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後宮の毒  作者: 公开
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第四話 鬼と帝

 琴吹の謀りが功を奏し、己に触れた数人の妃が殺されてからというもの、嫌がらせの貢ぎ物はぴたりと止まった。


 なんとも愚かで分かりやすいことか。


 代わりに送られてくるものはどれも一級の奢侈品で、送り返すのに苦労する日々であった。

 書庫通いの日々で、読み物が好きだという噂も広まった。贈り物の中に貴重な書物や巻物などが増えたのは、大変好ましかった。





*





 いつもの様に書物庫へ向かう途中、他の妃と鉢合わせた。

 あからさまに動揺し、琴吹の衣一つにすら触れぬよう緊張した面持ちで通り過ぎる妃共を見て、琴吹は可笑しくてならなかった。


 「(これではまるであの男と一緒ではないか。)」


 恐れられるというのは、やはり悪くない。

 くだらぬ蹴落とし合いの対象になることがないからだ。琴吹は口元に笑みを浮かべて歩みを進めた。


 書物庫で見る文献は、どれも琴吹の興味を惹くものばかりで、化物の種類から妖界のしきたりに関することまで、なんでも事細かに知ることが出来た。


 そんな中、琴吹が密かに探しているのは鬼灯に関する記述であった。


 弱点でなくとも良い。


 とにかく鬼に関するどんな情報でも欲しかった。

 情報が無くては土俵に立つことも叶わぬ。


 書架をいくつも巡り、それらしい情報を探していると、化物の生態について記された書物を見つけた。


 「(妖にその意思があるとき、妖と人は子を成せる……。実際に試した変態がいるとは思いもしなかった。しかも随分最近の記述のようだ。)」


 思わず眉を顰めながらも次々に頁を進めていると、琴吹の手が止まった。


 「鬼王の忠臣、妖龍……。」


 鬼王には、妖龍の一族が代々仕えているという。

 龍の血を引く妖で、並の化物とは一線を画す存在だと。

 しかし、鬼灯を見るにそれらしき者を連れているところを目にしたことはない。

 実際、琴吹一派への襲撃も、鬼灯単独の行動であるように思われた。


 「(妖龍などという格高い化物、見ればすぐに分かりそうだが……。)」


 ならば、妖龍はどこにいる?

 そもそも、鬼に仕えているという一族は、今も存在しているのだろうか。

 考えを巡らせていると、書庫の入口から慌ただしい足音が響いた。


 振り返れば、一人の女官が焦った面持ちで立っている。


 「琴吹様、主上がお出でで御座います。清涼殿へお戻りください。」


 「……またか。」


 琴吹は綺麗な顔を露骨に歪ませて舌打ちを一つすると、大人しく本を仕舞った。

 琴吹が大人しく従うのは、そうしなければ更に面倒事になると分かっているからだ。



 鬼灯は直近の音沙汰なしが嘘だったかのように、毎日清涼殿へ訪れていた。


 しかし、以前と異なるのは、茶をするために清涼殿へ寄ったり、様子を見に来たと言って顔を出したりすることが増えたことだ。

 あの一件以来、鬼灯としても何か思うところがあったと見えるが、琴吹には心底どうでも良かった。

 この無意味な訪れは、恥辱を受けない点でありがたいが、これはこれで鬱陶しく、迷惑極まりない。

 何かと琴吹の反応のありそうなことを探しているような態度も癪に障った。


 清涼殿への廊下を歩きながら、先ほど読んだ妖龍のことを思い出す。


 鬼灯のことを知ろうとすればするほど、分からぬことばかりが増えていく。

 訊けばベラベラと喋りそうだが、それがどこまで誠なのかは信じられぬ。


 清涼殿へ戻ると、鬼灯が待っていたと言わんばかりの視線をこちらに寄越した。


 「遅い。」


 「……大変失礼しました。次からはお呼びいただく前に到着を。」


 扇子を口元にあてがいながら皮肉を言う琴吹を見て、鬼灯は嬉しそうに微笑んだ。


 「現世に用がある。お前も来るといい。」


 皮肉に意味がないと分かった琴吹は、すぐにいつもの調子で答えた。


 「ハッ、貴様の暇潰しになど興味はない。」


 「つれないな、行先は宮廷だ。きっと面白いものが見られる。」


 「……人間共々滅ぼす気か?」


 琴吹の言葉を無視した鬼灯は、拒否する権利などない、と言わんばかりに琴吹の柔らかな手を引いて部屋を出た。





*





 現世で宮廷と言ったら、帝の住まう場所だ。


 琴吹は、完全に化物の気配を消した鬼灯に手を引かれるまま宮中へ足を踏み入れた。

 琴吹は立場上参内することが多かったので、どこも見覚えのある懐かしい場所だった。


 だからこそ、鬼灯を迎えに来たと見える男を見た瞬間、琴吹は言葉を失った。


 「青藍(せいらん)。」


 鬼灯が、親しげにその名を呼ぶ。


 「お待ちしておりました、主上。先日同様、お呼び立てて面目御座いません。」


 恭しく頭を下げた男を見て、琴吹は目を細めた。


 なぜ、鬼王と帝がこのように親しいのか、考えたくもなかった。


 「おや、琴吹殿。光栄なことに、主上の後宮へ入内されたのですね。」


 生きた身でこの場にいる琴吹に疑問を抱かず、美しく笑う帝の顔が恐ろしい。


 「(驚いたな。こいつが妖龍だ。)」


 宴の折、鬼灯が席を外したことがあったが、恐らくこの男が関係しているのだろう。

 鬼灯を動かせるような者がいるとするなら、琴吹を除いて、この妖龍くらいだ。


 まさか帝が、誰もが恐れる鬼王の臣下だったとは。


 「(もしこの事実を現世の人間が知ったならば……。己の命に価値を感じられなくなるに違いない。)」


 人間の頂点が、妖の頂点に仕えている。

 目の前の男は帝として人間を統べながら、鬼王の側近として妖の世にも身を置いているのだ。


 鬼灯が「きっと面白いものが見られる」と言ったのも頷ける。


 琴吹は扇子を口元にあて、帝を改めて眺めた。


 天から舞い降りたような美貌と若くして人を惹きつける才覚、そして政にも長けた賢帝。


 皆が口を揃えてそう評すが、琴吹は帝を拝するたび、過去の忌まわしき記憶を思い起こした。


 "そなたを、我が妻へと迎えたい。"


 そう告げられた時は耳を疑ったが、今になれば頷ける。琴吹の脳裏には、先ほど書庫で目にした一文が蘇っていた。


 __妖にその意思があるとき、妖と人は子を成せる。


 今、帝には皇后との間に男児がいる。

 あの真新しい記述は、この男から得た情報に違いない。

 己は危うく、その実験体になるところだったのだ。


 帝が琴吹を選んだのは、修練を積んだ強い母体が欲しかったからか。それとも、子が女児であれば主上の娯楽になるよう、美しい母が必要だったか。


 その真意は分からない。


 だが、丁重に断っておいて正解だったと琴吹は思った。

 帝は妖龍で、人間ですらなかったのだから。


 「(……とんだ笑い話だ。)」


 琴吹は心の中で吐き捨てる。


 結局のところ、これまで己が積み重ねてきた努力など、鬼灯に潰されずとも無駄だったのだ。

 人間の世でどれほど権力を得ようとも、己を磨き、一派を大きくしようとも。


 その頂点に立つ者が妖なのだから。


 今さらこの事実を知ったところで、どうなるものでもない。


 「(私はもう死んだことになっているし、他の人間がどうなろうと知ったことではない。)」


 琴吹はそれ以上考えることを放棄し、馴染みの広間へと足を向けた。


 「琴吹、手を。」


 そういう鬼灯に手を差し出してやると、軽い口づけをされる。周囲から認識できなくなる術でも掛けられたようだった。


 その様子を帝は穏やかに見守っていた。





*





 帝の招集する陰陽師当主らの評定に、あろうことか身を潜めた鬼王も参加している。


 妖主催の妖退治に関する話し合い。

 極めつけに妖帝の御意を求めるなぞ、化物からしてみれば大笑いものだ。


 この真実を知った今、鬼灯への反抗の意を込めて有事の際には妖を祓ってやろう、などと考えていた琴吹の気持ちも萎えてくる。


 「(なんという茶番だ。)」


 人間を守るために集まったはずのこの場で、人間に害をなす妖が堂々と議論に加わっているのだから、馬鹿馬鹿しい話である。

 そんなことを考えていると、琴吹の耳に聞き馴染みのある声が飛び込んできた。


 「あの琴吹殿の一派が、鬼王によって潰された。」


 己を話題に出され、琴吹の眉が僅かに動く。


 「琴吹殿の死体は見つかっていないようだ。」


 「他の者も、炎でほとんど塵になっているんだ。五体満足で見つかった者はおらぬし、琴吹殿もきっと……。」


 陰陽師当主たちは、しみじみと琴吹の死を悼んでいる。


 扇子を口元にあてがった琴吹は、その様子をつまらなさそうに眺めた。


 帝の御前、この狸共はいつもこうだった。

 普段は女のくせに、などと散々罵っている事など、帝は露知らぬ。

 女だというのに当主の座に居た琴吹に対して良い顔をするものは居なかった。

 琴吹が次期陰陽頭に指名された時の奴等の顔を、思い返しては悦に浸っていた日々を思い出す。

 琴吹の訃報を聞き、狸共は内心喜びで満ちているに違いない。


 「まだ若かっただろう。それに、実力者だった。彼女の喪失は大きな痛手だ。」


 帝が控えめに言う。悲痛な面持ちで伏せられている目線は、もちろん琴吹に向かっていた。


 なんとも白々しい。

 琴吹は思わず手が出てしまいそうだった。


 この愚かな当主共に教えてやりたい。

 死んだと思っている女陰陽師とやらは、鬼王の妃となってこの場に連れて来られている。


 そう思うと、琴吹は思わず口元を歪めた。

 人間がどれだけ馬鹿にされているのか、嫌というほど分かったからだ。


 これほど皮肉なことがあるだろうか。




*





 評定が終わるや否や、鬼灯と青藍は場所を移して二人で酒を酌み交わしていた。

 酌み交わす、とはいっても、青藍は鬼灯の傍に立っているだけで、腰かけようともしない。

 鬼灯も青藍も、己らの正体が知られても構わないと言った面持ちである。あちらが本当に近い姿なのだろう。

 妖龍も綺麗だが、やはり鬼王と並ぶと見劣りするな、と琴吹はくだらない事を考えていた。


 「(それにしてもあの妖龍は、よほど鬼灯のことを慕っているように見える。)」


 鬼灯の手前、琴吹に対して好意的に見えた青藍だが、その実、琴吹に対する敵意で満ちていた。

 本人は悟られていないつもりなのだろうが、琴吹には手に取るように分かった。

 警戒、嫌悪、そして、排除すべき者を見る目。琴吹は、そんな視線には慣れていた。


 己の仕える王に馴れ馴れしい態度を取っているのが気に入らないんだろう。

 琴吹は、鬼灯が清涼殿に訪れては、己と対等に座って茶を楽しんでいることを思い出す。

 そんな姿をこの妖龍に見られでもしたら、不敬だと殺されそうだ。


 「(あれはあれで面倒くさそうな男だから、暫くは現世に縛り付けておけ、とでも言ってみようか。)」


 そんなことを考え、離れた場所から二人の姿を眺めていると、琴吹はふと怯えた様子で隣に立つ人間へ目を向けた。


 帝の側仕えだ。


 側仕えなど、なるものではない。

 だというのに、尊敬する帝に一番近しい存在になれるとして、志願する家も後を絶たない。


 側仕えとして選ばれた赤子は、歯が生えそろう頃に舌を切られ、監禁される。教養は全て言い聞かせ、文字に触れさせることをしない。

 そうして、文字も書けぬ、口(・)の(・)堅(・)い(・)立派な帝の側仕えが完成する。


 全くこの側仕えは、誠に運が悪かった。


 鬼王に給仕する麗しの帝。


 あろうことかその帝は人ですら無いと見える。


 この側仕えは目の前の絶望的な光景を、未来永劫誰にも伝えることなく死ぬのだろう。今も恐怖で全身を震え上がらせ、大量に汗をかいている。


 死んだと言われるどこぞの琴吹殿とやらまで、綺麗な姿で隣に現れたのだから尚更だ。

 己も裏切りの一派のように見えているのだろうな、と琴吹は思った。


 すぐに殺されるだろうが、死ぬのを待つくらいなら、人を呼ぶなりして足掻いてみればいい。

 あの狸共なら、それなりに腕も立つ。まだ宮廷からそう遠くは離れていないはずだ。

 それをしないというのも、なんと愚直なことか。


 「(帝の正体や思惑が何であれ、その御心も含めてお仕えするのが美徳というものか。)」


 この側仕えはその覚悟でここに残り続けているか、それともただの貧弱者なのか。その真意は分からぬ。



 「お前も私も、来世はいっそ虫になったら気楽で良いだろう。……いや、高望みか。」



 そんな風に呟くと、側仕えは驚いたように目を見開き、風に靡く琴吹の美しい髪と横顔に目を向けた。

 琴吹が話し掛けたから、というよりも、天下の大陰陽師がそう感じていたことに驚いた、とでも言いたげな表情だ。

 琴吹はしばらく考えたのちに口を開いた。



 「真実を知り、この世に希望はないだろう。ならば、私に頼まれ事をしてくれないか?」



 側仕えはそう言って微笑む琴吹を見た。


 琴吹の美しさは、天女が己を救いに舞い降りたのかと錯覚する程であった。


 側仕えは遠くにいる帝を見る。

 己が生涯を賭してお仕えすると誓った御方は、人間ではなかった。

 己が言葉を犠牲にして文字を諦めた存在は、人間が知恵を持ち寄り、倒さんとする敵であったのだ。

 側仕えは拳をきつく握り締め、覚悟を決めた目線を琴吹に向けた。


 そして、琴吹の「一度しか言わぬ。」という言葉に頷いたのであった。





*





 「どうしたら俺の手中に収められるだろうか?」


 青藍の注いだ上等な酒を飲み干して、鬼灯は問うた。


 鬼灯は、あの夜の昂ぶりが忘れられないでいた。


 鬼灯の知らない琴吹の一面を、もっとこの手で暴きたいと思わずにはいられなかった。

 今ですら鬼灯は、日差しに身を委ねる美しい琴吹から目が離せない。


 「貴方からそのような言葉が出るのですから、己の耳を疑ってしまいます。」


 「言う様になったな。」


 「滅相もない。」


 そう言いながらも、青藍の口元には僅かな笑みが浮かんでいる。


 「琴吹殿の今まではご存じですか。」


 「さぁ。大陰陽師と呼ばれていたそうだが、そんなものに興味などない。」


 青藍は何事もなかったかのように「そうですか。」と言った。


 心底どうでも良さそうな鬼灯の言葉に、青藍は安堵した。今まで己が適当に見繕って来た寄せ集めの妃ではなく、主上が初めて自ら入内させた女。

 それ故か、今までにない肩の入れようだと聞いていたが、この反応を見る限りそこまででも無いようだ。


 所詮主上があの女に求めているのは、突き詰めれば刺激と意外性に過ぎない。


 「(よりにもよって、あの女を選ぶとは。女がなんと言って私との成婚を断ったか、思い出したくもない。おかげで強い実験母体を探すのに手間が掛かった。)」


 身体が丈夫で皮だけ良い女に、主上の時間を取らせては勿体ない。青藍は、敢えて己が知っている琴吹の一切を言わなかった。


 「(主上のことだ。あまりの可笑しさに、また一段と興味を持たれてはたまらない。)」


 和やかな表情のまま、青藍は続ける。


 「……どんなに愛想の無い女でも、他の女が己より愛されていると知れば、いささかの焦りが生れましょう。」


 青藍がそう言うと、鬼灯は顔を上げた。


 「そういうものか?あの女は、寧ろ喜びそうだ。」


 「ええ。私も子が出来た折には、随分と言い寄る女が増えた時期がありました。」


 「何故だ?」


 「一番が決まれば、その一番を実力で奪ってみたくなる。女とはそういう生き物ですよ。」


 青藍の言葉に、鬼灯はグラスを揺らしていた手を止める。


 「……他の女に俺の子でも孕ませれば、あれはどんな反応をするだろうか?」


 青藍は迷うことなく頷いた。


 「良い案です!お世継ぎが生まれることも相まって、一石二鳥でしょう。」


 「……そうか。」


 鬼灯はどこか嬉しそうに嗤った。





*





 それからほどなくして、後宮で鬼灯の子を身籠った妃があるという話が広まった。

 相手はあの覚えめでたい琴吹殿に違いないと、誰もが信じて疑わなかった。


 ところが、鬼灯との子を孕んだのは、宴の折、琴吹に悪意を向けた末、散々に打ちのめされた秀麗殿であった。

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