* 旅館 其の三 * 7
公衆電話がある1階へ降りた。
入り組んだ階段を鈴木先輩はもう慣れたように進んで歩いている。
私はまるで誘導されるように、後を着いて行っていた。
その階段でいつも感じていた、“怖い”という感覚は、不思議となかった。
これから彼に電話をするから?……とも違う……何故だかわからない。
フロントのカウンター横にある公衆電話のところへ着いた。
気付けば、真っ暗。
灯りがない。
夜といっても、まだ9時にもなっていない時間。
どうして!?
「先輩……戻りましょうよ」
私は、思わず、そう言っていた。
ここで、初めて、“あの”恐怖が湧いて来ていた。
「大丈夫だよ。早く、電話かけちゃいなよ」
「でも……」
真っ暗な空間を見渡していると、足が前に出ない。
異様ともいえる恐怖に包まれていた。
『先輩、平気なのかな……』
暗闇に少し目が慣れてきたのか、周りの雰囲気がわかるくらいには見えるようになって来た。
「ここまで来たんだから……!」
自分に言い聞かせるように、そう独りごとを言い、私は公衆電話に向かい、彼の携帯の番号を押した。
部屋の電話は、ダイヤル式の黒電話であったけれど、フロント横の公衆電話は、いつも私達が街中で見るような公衆電話と同じつくりだった。
数回のコールの後、受話器の向こうから、彼の声が聞こえた。
「……はい?」
何だか、変に無愛想な声だった。
「あ、わたし」
「あれ?香里?」
公衆電話からだったので、ディスプレイの表示が私の名前ではなく、≪コウシュウデンワ≫と表示されていたみたいだった。
「あ、ごめん。携帯の電波が通らなくて」
「そんなに山奥に行ってんの?」
彼は笑っていた。
その時もう、いつも聞いている彼の笑い声だった。
私は……笑えなかった。
「どうした?」
「ん……なんでもない……」
まさか、その電話で、幽霊を見たとか、そんなことを言えるわけもなく……。
「あ!お土産、何がいい?」
咄嗟に思いついたことを言っていた。
「山菜の詰め合わせ」
また、受話器の向こうから、そう答えた彼の笑い声が聞こえる。
「あ、あのね!実は……」
彼の声に安心した私がいたのか、“ここ”で起こっていることを話そうとしてしまっていた。
その時。
パタ・パタ・パタ・パタ
何処からともなく、そのような音が聞こえた。
私達の部屋の天井の方から聞こえていた、あの“パタパタパタパタ”という音とは、明らかに違う音だった。
「え?なに?」
彼と話をしているのに、受話器を耳に当てたまま、私はそう口にしていた。
受話器からは、「香里?」と彼の声。
パタ・パタ・パタ・パタ
なんだか、段々、近くに寄ってくるカンジのその音。
「ちょっ……やだ……」
「香里?」
相変わらず、受話器からは彼の声。
それでも、その声に応えることが出来ない私。
鈴木先輩は、、気をきかせてくれているようで、少し離れた場所で、手を後ろに組んで、私に背中を向けている。
パタ・パタ・パタ・パタ
パタ・パタ・パタ・パタ パタ・パタ
その音は、更に近づいて来る。
「また、連絡するから!」
「おい!香里、どうし……」
耳から話した受話器から、微かに彼のその声が聞こえたけれど、私はそのまま受話器を置き、電話を切ってしまった。
「先輩!」
私は、大きな声で鈴木先輩を呼んだ。
私の方を振り向いた鈴木先輩は、一瞬、“止まった”ようになった。
そして、すぐに私の方へ駆け寄って来た。
「大丈夫だから」と言いながら。




