ノイスバイン帝国7
食堂にあるテーブルの上座にオヴェールが座ると、その左右にヴェルニューとセルゲイが座った。ホフマンはヴェルニューの後ろに立ち、同行した他のものはテーブルの前に整列している。
みな一様にこれからどうするのかと皇帝の言葉を待っていた。オヴェールは不安げに顔を顰める騎士たちを見渡し小さく溜息を漏らす。如何に皇帝といえど先のことなど分からない。オヴェールも不安なのだが愚痴を零すわけにもいかず一人今後のことを悩んでいた。
「よく集まってくれた。まずはこちらの人的被害だが……ヴェルニュー侯どの程度か分かるか?」
「私が見た限りでは死んだものは一人もおりませんでした。部下の報告でも死者は確認されておりません。信じられないことですが……」
「死人がいないだと?あれほどの距離を流されながら有り得ないのではないか?誰か死人を見たものはいないのか?」
オヴェールは訝しげに騎士たちに尋ねるも首を横に振るばかりだ。騎士たちとて何故自分が生きているのか分からない。気が付いた時には地面に倒れていたのだから。だが、誰もが死人を見ることはなかった。倒れている兵士に駆け寄れば、気絶しているだけで息はあるのだ。あの時は奇跡だと思っていたが、今思えば違和感が有る。普通に考えれば17万もの人間が流されて、一人も死者が出ないのは異常なことだ。
「陛下、確かに死んだものは確認されませんでしたが……」
ヴェルニューは言葉を詰まらせる。脱走した兵士が多数いることを話してもいいのだろうかと。だが何れ伝えなくてはならないこと、先延ばしにしても何も変わることはない。兵士の士気も下がっている状態で戦うことが出来るだろうか。戸惑いながらもヴェルニューは言葉を続けた。
「……脱走する民兵が多数出ております。如何いたしましょうか?」
その言葉に多くのものが顔を顰める。だが、誰も責めることはできない。専門職の騎士と違い、無理やり徴兵された民兵は戦闘経験のないものばかり、天を覆うような魔法を見せられては逃げ出すのも仕方のないことだった。
「あの様な魔法を見せられては仕方ないだろう。脱走の件は不問とする」
「よろしいのですか陛下?」
「我が軍はもう戦うことはできまい。もし、戦ったとしても、天を覆うような魔法を相手に勝てる見込みはない。兵士たちが無事ならそれでよい」
「ですが、その魔法もドレイク王国ではなく、恐らく国境に現れたものたちの仕業。まだ、ドレイク王国の援軍と決まったわけでは……」
「そうかもしれん。しかし、例えドレイク王国の援軍でないにしても、このまま明日の戦争となれば我が軍は負けるだろう。兵士は逃げ出し、士気も低下している。もうどうにもならん。これ以上被害は出したくない」
オヴェールは悲痛に顔を歪ませ心の内を打ち明ける。
それはつまりドレイク王国に負けを認めること。戦わずして負けるとは思ってもいなかったのだろう。みな俯き部屋の空気が重くなる。
だが、戦っても今の状態ではドレイク王国に勝つのは難しいかも知れない。特に魔法に詳しい魔術師たちは、あの魔法を見て怯えてしまっていた。一般の魔術師の中には民兵に紛れて逃げ出したものもいる。
そのことを知っているからこそ、誰も意を唱えることができなかった。
「陛下、ドレイク王国への対応はどうするおつもりですか?」
「先ずは使者を送り負けを認める。その後でどのような要求をされるかは検討もつかん……」
みな一様に静まり返る。今後、この国はどうなるのだろうか。最悪、国そのものがドレイク王国に併合されるのではないか。少なくとも皇帝は処刑という形で責任を取らされるだろう。それを思うと騎士たちの目に涙が溢れてきた。
食堂が静寂に包まれ、時折啜り泣く声だけが聞こえる。
しかし、その静寂を打ち消すかのように宿の外から喧騒が聞こえてきた。馬の嘶く声や大勢の足音。
宿の入口に視線を向けると大勢の男たちがなだれ込んできた。
それは国境に向かっていたライセルとゼファイン、そして、同行していた護衛たちである。
真っ直ぐ街まできたのだろう。衣服や鎧は軽く泥を払った程度で酷く汚れていた。
「ライセル侯にゼファイン侯、無事だったか」
「陛下もご無事で何よりです。至急知らせたいことがございます」
そう言うなりライセルとゼファインは空いている椅子に腰を落とした。
「国境で何を見たのだ?あの竜はやはり敵なのか?」
「いえ、それが……国境にいた人物の話は信じられないことばかりで……我々を騙すための時間稼ぎと思われるのですが……」
歯切れの悪いライセルの言葉に何事かと固唾を呑む。普段は豪快で何でも言い切ってしまうライセルらしくない。余程、想定外のことでも起きたのかと、誰もが耳を傾けた。
「ライセル侯、何があったのか順番に話してもらえるか」
ライセルは息を整えると順を追って話し始めた。
国境にいた人物の名前と容姿。その人物がこの戦争を止めて欲しいと言っていたこと。その見返りに食料支援を行うことを。
「食料支援をしてくれるというのか?」
「それが信じられないのです。食料を何処で手に入れたか聞いたのですが、死の大地で量産していると言ったのです。そんな馬鹿な話が信じらますか?」
それを聞いてざわめきが起こる。死の大地は不毛の地、植物が育つはずがない。毎年定期的に死の大地を遠くから観察しているが、植物を見たなど一度も報告されたことがないのだ。
「死の大地でだと?」
「そうです。しかも、死の大地に国を作るから認めろと言うのです。もし、本当なら頭がどうかしている。狂人の戯言としか思えません」
「それで……どうしたのだ?」
「一週間まてば食糧支援を行うと言っていたので、ドレイク軍の時間稼ぎだろうと思い攻撃を仕掛けたのですが……」
「やれやれ、それで失敗したわけか」
今まで静かに話を聞いていたセルゲイが口を挟む。その表情は浅はかな行動を取ったものだと呆れ果てていた。もっと話を詳しく聞いていればこんなことにはならないものをと。
「だまれ!竜を操るものを殺してしまえば戦争は有利になるはずだったのだ!抑、貴様ら宮廷魔術師が不甲斐ないせいではないか!」
ライセルは竜がいることから相手に近づくことは出来なかった。当然、騎士の剣は届くはずもない。そのため騎士にはライセルの護衛を任せて魔術師で攻撃させたのだが、それが全く効かなかったのだ。
ライセルから見れば宮廷魔術師が不甲斐なく見えたのだろう。
「なるほど、その言いようだと相手に魔法を放ったわけか。お前たち使った魔法はなんだ?」
セルゲイはライセルに同行してきた魔術師に視線を向け訪ねた。ライセルに馬鹿にされたことが悔しいのだろう。魔術師たちは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「標的三人を巻き込むように、[雷撃]を5発同時に放ちました。……ですが相手はかすり傷一つ負わなかったのです。魔法は確かに三人に命中したはずなのに……」
「第5等級魔法で無傷か、やはり……」
「なにがやはりだ!貴様はあれを知っているのか!」
ライセルが怒鳴り散らす。だが、それを気にすることなくセルゲイはじっと何かを考えている。無視されていると思ったのだろう、ライセルが剣の柄に手を伸ばした。
「ライセル侯、落ち着かないか」
「しかし陛下!此奴は私を侮辱したのですぞ!」
「今は身内で言い争っている時ではない」
「ぐっ………畏まりました」
「セルゲイ、お前は何か知っているのだろう?」
「陛下、相手が使った魔法は恐らく神核魔法でしょう。ですが腑に落ちないこともあります。もし神核魔法なら我々は何故生きているのか……」
「神核魔法?前にも呟いていたな、それは一体なんなのだ?」
「神々の操る魔法、本来なら我々は全員死んでいるはず。恐らく誰も殺さぬように手加減されたのでしょう」
それを聞いてライセルに同行していた魔術師があの言葉を思い出す。
「セルゲイ様、相手の魔術師は魔法を使う前に言っていました。本来は水刃でバラバラにすると、今は殺せないから押し流すだけだと」
「使った魔法は覚えているか?」
「確か[津波]と」
「水刃を纏う津波、文献に載っていた通り……間違いない魔法を使ったのは海神リヴァイアサンだ」
「なにが海神だ!馬鹿馬鹿しい!我々は神を相手にしていたとでもいうのか!」
ライセルの言葉は尤もだろう。神を相手にしているなど誰も信じられなかった。抑、神など見たこともない。実際にいるかも疑わしい存在だ。
誰もが怪訝そうに顔を顰める。同じ宮廷魔術師でさえも訝しげにセルゲイを見つめていた。
「セルゲイの言いたいことは分かった。最悪、相手の一人は神ということか」
「陛下!この老いぼれの言葉を信じるのですか!」
「そうは言っていないライセル侯。相手を神と仮定すれば、これ以上悪くなりようがあるまい」
「確かにそうですが……」
話を聞いていたゼファインも皇帝の言葉に頷いていた。
相手が神かどうかに関わらず我々では勝ち目がないのだからと。
問題は交渉を上手く進められるかどうか、もしライセルの取った行動で相手を怒らせていたら……
敵対されたら為す術がない。今までの話を聞く限り、相手は魔法一つでこちらを皆殺しに出来るのだから。
そして気になることがもう一つ、それは何処かで見覚えのある冒険者風の少女。
皇帝も一度はあっているはず、本人かは分からないが万が一がある。言わない訳にはいかなかった。
「陛下、気になる人物がもう一人おります。私は遠くから観察していたので顔をはっきり見たわけではありませんが……」
「誰がいたというのだ?」
「SSSランクの冒険者、不滅のジャンヌです。40年程前に一度我が国を訪れております。その時に陛下もお会いになられたはずです」
「馬鹿な……何故、ジャンヌ殿が……」
「遠くから見ただけですので確証はありません。ですが風貌が似ておりました」
その言葉にみな顔面蒼白になる。不滅のジャンヌは千年生きているとも噂される最強の冒険者。その功績は目覚しい一方、ジャンヌの怒りに触れ滅ぼされた国もある。冒険者からは神のように崇められ、国からは国崩しと呼ばれ恐れられていた。
そのためジャンヌが赴いた国は、怒りを買わないようにと常に国賓待遇で持て成すのが当然のようになっていた。
そんなジャンヌの相手をするなど正気の沙汰ではない。
「つまり、あれか我々はジャンヌ殿の怒りを買ったかも知れぬということか?」
「魔法を打ち込んだのです。怒らない方がおかしいでしょう」
オヴェールは溜息を漏らす。これ以上悪くなるはずがない状況が更に悪くなる。それはまるで悪夢のようにオヴェールを苦しめた。




