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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第六十九話 窯口の火

 黒谷の山から、煙が上がった。


 それを最初に見つけたのは、笠森城の庭にいた彦蔵だった。


 夜明けの空は薄く曇り、山の稜線にはまだ朝靄が残っている。その向こうから、黒いものを含んだ煙が一筋、風に押されながら立ち上っていた。


 彦蔵は、手にしていた椀を地面へ置いた。


「……誰が窯を開けやがった」


 久住宗介は、すぐには意味が分からなかった。


 黒谷の炭窯は、和木原の兵が入り込む前に彦蔵たちが火を落としている。焼きかけの炭を残したまま谷を離れたため、窯がどうなっているかは誰にも分からない。


 それでも、煙が上がるのは不思議ではないように思えた。


「炭がまだ燃えているんでしょうか」


 宗介が尋ねると、彦蔵は険しい顔で首を振った。


「違う。昨日までとは煙の色が違う。あれは窯の中だけで収まってねえ。薪か、積んだ木に火が移ってるかもしれん」


 太助が山の方角を見た。


 その顔からも血の気が引いていく。


「和木原の連中、窯を開けたんじゃねえか」


「仕上がりを見ようとして、まだ熱い窯へ風を入れたなら厄介だ。中の炭が一気に燃え出すことがある」


 彦蔵は立ち上がった。


「俺は行く。あの窯まで焼かれたら、戻る場所がなくなる」


 宗介は慌ててその腕をつかんだ。


「彦蔵さん、黒谷には和木原の兵がいます。昨日だって、宇平次さんが正面から入るのは危険だと判断した場所です」


「分かってる。だが、あそこには窯だけじゃねえ。乾かしている木もある。火が山へ移れば、黒谷だけでは済まねえ」


 宗介は言葉を失った。


 炭窯が壊れる。


 それだけでも大きな損害だった。


 だが、山へ火が広がれば、南谷へ続く道も、沢の水場も危うくなる。


 何より、黒谷に残された山そのものが焼けてしまう。


 片瀬弥四郎が広間から出てきたのは、その時だった。


「騒がしいな。黒谷で何かあったか」


 宇平次も呼ばれ、彦蔵が煙の様子を説明した。


 弥四郎は山を見つめ、しばらく黙っていた。


 やがて、彦蔵へ向き直る。


「お前が行かねば、火は止められぬか」


「窯を知る者でなければ、どこを塞げばよいか分かりませぬ。水をかければ済む火でもない。窯口を開けたままにすれば、風を食って燃え続けます」


 彦蔵の声には切迫したものがあった。


 弥四郎は宇平次を見た。


「兵を六人選べ。黒谷へ向かう。ただし、敵へ攻めかかるためではない。山火事を防ぐためだ」


「承知しました。和木原の兵が道を塞いでいれば、まず火を止めに来たと伝えます」


「無理に押し通るな。相手が火を止める邪魔をするなら、その事実も残す。槙尾へ伝える必要がある」


 弥四郎は彦蔵へ向き直った。


「窯を見に行くことは認める。だが、火を消すために死ぬことまで許した覚えはない。宇平次の指図に従え」


 彦蔵は歯を食いしばり、深く頭を下げた。


「承知しました」


 宗介も同行を申し出た。


 宇平次は露骨に嫌な顔をした。


「お前を連れていけば、山道で守る者が一人増える。昨日も黒谷から帰るだけで、ずいぶん足を引っ張ったそうだな」


「その通りです。ですが、水や道具を運ぶ人の動きなら、少しは考えられます。火を止めるために何が足りないか、現場で見たいんです」


 宇平次はしばらく宗介を見ていた。


 やがて、ため息をつく。


「太助と彦蔵から離れるな。槍が出たら後ろへ下がれ。それだけは守れ」


「はい」


 宗介は深く頷いた。


 矢が飛んでくる山道へ、また行くことになった。


 怖くないはずがなかった。


 それでも今日は、黒谷の煙が気になって仕方がなかった。


     ◇


 古炭道へ近づくにつれ、焦げた木の匂いが強くなった。


 黒谷の入口には、和木原の兵が見張りを置いている。


 槍を持った男が四人。


 さらに奥にも人影があった。


 昨日と同じ場所である。


 だが、兵たちの様子は明らかに違っていた。


 誰も落ち着いていない。


 槍を持つ者まで何度も谷の奥を振り返り、荷を背負っていた人足らしい男が、空の桶を抱えて走っていた。


 宇平次が足軽を止めた。


「宗介、あそこから先へは出るな。まず相手の話を聞く」


 宇平次が槍を持って道へ出ると、和木原の兵が一斉に振り向いた。


「笠森の者が来たぞ!」


 声が上がる。


 槍先がこちらへ向いた。


 宇平次は立ち止まり、敵との間を十分に空けたまま告げた。


「黒谷から煙が上がっている。炭窯に火が回ったのなら、山へ燃え広がる前に止めねばならん。こちらには窯を知る者がいる」


 敵の一人が怒鳴った。


「黒谷は和木原が警固している! 笠森の兵を入れるわけにはいかん!」


「ならば、お前たちだけで火を止められるのか。煙は笠森の城からも見えるほどだぞ」


 宇平次の声に、男は言葉を詰まらせた。


 その後ろから、別の武士が現れた。


 和木原の兵を率いる組頭らしい。


 男は彦蔵の姿を認めると、目を細めた。


「黒谷の炭焼きか。ちょうどよい。お前の窯が燃えている。すぐに来て火を止めろ」


 彦蔵の顔が険しくなった。


「窯を燃やしたのは誰だ。俺たちが谷を出る時には、口を締めてあったはずだ」


「炭が取れると聞いて開けさせた。中がまだ赤かっただけのことだ」


 彦蔵が唸るような声を出した。


「馬鹿な真似を……。窯の中を確かめるにも頃合いがある。まだ熱いところへ風を入れれば、炭が燃え出すに決まってるだろうが」


 組頭の顔が赤くなった。


「炭焼き風情が武士へ説教するつもりか!」


「説教してるんじゃねえ。山が燃えると言ってるんだ!」


 彦蔵の怒声が谷へ響いた。


 宗介は思わず息を呑んだ。


 黒谷を追われた彦蔵は、昨日まで沈んだ顔をしていた。


 だが今は違う。


 自分の窯を知らない者が勝手に開け、山まで燃やしかけている。


 その怒りが、恐怖を上回っているようだった。


 宇平次が一歩前へ出た。


「こちらの兵は谷口に残す。炭焼きと太助、それに手伝う者だけを入れろ。そちらの兵も窯から下がれ。火を止める間に槍を向けられては仕事にならん」


 組頭はしばらく黙っていた。


 その間にも谷の奥から煙が流れてくる。


 焦げ臭さが、ますます濃くなった。


 やがて男は苦々しげに頷いた。


「窯の周りから兵を下げる。ただし、笠森の者が妙な真似をすれば容赦せん」


「火を消しに来た者へ槍を向けるな。それだけ守ればよい」


 宇平次は言い返した。


 宗介は太助と彦蔵の後ろにつき、谷へ入った。


 黒谷へ戻れたという喜びはなかった。


 むしろ、足を進めるほど恐ろしい光景が見えてきた。


 窯の前に積まれていた木の一部が燃えている。


 炎はまだ大きくない。


 だが、乾いた枝束へ移り、風にあおられて勢いを増そうとしていた。


 窯口は半ば開いたままだった。


 中から熱気が流れ、赤く光る炭が見える。


 彦蔵はその光景を見た瞬間、顔を歪めた。


「……俺の窯を」


 太助がその肩をつかんだ。


「怒るのは後だ。まず外の火を止めるぞ」


 彦蔵は歯を食いしばり、頷いた。


「分かってる。宗介殿、人を分けてくれ。俺と太助で窯を見る。ほかの者には、火の移った枝と積み木を片づけさせたい。ただし、燃えているものへ素手で触らせるな」


 宗介は周囲を見回した。


 和木原の兵は窯から離れた場所にいる。


 人足が数人、桶を抱えて立っていた。


 誰も何から始めればよいか分からない顔をしている。


 宗介は思わず、現代で働いていた頃の光景を思い出した。


 荷崩れが起きた時。


 車が故障した時。


 荷物が届かず、皆が同じ場所へ集まってしまった時。


 そんな時に必要だったのは、全員が一度に動くことではなかった。


 誰が何をするかを決め、手を止めないことだった。


「水を汲む人を二人。運ぶ人を二人。火のついた枝の周りから、燃えていない木を離す人を二人お願いします。水は沢から汲みますが、飲み水の場所へ灰を戻さないでください」


 人足たちは顔を見合わせた。


 その中の年長の男が口を開いた。


「水を運ぶだけなら、我らにもできます。ですが、桶が三つしかありませぬ」


「三つで構いません。沢へ戻る人と運ぶ人を分けて、空の桶を休ませないようにしましょう。道が狭いので、行き違う場所も決めます」


 宗介は、沢と窯の間の足場を確かめた。


 水を汲む場所。


 桶を渡す場所。


 火のそばへ運ぶ場所。


 同じ人間が全部を往復すれば、すぐに息が切れる。


 だが、途中で受け渡せば、移動する距離は短くできる。


 和木原の人足たちは、最初こそ戸惑っていた。


 それでも、役目が決まると手を動かし始めた。


 敵の兵糧を運んでいた者が、今は笠森の宗介の声で水桶を運んでいる。


 奇妙な光景だった。


 だが、誰も不思議がる余裕などなかった。


 窯の前では、彦蔵が太助へ指示を出していた。


「口の脇から風が入ってる。あそこを塞ぐ。土を持ってこい。ただし、窯口へ顔を近づけるな」


 太助が鍬で土を掻く。


 彦蔵は熱の当たり方を確かめながら、長い木を使って崩れた口の周囲を整え、土を寄せた。


 炎の勢いが弱まるまでには時間がかかった。


 外へ燃え移った枝にも水をかける。


 燃えていない木は、火から離す。


 乾いた草が続く場所では、火が広がらないよう土を露出させた。


 宗介は途中で息が上がり、自分が桶を運ぶ役に立たないことを思い知った。


 五十一歳の体では、沢から何度も水を運ぶ若者のようには動けない。


 それでも、足場の悪い場所を避け、空いた桶を受け渡す人を動かすことならできた。


 太助が怒鳴る。


「そこへ水をかけるな! 窯の中じゃなく、外へ移った火を止めろ!」


 人足が慌てて桶を引く。


 彦蔵は窯の様子を見ながら、ようやく長く息を吐いた。


「……これなら、ひとまず外へ広がる火は止められる」


 宗介は膝へ手をついた。


 まだ煙は残っている。


 窯の中がどうなったかも分からない。


 それでも、積んだ木へ移っていた炎は弱まり、周囲の枝へ燃え広がる勢いも収まっていた。


 すぐに安全になったわけではない。


 彦蔵は窯口から離れ、しばらく様子を見るよう言った。


「中にはまだ熱が残ってる。勝手に開けるな。火が落ち着いたように見えても、すぐ炭を出せるとは思うなよ」


 宗介はその言葉を聞きながら、黒谷の窯を見つめた。


 今日、取り返したわけではない。


 ただ、焼け落ちるのを防いだだけだった。


 しかし、昨日の朝にはもう失ったと思っていた窯が、まだ形を残している。


 そのことに、少しだけ胸が軽くなった。


     ◇


 火の勢いが収まると、和木原の組頭が近づいてきた。


 顔には煤がつき、衣の裾も泥で汚れている。


「火は止まったのだな」


 彦蔵が答えた。


「外へ広がる火は、ひとまず止めた。だが、窯はまだ熱い。中を確かめるには日を置かなきゃならねえ。勝手に開けりゃ、また同じことになる」


 組頭は不満そうな顔をした。


「炭を取れぬのでは、ここへ兵を置いた意味がない」


 その一言で、宗介は顔を上げた。


 やはり、炭を欲しがっていたのだ。


 黒谷の入口を押さえ、炭窯へ兵を入れた。


 ただ笠森の炭を止めるだけではない。


 自分たちで炭を取ろうとしていたのだろう。


 だが、炭窯は槍を持てば使えるものではない。


 どの木を入れるか。


 どれほど乾かすか。


 いつ火を入れ、いつ口を締めるか。


 そのすべてを見極める者が必要だった。


 彦蔵は組頭を睨んだ。


「炭が欲しけりゃ、炭焼きから買えばよかったんだ。勝手に窯へ入って、炭まで好きに取れると思うな」


「和木原主膳様は、黒谷の炭を川筋の警固に使うと決めておられる」


「俺の炭を、俺に断りもなくか」


 彦蔵の声が低くなった。


 組頭は言い返そうとしたが、宗介が先に口を開いた。


「炭を取るために窯を壊してしまえば、次から焼けません。今日も、窯を知る方がいなければ、火はもっと広がっていたと思います」


 組頭が宗介を睨む。


「笠森の兵糧方が、和木原の仕事へ口を出すつもりか」


「山が燃えれば、笠森にも南谷にも影響します。窯の持ち主がここにいる以上、炭をどう扱うかは彦蔵さんへ聞くべきだと思います」


 男は顔を歪めた。


 だが、その場で刀を抜くことはなかった。


 周囲には、火を止めるために働いた人足たちがいる。


 彼らも彦蔵の説明を聞いていた。


 窯を開けたために火が大きくなったことも、彦蔵と太助が来てから火が収まったことも、目の前で見ている。


 組頭は、しばらく黙っていた。


 やがて、苦々しげに言った。


「今日はもう、窯へ触れん。だが、黒谷の警固は続ける。炭焼きどもが勝手に出入りすることも認めぬ」


 彦蔵が一歩出ようとした。


 太助が、その肩を押さえる。


「今はいい。窯は残った。ここで刺されりゃ、何のために戻ってきたか分からねえ」


 彦蔵は唇を噛んだ。


 宗介も何も言えなかった。


 和木原の兵は、まだ谷口にいる。


 火を止めたからといって、黒谷が返ってきたわけではないのだ。


 宇平次が前へ出た。


「火を止めるために来た者は、これで下がる。だが、今日のことは笠森から槙尾へ伝える。窯を勝手に開き、山へ火を広げかけた事実は隠せん」


 組頭は答えなかった。


 ただ、険しい顔で宇平次を睨みつけていた。


 その横を通り、宗介たちは黒谷を後にした。


 帰り道、彦蔵は一度だけ振り返った。


 窯からは、細い煙が上がっている。


 朝のような黒い煙ではない。


 だが、まだ熱は残っているのだろう。


 彦蔵は、しばらくその煙を見ていた。


「窯は生きてる」


 ぽつりと呟いた。


 太助が隣で頷く。


「ああ。今日は、それだけでも十分だ」


 彦蔵は首を振った。


「十分じゃねえ。俺の窯だ。あいつらのものじゃねえ」


 太助は、それ以上何も言わなかった。


     ◇


 笠森城へ戻ると、片瀬弥四郎は広間で一行を迎えた。


 宗介は、火の広がり方、彦蔵と太助が窯口を整えたこと、和木原の人足が水を運んだこと、そして黒谷の入口がなお敵の手にあることを順に報告した。


 弥四郎は最後まで黙って聞いていた。


「山火事は防いだが、黒谷はまだ戻らぬか」


「はい。敵の組頭は、警固を続けると言っています」


 宇平次が答える。


「ただし、窯へは当分触れぬとも申しました」


 弥四郎は彦蔵へ向き直った。


「窯は、まだ使えると思うか」


 彦蔵は少し考えた。


「中の様子を確かめねば断言できませぬ。ですが、外から見た限りでは、窯そのものが崩れたわけではありません。口の傷みを直せば、また炭を焼ける見込みはあります」


「ならば、戻る道を考えよう」


 弥四郎の声は静かだった。


「ただし、今すぐ兵を出して黒谷を奪い返すわけにはいかぬ。和木原はまだ十人余りの兵を置いている。城門も、川沿いの旧道も守らねばならん」


 彦蔵は頷いた。


 昨日なら、顔を歪めていたかもしれない。


 だが、今日の窯を見て、何かを考え直したらしい。


「分かっております。窯を焼かれずに済んだだけでも、ありがたいことです」


 弥四郎は宗介へ目を向けた。


「今日、和木原の人足は火を止めるために働いたのだな」


「はい。兵ではなく、荷を運んでいた者たちです。水桶を運び、火の移りそうな木を片づけていました」


「逃げようとはしなかったか」


「私が見ている間は、誰も逃げませんでした。火を止めなければ、自分たちも危ないと分かっていたのだと思います」


 弥四郎は頷いた。


「なるほど。和木原の兵だけでなく、人足も黒谷にいるわけだ」


「はい」


「ならば、相手の腹を考える時には、その者たちも数に入れねばならんな」


 宗介は顔を上げた。


 確かにそうだった。


 槍を持つ兵が十人余り。


 麦を背負う人足が七、八人。


 火を止めるために働いた者もいる。


 彼らは皆、飯を食う。


 水も飲む。


 眠る場所も要る。


 和木原が黒谷へ兵を置けば、その兵を支える者まで黒谷へ入ってくる。


 人数が増えれば、それだけ多くの麦を運ばなければならない。


 宗介は、朝見た水桶の流れを思い出した。


 沢から窯へ水を運ぶために、人を分けた。


 運ぶ距離を短くし、桶を休ませないようにした。


 それでも、火を止めるまでには相当な手間がかかった。


 麦も同じだ。


 和木原の渡しから黒谷まで、人が背負って運ぶ。


 途中で休む。


 水を飲む。


 また歩く。


 その繰り返しになる。


 しかも、炭焼きの彦蔵たちがいなければ、和木原は窯を使えない。


 少なくとも、今すぐ炭を焼き続けることは難しいだろう。


「若様」


 宗介は口を開いた。


「今日、和木原の兵が何のために黒谷を押さえたのか、少し分かった気がします」


 弥四郎が目を向ける。


「言ってみよ」


「笠森へ炭を渡さないためだけではありません。和木原自身が炭を欲しがっています。ですが、窯を知る者がいなければ、炭を作るのは難しい。今日の火事で、それを思い知ったはずです」


 太助が頷いた。


「炭窯は、火をつけりゃ勝手に炭ができるもんじゃねえ。木を入れるところから焼き終えるまで、見る者が要る」


 弥四郎は彦蔵を見た。


「つまり、和木原が本当に欲しいのは、窯だけではないのだな」


 彦蔵は静かに頷いた。


「炭を焼く手が要ります」


 その言葉を聞いた瞬間、宗介の背筋が冷たくなった。


 窯を奪った。


 次は、炭を焼く者を奪おうとするかもしれない。


 和木原主膳は、渡しと道を押さえることに執着している。


 だが、道を押さえるだけでは荷は動かない。


 炭を作るだけの知識も技も、兵の数では補えない。


 それを知れば、彦蔵たちを無理に連れ戻そうとする可能性がある。


 宗介は弥四郎へ頭を下げた。


「若様。彦蔵さんたちを、当分は一人で城の外へ出さない方がいいと思います」


 弥四郎は頷いた。


「そうだな。黒谷の者は城で保護する。宇平次、見知らぬ者が彦蔵たちを連れ出そうとしても、勝手に通すな」


「承知しました」


 彦蔵は何か言いかけたが、太助が先に口を開いた。


「窯へ戻る時は、俺も一緒に行く。勝手に一人で戻るなよ」


 彦蔵は太助を見た。


 しばらくして、苦笑する。


「昔はお前に炭を取られた。今度は、見張られるのか」


「そう思ってくれても構わねえ。窯を取り戻す前に、お前を失うわけにはいかねえからな」


 彦蔵は、それ以上何も言わなかった。


 ただ、深く頷いた。


 その夜、笠森城の竈では、米に粟と麦を混ぜた粥が炊かれていた。


 おきぬが火加減を見ながら、宗介へ言った。


「黒谷の火は止まったんだってね」


「はい。彦蔵さんと太助さんがいなければ、もっと大きな火事になっていたと思います」


「なら、よかった。けど、炭が来ないのは変わらないんだろう」


「はい。しばらくは、今ある炭を大事に使うしかありません」


 おきぬは頷いた。


「分かった。飯を炊く火は守るよ。ただ、商人の荷を乾かす仕事は、当分減らすからね」


「それでお願いします」


 宗介は竈の火を見た。


 火は、人を温める。


 飯を炊く。


 炭を作る。


 だが、扱いを間違えれば、山を焼く。


 今日の黒谷で、それを思い知らされた。


 槍を持った兵がいくらいても、火の扱いを知らなければ窯は守れない。


 炭窯を守るには、炭焼きの目が要る。


 その目を持つ彦蔵たちが、今は笠森にいる。


 それは、小さな城に残された大きな力だった。


 夕食を終えた頃、宇平次が広間へ戻ってきた。


 黒谷から少し離れた高みへ見張りを出したという。


「今夜は、和木原の兵が谷口を守っています。こちらも交代で見ますが、近づきすぎぬよう命じました」


 弥四郎が頷いた。


「それでよい。黒谷の窯を焼かせなかったことは大きい。だが、明日も同じように火を出されたら困る。槙尾へ今日のことを知らせ、和木原が何をしているか確かめてもらう」


「御意」


 宗介は、静かに話を聞いていた。


 和木原の兵は、まだ黒谷を押さえている。


 しかし、窯を焼くことはできなかった。


 窯を使うために必要な者は、笠森に残っている。


 今日の火事で、それがはっきりした。


 宗介は、窯の前で怒鳴っていた彦蔵の顔を思い出した。


 自分の窯を守ろうとする、炭焼きの男の顔だった。


 兵糧を運ぶ道を守るために、これまで水場や橋や炭を見てきた。


 だが、今はもう、それだけでは足りない。


 道具を使う者。


 火を扱う者。


 荷を運ぶ者。


 その人間まで守らなければ、兵糧は続かない。


 そして、和木原もようやく同じことに気づき始めているのかもしれなかった。


 宗介は、蔵の戸締まりを確かめながら思った。


 黒谷の窯は、まだ敵の手の届く場所にある。


 だが、炭を焼く手までは奪わせなかった。


 和木原が次に狙うものは、もう麦俵でも釜でもないのかもしれない。


 宗介は城の奥へ視線を向けた。


 そこには今夜も、彦蔵たち三人が眠っている。


 黒谷を取り戻す戦いは、窯を奪い返すだけでは終わらない。


 炭を焼く者を、無事にそこへ戻して初めて終わるのだ。



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