警告に晒されながらも起こされたい!
「お姉ちゃんのこと、絶対好きにならないで。好きって言うのは、恋愛感情のこと。お姉ちゃんに恋しないで、絶対」
「お、おう……?」
突然出てきた恋という単語に俺は必要以上に反応してしまう。な、なんなんだ急に。
「それは、すでに宮崎さんには婚約者がいるとかそんな?」
「違う。あんたはお姉ちゃんの雇用主。間違ってもその線を越えないでってこと。個人的な心情を挟んだりしないで。そんなことになれば途端にまっとうな雇用関係じゃなくなる。不純になるの、不純」
「あ、あぁ、はいはい。OKそういうことね。うん、それはもちろんわかってる」
そう、俺は宮崎さんの雇用主だ。そんなこと言われなくてもわかってる。
宮崎さんと、仕事に関係ない話もいろいろしてみたい、というのは本音だ。しかし、俺たちにおける大前提を崩したらだめだということもわかっている。しかしそこについて紗友によって釘を打たれる形になるとは正直思っていなかったので、なんか笑って誤魔化すみたいな喋りになってしまった。紗友はしばらく俺をじっと睨み付けていたが、それ以上何も言わなかった。
最終的にすべての会計を俺が支払って明らかに一回のバイト代よりも高くなったのだが、ひとまず紗友から雇用主として認められたことには安堵しておくことにする。かかと落としを食らった頭頂部の痛みはなかなか引かなかった。どんな脚力してるんだか。
そして翌朝、6時45分。クラシック音楽が流れる中、メイド姿の宮崎さんが、サイドテーブルにモーニングコーヒーを置きながら言った。
「おはようございます、勇太さん。お目覚めはいかがですか?」
「ふぁあ……?」
穏やかな笑みを浮かべる宮崎さん。落ち着いた雰囲気の黒いロングワンピースの上に、ささやかなフリルのついた白いエプロン。美しさとつつしまやかさが共存するメイド服だった。ままま、まさかのメイド系幼馴染!宮崎さん、似合いすぎている……!
「最近お目覚めがいまいちのようですので、今朝は深煎りコーヒーにしました。苦味とコクで、スッキリ目が覚めると思います」
「おぉ、ありがとう」
コーヒーの香り。立ちのぼる湯気の向こうに、宮崎さんの笑顔。差し込む朝日さえ上質なものに見えてくる。なんとなんと、今回はリアリティ重視というよりは、若干フィクション的な脚色が施された幼馴染と来た。
フィクション、つまりこの宮崎さんはコスプレをしているということになる。しかし衣装感がまったくないのが不思議だ。まるで毎朝こうして俺のためにコーヒーを淹れてくれているかのようなナチュラルな現実感。これは想定外だ。散々幼馴染を妄想してきた俺ですら、このパターンは思いつかなかった。なんてことだ、素晴らしい……!
「勇太さん、制服のスボンの裾がほつれていたので縫っておきました」
「あぁ、ありがとう」
「それから、シャーペンの芯が切れそうでしたので補充しておきました。他に何か必要な物があればおっしゃってください」
「うーんと、今のところ大丈夫かな。ありがとう、そんな細かいとこまで世話してもらっちゃって」
「いえ。勇太さんが毎日のびのびと、勇太さんらしく過ごすことのお手伝いをしているだけですので」
「ねぇ、その勇太さんっていうの、やめない?俺たち幼馴染なんだし、普通に呼び捨てでいいよ」
俺のやや切り込んだセリフに、宮崎さんの表情がほんの少し変わる。
「……勇太さん。私たちは確かに、幼少期を一緒に過ごしました。しかしそれは子供だったからできたことです。私の家は、勇太さんのご両親の経営する大企業のほんの末端に属するだけの身分。はじめから、住む世界が違う者同士なのです。こうしてそばにいられる仕事を与えていただけただけで、私には十分過ぎるのです。コーヒー、冷める前にお飲みください」
宮崎さんは、温かくもどこか事務的な声色で言う。細かい背景は不明だが、現状は読み取れる。
格差と言うか、立場の違いがあるために、一定の距離を保っていなければならない幼馴染。子供時代はそうした意識もなく仲良くしていたが、成長した今となってはそうもできない。幼馴染でありながら、名前を呼び捨てし合うこともできないとは。あぁ、これはなんだか無性にこう、切ないじゃないか……。
「立場が違うからってなに?俺たちは幼馴染だよ。名前を呼び捨てするくらいよくない?」
「それは、ご命令ですか?」
「命令というか、お願いだよ。幼馴染としての」
「……わかりました。勇太さんにお仕えすることを決めていますので、お願いならば、一度だけ」
宮崎さんはうつむくと、ふっと息を吐いて吸って、顔を上げる。
「勇太、おはよ」
それはさっきまでのかしこまった笑顔ではなく、普通の女の子らしい屈託のない笑顔だった。俺たちの間における関係性をほんの一瞬だけ解除して、仕える者としてではなく、ただの幼馴染として笑いかけてくれた。それは子供の頃、いつもすぐ隣にあった笑顔なのだ。
「おはよおございまぁぁぁぁあああああああすぅ」
光の方に吸い込まれるようにして、俺は覚醒する。ベッドから起き上がり、サイドテーブルに置かれたコーヒーを一気に飲み干す。くぅー!深煎りの苦味とコクが効くぜぇ!そんでこのお洒落なサイドテーブルは俺の部屋の物じゃないから宮崎さんこんな小道具まで持ち込んで来てくれたのぉ!?すごいんですけどおおお!!
感動している俺に、宮崎さんは「おはようございます」といつもの笑顔で言う。
「宮崎さん、すごいよ!フィクション色の強い設定にもかかわらず、小道具から衣装までリアリティがすごくてまったく違和感なく幼馴染できた!いやぁ、現代じゃなかなかありえない、立場の違う幼馴染に起こされる朝、すごくよかった……!」
「たまにはこういう感じもいいかと思って、やってみました。いい目覚めになったようでよかったです」
宮崎さんが動く度、長いスカートがゆらりと揺れる。うわああああ似合いすぎてるぞ!
「昨日、紗友にファミレスでいろいろご馳走していただいたようで。本当に厚かましくて無礼なことだと叱っておきました。すみませんでした」
「え、あ、昨日の!?いやいや全然ファミレスで奢るくらい大丈夫!紗友からもいろいろ話聞けたし、俺としても有意義に過ごせたし、全然迷惑とかじゃないよ!」
「その話っていうのは、このバイトに関することですか?」
宮崎さんがやや不安げな顔になって聞く。昨日紗友が俺に言いたかったことは、宮崎さんがこれまでのバイトで頑張り過ぎて倒れたこととか、家族の世話などについて抱え込んでしまうこととか、そういう俺の知らない宮崎さんの一面についてのことだ。そしてその部分について紗友は常に心配していて、自分が守ろうとしているといこと。それから俺への警告。宮崎さんを傷付けないことと、恋をするなということ。
そんなすべてをここで喋るわけにもいかない気がして、俺は誤魔化すしかない。
「なんかその、俺がほんとに雇用主として大丈夫かっていうのの個人面談みたいな感じ?そうそう、それでなんとか合格もらえてさ、はは、よかったよかった。それにしても紗友ってめちゃくちゃ食うのね!」
「はい、あの子は食べることが大好きで。じゃあ紗友はひとまずこのバイトについて納得したということですか?」
「うん。ひとまず俺の変態疑惑は晴れたと思う」
宮崎さんはほっとした顔で頷いた。そこで階下から母親の声。今朝はここまで。宮崎さんは小道具を片付け始める。あぁ、宮崎さんのメイド姿。これでお別れとは実に惜しいなぁ……。
「あ!そうだ!忘れるとこだった!これ、今週分は手渡しでって頼まれてたやつ。紗友に干し芋たっぷり買ってやって」
俺は封筒に入れた現金を渡す。宮崎さんは折り目正しくお辞儀をしてお礼を言ってから、両手で大事そうに受け取ってくれた。
お姉ちゃんとして、こんな風に朝からしっかりと仕事をして、給料を受け取り、妹に誕生日プレゼントを贈る。愛だ。俺の知らない、きょうだい愛だ。あぁまずい。尊くてまた涙が出そうだ。
「あの、実は、速野くんにこれとは別のお願いがあるのですが……。もしよければ、学校で少しお話できませんか?」
学校で!?そんなもん喜んで飛んでくに決まってるだろぉおお!と思ったが、その瞬間、紗友の言葉が脳内に再生される。
――お姉ちゃんに恋しないで、絶対。
「あ、ひょっとして、契約違反になりますか?その、職場以外での私語は……」
俺の表情が一瞬躊躇したのに気付いたのか、宮崎さんが慌てた様子で言う。
「いやいやいやそんなことない!アルバイトからのお願い事を聞くんだもん、それもちゃんとした業務だよ!全然OK!」
そうだ。宮崎さんから持ち出す話なんだから、なにかこの仕事に関することに違いないのだ。まさかデートの誘いなわけがないし。そうだそうだ。
宮崎さんは俺の返答にほっとした顔で頷いた。
「では、学校で」
「うん、学校で!」
小道具を抱えて木を下りていく後ろ姿を見守る。頑張り過ぎていないかな、と少し心配になる。宮崎さんの一生懸命をしっかり受け止めた上で、無理なく働いてもらえるように、俺もできる限りの心配りをしよう。
そして学校。昼休みに、俺たちは屋上へと続く階段で話をする。
「実は中一の弟が、このアルバイトにすごく興味を持っていて、一日だけでいいから働いてみたいと言ってるんです。もちろんお給料はいりませんので、一日体験という形で働かせていただけませんか?」




