ノイスバイン帝国2
宣戦布告の内容は以下の通りであった。ドレイク王国の北は、かつてノイスバイン帝国が治めていた土地で、速やかに返還しなければ武力によって奪い返すというもの。
言いがかりも甚だしい。だが、今のノイスバイン帝国に体裁を保つ余裕はなかった。
戦闘区域は国境の丘から半径5kmの範囲とされ。村や街に被害を及ぼしてはならない限定戦争。
ドレイク王国にとっても受けるしかない。何でもありの戦争になったら街や一般市民にどれだけの被害が出るか分からないからだ。
斯くして宣戦布告は受理され、互いに戦争に向けて走り出した。
ノイスバイン帝国では直ぐに徴兵が行われ兵が掻き集められる。困窮していた辺境の村々では、これに積極的であった。しかし、対照的に余裕のある街では不満が漏れていた。
「聞いたか?戦争が始まるってよ」
「ああ、まったく冗談じゃない」
「命をかけて戦うなんて御免だよ。他の国に移住できればな……」
「何処に移住できるっていうんだ?ドレイク王国は人間の移住を認めていない。エルツ帝国はたどり着く前に魔物に殺されちまうよ」
「……まったく陛下は何を考えているんだ!」
男は悲痛な叫び声を上げる。誰もが命が惜しい死にたくはないのだ。今回の戦争では商人や農民問わず戦える男は総動員される。
慌ただしく駆け回り兵士を掻き集める貴族たちに男は増悪の眼差しを向ける。いつ自分が招集されるかもしれない、その恐怖が絶望感を増幅させた。
そんな男たちの会話に街の商人が割って入った。
「でもよ。食料を確保するためなんだろ?辺境の村じゃ餓死する人が後を絶えないからな」
その言葉に男は訝しげな表情を見せる。
「餓死だと?そんなに切迫してるのか?」
「この街はまだいいが、他所じゃ酷い有様だよ。特に辺境は酷い。このままでは餓死する人が増える一方さ」
「そんなにか……」
「この街だって他人事じゃない。いつ食料がなくなってもおかしくないはずだ」
「それで陛下は……」
「陛下にとっても苦渋の決断だったろうよ。ドレイク王国とは今まで仲良くやってきたんだからな」
「他国から食料を買ったらいいんじゃないのか?あんた商人だろ?」
「馬鹿を言うな。どれだけの金が必要になると思っている。特に今年は他の国でも不作だったらしい。食料は軒並み高騰してとてもじゃないが買えないよ。陛下だって同じさ、毎年少なくない食料を買っていたんだ。金が底をついたんだろうよ」
「それで今回の戦争か……」
「陛下も苦しんでるはずさ。あんまり責めないでやってくれ」
そんなことを聞かせれては、戦いたくないと言えないではないか。男は現状を知らされ何も言えなくなる。
そして、何も知らなかった自分自身が情けなくなった。この国はずっと食料で苦しんできた。この現状を知ろうと思えば知ることはできたのだ。だが知ることを恐れていたのだろう。都合の良い情報は耳に入るが、都合の悪い情報は聞き流していた。
この国にはそんな人間が多く存在する。何故、戦争に駆り出されるのか。そんな民兵の思いは兵の士気にも関わることであった。
宣戦布告が受理されて数日、開戦の日までもう間もない。
開戦場所となる国境付近には着実に兵が集められ、夥しい数の天幕が幾つも並んでいる。
投入されたのは帝国の正規兵5万、ライセルの私兵6万、ヴェルニューの私兵3万、ゼファインの私兵3万、魔術師2千、数だけなら17万2千と凄い数だが、私兵のその多くは戦いを知らない農民であった。
だが、民兵の役目は敵を倒すことではない。その役目は魔術師が魔法を放つための時間を稼ぐこと。守りに専念させることで、民兵の被害を最小限に抑えられると考えたのだ。
そのため多くのものが武器ではなく木で出来た簡素な盾を装備していた。これでどれだけの攻撃を凌げるか分からないが無いよりはましである。それは民兵にとっても命を預けるもの、何度も念入りに手入れが行われていた。
軍は大きく三つに分けられている。中央にはオヴェール率いる正規兵5万と魔術師8百、右にライセルの私兵6万と魔術師6百、左にヴェルニューとゼファインの私兵合わせて6万と魔術師6百、何れも魔術師を守るように陣形を組む事になっている。
極端に言えば魔術師1人を10人で守るような陣形だ。通常の戦争であれば絶対に行わないような陣形だが、相手は竜人魔術師を内側に固めても空から奇襲される恐れもあった。
魔術師が纏めて襲われないように個々に配置することにしたのだ。
中央後方に設営された一際大きな天幕、その中では戦略会議が行われていた。オヴェールが厳かに口を開く。そこには宮廷会議で見せた憔悴した姿はどこにもない。覚悟を決めた今のオヴェールは覇気で満ち溢れていた。
「いよいよ明日の夜明けとともに開戦になる。ドレイク王国の動きはどうなっている?」
ゼファインが手元の紙に目を落とす。そこにはドレイク王国の動きが書かれていた。それを見てゼファインは訝しげな表情を作る。
本当にこれであっているのかと、まるで疑っているようだ。
「偵察部隊の報告ですと数はおよそ1万。国境の小高い丘を挟んで布陣するようです」
その報告に誰もが怪訝な顔をする。その報告は間違いでは?誰もがそう思うほど、余りにも数が少なすぎた。
「それは伏兵がいるということか?」
オヴェールの問いにゼファインは首を横に振る。
「申し訳ございません陛下。そこまでは報告にございません」
伏兵がいるならそれに備える必要がある。数から見て伏兵はかなりの数になるだろう。だが、それだけの伏兵をどこに隠しているのだ。みなそれが疑問であった。
「まだ開戦には時間があります。これから集まるのではないですか?」
ヴェルニューの言葉に誰もが頷けない。
明日の夜明けとともに開戦されるのに果たして今頃やってくるだろうか?もう昼を回っている。本来であれば英気を養うため、前日は休養させるのが一般的だ。
今頃来ても疲労で明日は力を出し切ることはできないのではないか?オヴェールは首を傾げる。他のものも同様に、それはないと首を振る。
暫しの沈黙のあとに、ライセルが口を開いた。
「国境付近には伏兵を隠す場所もない。であれば、これは我々を誘き出す罠ではないか?」
「どういうことだ?」ゼファインが訝しげに尋ねる。
「つまりこういうことだ。我々が攻め込み一当りしたあと、相手は負けた振りをして撤退をすると思うのだ。先に進めば街道沿いに森もある。伏兵を配置するにはうってつけのはずだ。そこまで我々を誘導して隊列が伸びたところを横から分断、各個撃破する作戦ではないか?」
その言葉にみな熟考する。確かにそれは有り得ることだ。伏兵は国境付近にいるとは限らない、むしろ奇襲しやすい場所に潜めるはずだ。それは一つの考えとして考慮すべきこと、みなが頷き感心する。
「ふむ、ライセル侯の言う通りそれは考慮せねばなるまい。では我々はどう動くかだが……」
オヴェールの言葉にまたもライセルが答える。
「陛下、相手が少数であるならば、全軍で群がっても混乱する恐れがあります。先陣は私の軍に任せてはもらえないでしょうか?」
「何か策があるのか?」
「はい、ドレイク軍が後退を始めたら我が軍はその誘いに乗り進軍いたします」
「なに?それではまともに奇襲を受けるというのか?」
「そうではございません。進軍はゆっくりと行います。それと同時に[不可視]の魔法で身を隠した斥候を放ち、伏兵の場所を特定するのです。後は別働隊の魔術師3百を近くまで向かわせ、長距離から魔法で焼き払ってしまえば手も足もでないでしょう」
「しかし、斥候が伏兵を発見できなかったらどうするのだ?」
「戦闘区域に入る森は限られています。森ごと全て焼き払ってしまえばよいのです」
全て焼き払う、その言葉に誰もが戸惑う。今回の戦争は一方的な言いがかり、さらに其処まで非道なことをしなくてはならないのかと困惑を隠せない。
だが、これは負けることのできない戦い。手段は選んでいられない、勝たなければという思いがオヴェールを決断させた。
「……分かった。ライセル侯お主に先陣を任せる」
「はっ!必ずや勝利いたします」
ライセルは自信に満ちた表情で胸を叩く。いかに身体能力の高い竜人であっても魔法に対する耐性は人間と変わりない。近づかれる前に魔法の波状攻撃で殲滅すればいい。空から奇襲してきても魔術師に攻撃が届くまでに魔法で打ち落とす自身もあった。また一人の魔術師に10人の護衛を付け、仮に魔術師に敵が迫っても十分守れる自身もある。
ゼファインは自信に満ちたライセルを見つめる。確かに今の戦力なら十分勝てるだろう。しかし、戦争は何があるか分からない。使えるものは使った方ががいいはずだ。
本来は知られてはいけない魔法。だが勝つために手段を選んでいる余裕はない。ゼファインは意を決し口を開いた。
「陛下、我が国にも秘匿している戦略級魔法があるはず。それは使われないのですか?」
その言葉にライセルとヴェルニューが不思議そうに首を傾げた。魔術師数人で発動させる戦術級魔法なら聞いたことがあるが、戦略級魔法とは聞いたことがなかったのだ。
この世界の魔法は大きく、第1等級から第10等級に分けられる。だが例外として、複数の魔術師が同時詠唱で放てる魔法、戦術級魔法というものがある。
これは他の魔法よりも発動が遅く魔術師の数も必要になるが、通常の魔法よりも強力な魔法が放てるというものだ。
しかし、発動に時間が掛かるため、戦争などでも使われることは殆どない。複数の魔術師が時間をかけて戦術級魔法を放つより、魔術師が個々に魔法を放つ方が効率的とされていたからだ。また戦術級魔法は魔力の消費も大きい、持久戦では不利になるため使うことは愚策とされていた。
「ゼファイン侯、戦略級魔法とは一体なんなのですか?」
ゼファイン自身も正直なところ何も分からない。
以前調べさせた限りでは戦局を覆すほどの強大な魔法であるとしか報告されなかった。それがどのような魔法かは秘匿されて調べようがなかったからだ。
「名前だけは知っているが、それがどのような魔法かは知らない。ただ、この国にも戦略級魔法という秘匿された魔法があると聞いたことがある。陛下は勿論ご存知ですな」
その言葉に視線が集まるとオヴェールは重い口を開いた。
「確かに戦略級魔法はある。それは超広範囲に、それこそ今回の戦場となる場所全てに影響を及ぼすだろう」
その言葉に一同が顔を明るくする。しかし、オヴェールの表情は暗い。まるで、戦略級魔法など役に立たないと言わんばかりだ。そして、事実そうである。ノイスバイン帝国が秘匿する戦略級魔法は、今回の戦いでは役に立たなかった。
「では、その魔法を使えば……」
オヴェールは手を突き出しゼファインの言葉を遮る。首を横に振りそれは出来ないと仕草で示す。
「何故ですか陛下?国が秘匿している魔法だからですか?確かに広範囲に影響を及ぼす魔法は危険でしょう。しかし、我々には後がないのですぞ」
ゼファインの言葉に誰もが賛同する。しかし、オヴェールは首を縦には振ることはない。
「そうではないのだゼファイン侯。戦いを有利に進められる魔法であれば迷わず使う。だが、我が国の保有する戦略級魔法は今回の戦いでは役に立たないのだ」
役に立たないとはどういうことだ?一様に怪訝そうな顔をする。
「どういうことなのですか陛下?差し支えなければ戦略級魔法はどのようなものか教えていただけませんか?」
「かまわんとも。知られたところで大した問題ではない。我が国が秘匿している戦略級魔法とは地上を濃霧で覆い視界を奪う魔法。先程話したように今回の戦場であれば全て濃霧で覆い尽くすことも可能だ。だが、戦場を濃霧で覆っても不利になるのは我が軍だけ、空を飛べる竜人には意味がないのだ」
本来、この戦略級魔法は濃霧を発生させるだけではない。戦略級の名に恥じぬ力を持っている。
その能力は濃霧を発生させると同時に、敵に幻覚を見せ同士打ちを行わせるもの。さらに方向感覚を狂わせ濃霧から逃げられなくする。大勢の雑魚を相手にするならば最強の魔法の一つである。
それは、敵の数が多ければ多いほどその効果を発揮する。仮に100万の軍勢がせめて来ても容易く追い返せるであろう。
だが、人間がその魔法を正しく発動させたことはない。12人の魔術師で発動されるそれは、ただの濃霧で終わってしまう。
何故か、それはいたって単純であった。人間の魔術師では力不足なのだ。少なくとも第8等級を行使できる魔術師12人、この最低条件がクリアできないためであった。
この世界では第8等級を行使できる人間は数えるほどしかいない。そのため、この戦略級魔法は濃霧を発生させるだけの魔法としか認識できないのだ。
オヴェールも当然その本来の能力を知らない。だから、それを聞いて一様に表情を曇らせる。確かに使っても意味がない。意味がないどころか、濃霧に包まれればこちらが不利になる。空から奇襲され敗北は必至だろう、と。
場の空気が重くなるなか、それを払拭するようにライセルは豪快に笑い声をあげる。
「がぁっはっは!その戦略級魔法が我が国にあるのは不幸中の幸いではないか!その魔法は我が国でしか使えないのだろ?」
「確かに空を飛べるドレイク王国に漏れては一大事ですな。戦略級魔法のことは聞かなかったことにいたしましょう」
「ゼファイン侯の言う通りだ。それに、このまま戦っても我々は十分勝てるだけの戦力を持っている。後はドレイク軍の情報を密に入手して臨機応変に対応すればいいだけの話」
ヴェルニューの言葉にライセル、ゼファインも同意するように頷く。
「そうだな。別に状況が不利になったわけではない。これから戦いだというのに落ち込んでなどいられないな」
オヴェールも顔を上げる。
そう状況は不利になったわけではない。戦力差を見ても我々が有利なのは何も変わらないのだから。




