第16話 勇者様、再び井戸に潜る
あの後、井戸の掃除は結局中断されたままだった。翌朝、あらためて凪は井戸の前に立ち、深呼吸を一つしてから隣の栞を見上げた。
「一緒に、降りてもらえませんか」
「無理です」
あまりにも即答すぎる拒否に、凪は思わず目を丸くした。
「まだ理由も言ってないです」
「言われなくても分かります。もう一人は、上で見ていないといけないので」
「そういう建前は、いいので」
「建前じゃないです。万が一、梯子から落ちて登れなくなった時のために、必ず一人は上にいないと」
もっともらしい理屈を並べる栞の顔を、凪はじっと見つめた。目が少し泳いでいる。それでも栞は、なおも理屈を重ねようとした。
「それに、安全管理という意味でも」
「……本当は、カエルが無理なだけですよね」
しばらくの沈黙のあと、栞は観念したように肩を落とした。
「……それも、あります」
あっさりと白状した栞に、凪は深いため息をついた。結局、頼れる相棒も、あの生き物の前では自分と大差ないらしい。
「分かりました、一人で行きます」
渋々そう言って、凪は再び縄梯子に手をかけた。
井戸の底は、前回と変わらず薄暗く、水の匂いが立ち込めていた。今度こそ気配には最大限の注意を払いながら、凪は落ち葉と小石を一つずつ丁寧に取り除いていく。
途中、水面の隅に見覚えのある影がちらりと動いたが、今回は反射的に距離を取ることができた。羽虫の耐性のような都合のいい能力は持っていないはずなのに、この警戒心だけは着実に育っているらしかった。
しばらくの作業の後、井戸の底からごぼごぼと音が立ち始め、詰まっていたものが流れ出したのが分かった。
「あ、出た」
水の湧く量が、目に見えて増えていく。凪はその変化を確かめてから、達成感とともに縄梯子を登った。
「クエスト達成、みたいです」
「お疲れ様でした」
栞のその一言を合図にしたかのように、遠くから太鼓の音が近づいてくる。
「勇者様!井戸の修繕、おめでとうございます!」
地味な水回りの修理に対して、いつも通りの大袈裟な歓声が湧き上がる。凪はもう慣れた様子で神輿に上げられながら、今度は抵抗もせず、白目を剥いたまま、ただじっとその揺れを受け入れていた。
「わっしょい! わっしょい!」
祭りが一段落したあと、レベルアップの石へと案内される。触れた瞬間、頭の中に声が響いた。
『クエスト達成しました!』
『レベル500,000になりました!』
「……もう、何も驚かないです」
『カエルの耐性がつきました』
「またピンポイントな」
石はさらに続けた。
『ただし、ウシガエルのみに有効です』
「……ウシガエル限定?」
あまりにも狭すぎる適用範囲に、凪はしばらく声も出なかった。隣で栞が興味深そうに石を覗き込む。
「今日のはウシガエルだったんですか」
「知らないです、そんな細かい種類まで」
結局、目の前に現れるカエルがウシガエルかどうかは、見た目だけでは判断がつきそうになかった。凪はもう半分諦めの境地で、レベル500,000という数字を見つめていた。




