ノイスバイン帝国3
「ドレイク軍がこれから集結するかもしれん。その時の戦略も練る必要が……」
何だあれは!馬鹿な!何故こんなところに!信じられん!本物なのか!?
これから再び戦略を話し合おうというとき、天幕の外が騒がしくなる。
兵士たちが喚き何かに驚いているようだ。
何があったというのだ?オヴェールは渋い顔で天幕の人口に視線を向けると、一人の兵士が転がり込んできた。全身鎧に身を包んだ近衛騎士団の団長ホフマンである。
普段は冷静沈着な男でオヴェールや部下からの信頼も厚い。感情を表に出すことの少ない彼が、今は酷く狼狽している。
余程急いで駆けつけたのだろう、息も絶え絶えにホフマンは声を上げた。
「へ、陛下!竜です!竜が現れました!」
竜?何を言っているんだ。何かの冗談か?天幕の中ではみな訝しげな表情を浮かべる。
竜などこの辺りにいるはずがない。誰もがそう思っていた。
「何を言っているのだ?見間違いではないのか?」
オヴェールの言葉に誰もが頷く。ホフマンも遠くから見ただけであったが、あの巨体を見間違えるはずなどなかった。何よりも目撃者はホフマンだけではなく大勢いたのだ。その全員が見間違えなど、ありえないことだ。
「見間違えなどではございません!大勢のものが国境の丘に降り立つ竜を目撃しております」
もしや……互に視線を交わし最悪の状況を思い浮かべる。
「ドレイク王国は竜を戦場に持ち込んだのか?」
竜はこの世界では最強の存在、そんなものを投入されては勝ち目などないではないか……
オヴェールは俯き唇を噛み締める。ドレイク王国は竜を神と崇め信仰する国。だが、まさか竜を戦場に持ち込むなど考えてもいなかった。
抑どのようにして竜を従えているのだ?まさか力ずくで?いや、有り得ない。いかに身体能力の高い竜人でも、竜を殺さずに力ずくで従わせるなど無理に決まっている。
では何らかの交渉をしたのか?ふと、そんな考えが脳裏を過ぎる。
「ドレイク王国は竜と何らかの取り引きをしたのか?竜人は竜と会話ができるのか?」
問いかけるも返事は返ってこない。竜と取り引きなど聞いたこともない話だ。それに、いかに竜人であろうとも、竜の言葉を理解できるとは思えなかったのだ。
「陛下、ドレイク王国が竜と何らかの取り引きをしたのかは分かりかねます。しかし、上位の竜は高い知能を持ち、言葉を話すと聞いたことがございます」
「それは本当かゼファイン侯」
「遥か昔に聞いた話ですので確証はありませんが……」
その言葉で交渉が成された現実味が帯びる。
「ホフマン、他に情報はないのか?」
「私はこれ以上のことは何も……しかし、もう暫くすれば国境を監視する偵察部隊が情報を持ってくるでしょう」
「それまで待つか。いや、近くまで行って確認できないか?」
「陛下自らがですか?危険です!万が一のことがあってはどうするおつもりですか」
「ホフマンの言う通りです。ご自重ください」
ホフマンの言葉にヴェルニューも追従する。竜が従順に従うとは思えない。危険な場所に皇帝を向かわせるなど有り得ない事だった。
それは、ライセル、ゼファインも同じこと。陛下が行くくらいなら自分がと名乗りを上げる。
「確認なら私が行きます。陛下はここでどっしり構えていればよいのです」
「ライセル侯だけでは心もとない。私も付いて行きましょう」
オヴェールは自らの目で確認したかったが、こうも止められてはどうしようもなかった。しかも、代わりに確かめるというものまで現れては、これ以上我が儘を言うわけにもいかない。
「ではライセル侯、ゼファイン侯、頼まれてくれるか?」
「お任せ下さい陛下」
「私の知恵も少しは役に立つでしょう」
「そうか、では近衛騎士団から精鋭100人、宮廷魔術師から10人を選び護衛に付けよ。くれぐれも気をつけてくれ」
二人は黙って頷くと椅子から立ち上がる。オヴェールに対し深く一礼すると天幕を出ていった。
今度は竜をどうにかしなければならない。対、竜用の戦略を立てる必要がる。
「ホフマンお前も席に着け。聞きたいこともある」
「はっ!では失礼いたします」
「陛下、如何いたしましょう。まさか竜とは……」
ヴェルニューの言葉に何も返せない。竜など想定外、戦ったことすらない相手だ。街へ戻れば、もしかしたら竜と戦った冒険者がいるかもしれない。しかし、冒険者がいるような大きな街に戻る時間はもうなかった。
「ホフマン、近衛騎士団で竜は殺せるか?」
「陛下、一括りに竜といえど種類も強さも様々です。答えようがございません」
「では、どの程度の竜なら殺せる?」
「近衛騎士団であれば下位竜なら恐らくは……幸い近衛騎士団の装備する剣はミスリル製です。ドラゴンの鱗すら容易く切り裂くでしょう。ただ、空中から息で一方的に攻撃されますと、こちらは手も足も出ません」
魔法で地上に落とす必要があるか。
それにしても下位竜を殺すのがやっとか、現れた竜は上位竜の可能性もあるというのに困ったものだ……
オヴェールは暫し考えると声を張り上げる。
「誰か!セルゲイを呼んで来い!」
天幕の外で従者が駆け出す足音が聞こえてくる、暫くすると一人の老人が入ってきた。
老人の手には奇怪な形の杖が握られ、全ての指には魔道具と思しき指輪が嵌められている。髭が綺麗に剃られた顔には樹木が年輪を刻むように、幾つもの皺が刻まれていた。真っ白な眉が長く伸びるその下には、未だ衰えを知らない鋭い眼光が光っている。
老人の名はセルゲイ・ハワード。多くの宮廷魔術師を束ねる長であり、数多の知識を秘めた賢者と呼ばれる存在。
その年齢は90を超えるが、魔法はいまだ衰えを知らない。ノイスバイン帝国にその人ありと言われた人物である。
「陛下、この老い耄れめに何かごようですかな?」
「先ずは座ってくれ。お前なら何故呼ばれたのか聞くまでもないだろ?」
「やれやれ、竜のことですな?」
椅子に座ると当然のように竜のことを口にする。先程の竜騒ぎ、その直後に呼ばれれば誰だって見当はつく。
「単刀直入に聞こう。お前の使える魔法で、どの程度の竜が殺せる?」
「陛下、竜は魔法に対する耐性が高いのはご存知ですか?」
「いや初耳だ。そうなのか?」
他の二人に視線を向けても首を横に振る。セルゲイは溜息を漏らした。
この程度の知識もないとは、いや仕方ないのか。竜に遭遇することなど滅多にないこと。
「竜は魔法に対して高い耐性があるのです。私一人では下位竜であっても魔法で殺すことは容易ではありません」
「つまり、人数さえ揃えれば可能ということか?」
「第5等級の攻撃魔法を使えるものが20人もいれば足りるかと」
それを聞き誰もが表情を緩めた。ここには第5等級を使える宮廷魔術師が全て集まっている。護衛に付けた宮廷魔術師を含めると、その数は25人にも及ぶ。
「では竜が上位竜であった場合は殺せるか?」
セルゲイは首を横に振る。
「無理ですな。勝ち目などありませぬ」
「なっ!?どうあっても勝てないというのか?」
「セルゲイ殿!それを何とかするのが宮廷魔術師たる貴方の役目ではないか!」
ヴェルニューが叫ぶと同時に天幕に皇帝付きの従者が入ってきた。
「陛下、偵察部隊からの報告がございます。お通ししてもよろしいですか?」
「直ぐに通せ」
やっときたか。誰もが竜の情報を待ちわびていた。セルゲイの言葉を信じれば、最悪戦わずして負けることも有り得るのだ。
自ずと天幕の入口に視線が集中する。
天幕に入った偵察部隊の男は向けられる視線と異様な雰囲気に固唾を呑む。緊張した足取りで皇帝の前で跪くと見てきた全てをありのままに話した。
「丘に降り立った竜は体長40m程、体高20mはあるかと。それと、竜の背から3人の男女が現れ丘に降りました」
竜の大きさを聞いて絶句する。セルゲイに目を向ければ諦めたように溜息を漏らしていた。
「セルゲイ、上位竜なのか?」
「…………」
何も語らずただ首を縦に振る。それだけで天幕には絶望感が広がった。
この時、セルゲイは勘違いをしていた。いやセルゲイだけではない。人間のほぼ全てが勘違いをしている。
人間は下位竜のことを上位竜、上位竜のことを古代竜と勘違いしていたのだ。そして、竜に満たない亜種を下位竜と認識していた。
「セルゲイ、戦っても絶対に勝てないか?」
「勝てないでしょうな……攻城兵器のような大掛かりな装備を準備出来きるなら、何とかなるかもしれませんが……」
落ち込んでいく雰囲気に誰もが口を噤んでしまう。
「3人の男女とはどんな奴らだ?」
絶望感の中でヴェルニューが偵察部隊に尋ねる。3人の男女、その竜人が竜を操っているのでは?そう思ったからだ。
その3人を殺してしまえば竜は何処かに行くかもしれない。それなら勝機は十分あるのでは?そう考えたのだ。
「3人とも人間でした。貴族風の男とドレスを着た女性、あとは冒険者のような少女です」
はぁ!?誰もが阿呆のように口を開いて驚いた。人間?しかもドレスを着た女性とは何だ?巫山戯ているのか?
流石に巫山戯ていると思ったのかオヴェールも問いただした。
「見間違いではないか?本当に竜人ではなく人間だったのか?」
皇帝の問いに嘘はつけない、もし嘘をつくようなことがあれば極刑に値するからだ。だが偵察部隊の男の言葉は先ほどと変わらない。
「3人とも人間でした。間違いございません」
真剣な眼差しで答える。とても嘘を言っているようには見えない。
その言葉を聞き、みな一様に困惑していた。
どうなっている?ドレイク王国に人間はいないはず……であればドレイク王国とは関係ないのか?
だが、どうしてこのタイミングでこの地に来たのだ。この戦争に介入するため?まさか、ドレイク王国の援軍だとでもいうのか。
それならば、交渉次第で引いてもらえるのではないか?危険だが何もしないよりは……
先ずは情報が必要だ。ライセルとゼファインを待って話を聞く必要がある。
交渉は私が直接行った方がいいだろう……ノイスバイン帝国の皇帝としてやるだけのことはやらねば。
オヴェールは周囲を見渡すとこれからのことを話し出す。
それは自らが交渉に向かうというもの、その場にいた全員が止めに入るもオヴェールの決意は変わらない。
少しでも交渉の成功率を上げるため、この戦いに勝つためには出来ることは何でも行う。
皇帝としての矜持がオヴェールの心を奮い立たせていた。




