第26話 勇者様、枕を作る
二人は木陰から立ち上がり、巨大な白い影の方へと、一歩ずつ歩みを進めていった。
近づくにつれ、ドラゴンの動きはより荒々しくなっていく。振り回された尻尾が周囲の木々をなぎ倒し、へし折れた枝や幹の破片が、あちこちに勢いよく飛んできた。
「危ない!」
栞に腕を引かれ、凪はとっさに身を屈める。頭上を、大人の胴回りほどもある太い枝が唸りを上げて通り過ぎていった。
「まっすぐは危険です、木の陰を伝って」
「わ、分かりました」
二人は木から木へと身を隠しながら、少しずつ距離を詰めていく。飛んでくる破片を避けるたび、心臓が縮み上がる思いだった。
やがて、ドラゴンの巨体がはっきりと視界に収まる距離まで辿り着いた。全身を覆う白い鱗、そこかしこに刻まれた深い傷跡、そして苛立たしげに地面を掻く鋭い爪。凪は震える足を叱咤しながら、一歩前へと踏み出した。
「あの、すみません!」
声を張り上げると、ドラゴンの動きがぴたりと止まった。巨大な首がゆっくりとこちらを向く。金色に光る瞳が、まっすぐ凪を捉えた。
「――なんじゃ、ぬしらは」
低く、地響きのような声があたり一帯に響き渡る。想像していたよりもずっと落ち着いた、老獪さすら感じさせる声音だった。凪は思わず息を呑んだ。
「あの、私は、その、勇者と呼ばれている者で」
「勇者、じゃと」
ドラゴンはそう呟くと、値踏みするように凪を見下ろした。その視線の重さに、凪は膝が震えそうになるのを必死に堪えた。
「討伐に来たのか」
「いえ、違います! 話を聞きに来ました」
その言葉にドラゴンは僅かに首を傾げた。これまで訪れた誰もが、剣や槍を構えていたのだろう。丸腰で対話を求める人間は、初めてなのかもしれなかった。
「話、じゃと」
「はい。何故こんなに暴れているのか、その理由を」
ドラゴンはしばらくの間、凪の顔をじっと見つめていた。その沈黙が、これまでのどんな轟音よりも重く、あたりに満ちていた。
やがて、巨大な喉の奥から地の底から響くような声が漏れた。
「わしの枕石が、気づいたら無くなっておった」
「……枕石?」
あまりにも予想外の単語に、凪は思わず聞き返した。恐怖で強張っていた肩から、知らず力が抜けていくのが分かった。
「長年、寝床に据えておった石じゃ。ちょうど良い硬さと大きさで、あれがないと、まともに眠ることもできぬ」
ドラゴンはそう言うと、これまでの荒々しさが嘘のように、力なく項垂れた。その姿は、規格外の脅威というより、ただ大切なものを失った一匹の生き物のように見えた。
栞がふと、少し離れた場所に転がっていた白い破片の山を指差した。
「もしかして、あれのことですか」
凪とドラゴンが同時にそちらへ目を向ける。無数に砕けた白い石の欠片が、うっすらと山を成していた。近づいて手に取ってみると、長年の使用でつるつるに磨り減った表面の質感が、確かにかつては一つの大きな石だったことを物語っていた。
「これ、使い込みすぎてすり減って、風化して粉々になったんじゃないですかね」
「――なんと」
ドラゴンは驚愕したように目を見開いた。
「あれほど頑丈じゃった石が、まさか儂の下敷きになり続けた末に砕けておったとは」
規格外の魔物と恐れられた存在の正体が、ただの寝具の摩耗だったという事実に、凪は思わず力が抜けそうになった。それでも、暴れていた理由がはっきりした今、この状況を収める方法は一つしかなかった。
「じゃあ、新しい枕石を探しましょう」
「そんな都合よく、あるじゃろうか」
「探せば、きっと。私たちも手伝います」
凪の申し出に、ドラゴンは訝しげな視線を向けた。討伐に来たはずの人間が、まさか自分の悩みを解決する側に回るとは、思ってもみなかったのだろう。
周辺をしばらく探し回ってみたものの、手頃な大きさと硬さを持つ石は、いくつか見つかったものの、どれも決め手に欠けていた。
「硬さは十分だが、表面がざらつきすぎている」
「じゃあ、これは?」
「大きさが、少し足りぬ」
注文の細かさに、凪は密かに苦笑いを浮かべながらも、根気強く探し続けた。
そんな中、比較的平たく大きさもちょうど良さそうな石を一つ見つけた。表面の硬さも申し分なさそうだったが、ドラゴンに確かめてもらうと、微妙な感触が引っかかるらしい。
「悪くはない。じゃが表面が硬すぎる気もする」
その一言に、凪はふと思いつく。
「そうだ、この上に何か敷けばいいんじゃないでしょうか」
凪は勇者斬りのスキルを使い、周囲の適度な太さの木の枝を次々と切り出していく。それを何本も並べ、細めのロープで一本ずつ繋いでいった。
「木の枝を、ロープで繋いで」
「はい。シートみたいにして、この石にかぶせてみようかと」
できあがったのは、木の枝を編み込んだというより、簀の子のように枝を並べて連結させた簡素なシートだった。丸みを帯びた枝同士の間には、自然と小さな隙間ができている。
「枝が丸いので隙間から風も通ると思います。通気性も、悪くないんじゃないかと」
凪はそう説明しながら、シートを平たい石の上にかぶせ、出来栄えを確かめた。
「これで、硬さと柔らかさ、両方のいいところが取れると思います」
完成したシート付きの石を、恐る恐るドラゴンの頭の下に差し出す。ドラゴンはしばらくそれを見つめたあと、そっと頭を預けてみた。
「――おお」
感嘆の声があたりに響いた。
「これは、なかなか。石の硬さも保ちつつ、当たりが柔らかい。それに、少し風も通る」
その満足げな様子に、凪と栞は思わず顔を見合わせた。木の枝しか斬れないという、あれほど扱いに困っていた力が、ここで初めて役に立った瞬間だった。
あと2話です!




