第四話 蝉
夏に鳴く蝉は、夏を知っているのか?
なぜ、甘みを出すために塩を使うのか。まるで反対なものを。
茂じいさんとの会話の中で拓人は今まで考えてもいなかったことに気づき出す。
【人生を教えてくれるおじいさん】
第四話 蝉
「茂さん、いますか?」
縁側から大きな声で呼んだ。
チリーン、チリーン。
返事をしたのは縁側に吊るされている風鈴。
茂さんの返事はない。
「しげるさーん」
もっと大きな声を出した。
「おう、拓人君か。毎日暑いな。今日はどうした?」
杖をつきながら額に汗をにじませ、裏庭から出てきた茂さん。
「友達と信州に行ってきたのでお土産を持ってきました」
「おう、信州か。いいな。涼しかっただろう。そこに座ってくれ」
そういうと縁側を指差し、部屋の奥に行ってしまった。
この場所から虹を見たことを思い出す。
「お待たせ」
梨を剥いて持ってきてくれた。
「うちの裏庭に少しだが梨の木があってな。昨日採った梨だ。よく冷えていてうまいぞ。ほら食え」
大きな梨だ。少し、塩分の味がした。
こんなにうまい梨は初めてだ。口に入れると滴るほどの甘い水分。
「甘くてうまい!」
「そうじゃろ」
「少し塩の味がするけど」
「わかるか。梨は丸ごと冷やしてもいいけどな。俺は、皮を剥いて、塩水に少し浸けてから冷やして食べるのが好きなんじゃ。梨の色が変わるだけでなく、甘みを引き立てるんだ」
「塩で甘みを?」
「不思議だよな。甘くするのにしょっぱい塩を少し使うんだからな」
「そう言うものなんだね?」
「そう言うものなんだよ」
ふた口食べて、思い出した。
「あ、そうそう。お土産です」
「おう、信州のお土産か。なんじゃ」
「漬物です。『やたら』と言うらしいです」
「おう、これはありがたい。夏野菜の漬物だな」
「野沢菜が有名だけど、これにしました」
「ありがとうな。仏壇にあげてくるよ」
茂さんは、包装したまま僕のお土産を持って腰を上げた。
「今日も暑けど、縁側はいい風が吹いてくるから気持ちいいだろう」
チリーン、と茂さんの言葉に応えるように風鈴が鳴った。
茂さんは話を続けた。
「暑い日に、時々ここで目を瞑ってみるんだ。そうすると吹いてくる風が頬にあたり、少し汗ばんだ額を冷やしてくれる。暑さでセカセカしてしまう心が静まるんだ」
そのまま茂さんは喋らなくなった。顔を覗き込むと目を瞑っていた。
僕も目を瞑ってみた。
今まで聞こえなかった音が聞こえる気がした。
風で揺れる木々の音。遠くで遊んでいる子供達の声。近くの川のせせらぎも聞こえる。
そんな音をさえぎるようにミーンミーンと、いきなり蝉が鳴き出した。
目を開けた。茂さんも目を開けていた。
「おう、蝉が鳴き出したな」
「うるさくないですか、蝉の声って」
「いや、いい声だ。夏は蝉の鳴き声が一番だ。今年も頑張っているな」
「そうですか」
そう言うと蝉に聞こえたのか、さらに大きな声で鳴き出した。
「拓人君、蝉って季節がわかるのかな?」
何を言い出すのかと思ったら、こんな当たり前のことを呟いた。
「もちろん分かっているから、夏に鳴くんですよ」
「そうかな、分かっているのかな」
「こんなに暑いんですよ。夏ってわかっていますよ。ずっと土に中にいて、夏になったら土から出て成虫になって、鳴き出すんですよ」
「蝉は短い夏に精一杯鳴いてくれる。蝉は夏がわかるのかもしれない。でもだよ、もし夏しか分からなかったらどうだ?」
え?夏がわかれば、他の季節だってわかるはずだろ、茂さん、何を言っているんだ?
僕は黙り込んでしまった。
「梨の甘さは、塩のしょっぱさでより甘くなった。甘いとしょっぱいという比べるものがあるから、甘さを引き立てた。夏しか知らない蝉はどうだ。何と比べて夏とわかるんだ?」
茂さんの言葉に訳もわからず、もやもやしたものを感じた。
「人って、知らぬまに何かと比べ、変化に気づいている。冬は寒い。でも春が近づくと温度計を見なくても、雪が解け出したり、吐く息が白くなくなる。五感で春の近づきを感じることができる。寒さかあるから暖かさを感じる」
そのまま無言となった。何かを考えているように視線は遠くに向いていた。
「拓人君、もしもだけど、1日24時間、ずっと明るくて、昼間だったら、僕たちは夜を知るだろうか?」
そのまま、また喋らなくなった。
僕は24時間、ずっと昼間だったことを想像していた。明るくなるから起きるという必要もなくなる。いつ寝て、いつ起きるんだ。朝食・昼食・夕食と言う言い方も変わるのだろうか。いや、一日中、昼間だったら、いつ食事を摂るんだ。
そんなつまらぬことを考えていた。
茂さんが喋り出した。
「拓人君、人間って、辛いことがあるから楽しさも倍増するんだろうな。きっと毎日楽しいことばかりだったら、それが楽しいことだと気づかないかもしれないな。いろんなことを経験して、いろんなことを知って、いろんなことに気づいて、人間は生きているんだよな」
まるで自分を納得させるような話し方だった。
時計を見た。あっという間に2時間が過ぎていた。
「茂さん、今日はもうそろ帰ります」
「おう、ちょっと待ってくれ」
そう言うと奥の部屋から大きな梨を3つ、持ってきた。
「これ、お土産のお返しだ。塩水につけてもいいし、そのまま食べてもうまいぞ」
「ありがとうございます。またきますね」
「いつでも来てくれ。いつも一人だから」
家に帰って、すぐに部屋のエアコンを入れた。
締め切っていた部屋の空気が重く感じた。
気になることがあった。
パソコンのツイッチを入れた。
蝉の成長を調べたかった。
木に卵を産んで一年後の夏にそこで脱皮をして幼虫になる。その幼虫は木から土の中に潜るらしい。幼虫が木から降りてくる姿を見たことがない。でもそうなのかもしれない。土の中で5年ほど過ごしてから、夏に地上に出てくる。そして1週間ほど鳴くらしい。
蝉が夏を知っているのか、これではわからなかった。
「蝉 夏を知っているか」で検索をした。
蝉は夏を知らない といくつか出てきた。
「蟪蛄春秋を識らず、伊蟲豈に朱陽の節を知らむや」という言葉が見つかった。そのページを読んだ。茂さんが言っていたことがなんとなくわかった気がした。
もう一つ気になったことがあった。
帰り際に茂さんが言ったひと言。
「いつも一人だから」と。
今度、聞いてみようと思うと同時に聞くと失礼なことかもしれない。
でも気になる。
私たちは、いつも何かと比べることでその違いを感じていたことに気づいた。
昼と夜
楽しさと辛さ
暑さと寒さ
今まで気づかなかったことだった。
茂じいさんは今日も日常の生活の中から、新しい気づきをさせてくれた。




