第11話 勇者様、虫と戦う
湖のほとりに着いた瞬間、凪はすでに後悔していた。水面近くを、羽虫の群れが低く飛び交っている。
「思ったより、多いですね」
栞の言葉に、凪は無言で頷いた。頷くことしかできなかった。
クエストの内容自体は単純だった。湖畔に流れ着いたゴミを拾い集める。それだけの仕事のはずが、羽虫たちはまるで凪を歓迎するように、次々と顔の周りにまとわりついてくる。
「うわ、うわ」
両手を振り回しながらゴミ袋を持つという、器用なんだか不器用なんだか分からない動きで、凪は湖畔を進んでいく。
「落ち着いてください、刺しはしないので」
「見た目が無理なんです」
半ば涙目になりながら訴える凪に、栞は苦笑しながら、腰につけていた小瓶を取り出した。
「これ、虫除けです。塗っておいた方がいいですよ」
「早く言ってください」
「言うタイミングを、逃してました」
塗り薬のおかげで、羽虫の勢いはいくらか収まった。それでも完全にいなくなるわけではなく、凪は時折顔をしかめながら、ゴミを拾い続けた。
空き瓶、破れた網、朽ちかけた木箱。地味な作業を黙々とこなしていくうちに、凪の中で不思議な集中が生まれてくる。虫のことも、規格外の魔物のことも、しばらくの間だけ頭から追い出せた。
「勇者様って、意外とこういう地味な作業、向いてますよね」
栞がふと漏らした一言に、凪は手を止めた。
「そうですかね」
「はい。ウサギとか薬草とか、そういうのに丁寧に向き合えるところ、いいと思います」
その言葉に、凪の頬がじわりと熱くなる。褒められ慣れていないせいで、どう返していいか分からなかった。
「あ、あの、栞さんは」
何か言い返そうとした矢先、足元の泥に足を取られ、凪はそのまま湖に向かって盛大に転びかけた。とっさに伸ばした手を、栞がしっかりと掴む。
「危ない」
「す、すみません」
体勢を立て直しながら顔を上げると、思いのほか近い距離に栞の顔があった。
水面に反射した光が、栞の頬に小さく揺れている。互いにしばらく、どちらも動かなかった。時間が引き延ばされたように感じたのは、きっと凪だけではなかったはずだ。
「……あの」
「……はい」
先に我に返ったのは栞の方だった。慌てたように手を離し、視線を逸らす。その耳が、心なしか赤くなっているように見えた。
「気をつけてくださいね、湖、深いので」
「は、はい」
それだけ言うと、栞は足早に作業へと戻っていった。凪はその背中を見つめながら、今の一瞬が何だったのか、うまく処理できずにいた。
結局、その日のクエストは何事もなく終わった。虫と泥にまみれながらも、ゴミでいっぱいになった袋を前に、二人は顔を見合わせる。どちらからともなく、少し照れたような笑いがこぼれた。




