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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第8話 食う口、働く手

 南の道から来たのは、南谷の逃げ遅れた者たちだった。


 年寄りが三人。


 子供が四人。


 女が二人。


 若い男が一人。


 荷は少ない。布に包んだ鍋が一つ、干し飯らしい小袋が二つ、あとは着替えとも呼べぬ布切れだけだった。


 門をくぐった時、子供の一人は泣く力もなく、母親の袖を掴んだまま足を引きずっていた。


 久住宗介は、その子の顔を見た瞬間、喉の奥が詰まった。


 腹が空いている。


 水も足りていない。


 怖さで固まっている。


 その顔は、昨日の足軽たちと同じだった。


「門の脇に座らせないでください。人が詰まります」


 宗介は言った。


「怪我人の場所とは分けます。子供と年寄りは竈の風下を避けて、壁際へ。先に水を少し。粥は熱すぎないように」


 おきぬが椀を抱えて走った。


「はいよ。子供はこっちだ。泣くのは後でいいから、まず座りな」


 南谷の女衆も動く。


 昨日までは避難してきた者だった。


 今は、別の避難者を受け入れる側に回っている。


 それだけで、城の中の空気が少し変わっていた。


 だが、良い方にだけ変わったわけではない。


「また増えたのか」


 足軽の一人が低く吐き捨てた。


「食う口ばかり増える」


「俺たちの飯も薄いのに、まだ粥を出すのか」


「南谷の米は城へ入れたんだろう。なら南谷の者が食うのは当然じゃねえのか」


「だが、その米を守るのは俺たちだ」


 声は小さい。


 だが、宗介には聞こえていた。


 そして、それが間違っていないことも分かっていた。


 腹が減れば、人は荒れる。


 自分の分が削られると思えば、さらに荒れる。


 善意だけで城は回らない。


 可哀想だから食わせる。


 それだけでは、次に足軽が怒る。


 足軽が怒れば、門が揺らぐ。


 門が揺らげば、南谷の者も城の者も守れない。


「市松」


「何だよ」


 市松は板切れを抱えて走ってきた。目の下は黒いが、昨日より少しだけ動きに迷いがない。


「南谷から今入った者を別に印をつけてください。年寄り、子供、女衆、若い男。食わせた粥と水も」


「また板が要る」


「要ります」


「板ばっかり増えるな」


「板がないと、怒鳴り声が増えます」


 市松は嫌そうな顔をしながらも、木片を拾って炭を走らせた。


 丸。


 線。


 小さな人の印。


 谷を表す印。


 字が読めない者にも、何となく分かるように。


 宗介はその板を見てから、足軽たちの方へ向かった。


 何人かがこちらを見る。


 好意的な目ではない。


 宗介は足を止めた。


 怖い。


 敵の槍とは違う怖さだ。


 腹を空かせた味方の不満は、じわじわと近づいてくる。正面から斬られるより厄介かもしれない。


「飯を減らすつもりはありません」


 宗介は言った。


 足軽の一人が鼻で笑った。


「増えた口に食わせて、減らぬわけがあるか」


「一人分ずつ見れば、少し薄くなります」


「ほら見ろ」


「ですが、働く手も増えます」


 宗介は南谷から来た若い男を指した。


 痩せているが、肩はしっかりしている。農作業をしてきた身体だ。


「あの者は、薪を運べます。水も汲めます。柵の木も運べる。女衆は粥を混ぜ、怪我人を見られる。年寄りも、子供の面倒や縄を結ぶことならできます」


「子供にまで働かせるのか」


「無理な仕事はさせません。けれど、座って震えているだけにすれば、もっと怖くなります。手を動かせる者には、小さくても役を持たせます」


 足軽たちは黙った。


 完全に納得したわけではない。


 だが、ただ食うだけではない、と聞いて少し目の色が変わった。


「食う口を、働く手にします」


 宗介は続けた。


「ただし、働けぬ者を追い出す話ではありません。年寄りも子供も、城の邪魔にならぬ場所へ分ける。火に近づけすぎない。水を先に渡す。泣いて動けぬ者が門を塞がないようにする。それも段取りです」


「綺麗に言うな」


 足軽の一人が言った。


「腹が減るのは変わらねえ」


「変わりません」


 宗介は頷いた。


「だから、誰に何が渡ったか見えるようにします。南谷の者だけ多く食えば、俺が止めます。足軽だけが取れば、それも止めます」


「お前が止めるのか」


「喜兵衛と弥四郎様に止めてもらいます」


 そこは正直に言った。


 自分一人で足軽を止められるわけがない。


 力もない。


 武器もない。


 殴られれば倒れる。


 足軽の一人が、ふっと笑った。


「そこは自分で止めると言わねえのか」


「止められません」


「情けねえな」


「はい」


 宗介はあっさり認めた。


 妙な空気になった。


 苛立ちが、少しだけ抜けた。


 その時、宇平次がやってきた。


「何を集まっている。門が暇になったわけではないぞ」


 足軽たちが姿勢を正す。


 宇平次は宗介を見た。


「揉めていたのか」


「揉める前です」


「なら揉めるな」


「そのために話していました」


 宇平次は一瞬、面倒そうな顔をした。


 だが、足軽たちの顔を見て、怒鳴るのをやめた。


「飯で揉めるな。揉めるなら、敵が来てからにしろ」


「それは困ります」


 宗介が思わず言うと、宇平次が睨んだ。


「冗談だ」


「すみません」


「お前は冗談が通じにくい」


「今は特に」


 宇平次は鼻を鳴らした。


 それから足軽たちへ言った。


「門の者には飯を回す。水もだ。ただし、二度取りは許さん。食っていない者を先に出せ。腹が足りぬなら俺に言え。勝手に南谷の者を責めるな」


 足軽たちは渋々頷いた。


 宇平次の言葉は荒いが、効く。


 宗介の言葉だけでは足りないところを、埋めてくれる。


 それがありがたかった。


 昼近くになると、笠森城の庭には新しい動きが生まれていた。


 南谷の若い男は、善助と一緒に水を運んでいる。


 満杯ではない。


 半分より少し多く。


 何度も往復するための量だ。


 女衆はおきぬの下で、粥を混ぜ、椀を並べ、怪我人の口元へ湯を運ぶ。


 年寄りの一人は、震える手で縄を結んでいた。


 南谷の米俵につけた二重の縄と、城の米を分けるための縄である。


 子供たちは、最初は泣いていた。


 だが、市松が炭の印を教えると、一人が興味を示した。


「これは?」


「飯を渡した印」


「これは?」


「水」


「これは?」


「火を消す水。飲んだら怒られる」


 市松は偉そうに言った。


 つい昨日まで自分も聞いていたくせに、もう教える側の顔をしている。


 宗介はそれを見て、少しだけ笑いそうになった。


 子供の一人が小さな板に丸を描いた。


 歪んだ丸だった。


 だが、描いた本人は真剣だった。


 その時、喜兵衛が蔵から顔を出した。


「宗介」


「はい」


「来い。見せるものがある」


 兵糧蔵の中は、昨日より少しだけましになっていた。


 湿った俵は壁際から離され、南谷の九俵には二重縄と板の印がついている。塩の袋は味噌樽から離され、干し飯の袋も口を縛り直していた。


 まだ乱れている。


 まだ臭いも悪い。


 だが、何がどこにあるか、少しだけ見えるようになっていた。


 喜兵衛は奥の俵を指した。


「これを開けた」


 俵の口が少しほどかれている。


 中の米は、ところどころ色が悪かった。


 宗介は顔を近づけ、臭いを嗅いだ。


 酸っぱい。


 完全に腐っているわけではない。


 だが、長く置けば周りまで悪くなる。


「これはすぐ使うしかありません」


「やはりか」


「粥にします。味を濃くしすぎない。悪いところは除ける。怪しいものを握り飯にして持たせるのは避けたいです。傷んだ飯を持って歩かせると、腹を壊すかもしれません」


「腹を壊す、か」


 喜兵衛は苦い顔をした。


「戦の前に腹を壊されては困る」


「はい」


「だが、捨てるには惜しい」


「捨てません。すぐ使う。今日の夕方までに粥へ回します。ただし、南谷の預かり米とは混ぜないでください」


「混ぜぬ」


 喜兵衛は即答した。


 その声には、兵糧方としての意地があった。


 宗介は少し安心した。


 喜兵衛は頑固だ。


 だが、守ると決めたものは守る男だ。


「もう一つある」


 喜兵衛は蔵の端へ案内した。


 そこには、小さな袋が三つ置かれていた。


「これは?」


「誰かが隠しておった」


 宗介は眉をひそめた。


「米ですか」


「干し飯と、少しの塩だ」


 喜兵衛の声は低かった。


「蔵の裏の隙間に押し込んであった。城の者か、南谷の者かは分からぬ」


 宗介の胸が重くなった。


 来たか、と思った。


 腹が絡めば、人は隠す。


 責めれば、もっと隠す。


 放っておけば、不公平が広がる。


 どう扱うかで、城の空気が決まる。


「弥四郎様に伝えましょう」


「犯人を探すか」


「探さないわけにはいきません。ですが、最初から盗人として吊るすように探すと、皆が黙ります」


「甘いな」


「甘いかもしれません」


 宗介は袋を見た。


 干し飯。


 塩。


 どちらも命だ。


「でも、なぜ隠したかを知らないと、また隠されます」


 喜兵衛は黙った。


 宗介は続けた。


「自分の子に食わせたかったのかもしれない。夜番で足りないと思ったのかもしれない。あるいは、本当に盗むつもりだったのかもしれない。全部同じに扱うと、次が見えません」


「お前は、いちいち面倒だ」


「はい」


「だが、面倒を避けると後で大事になる」


 喜兵衛は袋を担いだ。


「若へ持っていく」


 弥四郎は、門近くで宇平次と話していた。


 南の道に見張りを置くかどうかを相談していたらしい。


 喜兵衛が袋を置くと、空気が変わった。


「蔵の裏に隠してありました」


 弥四郎は袋を見た。


 宇平次の顔が険しくなる。


「盗みか」


「まだ分かりません」


 宗介が言うと、宇平次が眉を上げた。


「蔵の裏に隠して、盗みでないと?」


「盗みかもしれません。ですが、今すぐそう決めると、持っている者は隠します」


「持っている者がほかにもいると?」


「いると思います」


 宗介は正直に言った。


「腹が不安な時、人は手元に置きたがります。責めても、それは消えません」


「では見逃すのか」


「いいえ。出させます」


「どうやって」


 宗介は少し考えた。


 現代なら、全員に申告させる。持ち物確認。ルールの説明。罰則。


 だが、ここで同じことをそのままやれば反発が出る。


 戦国の城で、流れ者が荷を改めるなど無理だ。


「弥四郎様の名で、半刻だけ出す時を作ってください」


 宗介は言った。


「隠している飯や塩があれば、今出した者は盗みとはしない。ただし、板に印をつけて、持ち主と理由を聞く。子や年寄りのためなら、こちらで配る形に直す。夜番のためなら、持ち場の飯に組み込む」


「出さなかった者は?」


 宇平次が問う。


「半刻を過ぎて見つかれば、盗みとして扱う。そう言えば、出す者は出ます」


「甘いようで、厳しいな」


 弥四郎が言った。


「最初に逃げ道を作り、その後は締める」


「はい」


「なぜだ」


「恐怖で隠した者と、悪さで隠した者を分けるためです」


 弥四郎は袋を見つめた。


 それから、静かに頷いた。


「よい。そうしよう」


 宇平次は不満そうだったが、反対はしなかった。


「ただし、俺が立つ」


 宇平次は言った。


「お前が言うだけでは舐められる」


「お願いします」


 宗介は素直に頭を下げた。


 城の庭に、人が集められた。


 足軽。


 小者。


 南谷の者。


 女衆。


 怪我人を除き、動ける者はほとんど来た。


 弥四郎が前に立つ。


 若い城主の顔は、疲れていても真っ直ぐだった。


「蔵の裏より、干し飯と塩が出た」


 ざわめきが広がった。


 誰かが息を呑む。


 誰かが目を逸らす。


 弥四郎は続けた。


「今より半刻、手元に隠した飯、米、塩がある者は出せ。今出すなら、盗みとはせぬ。理由を聞き、印をつけ、必要なら改めて配る」


 宇平次が低く付け加えた。


「半刻を過ぎて見つかれば、盗みだ。容赦はせぬ」


 空気が冷えた。


 宗介は腹に力を入れた。


 出るか。


 誰も出ないか。


 沈黙が続いた。


 やがて、南谷の女が一人、震えながら前へ出た。


 布に包んだ小さな干し飯を差し出す。


「子に……食わせようと」


 宇平次の眉が動いた。


 だが弥四郎は手を上げて止めた。


「名は」


「おつね、と申します」


 市松が板に印をつける。


 南谷。


 女。


 子のため。


 干し飯一包み。


 宗介はおつねへ言った。


「それは預かります。その代わり、子供の粥の印へ入れます。勝手に持つより、毎回渡るようにします」


 おつねは泣きそうな顔で頷いた。


 次に、小者が一人出た。


「夜番が怖くて……腹が減った時のために」


 干し飯が少し。


 その次に、足軽が一人。


 塩を小袋に入れていた。


「汗をかくと、力が抜けるので」


 宗介はその言葉に反応した。


 塩。


 足軽は感覚で知っている。


 汗をかけば塩気が欲しくなる。


 なら、これは責めるだけではもったいない。


「門番と柵の修繕に出る者へ、塩を少し混ぜた水か、味噌を薄くした湯を回せますか」


 宗介が呟くと、喜兵衛が目を細めた。


「塩を飲ませるのか」


「少しだけです。多すぎると喉が渇きます。汗をかく者へ、薄く」


「また面倒なことを増やす」


「倒れるよりは」


 喜兵衛はため息をついた。


「考えておく」


 半刻の間に、思ったより多くの小さな隠し飯が出た。


 大きな量ではない。


 だが、それだけ不安が城の中にあったということだった。


 弥四郎は一人ひとりの理由を聞いた。


 怒鳴らなかった。


 だが、最後に言った。


「隠すな。隠せば、隣が疑う。隣を疑えば、門が揺らぐ。腹が不安なら申せ。全てに応えられるとは言わぬ。だが、隠して城を割ることは許さぬ」


 その言葉は、強かった。


 若いが、城主の言葉だった。


 宗介は静かに息を吐いた。


 隠し飯を出させたことで、不安が消えたわけではない。


 むしろ、見えてしまった。


 城の中に、これだけの恐れが溜まっている。


 米があるか。


 自分の子は食えるか。


 夜番で倒れないか。


 足軽だけが損をしないか。


 南谷だけが守られすぎていないか。


 そういうものが、蔵の裏の隙間に詰まっていた。


 夕方、宗介は竈の前に立っていた。


 傷みかけの米は、粥に回された。


 味噌を少し溶き、塩気を整える。


 門番には小さな味噌握りと、薄い味噌湯。


 柵の修繕に出る者には、少しだけ塩を効かせた粥。


 子供と年寄りには、熱すぎない薄粥。


 怪我人には湯。


 同じ飯ではない。


 だが、不公平に見えすぎないよう、板に印をつける。


 面倒だ。


 本当に面倒だ。


 だが、面倒を省けば、また誰かが隠す。


 おきぬが鍋を混ぜながら言った。


「食わせるってのは、大変だねえ」


「はい」


「ただ米を炊けばいいわけじゃない」


「はい」


「面倒な男が来たもんだ」


「すみません」


「褒めてるんだよ」


 おきぬはそう言って、少し笑った。


 宗介も、ほんの少しだけ笑った。


 その時、門の方から宇平次の声が飛んだ。


「宗介! 若が呼んでいる!」


 宗介は手を拭き、門の近くへ向かった。


 弥四郎は、南の空を見ていた。


 その横に、見張りの足軽がいる。


「南の道ではありません」


 見張りが言った。


「西の尾根に、人影がありました。旗らしきものも」


 宗介は息を呑んだ。


 敵か。


 昨日の賊か。


 それとも別の者か。


 弥四郎の表情は硬い。


「旗の色は」


「遠くて分かりませぬ。ただ、賊のような散り方ではありませぬ。まとまって動いております」


 宇平次が低く言った。


「小領主の手勢かもしれませぬ」


 小領主。


 笠森城の周囲にいる、同じような小さな勢力。


 助けか。


 敵か。


 様子見か。


 米の匂いを嗅ぎつけた者か。


 宗介には分からない。


 だが、一つだけ分かった。


 城の中をどうにか回し始めた途端、城の外が動き出した。


 弥四郎は宗介を見た。


「兵糧方」


 初めて、弥四郎がそう呼んだ。


「はい」


「人が増えるかもしれぬ」


 宗介の胃が重くなった。


 増える。


 兵かもしれない。


 使者かもしれない。


 敵かもしれない。


 味方だとしても、腹はある。


「なら、まず数えます」


 宗介は言った。


「何人来るのか。食わせるのか、食わせないのか。泊めるのか、追い返すのか。決める前に、数えます」


 弥四郎は頷いた。


「そう言うと思った」


 西の尾根に、小さな旗が揺れていた。


 笠森城の竈からは、薄い粥の湯気が上がっている。


 城の腹は、ようやく見え始めたばかりだった。


 そこへ、また新しい腹が近づいてくる。


 宗介は炭で汚れた手を握った。


 食う口は増える。


 だが、働く手にもできる。


 敵なら、食わせている場合ではない。


 味方なら、食わせ方を間違えれば味方でなくなる。


 米と水と薪と人。


 また、数えるものが増えた。


第8話─了

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