第五話 向日葵
向日葵が似合う夏のある日、茂じいさんと会った。
向日葵が咲く姿に今まで気づかなかったことを教えてくれた。
極めるということを気づかせてくれた。
【人生を教えてくれるおじいさん】
第五話 向日葵
枕元に置いてあったスマホがブルブルした。LINEのメッセージだ。
「拓人君、時間があったらうちに来るか? 休耕田に向日葵を植えてたんだけど満開でな。取りにくるか?」
まだ6時だ。茂じいさんさんは高齢のせいなのか早起きだ。
寝ぼけながら「行く行く」という動くスタンプで返信をした。
すぐ返信が来た。
「いつものように昼食後に来なさい。それまでに形のよい向日葵を切っておくから」
いざ、自転車を漕ぎ出したら、汗が吹き出した。
(こんな暑い日に帽子を忘れた)
つぶやいてももう遅い。
(この前は雨でメガネが濡れて、今日は汗でメガネが濡れる。
一旦自転車を止めて、タオルを鉢巻きのように頭に巻いた。
(これで汗は眼鏡に落ちないで、おでこで止まるな)
そんなことを思いながら、茂じいさんの自宅へ向かった。
茂じいさんの家の門の前は一面、黄色くなっていた。向日葵がぎゅうぎゅうに咲いている。
門を入ると、茂じいさんはいつもの縁側に座って、向日葵を適度な長さに切っていた。
「お、来たか。ほれ、どうだ。綺麗だろう」
切った向日葵を高々と持ち上げ、見せてきた。
「やっぱり夏には向日葵だね。向日葵の黄色は元気が出る色なのかもしれないね。でも、こんなにたくさん、切ってしまったの?」
「もう満開を少し過ぎたからなぁ、ほれ、そこを見てみろ。まだあんなに咲いてるわ」
門からも向日葵畑が見える。
「向日葵って太陽の方を向くんですよね」
「あぁ、そうだ。拓人の家にも向日葵はあるのか?」
「うちにはないけど、友達が言っていたから」
「向日葵って漢字で書いてみろ」
「え、え~と。『向日葵』こうかな」
僕はカバンから小さなメモ帳を出して書いてみた。
「ほれ、わかっただろう。日に向く、と書いているよな」
「あ、本当だ」
今まで、漢字は漢字としか考えていなかった。ちゃんと意味があるんだな。
「茂じいさん、そこに置いてある大きな向日葵、少し枯れてるけど、どうしたの?」
「あ、それは、タネ用だ。これからタネを取って来年、また畑に蒔くつもりだ。それ、ちょっと取ってくれ」
僕は言われるままに、少し枯れているように見える大きな向日葵を取った。
「拓人、その枯れてるように見える向日葵の花をよく見てみろ。綺麗に種が並んでいるだろう」
確かに綺麗だ。人工的な並び方にさえ見る。
「どうだ、隙間なくぎっしりと詰め込まれているようだろう。一粒でも種が入るようにきっちりとな」
「はい、凄いです。今まで気づかなかったです」
まるで何かの模様のように見える。ぎゅうぎゅうに詰め込まれているようだけど、潰れている種は一つもない。
「この咲き終えた向日葵は、必死で種を残し、来年へと繋いでいくんだ。だから一つでも多く種をつけようとしているんだろう」
そう聞くと、咲き終えた向日葵が愛おしく見えてきた。
「拓人、俺は思うんだけど、何かに必死になると、必ず綺麗な形ができる。それも美しい形が。向日葵の種もそうだろう。咲き終える前から、すでに種となる部分ができているんだろう。必死で来年に繋ぐために」
僕は、種をつけた向日葵をもう一度見た。
茂じいさんが息子の話をし始めた。
「俺にはよく分からないが、前に、息子が言ってたな。向日葵の種のつき方って規則性があるって。だから綺麗だと。俺はその時、言い返したんだ。花は必死に咲いたからこそ綺麗なんだ。綺麗だから規則性があるんだろう。他愛もないことなのにな」
そう言うと、茂じいさんは、遠くに見える入道雲を見つめた。
息子さんがいたと言うことを初めて知った。今はどうしているのだろうか。聞こうとしたが、茂じいさんの頬に光るものが見えた途端、僕は言葉を出すことができなかった。何かがあったんだろう、としか分からない。でも今はそれでいい。
しばらくして茂じいさんは僕の顔をじっと見た。
「おい、俺の顔のシワ、どうだ?」
「どうだって言われても」
「そうだよな。人間も必死で生きていれば、シワも綺麗になると思ったんだがな」
そう言うと一生懸命に笑おうとしていた。
「この小さな向日葵は仏壇に飾るか」
つぶやくように茂じいさんが言う。
「向日葵ってすごく派手に感じるけど、仏壇OKなんですか?」
「向日葵はキク科だぞ。菊と同じだ」
そうなんだ。何にも知らない自分が恥ずかしくなった。
そういえばもうすぐお盆だ。
「僕、その向日葵が枯れないうちに帰ります」
「ちょっと待て。今、新聞紙に包むから」
そう言うと、茂じいさんは濡らした新聞紙と濡れていない新聞紙を持ってきた。濡らした新聞紙を茎の切り口に巻き、そしてその上から濡れていない新聞紙でさっと包んだ。
「俺はいつも一人だから、いつでも来いよ」
「はい、また来ます」
そう言ったものの、いつも一人、という言葉が気になった。
僕は帰ってすぐに自宅の玄関にたくさんの向日葵を飾った。
その場で、スマホを開いた。
「向日葵の種 規則性」と検索をした。
出てきた。「フィボナッチ数列」と。
そしてその数列の説明も載っていた。
息子さんの言っていた規則性とはこのことなんだな。
この規則に従うと隙間なく種ができるらしい。
「花は必死に咲いたからこそ綺麗なんだ。綺麗だから規則性があるんだ」と言う茂じいさんの言葉が聞こえてきた。
必死で極めるとたどり着くところは綺麗なもの。そこには規則性が見つかると言うことなんだろう。
僕は、必死になって極めたいことがあるだろうか。
必死になると必ず綺麗な形ができる。美しい形が。それは向日葵の花だけではなく人生でも同じだと気付かされる。長い人生の中でできた人間のシワもそうだろう。
僕は家に帰って向日葵を調べた。そこに思わぬ規則性があった。
必死で『極める』と、そこには合理的な規則性が生まれるのだろうか。




