第20話 勇者様、迷い猫を捜す
翌日から数日、栞は本部への交渉に奔走した。討伐を先延ばしにできないか、別の人員で対応できないか、あらゆる手を尽くしたようだった。朝早くに出かけ、夜遅くに疲れた顔で戻ってくる、という日々が続いた。
「駄目でした」
宿に戻ってくるたびに、栞はそう言って肩を落とした。凪はその度に、申し訳ない気持ちと、頼りきりにしていることへの後ろめたさで、いたたまれなくなった。
「無理しないでください」
「無理はしてないです。ただ、粘ってるだけなので」
そう言う栞の目の下には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。それでも諦めない姿勢を崩さない栞を見て、凪は何もできない自分がもどかしかった。
結局、何日かのやり取りの末、本部から引き出せた譲歩は、ただ一点だけだった。
「討伐ではなく、まずは状況の把握から、ということになりました」
「それは、良かったんですか」
「良かったです。少なくとも、いきなり戦わせられることはなくなったので」
小さな勝利ではあったけれど、栞の疲れた表情には、それでも安堵の色が浮かんでいた。数日分の粘り強さの結晶が、この一言に詰まっているのだと思うと、凪は改めて頭が下がる思いだった。
「エンシェントドラゴンについて、他に何か分かったことはないんですか」
凪が尋ねると、栞は資料らしき紙の束をめくりながら、首を横に振った。
「山で暴れているということ以外は、ほとんど何も。目撃者も少ないですし、詳しい生態も分かっていません」
あまりにも手がかりの少なさに、凪は思わずため息をついた。相手のことを何も知らないまま向き合うというのは、これまでのウサギやカエル以上に恐ろしいことに思えた。
「それでも、このまま何もしないわけにはいかないので」
栞はそう言うと、いつもの調子で掲示板を指差した。
「せめて、依頼を受けて、少しでも強くなりましょう」
「今、そんな余裕あります?」
「余裕がない時こそ、地道な積み重ねが大事なので」
妙に説得力のある口調に、凪は反論もできず、栞が選んだ依頼書に目を通した。
「迷い猫を、捜す」
「近所の飼い猫が、数日前から帰ってこないそうです」
エンシェントドラゴンという規格外の存在を前にして、猫探しという、これ以上ないほど地に足のついた依頼だった。それでも、この落差にはもう慣れたものだった。
「行きましょう、猫探し」
「はい」
凪は依頼書を握りしめ、いつも通りの足取りで、いつも通りではない緊張を抱えながら、街へと繰り出していった。
猫が最後に目撃されたのは、宿から少し離れた市場の裏手だという。凪と栞はその情報を頼りに、路地裏を一つずつ回っていった。
「猫って、こういう時どこに隠れるものなんですか」
「狭くて暗いところ、だと思います」
二人でしゃがみ込み、木箱の隙間や積み上げられた樽の下を覗き込んでいく。エンシェントドラゴンという大きすぎる問題を前に、こんな小さな生き物を捜すことに意味があるのか、凪はふと考えかけたけれど、すぐにその考えを打ち消した。今できることを一つずつやるしかないのだと、栞が言っていた通りだった。
しばらく捜し歩いたあと、崩れかけた木箱の隙間から、小さな鳴き声が聞こえてきた。
「あ」
覗き込むと、薄汚れた三毛猫が、身を縮めるようにして隠れていた。凪はゆっくりと手を伸ばし、優しく声をかける。
「大丈夫、怖くないよ」
最初は警戒していた猫も、しばらくすると諦めたように、凪の腕の中へとおとなしく収まった。
「捕まえられました」
「良かったです」
飼い主のもとへ猫を届けると、涙ながらに感謝され、凪は少し照れくさい気持ちになった。誰かに心の底から感謝される、というのは、これまでのクエストではあまり味わったことのない感覚だった。
宿への帰り道、栞がぽつりと呟いた。
「小さなことですけど、こういう積み重ねが、きっと無駄にはならないと思います」
「そうだといいです」
凪はそう答えながら、腕の中に残るぬくもりの感触を思い出していた。エンシェントドラゴンという大きな不安は、まだ何一つ解決していない。それでも、この日拾い上げた小さな安堵が、確かに次への力になる気がした。




