* 旅館 其の三 * 4
私達は、今度は“暗黙の”了解のように、目と目を合わせて、そのまま部屋へ入った。
「……別に、逃げるようなことしなくても、よかった……んだよね」
「そ、そうですよね!」
部屋のドアところで、そう言った森田先輩の言葉に、私は何故か、やけにテンション高く答えていた。
ただ、その時は、“あの”温泉の時のように慌てるように、我を失ったとか慌てたとかいうようなことはなかったけれど、それでも、そのまま廊下にはいない方がよいような気がしていたことは確かだった。
そのような会話をしている私達に、鈴木先輩が「どうしたの?」と、奥の部屋から声をかけて来たので、これは慌てて、「何でもないです!」と答えた私がいた。
温泉場でのことがあったので、これ以上、鈴木先輩に気味悪がれるような話はしない方がいいと、咄嗟に思ったから。
ドアの外を人が歩いて行くような音は聞こえなかったけれど、ここでも、何となく、あの僧侶はもういないという感覚がしていた。
そして、そっと部屋のドアを開け、廊下を覗いてみると、やはり誰もいなく、所々に小さな電球が灯っている薄暗い廊下が続いているだけであった。
「先輩、もう……誰もいないです……」
私の後ろにいた森田先輩に声を掛けた。
「うん……ありがと。取り敢えず、前のお部屋、見てくるわ」
そう言うと、森田先輩は、夕食が用意されているという、向かい側の部屋のドアを開けた。
「わ!すっごい!」
いきなり、森田先輩が声を上げた。
「見て見て!」
後ろにいた私に手招きをした森田先輩だった。
向かい側の部屋へ入ると、私も、思わず声を上げたくらいだった。
大きなテーブルには、それは見事としか言いようのない、豪華な夕食が用意されていた。
テーブルの中央には、鯛の頭が際立って見える、3人分とは思えないくらいのお造り。
その周りに、色彩々のお料理が並べられていて、パッと見ただけでは、何品目あるか判らないくらいだった。
「すっご~い!」
「だよね!」
「これだったら、鈴木先輩、大喜びですね~」
「普段から食いしん坊だし」
森田先輩と私は、お互いに顔を見合わせて笑っていた。
「なになに?」
私達の笑い声が聞こえたのか、鈴木先輩が後から来た。
その部屋に用意されている夕食を見た途端、「きゃ~!」と叫んだと思うと、私達を押しのけるようにして部屋に入り、いち早く、テーブルのところに座っている鈴木先輩。
しかも、“大名席”。
それまでの出来事が何もなかったよう。
森田先輩は「食いしん坊の復活」と、私の耳元で言っている。
耳元の森田先輩の声にも“元気”が感じられていた。
「ほんとだ」
私も、鈴木先輩のその姿と森田先輩の言葉に笑ってしまっていた。
「はやく食べようよ!」
「はいはい」
私達3人は、テーブルに着き、豪華が夕食を囲んだ。
そこには、3人の笑い声があった。
この旅行に来て、初めて何の疑いもなく心から笑うことが出来た時間もそこにあった。




