魔術師
俺は、体を『レインフォース』で強化しながら、シンベラに向かって疾走していた。身体能力は強化され、速度、持久力ともに常人ではありえないレベルだ。
「間に合え、間に合ってくれ!」
俺は先ほどの人たちから話を聞いた途端、シンベラに向かって駆け出した。魔物の『軍勢』にシンベラが教われたと知ったから、気が気でないのだ。軍勢ということは、その数は最低でも五百匹はいる。シンベラは大きな街だが、それでも戦える人は二百人に満たないだろう。数の差というのは、単純な足し算引き算では求められない、とどっかで聞いた気がするが、その通りなのだ。
『あらあら? 自分と、大切なものしか守らないのではなかったんですか?』
ジョーカーがいきなり問いかけてきた。その顔は何かを面白がっているようににやにやしている。こいつは、俺の考え方の話をしているのだろう。自分と、大切なものだけはせめて守る。これは、俺の考え方だ。
確かに、疑問に思うだろう。たった数日しか過ごしていないうえに、自分が生まれた世界ですらない。そんな街に、何故ここまで必死になるのか。
街には深い思い入れがあるわけではない。あの街並みは好きだし、嫌なこともあったけどなんだかんだ言って居心地は良かった。だが、それは自分を犠牲にしてまで守るのかというと、そういうわけではない。
ただ、
「リリアとエリスがいるからな」
俺はその理由を口にした。リリアとエリスも、始めの印象は良くなかったし会って数日しか経っていない。だが、二人のことは不思議と嫌いになれない。それどころか、自分でもわからないが、こうして走っているくらいには『大切なもの』になっている。どこか、不思議な魅力があるんだよな。案外、ただ単に見た目が好きなだけかもしれないし、内面に惹かれたのかもしれない。だが、それはどうでもいいことだ。
『あの二人なら自分の身は自分で守れるでしょう。それでやられたなら、それは君の考え方である自然の摂理に則った『自業自得』でしょう?』
ジョーカーの問いかけは相変わらず的を射ている。俺の考え方は食物連鎖の考え方に近いのかもな。『弱いからやられる』という『自業自得』。確かに、こいつが言う事は間違っていないどころか正しいとすらいえる。
「別に俺に関係がない奴ならどうだっていい。だが、『大切なもの』は別なんだよ」
ジョーカーの質問は、そのニヤニヤした笑みも相まって俺の神経を思い切り逆なでするものだ。だが、今はこうして冷静に答えられている。その理由こそが、あの笑みだ。
あの笑い方は、一見ただ馬鹿にしているだけの笑みだ。だが、俺の目はごまかせない。あの笑みは、『答えがわかっていて質問をしている』笑い方だ。その行動は、意志の確認だろう。その意図は分からないが、ただ単に馬鹿にしているだけではないことは分かる。こいつの行動は不可解なことだらけだな。悪ふざけで騙すかと思えば、いい方向に誘導してくれることもあるし、こうして意味ありげな会話もしてくる。
ジョーカーとそんな会話を交わしているうちに、地響きを感じた。ふと街の東側、俺の左斜め前の方向を見ると、大きな『何か』が街に向かって移動しているのが見えた。それを見ただけで、俺は直感で危機を感じた。
「あれはヤバい!」
俺は足の回転を速める。息切れも起こさないし、疲労も無い。まったく、無属性魔術は便利だよ。
今は走り始めて二十分ほど経った。あと数分であの戦場へと着くだろう。徒歩で三時間かかるのに、こうして本気を出せば三十分前後で着くんだな。
空を覆っていた雲が、割れるのが見えた。その隙間から、隠れていた月が姿を現し、光を降り注ぐ。
その巨大な『何か』は、とにかく大きな『百足』だった。オオムカデ、とカタカナで表記するのは憚られる……そう、まさに『大百足』。
日本で、小学校の時の日光への修学旅行中にこんな伝説を聞いたことがある。
戦場ヶ原の大百足伝説。赤城神が大きな百足に姿を変えて暴れたが、最終的に倒された、という伝説だ。その大百足は山を七巻き半もすると言われたほど大きかったらしい。あの大百足はそれほどではないが、それでも圧倒的なまでに巨大で、伝説の大百足を連想させる。
「ちょっ! 嘘だろっ!」
その姿を見て、俺は背筋が震えた。あの大きさは何なんだ!? まずあんなのがどこにいたんだよ! あれが噂の変異種というやつだろうな。どう見てもオオムカデの変異種だろう。
その巨大な百足は、何か怒っているように見える。あの様子からして、大暴れするだろう。
「くっ!」
俺は目に魔力を集中させる。『レインフォース』を応用だ。圧倒的に増した視力で全体の様子を見る。どうやら、あの百足の姿を見た人たちがパニックになっているようだ。一方の魔物は高揚して、人間たちを次々と倒していっている。あれはヤバい。とてつもなくヤバそうだ。
そんな観察をしているうちに、もう少しでそこに着きそうになった。しかし、あの大百足は何かを見て怒り狂い、リリアとエリスに襲い掛かっている。二人は逃げているものの、もう少しでやられそうだ!
「―――♪」
俺は今日の昼に絡んできた奴らを落ち着かせた歌を歌った。しかし、今回はそれだけではない。
俺の鼻歌は、しっかりとあの戦場まで届いていた。その様子はみんなの行動を見れば一目瞭然。
俺は、自分の鼻歌を『ハイパーフォンシス』で増幅した。これによって、離れたところへも音が届くようになっている。さらに、もう一つ工夫がある。
それは『ブレインコントロール』だ。今回は、この魔術を『音に乗せて』使用した。これによって、より皆の心を『誘導』出来る。今回歌った歌は心を落ち着かせるものだ。そして、『ブレインコントロール』で指定した効果も心を落ち着かせるもの。
音そのものの効果とそれに指向性を持たせた音楽、そしてそれに乗せた『ブレインコントロール』。そんな効果を持つ『歌』を『ハイパーフォンシス』で響かせることで、全員に聞こえるようにした。そうすることで、一種の集団催眠を作り出したのだ。
エリスは気絶しているものの、二人の無事を確認したところで走っていたのを歩きにして、ゆっくりと近づいていく。
リリアが、大百足が、皆が、俺に注目をしている。それは、ただ茫然と見ている視線がほとんどだ。
二人と大百足との間に入り、二人の方を見る。
「リリアとエリスか。大丈夫だったようだな」
俺は心底ほっとしながら、そう言った。エリスは気絶しているが、命に別状はなさそうだ。
その後、大百足へと向き直る。
自分へとさらに巨大な百足をひきつけるため、結構な魔力を使った『クレシェン』で威嚇する。それだけで、空気は緊張感を孕み、今にもはじけ飛びそうになる。
こいつが、二人をここまで追い込んだ。俺はそう感じて、拳を固く握る。危ないところだった。あとちょっと遅れていたら、二人はあの顎に貫かれて死んでいただろう。この百足に対する怒りは無い。ただ、俺が拳を握りしめたのは、『覚悟』。相手は、二人ですら歯が立たなかったであろう強敵だ。それだけでも怖いし、仮に凌げたとしても、俺は全力を出さなければならない。それも、これだけの人数の前で。それが、ただ怖かった。
けれど、『やらなければやられる』。そんな状態で迷ってなんかいられない。
俺は、覚悟を固めて、さらに拳を強く握った。
今まで、俺はこの世界の出来事をどことなく他人事のように感じていた。実際、俺からすればこの世界は異世界で、今すぐにでも日本に帰りたい。
そのせいか、小説を読んでいるような感覚で過ごしていたと思う。真面目なことになったらふざけて、軽い気持ちで決定して、よく考えないで行動していた。そう、全部『諧謔的に』、『冗談か何か』のように行動していたのだ。
音楽に例えるならば、この世界に来てからの俺の行動は『諧謔曲スケルツォ』だ。あっちにふらふら、こっちにふらふらと、適当に過ごしていた。
正直、それが悪いことだとは思わない。俺にとってこの世界の出来事が他人事なのもまた確かだからだ。だが、今だけは別だ。
命が懸っている、今後が懸っている。ふざけている場合ではない。もう、覚悟は決めた。
(でもまぁ、この後も結局『スケルツォ』になるんだよなぁ)
この後の事を考え、俺はまた心の中で『諧謔的に』呟く。そうだなぁ、となると、さっきまで歌っていた穏やかな歌は『スケルツォ』の『序曲オーバーチュア』と言ったところか。
俺は『手品師マジシャン』だ。諧謔的なのも問題はあるまい。
さて、じゃあ『ショー』を始めるか。ここからが本番だ。
「序曲オーバーチュアは終わりだ」
俺は、『レインフォース』でとてつもなく強化した身体能力を使った全力の拳で、大百足の身体を跳ね上げた。
「――?」
大百足は自分の身に起こったことが理解できなかったかのように、跳ね上げられたまま固まる。しばらくの沈黙、緊張。
そしてついに、
「――――!」
大百足は、怒りの矛先を俺に向けた。耳を貫かんばかりの甲高い声で啼き、怒りをあらわにしながら暴れる。それと共に、固まっていた周りも動き出す。
大百足の脚の一本が、俺に向かって蹴り出すように襲い掛かってくる。
「くっ!」
俺はそれを、両腕を胸の前でクロスすることで受ける。普通なら受けるどころかそのまま吹き飛ばされて死ぬだろう。しかし、今の俺は『レインフォース』で力も耐久力を上がっている。そして、今俺が来ている『学ラン』による効果も大きい。
俺は、ここに来るまでに本格的な戦闘に備えて学ランへと着替えていた。これは、俺が日本から着てきた服で、しかも自分で加工までしているのだから思い入れは深い。この学ランに無属性下級魔術『防御』という、着用している装備の耐久度と防御力を上げる魔術をかけることで、学ランをただの学生服から一級品の鎧へと変えた。さらに耐久度を上げるため、無属性下級魔法『丈夫』もかけてある。硬くしたいなら『ハード』、丈夫にしたいなら『ドゥラボル』、汚したくないなら『プロテクト』を使うとよい。
俺は学ランの襟から、透明で細い糸を取り出す。これはちょっと離れたら見えなくなる糸で、手品の際に重宝する。
「そら!」
俺はそれを、一番近くにあった脚の節の部分に、器用さを活かしてすれ違いざまに巻き付け、思い切り引っ張る。すると、少しの抵抗の後に脚は、その節の部分から斬れる。
この糸には『シャープ』と『ドゥラボル』をかけてあるため、簡単に切れたりせず、鋭くなる。とても細い糸のため、触れる面積が少ない分より斬れやすくなる。
「――――!」
初めて大きな傷をつけられた大百足は、俺に向かって液を撒き散らす。俺はそれを強化された動体視力と身体能力を活かして避け、左袖から出したコインを投げつける。
勢いよくコインは大百足の甲殻に当たり、罅こそ入らなかったものの、ひるませることは出来た。
あのコインには『ハード』と無属性中級魔法『加重』がかけられていて、見た目をはるかに超えるぐらい重い。しかもあの小ささのため、その重さとスピード、つまり力が狭い面積に収束される。よって、あのようにひるませることが出来る。
あのコインは百kgほどだ。それがあのスピードで当たったのにもかかわらず『ひるんだだけ』で済むのだから、むしろあの百足が異常だ。
「がぁっ!」
ひるませはしたものの、そこからすぐに回復した大百足から体当たりをされる。いくら防御力が高くても、あれだけの大きさにぶつかられたらダメージは少なくない。俺は十mほど吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「――――!」
さらに追撃で液が飛んでくるが、俺はそれを回避して体勢を立て直す。ていうかあの液猛毒じゃん! 俺がさっきまでいたところの草が枯れてるぞ!
「このやろっ!」
俺は迫りくる大百足の脚の内、こちら側に近い数十本へと同時に『アースバインド』をかける。
「――――ッ!」
大百足は進撃を止められ、一瞬前のめりになる。その場で暴れ出すが、あと少しは抜ける気配がない。普通の『アースバインド』なら余裕で抜けられるだろう。だが、俺の『アースバインド』は魔力が大量に込められる。故にとても強固なのだ。あの時、リリアとエリスが抜けられなかったのもそれが理由だ。
「食らえ! 『フォースブレード』!」
俺はオリジナル魔術を発動する。これは、それぞれの属性にちなんだ刃を飛ばす、中級魔術『ブレード』シリーズを四つ合わせた魔術だ。火の、風の、水の、土の刃が大百足の脚に襲いかかる。それぞれ種類が違う刃の波状攻撃に、その脚は斬り飛ばされる。
まだ脚は地面に縛られたままだ。よし、次はこれだ!
(魔力をくれ!)
『ダ~メ』
「ふざけてんじゃねえぞ!」
かぁ、と頭に血が上る。こんな時でもこいつは人をおちょくるってのか!? ……もういい、俺一人でやる。ここに来る時に感じた好意は捨てよう。あれは俺の勘違いだ。
俺は『レインフォース』で強化された身体能力で大きくジャンプし、大百足の上まで飛ぶ。そして、
「あああっ!」
くるくると縦に回転しながら、俺は大百足の胴体へと落ちていく。その意図は、
「食らえっ!」
渾身のかかと落とし!靴のかかとには『ハード』がかけられ、靴自体にも『ウェイト』がかけられている。その状態で重力、筋力、増された靴の重さ、それによってさらに強くなった遠心力といった力を活用した一撃だ!
「――――!」
「がっ!」
しかし、攻撃直後に無防備を晒した俺を、容赦なく大百足は攻撃してくる。その巨体を思い切り跳ね上げ、その力で俺を吹き飛ばす。
俺は高く放り出され、そのまま背中から落下した。着地地点が、たまたま岩が突き出ているところだったため、肺の中の空気が全部吐き出される。そしてとても痛い。幸い、装備や強化のおかげで骨折などはしてないが、それでも背中は結構傷ついているだろう。
対する大百足はまだ大きなダメージを負った様子はない。先ほどのかかと落としは結構効いた様子だが、それでもまだまだ元気だ。
このままでは、体力負けするだろう。見てみると、俺が先ほど斬った脚はすでに再生していた。……そんな能力まであるのかよ。
俺は『ヒール』で疲労と傷を回復しながら、次の手を考えた。ふと周りも見るとリリアとエリスは被害が及ばないところにいるのが見えた。エリスはまだ気絶していることから、リリアが運んだのだろう。
よし、二人があそこにいるならもう少し派手に動いてもいいはずだ。
こうなったら、
「切り札だ!」
俺は右袖からトランプの箱を取り出し、それらから無造作に六枚空中に散らす。そして、それを『テレキネシス』を使って高速で飛ばし、大百足の脚を六本一気に斬り飛ばした。
トランプの意味は『切り札』だ。そう、これこそが俺の『切り札』なのだ。手品の中でも一番よく使い、思い入れがとても強い品である。それにかけられている魔術はすべて絶大な効果を発揮し、一つ一つが斬れないものはほとんどないと思うほどの刃と化す。
俺は六枚のトランプを操り、大百足と戦う。
俺の、自分で言うのもなんだが変幻自在の戦い方は、傍から見ればとても派手だろう。だが、これこそが俺の戦い方だ。培った技術を使い、持てる限りの戦法をもってして戦う。ころころと入れ替わるその戦い方は、『スケルツォ』とでも例えられるだろう。それは、『手品師』であり『音楽家』である俺にはぴったりだとも言える。ある意味、こんなふうに色々なことができる力を手に入れたのは運命だったのかもしれないな。
俺と大百足が奏でるスケルツォは、辺り一帯の草木を吹き飛ばし、地面をえぐるほどの激しさとなる。
「フォルテ!」
だが、スケルツォはまだ盛り上がっていく。俺はストレージで指揮棒を取り出し、トランプを操りながら、『マギアバレット』で四つの魔弾を打ち込む。魔弾は大して効かなかったものの、トランプは少しずつ大百足の脚を斬り落としていく。しかし、それに追いつく速度で脚は再生されてゆく。
「フォルテッシモ!」
さらに俺は魔力の量を上げる。魔力を集中させた魔弾を三つ作り、それを飛ばす。
「――――!」
しかし、それは避けられ、大百足から反撃が返ってくる。それは、シンプルな体当たり。だが、シンプルであるがゆえにその強さが証明される巨体から繰り出される体当たりは俺を捉え、俺は吹き飛ばされる。だが、俺だってやられっぱなしではない!
「フォルテッシシモ!」
そう叫び、指揮棒を大きく振りながら全力を込めた魔力を解放する。その魔力は渦巻き、うねり、大百足へと向かっていく。オリジナル魔術の『マギアストーム』だ。その魔力の竜巻は、大百足を捉え、その脚を次々とへし折っていく。片方の触角も斬り飛ばされ、胴体にも傷がついていき、大百足は目に見えて弱ったのがわかる。
「行け!」
だが、俺はそれで終わりだとは思っていない。トランプを更に二枚追加して、合計八つのトランプを、指揮棒を振って大百足へ襲いかからせる。頭痛がしてきたが、それでも我慢して八つのトランプを操り、大百足をさらに弱らせていく。
大百足は魔力の竜巻の中で暴れまわっている。そこから逃れようと抵抗をするが、それは叶わない。
俺はそれを見て、時期に終わりが来ると見て力を抜いた。その瞬間、
「ぐっ!」
激しい頭痛が俺に襲い掛かってきた。『無理をしすぎた』のだ。俺の頭では、同時に物を動かすのは六つが限界だ。それを超えると頭がオーバーヒートを起こして激しい頭痛がするのだ。
そして、その頭痛は俺の集中を乱した。
「――――――!!!」
大百足の啼き声が一際大きく響く。大きく、コブラのように体を起こして残っている脚を大きく振り上げた。その姿からは、死ぬわけには行かないという意思、そして、
「なっ!?」
生命力が感じ取れた。その絶大な生命力は、俺を圧倒するのに十分だった。
「嘘だろっ!?」
すべての足が振り下ろされ、地面は深く抉れ、大きく揺れる。その勢いとともに放出された! そして、襲いかかっていたトランプは風圧で吹き飛び、集中が乱れて弱くなった魔力の竜巻はかき消される。そして、みるみる再生していく脚、胴体、触角。その巨体から溢れる生命力とオーラに、俺は圧されていた。自然と後ずさり、恐怖に歯の根が合わなくなる。俺は呆然とそれを見上げるのみ。大百足は、巨体から生命力を溢れさせながらも、まだ動かない。だが、少しずつ高まるその威圧感は、もう少しで『それ』が動き出すことを予感させた。
そして、ついに動き出す。ゆっくり、ゆっくりと体をひねり、触角だけを盛んに動かしながら、俺へと振り向く。そして、
呆然と見上げる俺と大百足の複眼から放たれる視線がぶつかった。
「――――――!!!」
巨体をうねらせ、脚をバラバラに蠢かし、けたたましく高音で大百足が啼く。その様子が表しているのは『怒り』。
その勢いに俺は呑まれ、見上げることしかできない。しかし、ついに、
「え、あ、お、あああっ!」
恐怖感が爆発した。俺は、頭の片隅で冷静になろうとするも、それを超える混乱で、叫びながら攻撃を浴びせる。トランプの枚数は十二枚となり、それをただ、滅茶苦茶に指揮棒を振りながら飛ばす。
「頼む! 頼むから! お願いだジョーカー! 力を貸してくれ!」
俺は、ただ情けなく指揮棒を振り回しながらジョーカーに懇願する。こいつはいざというときに頼れるやつだ。たかだか『マギアバレット』でも分厚い土の壁を貫くほどの威力で放つ。こいつなら、こいつならっ……!
『ダ~メ!』
しかし、こいつはまだふざけるつもりのようだった。ニヤニヤ笑いながら、俺の懇願を断る。
「ふざけんじゃねぇ! こんな状態なんだぞ!?」
『今の君に貸す力なんてないですよ』
「ああ、もういいさ! 勝手にしやがれ!」
ジョーカーが何か付け足したが、あまりにもムカついた俺はそれを遮って大百足と向かい合う。
くそっ! ふざけんな! 悪ふざけもタイミングがあるだろ!? なんでこんな時に!?
言いたいことは色々あったが、こいつには何を言っても無駄だ。とりあえず、目の前の……って!?
「がぁっ!」
ジョーカーに構って視野狭窄になっているうちにもう目の前には大百足の体があった。その体当たりをもろに受け、ろくな防御すらできなかった俺は今までで一番大きなダメージを負う。
「ごっ!」
俺は地面に後頭部から思い切り激突した。その衝撃で、意識が朦朧としてくる。
そして、俺を追ってくる大百足。その顎は強靭、血のように真っ赤な脚の一本一本は槍のように鋭く、その巨体は俺ごときを簡単に押しつぶすだろう。その体のどれもが、俺を即死させるのに十分だ。
(終わり……か……)
俺は自らの死を悟り、心の中で呟いた。自業自得、まさにその通りだ。自分よりも強い相手に、過信しすぎていた。いきなり異世界に飛ばされて凄い能力持っていて。何が運命だったのかもな、だ。完全に慢心していた。ジャリスさんの警告は意味をなさなかった。
(怖い……怖いなぁ……なぁんでこんなに怖いんだ?)
俺は恐怖で歯をガチガチ鳴らしながら、こんな状況でもふざけたように自問する。せめて、恐怖を和らげるために。
俺が、せめて楽に死のうと目を閉じたとき、
「ユウスケさん!」
聞いたことがある、可憐な声が俺の耳に入ってきた。一体、何なんだ?自分の名前が呼ばれたため、重いまぶたを持ち上げて視界を得る。そこに、俺の目の前に、俺と大百足の間にいたのは、
銀髪の、可憐な女の子だった。
「リ、リリア……?」
俺は思わず疑問系でその女の子の名前を呼ぶ。なぜ、どうしてそこにリリアがいるのか。俺には全く訳が分からなかった。
「さっき、ユウスケさんは私たちを守ってくださいましたよね。その、恩返しです。ユウスケさんは……逃げてください」
何を言ってるんだ?理解が追い付かないぞ?つまり、リリアは……俺の『身代わり』になろうとしている?
「私もあれには勝てる気はしません。数秒でやられてしまうでしょう。けれど……逆に考えれば数秒は持つので、その間にユウスケさんなら逃げられると思います。」
「そ……んな……」
俺はそのリリアの姿を見て、涙を流した。見れば、歯はガチガチ鳴らしているし、脚はガクガク震えている。どうみても、あの大百足を恐れているようにしか見えない。一方の大百足は、すでに勝利を確信しているようで、ゆっくり移動してきている。
俺は、リリアを助けるためにここに来たんじゃないのか?こうなったら、本末転倒どころかバッドエンドじゃないか。どうして、こんなことに……。そうか、
(俺が、弱いからだ)
結局、どうすることも出来なかった。苦しい、悲しい、怖い……悔しい。
(力だ。力が欲しい。……守るための)
自分の身を、大切なものを、守る力。結局、それが無かったからダメだったんだ。
(守るための力が……)
『貸して差し上げましょうか?』
突然、俺の耳にリリアとは違う、聞きなれた、高い男性の声が聞こえた。
(ジョー……カー?)
『ええ、君と契約している精霊のジョーカーですよ』
俺の問いかけに、ジョーカーは平然と答えた。
『さっきまでの君ときたら情けなくて仕方ありませんでしたよ』
相変わらず、人を小馬鹿にしたニヤニヤ笑いでそんなことを言ってきた。
(ここに来ても……お前は人をおちょくるんだな)
だが、何故だろう。こんな状況で、先ほどの弱い自分を馬鹿にされているのに、何故だか悪い気分はしない。
『守ると言いながら戦力は出し惜しみ、仕舞いには油断の結果、劣勢になって恐怖で喚き散らしながら美しくもなんともない戦い方をするんですもん。それでも音楽家ですか? 手品師ですか?』
ジョーカーは俺を責めたてる。
(確かに……そうだな……。)
全力で守ると言いながら覚悟を決めきれず出し惜しみ、油断で劣勢になったら、恐怖で自分を守るためだけに無茶苦茶な戦い方をした。手品師のように、音楽家のように、見栄えよくは出来なかった。
(完全に、自分を見失ってたな)
俺はさっきまでの自分を振り返り、嫌悪感を覚えた。何て無様だったのだろう。人に『魅せる』はずの手品師が、音楽家が無様でどうするんだ。
(守る力は、欲しかったな)
最後まで無様。こうして守りたかった女の子に守られ、その女の子は恐怖で震えながらもしっかりと立っている。あまりにも無様だ。何が守るだ、何が手品師だ、何が音楽家だ。こんなに無様じゃあどれにも当てはまらない。
『そこでそんな君に朗報! やっとこさまともな精神になった君に力を貸して差し上げまっしょうっ!』
ジョーカーはテンション高くそう言った。
(力を……貸してくれるのか?)
『イッエース! 今の君は無様でも何でもありません! ただ、力が足りないだけで、心は私のご主人様にふさわしいでしょう!』
ジョーカーはクルクル回りながらそんなことをハイテンションで言ってきた。
『た・だ・し、君の身体にはとてつもない負担がかかるでしょうねぇ。もしかしたら死ぬかもしれません。ですが、あのお嬢ちゃんたちは確実に守れますよ?』
ジョーカーはニヤニヤと、人を『試すような』笑みを俺に近づけて、問いかける。
『君は、自分が死ぬかもしれないけど、あのお嬢ちゃんたちを守れる力が欲しいですか?』
なんだ、そんないい話があったのかよ。
「愚問だ道化師ジョーカー。早く寄越せ」
俺は、意地でその解答だけは口にする。
『では、力を抜いて、全てを受け入れるようにしてくださいね』
■
とても怖いです。なんでこんなに怖いのでしょうか。
本当は分かっています。その原因は、こちらにゆっくりと迫ってきているオオムカデの変異種が原因でしょう。まさか、あんな強くて大きな変異種がいたとは、想像もつきませんでした。
迫ってくるその姿に、私の脚はガクガク震え、歯の根も合わなくなっています。恐怖、ですよね。自分の全力も全く歯が立たない。そんな相手に対峙して、怖くないわけがありません。
(けれど、私は逃げません)
それは、命の恩人である男の方を助けるため。その方は、今は私の後ろで重傷を負って倒れてはいますが、意識はあります。ユウスケさんなら、数秒もあれば逃げることが可能でしょう。
(そう言えば……今、怖いのはあのオオムカデだけで……ユウスケさんは『怖くない』ですね)
何ででしょうか。私は、男性恐怖症です、男性を前にすると萎縮してしまって、呂律も回らなくなってしまいますし、緊張してしまいます。ですが、今、ユウスケさんだけは大丈夫な気がします。
それ以上の明確な恐怖が迫ってきているから?今ユウスケさんが傷ついていて何もできないから?
いいえ、どちらも違うでしょう。
男の方は、どこか粗野で、乱暴なイメージがありました。全員が全員、そうではないことは分かっています。ですが、どうしてもダメでした。
しかし、ユウスケさんは、こうして私が自分を捧げてしまえるくらいには、優しかったのです。そんな方に、恐怖を抱くはずなどございません。
(それではご無事で、ユウスケさん)
私は心の中でそう唱えて、覚悟を決めます。
もう、オオムカデは目と鼻の先です。
「愚問だジョーカー。早く寄越せ」
ふと、後ろのユウスケさんがそんなことを口に出すのが聞こえました。
「ユウスケさん! 早く逃げてください!」
私は焦りながらそう言いますが、ユウスケさんは動きません。すぐ近くにはあのオオムカデが迫っています。あと数秒もすれば私はあの顎に貫かれて死んでしまうでしょう。その次は、ユウスケさんが。
「ユウスケさん! 早く!」
私は自然にあふれてくる涙を散らしながら、叫びました。
その時、
ユウスケさんの身体に魔力が溢れるのを感じました。しかも、その純度は、今まで見たことも無いほどに。
「ユウスケ……さん?」
思わず、名前を呼んでしまいます。その時、
「――――!」
オオムカデが私に向かってあの鋭い顎を突きたてようとしているのを感じました。ああ、もうこれで御終いですね。私は目を瞑り、それを受け入れます。
(……?)
しかし、いつまでも痛みは訪れませんでした。もしかして、それだけの勢いで即死したのでしょうか?
ゆっくり、ゆっくり目を開けます。私の目に映ったのは、
「すまなかったな、リリア。それと、ありがとな」
体からとてつもない魔力を溢れさせているユウスケさんでした。ユウスケさんは、あのオオムカデの鋭く、大きく、強靭な顎を両手で押さえていました。




