーい!ベル!聞こえるかぁ?!」
少し離れてブレッドの声がする。
「あー。デート中だったな。悪い。」
「ははは!デートじゃないよ。僕とブレッド君付き合ってないし。」
「ベルも一緒に来るか?今からカラオケ行くんだけど。」
「カラオケには行かないがそっちには行く。場所を教えてくれ。」
「…誰?」
行き着いた先にいたのは、かつてルオレイと抗争した時の面影が全くないクインだった。美と魅を追求した男とも女とも取れないファッション。モテると言われたのも納得が行く。
「僕だよ。クインだよ。」
「あれ?ベル、クイン見るの初めてだったか?前会っただろ。」
「あの時は仕事服…。」
クインは何の仕事をしているのかブレッドに教えていない。黒服と言うのは明らかにタブーだ。”言うなよ?”とクインが表情で訴える。
「…マスクしてたからわからなかった。」
「え?クインお前この前体調崩してたのか?」
「んえ?…あっ、うんうん。風邪引いててマスクしてたんだよね。」
「へー。」
何とかこの場は凌ぐ。どうにかしてクインに依頼の件を伝えなければならない。
「ちょっと俺トイレ行ってくるわ。」
ブレッドはすぐ近くの公園のトイレに入って行く。ベルはアスファルトの隙間から5mmほどの欠片を拾ってトイレからの反響音を聞いた。
「…左から2番目か。」
ベルは親指で欠片を弾く。弾かれた欠片はトイレの中を跳ね返り、ブレットが入った個室のスライド錠のレールに詰まる。
「クイン、例の話だが。」
「何?」
「まず俺は何でも屋を始めたんだ。」
「ほう?」
「それで昨日客が来た。」
「うん。」
「そいつの困りごとはまさに、お前に借りた金を期限内に返せそうにないことだった。稼ぎ口は見つかってるらしくて、期限を延長してくれたら金は返せて俺にも依頼料を払えると。」
「それ嘘だよ。」
「まあ確かにちょっと怪しいとは思ったが、そんな断定できるものか?」
「長年の勘だよ。その人の名前は?」
「スティーブン・ジョーダン。」
「そんな名前の人に金貸してないよ。」
「…ちょっと電話かけてみる。」
「…あれ?ちょっと!誰かー!!閉じ込められたー!!」
トイレからブレッドの叫び声が聞こえる。
電話を掛けた先からは”この電話番号は、現在使われておりません”の音声だけが流れる。
「ほらね?」
「俺がバカだったな。じゃあ話はなしでいい。予定通り取り立ててやってくれ。そいつの名前はわかるか?」
「期限が近い人がいっぱいいるからどの人なのかわからないな。」
「わかった。用はもうない。」
「もう帰るの?カラオケ行かない?僕歌上手いよ?」
「遠慮しておく。店に留守番をさせてる猫がいるんだ。」
「どんな子?写真ある?」
「悪いが写真はない。短足のデブい三毛猫を想像してみろ。」
「…かわいいね。」
「ベルーー!!!閉じ込められたーーー!!助けてーー!!」
「…とりあえずブレッド君を助けてあげて。」
「言われずとも…。ブレッド!ドアロックの隙間に小石が挟まってるぞ!!」
「小石?!うおーー!!開いたーー!!」
ブレッドが急いでトイレから出てくる。
「いやー、マジ助かった!てか何で小石が挟まってるのわかったん…」
「じゃあブレッド、俺はもう帰るから、カラオケ楽しんどけよ。」
「え…お、おう。」
走り回れるほどの薄暗く広い部屋、手に余るほどの果物、気持ちの良いソファ。幸福に囲まれてココアは自宅警備に勤しんでいた。これさえあれば主人は不要だと実感する。これが猫の裏切りの第一段階である。ソファの上でラッコのようにイチゴを抱えていた。このでかい腹は机にもなる。猫がこれほど果物を食べるのは体に良くないことではあるが、ベルが創った猫だ。おそらく大丈夫だろう。そんなことをしている内に玄関の鍵が音を発する。ベルかもしれないとソファから顔を覗かせるが、しかし様子がおかしい。どう見てもピッキングしている。ドアが開いて入って来たのは、スティーブン・ジョーダンと名乗った男だった。ココアは寝ていたのでこの男を知らない。
「”明日動く”。それってつまりは明日は留守になるということだよな。あいつしかこの店をやっていないなら今は誰もいないはず。今のうちに金目になりそうなものを…。」
男は歩み入る。そしてココアと目が合った。
「あっ、そうか。猫がいたな。留守番か?俺の邪魔はするなよ?」
ココアは疑わしい目で見る。これは明らかな空き巣である。とりあえずイチゴは完食する。ココアは男の後ろを付いて行くことにした。ベルは物欲がない。この店には金目のものなどほとんどない。
「…何だこの家。何もねえじゃねえか。おいお前のご主人何も持ってないぞ。」
そんなことをこのデブ猫に言っても仕方がない。
1階はもちろん2階を調べても特に目に留まるものはなかった。
「しけてんなぁ。漁り損だわ、全く。」
男はがっかりした様子で冷蔵庫に入っていたリンゴをかじる。
「ニャアアアアア!!!!」
ココアが足にしがみ付いて来た。
「うわぁ!!何だ急に!!」
男は足を振るがココアは離れようとしない。ココアはベルの備品が盗まれようがどうでも良いと思っていたが、自分の大切なご飯が食われるとなると話は別である。
「ちょっとぐらい別にいいだろ!!お前が食うには多すぎるわ!!こんなのばっか食ってたら体壊すぞ!」
「ニャアアアアアアアア!!!」
ココアは男の体をよじ登って顔に張り付く。男は全力を振り絞って何とかココアを引き剝がす。
「窒息するわ!!俺を殺す気か!」
ココアは再び飛び掛かろうとした。男は徐に懐から拳銃を取り出してココアに向かって発砲する。銃口から発射された銃弾は見事にココアの頭部へ命中し、ココアは倒れて地面に血液が広がる。
「何もねえ家、しつこいデブ猫。今日は散々だな。銃声を聞いた奴らが来る前にずらからないと…。…ん?」
玄関に向かった男は異変に気付いて振り返る。あのデブ猫の死体が徐々にシルエットのように真っ黒に染まって行く。
「じいちゃん。ココアは死んじゃったの?何かかわいそう。」
「ベルがただの猫を作るわけないだろ?ベルはココアを作るときに脳を二つ作ったんだ。1つは”ココア”としての脳。もう1つは…」
もう1つの脳はココアと五感を共有している、自衛のための脳である。ココアが死亡した今、その脳はココアの代わりに体を動かし始める。脳が二つあれば、どちらかの脳が破壊されたとしても、もう片方が再生させることができる。もう1つの脳を”シャドウ”とベルは呼ぶ。シャドウの能力発動の印、それは、シャドウが相手を脅威と認めることである。
男は恐怖で硬直する。さっき殺したはずの猫が真っ黒になって地面に溶けたのだ。撃ち込んだ銃弾だけがポトリと落ちる。
「…殺したはずだろ?」
溶けて黒くなった地面がフロア全体を包む。光を一切反射せず、部屋の凹凸が全くわからなくなった。
「おい!何だよ!」
象徴”影”。男は拳銃を四方八方に撃つが、全く効果がない。影は2次元である。具体的な物理では傷1つ負わせることはできない。影が男の足から広がり始める。
「クソッ!!」
もちろん振り払うことはできず、ついには体全体が影に染まる。
「おい!誰かああ!!」
男は影の中に押し込まれて行き、完全に影に取り込まれる。残ったのはかじられたリンゴ1つ。
脳は3次元が故に現在のように機能している。3次元の物体が2次元空間に無理やり入れられると、機能の効率性が大幅に低下する。つまり影に取り込まれた瞬間に、生物は情報処理不足のショックで脳が破損し、即死する。
「ただいま…あれ?開いてるな。鍵かけ忘れたか?」
ベルが家に着いた時、ココアはソファでリンゴを食べていた。
「ちゃんと自宅警備してたか?」
ココアは頷く。ベルは部屋を見渡す。
「ん?」
壁に近付くと、そこには銃弾が食い込んでいた。
「…お前銃持ってる?」
ココアは首を横に振る。
「腹に入れてる物出してみろ。」
ココアはリンゴを飲み込んで、言われた通り腹を探る。果物、果物、果物。
「確かに銃は持ってなさそうだな。じゃああれ何だ?てかちゃんと猫缶も食えよ。果物だけじゃ取れない栄養もあるんだぞ。」
「ニャ!」
返事はしているが、本当に承知しているのだろうか。
ベルは家の弾痕をすべて修復する。
「…家に気配はないな。この銃弾の持ち主はどっか行ったか、”シャドウ”が殺したか。」
シャドウがココアの五感を共有しているように、ココアもシャドウの五感を共有している。ココアはシャドウがあの男を殺したことを理解していた。
「遊び行きたいならどっか行ってもいいぞ。俺はこのまま客来るまでこの店に残るし。」
それを聞いたココアは寝返りを打ち、ソファから飛び降りてドアに向かった。暇だったらしい。
「これで好きな物買いな。」
ココアはベルから金を受け取って腹に収め、短い足で跳んでドアノブに掴まる。ココアの重力でドアノブは下がり扉が開く。かなり手慣れている。ココアは意気揚々と外に出て行った。二足歩行で跳ねるように。
ココアは最初から家猫だったため、他の猫と意思疎通を取ったことがない。ココアは猫たちと仲良くするため、猫の集会への差し入れを持って行くことにした。猫には基本食べ物である。ココアは商店街を歩いて良さげな屋台を探す。周囲の人々は、二足歩行で跳ねるように移動するデブ猫を不思議がるが、ココアは気にしなかった。
「…ん?猫?うわっ、デブ。」
ココアは焼き鳥屋に目を付けた。言葉は喋れないのでジェスチャーで注文する。
「…鶏?…胸…3本…味付けなし。…何だこの猫。怖っ。…金はあるのか?」
ココアは腹から紙幣を取り出す。
「…あいよ。」
店主は注文通り鶏胸を3本焼き、味付けなしで小さな袋に入れてココアに渡す。
「はいどうぞ。お釣りも。」
ココアは焼き鳥とお釣りを受け取ると、ぴょんぴょんと去って行った。
「俺にも豚バラと鶏皮を2本ずつ。」
それを見た人々は次々と焼き鳥屋に並び始めた。ココアは招き猫だった。
路地裏に向かう。猫は猫舌なので、ココアは買った焼き鳥を振り回して冷ます。
猫の集会を見つけた。ココアは猫たちに近付く。猫たちは見知らぬ侵入者に警戒を示すが、焼き鳥を見て目を丸くする。欲しくても食えなかった物。猫たちはココアから差し入れの焼き鳥を美味しそうに食べると、ココアを早速集会の一員として認めた。ココアの計画通りである。
突如、猫たちに緊張が走り、道を開け始めた。ボス猫が来たのだ。他の猫より一回り大きく、強面。しかしココアの腹の方がでかかった。ボス猫に挨拶しようとココアは近付くが、向かうからすると巨体が迫って来ていた。ボス猫は驚きと恐怖のあまりあっさり降参のポーズを取って仰向けになり、周囲の猫たちはココアに注目する。ココアの計画倒れである。ココアは、集会初日でこの地域の猫たちのボスとなった。
「おかえり。」
「ニャ!」
「…お前焼き鳥食った?」
ココアは首を縦に振る。実際は一度も口にしていないが、今日のことをベルに説明するのが面倒に感じた。
「お釣りはお前にやっとく。いちいち出かけるたびに金渡されるのも面倒だろ。」
ココアはウキウキで2階に上がって行く。そんな焼き鳥が美味かったのかとベルは不思議に思う。
「…人質の護衛?」
数日後、しばらく音沙汰なかったDivine Bellに客が来た。相手は裏社会の人間らしき男だった。服装は普通だが、目つきがいかにもだ。
「ああ。身代金目的で金持ちのガキをさらう予定だ。向こうもおそらく裏でガキを奪還しようと動いて来る。お前にはそれを阻止してもらいたい。”何でも屋”だろ?俺らの人質を取られないよう守ってくれ。」
「別にいいぞ。期間は?」
「身代金を得られるまで。」
「じゃあ一日ごとに金を貰う。」
「それで構わん。」
ベルはあくまでも仕事として何でも屋を営んでいる。客がどんな人間かなど問わない。金を払うなら何とやら。
「肝心の人質はいつ貰えばいい?」
「さらったらすぐ渡す。それまでに予定の調整をしろ。途中に別用で抜けられても困るからな。」
「んなことしねえよ。ここそんな繁盛してねえわ。てか何で俺のところに来たんだよ。人質を守れるほど強いかどうかわからねえだろ?」
「クイン・ガルシアの紹介だ。」
「そういや、あいつに言ったっけな。じゃあお前はフロストバイトの一員か?」
「違う。あそことは管轄が違うもんで、争う理由がないだけだ。お前もあの女を知ってるならわかるはずだ。あいつとは仲良くした方がいい。そうだろ?」
「まあ、間違いとは言えないな。何でここがわかった?」
「リベラ国で何でも屋をやってるとこなんてここしかねえよ。もういいな?俺らとあまり関わりたくないならそれ以上の詮索は止めろ。」
「はいはい。」
「このスマホを持っておけ。合流場所の確認と連絡用だ。いつでも合流場所にすぐに駆け付けられるようにしろ。じゃあな。」
男の背中が扉の窓越しに見える。
人質の護衛。人助けとは言え、犯罪者側に就くのは初めてのことだった。
「”さらう”、ね。」
フロストバイトの借金取りに奪われた妹のことが頭をよぎる。別にあの惨劇を忘れたわけではない。そして家族を棄てた実姉のことも。
「…クソ姉貴…。」




