第五話 茶宴
後宮に戻った琴吹は、相も変わらず清涼殿と書物庫の往復生活を送っていた。
琴吹に飽きたのか、または新たな興を見つけたのか、最近はまた鬼灯の訪れがほとんどなく、琴吹は大変快適な日々を過ごしている。
そんな折、琴吹の手元に秀麗から茶宴への誘いが届いた。
「秀麗……?ああ、アレが悪趣味で飼ってる雌牛か。」
琴吹はそう言うと、文を開く事すらなく「断れ。」と女官へ返した。
琴吹が茶会などに顔を出すはずがない。女同士で集まって茶を飲み、和歌を詠み、互いの衣について讃え合う事の何が面白いのか。そんな実を結ばぬことに付き合うくらいなら、柱の節でも数えているほうが余程有意義だ。
「仰せのままに。」
女官たちも慣れたもので、断る理由を問うことすらしなかった。
「あら、琴吹様。書物庫へ?」
「そうだ。」
「行ってらっしゃいませ。」
近頃は琴吹の言いつけによって、女官は清涼殿で帰りを待つようになった。
初めは、「侍女を従えぬ妃などいない」やら、「矜持が保てない」やらと女官が一生懸命に説得したが、妃としての矜持など毛ほども興味の無い琴吹は「お前たちが私に無体を働いていると主上に言いつけてやろうか。」などと脅して、女官は遂に何も言えなくなってしまった。
琴吹は一人で行動することを好み、束縛されるのを嫌がった。
「すぐに戻る。何かあっても呼びに来るな。」
そう無茶を言って、いくつかの巻物を自ら手に持った琴吹は書物庫へ向かった。
*
「お気の毒よね。琴吹様の女官たちは。」
書物庫からの帰り。
少し遅くなったかと足早になっていた折、琴吹は偶然にも廊下の向こうから聞こえてきた声に足を止めた。
「仕える妃が妃ですもの。他の方々とお付き合いもなさらないし、贈り物も送り返しているそうよ。覚えはめでたいというけれど、女官にしてみればとんだ落とし穴もいいところでしょう。」
「そうよ。せっかく後宮仕えに上がったというのに、食事一つまともに頂けないなんて。」
琴吹は己に結界を張って姿を隠し、柱の陰から顔を覗かせると、他の妃付きと思われる女官が数人で話をしている。
「この間の宴以来じゃなくって?あの女官達の姿を見たのは。」
「不憫ね。主が交流の場に出なければ、食事を得る機会なんてないもの。」
「でも、あの可笑しな妃に仕えている程だから、きっと平気なのだわ。」
「そもそも、あの変な妃に誘いの文を出す妃なんているのかしら。」
くすくすと笑う声を聞いて、琴吹は黙ってその場を離れた。
人間同様、化物は人や他の化物の肉を食らう必要がある。
陰陽師が妖を祓い、人間を守るはこのためだ。
琴吹は知らなかったが、人間を殺生することのできないここでは、妃らの社交の場が、そのまま女官らの食事が給仕される場にもなっているらしい。
妃を積極的に交流させねば、女官たちは飢えてしまう。
だからこそ皆、妃の機嫌を損ねぬよう献身的に世話を焼き、茶宴や宴の席にもせっせと妃を連れ出すのだろう。
妃にとってはただの社交であっても、女官らにとっては生きるための食事の場である。
なんともまあ、よく考えられた制度だ。
琴吹が唯一参加したあの日の宴から、もう数ヶ月は経っている。
女官共は己を無理に連れ出されぬから、関係ないものと思って慢心していた。
「(これは、私の失態だな。)」
あの女官共がどれほど食わずに正気を保てるのかなど、琴吹の知ったことではない。
だが己に仕える者たちが、同情され馬鹿にされるような有様になっているのは看過できなかった。
それはかつて己が一派を率いていた時もそうだ。
属する者がどれほど末端であろうと、その振る舞いひとつで一派全体の評判が決まる。
女当主であった琴吹には、それが殊更に重くのしかかった。
些細な欠陥さえ、嬉々として揚げ足を取られることが多かったからだ。
だからこそ、琴吹は己に仇なす者には容赦がなかった。けれど、己のために働く者まで蔑ろにするほど、道理の分からぬ訳でもない。
「(あの女官たちが、そのような不満を口にすることなど今まで一度もなかった。毎日食事を取り、少し肥えた私など、どれほど美味そうに映っただろう。)」
琴吹は勢いよく清涼殿の扉を開くと、驚いた様子の女官共を見た。
曲者の己のために根気強く働いた者には、それ相応のものを与える。
「先程の茶宴だが、参加の意を伝えよ。」
それが琴吹のやり方だ。
*
あの出無精の琴吹が、突然茶宴に出ると言うのだから女官はそれはそれは驚いて、同時に喜んでいた。
食べ物にありつけるからではない。琴吹の心意気にだ。
普段の様子から、これがどれ程気乗りしない事なのか良く分かる。ましてや茶宴ともなれば、ただ顔を出すだけでは済まない。「妃」として人前に出て、芸まで披露せねばならぬのだ。
そんな宴に出ると言うのだから、女官らの状態や待遇について何か知ったに違いなかった。
鬼灯自らが連れてきた寵妃琴吹のお付きと言うこともあり、女官らは聡明だ。
琴吹妃がその心積りならば、女官らもそれ相応に応えねばならない。
琴吹妃を、誰よりも美しく。
あの日の宴の時よりも、ずっと華やかに。
そう思えば、女官らは自然と顔が綻んだ。
また何より、宴の場にいる妃らへ、塵を見る様な視線を送る琴吹が楽しみで仕方がなかった。
*
しばらくの間、琴吹は書庫へ通うのをやめた。
その代わりに清涼殿へ籠り、茶宴で披露する剣舞の稽古に明け暮れた。
陰陽師であった琴吹が刀を振るうことなどない。妖を相手にする時でさえ、剣など必要としていなかった。
それでも剣舞は舞うことが出来た。
幼い頃、よそ向きの最低限の教養として、ただ一つだけ身に叩き込まれたものである。
当時は、こんなものを覚えて何になるのだと思っていた。陰陽師として生きる己が、剣舞など舞う日が来るはずもないと思っていたからだ。
「(それがまさか、後宮の茶宴などという場で役に立つことになるとは、人生は何が起こるか分からないな。)」
剣舞を練習している間も、鬼灯が琴吹のもとを訪れることはなかった。
一身に秀麗のもとへ通っているという噂だけが後宮を巡っていたが、琴吹はそんなことを知る由もなく、そもそも秀麗が懐妊したという話すら知らなかった。
琴吹にとって鬼灯がどこで誰と過ごしているかなど、つまらぬ書物の結末よりも関心の無いことであったからだ。
久方ぶりに握った刀は思っていたよりも重く、何度も振っているうちに手のひらは痺れ、指先は擦り切れた。
それでも身体は不思議なほど昔の動きを覚えていて、振り下ろし、返し、踏み込むたびに、眠っていた感覚が少しずつ戻ってくる。
琴吹はそれを確かめるように、何度も刀を振った。
*
茶宴当日。
琴吹は女官らによって、随分と早く起こされた。
「本日は茶宴にございますので。」
「まだ時間はあるだろう。」
「お支度するには足りない程ですわ。」
琴吹は気怠そうに目を細めたが、女官らは踏みとどまる訳にいかなかった。
琴吹を、誰よりも美しくする。それはもう、あの日から決めていたことである。
湯を浴んで髪を整え、衣を選び、簪を挿す。
いつもならば最低限で済ませるところも、今日はそうはいかない。
化粧には琴吹の顔立ちが最も映える色を選び、髪もいつもより丁寧に結い上げる。唇には紅を載せた。
最後に鏡を見せられ、琴吹は僅かに眉を上げた。
「……随分と派手にしたな。」
「本日は茶宴にございますから。」
「これでは目立つだろう。」
「存分に目立っていただきたいのです。」
女官たちは満足そうだった。
普段の琴吹も十分に美しいが、今日はそれとは違った。華やかな衣に包まれた姿は、後宮でも一際目を引く。
あの宴の時よりも、ずっと。
琴吹はそんな女官らの気持ちなど知る由もなく、心底興味が無さそうに鏡から目を逸らした。
*
支度を終えた琴吹が清涼殿を出ると、付き従う女官らの顔が妙に晴れやかだった。
普段よりも幾分華やかな衣を纏い、髪も念入りに整えられた琴吹は、琴吹が望んでいるかどうかお構いなしに、道行く妃や女官らの目を引いた。
すれ違う者は皆一度は振り返り、声を潜めて何事か囁いている。その視線を受けるたび、琴吹付きの女官らは誇らしかった。
己の主が美しいことなど今更言うまでもないが、こうして周囲の者にまでそれを思い知らせることができるのは、女官らにとって気分の良いことだった。
豪華に装飾された庭園へ出る。
相変わらず薄暗く、どこか薄気味の悪い庭であった。
「(季節を愛で、風情を楽しめと言われても、このような場所で一体何を見ろというのか。)」
後宮へ入ってからというもの、琴吹は幾度となくそう思っていた。日差しもろくに届かぬ庭を眺めながら、和歌だの花だのと風雅を語り合う妃たちの気が知れない。
そんなことを考えながら、琴吹は方々から向けられる嫉妬や疑念の視線をものともせず、用意された席へ腰を下ろした。
ほどなくして、主宰である秀麗も姿を見せた。
以前見た宴での、着ていないも同然の服とは異なり、今日は随分と重ねているように見えた。
秀麗は琴吹と目が合うと、満足気な笑みを浮かべた。
やがて妃たちも揃い、皆がそれぞれの席に着く。
茶が運ばれ、菓子が並べられ、秀麗が穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
こうして、茶宴が始まった。
上位の妃たちが揃えば、茶宴はそれらしい雅やかなものになった。
誰それが詠んだ和歌が見事だった、今年の香はどこそこのものが良い、季節が移ろえば庭の草木もまた趣が変わるなど、琴吹からすればどうでもよい話ばかりが続いている。
皆、袖で口元を隠しながら上品に笑い、互いの言葉に頷いては、いかにも仲睦まじく語らっているように見えるが、その実、懐妊について知りたがっていた。
主上がどれほど秀麗のもとへ通っているのか、いつ頃からそのような仲になったのか、腹の子は本当に主上の子なのか、男なのか女なのか。
直接聞けば下品になるようなことを、季節や香の話に紛らせながら、皆が少しずつ探っている。
秀麗もまた、それに気づいていながら知らぬ顔をして、問われれば嬉しそうに答えていた。
琴吹はその様子から目を逸らすと、大して美しくもない花を見ながら茶を一口飲んだ。
そんなことをしているうちに、秀麗が頃合いを見たように席を立った。
「皆様に、ひとつお伝えしたいことがございます。」
その一言で、先ほどまでの和やかな空気が一瞬にして変わった。
その空気を感じながら、秀麗はゆっくりと腹へ手を添えた。
「私は主上様のお子を身籠りましたの。」
途端に、周囲から祝福の声が上がった。
おめでとうございます、さすがでございます、主上様もさぞお喜びでしょう、と口々に言われるたび、秀麗の顔には隠しきれぬ得意げな笑みが浮かんでいく。
己が鬼灯の子を身籠ったという事実を、これほど大勢の前で告げられることが嬉しくて仕方がないのだろう。
ただ、祝福を述べる他の妃の視線は、その腹への嫉妬と嫌悪で溢れている。
「(醜い。あれでは子も腹から出てきたくは無いだろう。)」
ふと、琴吹は秀麗と目が合う。
秀麗の何かを期待しているような視線の正体を琴吹は理解出来なかった。
「もし男児であれば、きっと主上様もお喜びになるでしょうね。」
秀麗は自らそう言って、嬉しそうに腹を撫でた。
「そのような子を産むことができれば、私も母として、そして主上様のお妃として、これまで以上に務めを果たさねばなりませんもの。いずれ、この後宮を支える立場になることもございましょうし。」
秀麗の言葉こそ遠回しだが、言いたいことは明白だった。鬼灯の子、それも男児を産めば、秀麗が皇后となる可能性がある。
そして、それを堂々と琴吹に聞かせているのだ。
周囲の妃も、この二人の様子を固唾を飲んで見ていた。
琴吹はただ女官に食事を与えるために出席しただけだったが、今、全ての意図を理解した。
琴吹は全く知らなかったが、秀麗の懐妊は噂になっていた様に見受けられる。
側から見れば、己の出席は、寵妃と呼ばれる琴吹が、鬼灯の子を身籠った秀麗に対して何が文句をつけに来たのだと見えるに違いない。
「そうか。」
それだけ言って、それ以上は何も言わない琴吹を見て、秀麗の笑みが僅かに引き攣る。
琴吹とて、皇后という地位がどれほど高いものなのかは知っている。
後宮にいる以上、それがどれほど価値のあるものかも理解している。だが、それは「妃」の話だ。
己が望む座ではない。
琴吹にとって皇后とは、鬼灯に屈した際の最大級の恥辱である。そんなものを手に入れるために他の妃と競い合うなど、言語道断だった。
秀麗が勝ち誇ったように主張するほど、琴吹との間にある温度差が明確になる。
「琴吹妃は最近の夜の疲れはどうですか?」
焦った秀麗は、宴の際に琴吹から受けた嫌味をそのまま返した。
「お陰様で。」
あまりにも迷いなく返され、秀麗の顔から笑みが消えた。琴吹は秀麗の腹を見て、それから鬼灯の顔を思い浮かべた。
「(この女が珍しく厚着だったのはそのせいか。)」
そういえば、最近あの男は全く清涼殿へ訪れなかった。なるほど、ようやく話が繋がった、と琴吹は思った。
「(それにしてもあの男、節操というものがまるでないな。)」
琴吹は心底呆れた顔をしていた。
秀麗が懐妊したことは、琴吹にとって何の問題でもない。おかげで訪れが少なくなった琴吹は、秀麗に感謝こそすれ、恨む理由などなかった。
ただ、鬼灯があちらこちらで女を抱き、子まで作ろうとしているという事実には、嫌悪を覚えた。
秀麗は、何とも思っていなさそうな琴吹を見つめたまま黙ってしまった。
期待していたのは、こんな反応ではなかった。
己の懐妊を知って鬼灯を奪われたことに嫉妬し、せめて表情の一つでも曇らせてくれれば、それで十分だった。
それなのに琴吹は、秀麗が何を誇っているのかすら理解していないような顔をしている。
秀麗にとってそのことが、何よりも腹立たしかった。
*
茶宴は進み、妃たちが順に芸を披露することとなった。
琴を弾く者、和歌を詠む者、歌を唄う者など、それぞれが得意とするものを披露していく。
秀麗は舞を披露する手筈であった様だが、身重であることを理由に辞退した。妊娠したばかりの身で無理をするわけにはいかないというのはもっともな話で、周囲も皆、秀麗を気遣うように頷いている。
そうして幾人かの妃がそれぞれの芸を披露し終えたところで、いよいよ琴吹の番が回ってきた。
琴吹はゆっくりと立ち上がった。
何をするのかと、周囲の妃たちが一斉に琴吹へ目を向ける。
普段、こうした宴には顔すら出さぬ琴吹が、わざわざ出てきたのだ。それだけでも十分に珍しいというのに、道理を弁えて何かを披露する様だから、皆が気になるのも無理はなかった。
秀麗もまた、琴吹から目を離さなかった。
先ほどのことがあってからというもの、秀麗の機嫌は目に見えて悪い。己が懐妊したことを告げても嫉妬するどころか、興味がないと言いたげな目線。
せめて琴吹の芸くらいには文句を入れてやりたいという思いが、隠しきれぬほどその目に滲んでいた。
琴吹が何をするのかと皆が見守る中、琴吹の後ろに控えていた女官が一本の刀を持って歩み出た。
それを見た妃たちがざわめく。
琴吹は刀を受け取ると、しばらくその重みを確かめるように軽く回してみせた。
そして、傍らにいる女官らにだけ聞こえるほどの声で、独り言の様に呟いた。
「粗末な舞だが、お前たちの食事くらいは賄えるだろう。」
同じ顔をした女官らは一瞬目を見開き、それから皆同じように顔を綻ばせた。
琴吹はそれを見ると、舞台へ上がって刀を構えた。
静かに息を吐いて、一歩踏み込む。
刃が空を切った瞬間、それまでとはまるで別の空気がその場を満たした。
琴吹の身体が流れるように動く。
刀を振り下ろし、身体を返し、踏み込んだ足を軸にして刃を払う。その一連の動作に余計な力が入っておらず、一つ一つの動きに鋭さがある。
衣の裾が大きく翻り、絹の様な髪がその後を追うように揺れるたび、まるで琴吹自身が刀と共に舞っているようだった。
誰もが、言葉を失っていた。
刃を振るうたびに軌跡が生まれ、その軌跡が綺麗に繋がっていく。剣舞をよく知らぬ者でさえ、その美しさに目を奪われるほどだった。
琴吹が最後の一振りを終え、刀を静かに下ろす。
息一つ乱さず、額にも、首筋にも汗ひとつ浮かんでいなかった。
琴吹が一礼をすると、それが合図になったかのように、辺り一面から大きな拍手が湧き起こった。
拍手喝采の中、琴吹は見覚えのある他の女官らへ視線を向けた。琴吹と目の合った妃と女官共は、なぜこちらを見ているのか、とでも言いたげな顔をしている。
琴吹はしばらくその女官らを眺め、穏やかな声を術に乗せて言った。
"女官の分際で、随分と良く喋る口だったな。"
突然脳内に響いた琴吹の声に驚きつつ、何の話をしているのか分かった女官らは、サッと血の気が引いた。
琴吹は持っていた剣を彼女らの方へ向けると、"二度はない。"と言って笑った。
琴吹は美しく笑っているが、決して冗談ではないことが声色から分かる。
実際、琴吹を辱めた妃とその女官は主上自らの手で死を賜った。
震え上がる女官とその妃らに、琴吹はそれ以上何も言わなかった。
*
秀麗の胸には、先ほどとは比べものにならぬほど苛立ちが募っていた。
己が得意な舞を辞退した場で、琴吹が誰よりも大きな喝采を浴びている。
私が舞えば、結果は違っていたはずだ!と秀麗は思わずにいられなかった。今、己の腹に居着く子が憎くさえ思えた。
「(何故、あの女は!!)」
秀麗が怒りのあまり席を立とうとした時、庭の向こうから気配がした。
「琴吹殿、見事な剣舞だ。ここにあるどの花よりも美しいので、庭が見劣りしてしまうな。」
聞き覚えのある声に、皆が振り返る。
そこに立っていたのは青藍だった。
「陰陽師らしく術の類でも披露するのかと思っていたが、まさか剣舞がこれほどの腕とは。」
その顔を見て、琴吹は僅かに眉を寄せた。
「現世で帝の真似事をしているはずでは?」
「随分な言い方だな。少々厄介な事が起こったので戻って来たのだ。」
青藍が苦笑すると、周囲の妃たちが騒ぎ始める。
「まあ……!」
「青藍様でいらっしゃるわ!」
「どうしてこちらへ?」
それまで琴吹の剣舞に釘付けになっていた妃共が、今度は一斉に青藍へ視線を向け、頬を染め、扇で口元を隠しながら囁き合う。
琴吹はその様子を眺めた。
主上のために用意された後宮であるというのに、他の男が現れただけで、こうも嬉しそうに騒ぐとは。
なんとも滑稽な女達だ。
青藍はそんな妃たちの視線など気にも留めず、琴吹から秀麗へと視線を移した。
「秀麗。」
「はい。」
「此度の懐妊、まことにめでたいことだ。主上の子を身籠ったということは、後宮においても大きな意味を持つ。」
秀麗は先程の怒りをすっかり忘れて、嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
「もし男児であれば、秀麗が皇后となることも十分に考えられるだろう。主上の血を継ぐ子を産むのだから、それに相応しい立場を与えられるのは当然のことだ。」
琴吹は「(またその話か。)」と、黙って聞いていた。先ほど秀麗から聞いたばかりだというのに、今度は青藍まで同じことを言い始めた。
「琴吹殿も、分かっているだろう。皇后というものは、ただ面白い美しいでなれるものではない。それ相応の資格が必要だ。」
「そうか。」
「主上の子を身籠った秀麗には、その資格がある。」
「そうか。」
琴吹は返事をしながら、青藍の顔を見た。
「(こいつは何を言っているんだ。)」
意味の分からぬ念押しを無視しようと思ったが、青藍が帝であった記憶が足を引っ張って、無碍にできなかった。
青藍は琴吹の表情をじっと見つめた。
他の妃とは違う意味で、琴吹が主上に執着していることは知っている。ならば、主上の子を身籠った秀麗を見れば、少しくらいは反応があると思っていた。
皇后の座までちらつかせれば、己の立場を失うことを恐れ、何かしらの反応を示すはずだろうと。
だが、どうだ。
琴吹はまるで興味が無い。
「(これは、失敗だったか。)」
青藍は内心でそう考えた。
それでも、鬼灯の世継ぎを作れたことだけは、青藍にとって満足のいく結果だった。
琴吹がどう思おうと、成功に変わりはない。
青藍はそう己に言い聞かせるようにして、未だに硬い表情の琴吹を見つめていた。
「(しかしまあ、本当に美しい女だ。)」
青藍はふと己の心の中に浮かんだその感想に、少し驚いていた。




