第六話 茶宴 弐
茶宴を終えた琴吹は、他の妃の退出を待たずに清涼殿へ戻った。
傲慢だと思われたところで、今更だ。
女官らはまだ興奮が冷めやらぬ様子で、道中も琴吹の剣舞について口々に褒めていたが、琴吹は適当に聞き流した。
これほど着飾ることも、これほど大勢の視線を浴びることも、もう二度と御免である。
清涼殿が見えてきた折、琴吹は少し嫌そうな顔をした。
「(タイミングが悪いな。)」
清涼殿の前に人影があり、鬼火を連れていることから、すぐに鬼灯だと分かった。どうやらまた気まぐれに立ち寄ったと見える。
鬼灯はこちらに気がつくと、琴吹へ視線を向けた。
「お前が女官を連れて外出など、珍しい、な__」
いつもの調子で声を掛けた鬼灯だったが、その言葉は途中で途切れた。
そして、何かを確かめるかのように琴吹へ歩み寄ると、その細い手首を掴み、ぐっと顔を寄せた。
普段は最低限の身なりしか整えない琴吹が、今日は髪も衣も念入りに整えている。
身に着けていた半透明の肌が見える薄衣も、いつもの簡素なものとは違い、琴吹の美しさを一層際立たせていた。
この様子を見ていた女官らは、なにやら満足気な顔をして恭しく頭を下げると、足早に清涼殿へ入って行った。
琴吹にとっては要らぬ配慮だ。
「今までで最も華やかに見えるが、ここで俺よりも良く見せなければならない相手が?」
「茶宴のためのお誂え向きだ。」
「茶宴……?」
「……なんだ知らなかったのか?お前の雌牛に招待されてな。」
琴吹がそう言うと、鬼灯の表情が曇った。
「その姿は誰に?」
「私の女官共が勝手に。」
「茶宴には誰が?」
「さあ。大勢いたから覚えていない。」
「……そうか。」
鬼灯は短く呟いたものの、声には明らかに不満が滲んでいる。
琴吹は少し考えてから、思い出したように言った。
「そういえば、帝は来ていたぞ。」
「青藍が後宮に?」
「ああ。」
琴吹がそう言うと、鬼灯はさらに顰め面になった。
「今日、清涼殿来たのは間違いではなかったな。」
「大間違いだ。」
間髪入れずにそう言い返す琴吹を、鬼灯は悔しそうな顔で見る。
「……次にめかし込む時は、必ず俺の隣で。」
そう言って、鬼灯は琴吹の綺麗な髪をゆっくりと梳いた。
その仕草には、己の宝石を他人の目に触れさせたくなかった、とでも言いたげな気持ちが隠しきれないほど溢れていた。
琴吹は呆れたように鬼灯を見た。
「そんな日は来ない。」
「何故だ。」
「宴など二度と出ないからだ。」
琴吹は愛用の扇子で鬼灯の額を軽く押すと、不満気に続けた。
「そもそも、妃が出不精だと女官がまともに食事を得られないなどと言うくだらぬ決まりはなんだ?あんな付き合いなど本意ではない。」
珍しく饒舌な琴吹を見て、鬼灯は少し驚いた顔をした。そして琴吹の言っていることがよく分かっていないような声色で「琴吹がどうにかすれば良い。」と言った。
「私に化物を祓って女官共に差し出せと?貴様の後宮だろうが。」
「俺の後宮ではあるが、後宮の一切は青藍が管理している。青藍にでも打診してみたらどうだ、という意味だ。」
「なんだと?」
琴吹は顔を顰めたのち、ようやく納得した。
陰湿な仕組みだと思っていたが、あの狡賢い妖龍が考えたものなら頷ける。
それに、この後宮にいる女たち。
どうにも鬼灯の趣味とは思えぬ女が多いと思っていたが、あれも数打ちゃ当たるいや当たれの思考で、青藍が勝手に集めた者達だろう。
そう考えれば、主人を差し置いてあの妖龍が今日の茶宴に顔を出したのも、後宮の管理者として把握していたからだと合点がいく。
「(それにしても……。寄せ集めの女で楽しみ、あまつさえ子を儲けるのだから、どうしようもない鬼だ。)」
琴吹は以前より気がついていたことを今更なことのように思い返した。
鬼灯という鬼は、美貌と強さ、悪い知恵にばかり恵まれて、倫理観という言葉を知らない。全ては己の欲望の赴くままに動いている。
琴吹は情けなくて大きくため息をついた。
鬼灯の間抜けさと、その様な男を未だに殺せぬ己に対して。
*
翌日、琴吹が茶宴で剣舞を披露したという話は、あっという間に後宮中へ広まった。
普段は書庫に籠ってばかりの琴吹が茶宴へ姿を見せただけでも珍しいというのに、そこで披露した剣舞がまた見事だったというのだから噂にならぬ方が難しかった。
琴吹の参加は、抗議として捉えられた様だ。
今後は、"鬼灯の計らい"によって、清涼殿の女官は何をせずとも食事を得られるようになった。
秀麗へ対する牽制かと勘違いしていたのが、まさか女官の食い扶持の為だったとは。秀麗はとんだ赤恥じだ。
琴吹としては、もうくだらない付き合いに出向かなくて済むのが素直にありがたかった。
「(……また芸の必要に駆られた折は、そこら辺の化物を適当に祓って見世物にでもするか。)」
琴吹は一応高貴な家の生まれの娘だというのに、それに相応しい教養がほとんどなかった。
今回、剣舞が何とか形になったのは、唯一教えられていたものを偶然身体が覚えていただけ。
それ以外となれば、いろはも分からぬ。
『一つも覚えてないようでは出来が悪いにしても不自然だろう!』
眉目秀麗で穏やかだと言われる男が、嬉しそうに顔を歪め馬鹿にしたように笑う。琴吹はこの美しい男と血が繋がっていると信じたくはなかった。
「(女としての教養がないのを気に留めたこともなかったな。)」
毎日を生きるのに必死だった。
兄弟という名の加害者に何度も殺されかけ、そんな態度を見た使用人は己を主人とも思わない。
まだ術の扱いもまともに出来ぬ小さな娘を、娘の何倍も大きな化物と同じ部屋に閉じ込めて笑っていた父母は、どの様な気持ちだったのだろう。
答えが知りたいという訳ではないし、どんな理由であれ、琴吹が納得することはない。
そう考えて、皆殺してしまった。
幼い琴吹は、それより他の術が分からなかったのだ。己の怒りと激情を晴らす方法を。
「(命をなんだと思っているんだ、など偽善者のような考えを持っていた時もあったな。)」
誰かに訴えても助けを求めても、琴吹に手を差し伸べる者などいなかった。いつか報われるなどと考えることもなかった。
己で変えるしか無いのだと、一人ずつ消していった。
琴吹はそういう醜い生き方をしてきた。
「(そう言う意味では、私は本質的に鬼灯と同一だ。)」
*
夕刻、昨日に続いて再び鬼灯が訪れた。
自室で書を読んでいた琴吹は嫌そうに顔を上げて「何か用か。」と尋ねた。
「茶宴に、俺を呼ばなかったな。」
鬼灯はそう言うと、普段の品ある振る舞いとは打って変わって、肘をついて豪快に座った。拗ねているような様子に、琴吹は「(またか……。)」と面倒くさがっていた。
昨晩、琴吹が鬼灯の機嫌を損ねてから、鬼灯は宮中で琴吹の素晴らしい噂を聞く度に清涼殿へ訪れては、琴吹に延々と嫌味を言っていた。
「呼ぶ必要が?」
「なかったと思うか?」
「開かれたのは後宮の茶宴だぞ。文句なら主催に言ったらどうだ。」
「女だけの会に、貴様の資格などない。」と言わんばかりの目線を送る琴吹に、「ここは俺の……!」と文句を言いかけた鬼灯が僅かに目を細めた。
「剣舞をしたそうだな。見事な舞だったと、聞き及んだ。」
琴吹が剣舞まで披露したと知った時には、ともすれば秀麗の懐妊に対する何かしらの反応かと、鬼灯は僅かな期待を抱いた。
鬼灯は一瞬考えて、それは無いなと落胆した。
実際のところ、琴吹は女官らの餌を貰うために参加したのだから、琴吹は本当に微塵も気にしていないように思えた。
「俺に剣舞を見せようとは思わなかったのか。」
鬼灯がそう訊ねると、心底嫌そうな顔をした琴吹が捻り出したような声で「何故。」と言った。
「……いや。」
鬼灯がそれ以上何も言わないのを見ると、琴吹は再び書へ視線を戻した。
「(これは確かに失敗だな。問い詰めた折、青藍の反応が芳しくなかったのも頷ける。)」
実を言えば、鬼灯とて子が出来た事に対して感慨がある訳ではなかった。
鬼である己にとって、命というものは人間が考えるほど重いものではない。鬼同士の子ならば三月もすれば生まれるし、生まれた後の成長も人の子とは比べものにならぬほど早い。
子を得ること自体が、何か特別な出来事というわけでもなかった。
せいぜい、琴吹がそれを知ってどのような顔をするのか気になった程度である。
ところが、秀麗が子を身籠ってからというもの、面倒なことが増えた。
鬼灯が後宮にいると知れば、以前よりも露骨に己へ近づいてくる女が増えたのである。
己にも子を産めるのではないか。
己にも寵愛を受ける機会があるのではないか。
そんな一縷の望みに縋るように、これまで鬼灯を恐れていた女共が、妙に積極的になった。
「(それは琴吹に望んでいたものであって、お前達に望んでいたものではない。)」
鬼灯からすれば、実に鬱陶しかった。
そして、その中でも一番厄介なのが秀麗だった。
鬼灯の子を身籠ったことで、秀麗はようやく己の価値を誇示する機会が訪れたのだと思ったらしい。
これまでならば、気まぐれに鬼灯が足を運べばそれだけで十分だったはずなのに、最近では己の元へ来ることを当然のように待ち、来なければ来ないで不満を募らせている。
それが仇となって、鬼灯は子が出来てからというもの、秀麗の元へほとんど訪れなくなった。
代わりに足が向くのは、琴吹のところばかりである。
その現実を認めることができず、秀麗は日に日に荒れていった。女官の些細な失敗を責め、少しでも気に入らぬことがあれば声を荒らげ、己の苛立ちをぶつけているという。
それでも鬼灯が秀麗の元へ戻ることはなかった。




