第六十六話 敵の飯場
和木原の兵は、槙尾西沢へ向かう道で荷車を止めた。
その知らせが笠森城へ届いたのは、南谷の牛渡しで槍を向け合った翌朝だった。
久住宗介は蔵で喜兵衛と米の残りを確かめていたが、門番に呼ばれて広間へ向かうと、槙尾から来た使いが片瀬弥四郎の前に膝をついていた。
「和木原の兵が、西沢の入口に陣を構える支度をしております。安西新蔵様が兵を連れて向かわれましたが、相手は引く様子を見せませぬ」
使いの男は、夜明けから走ってきたらしい。額に汗を浮かべ、息を整えながら言葉を続けた。
「兵は十五人ほど。荷車一台を伴い、鍋や釜、麦俵を下ろしているとのことです」
宇平次が険しい顔になった。
「昨日は牛渡しへ杭を持ち込み、今日は槙尾西沢か。和木原は、よほど笠森へ通じる道を押さえたいらしい」
宗介は別のところが気になった。
鍋と釜。
それに麦俵。
兵が移動するだけなら、持参した三日分の兵糧を食べながら進めばよい。だが、大きな釜を運び、麦を下ろしているとなれば、そこで飯を炊くつもりなのだろう。
つまり、短い見回りでは終わらない。
「若様。西沢の入口に飯を炊く場所を作られたら、厄介です」
弥四郎が宗介を見る。
「兵を長く置けるからか」
「はい。兵が十五人でも、毎日川向こうから食べ物を運んでいれば、ずっとそこに居座れます。さらに兵が来ても、食わせる場所がある。道の入口へ小さな陣を作られるのと同じです」
喜兵衛が低く唸った。
「しかも西沢には水がある。鍋と麦さえあれば、飯は炊けるな」
「その通りです」
宗介は頷いた。
昨日まで和木原の兵が狙っていたのは、牛渡しへ通じる道だった。
今日は槙尾西沢。
いずれも、笠森が商人の荷を受け取り、米や粟を運ぶために使ってきた場所である。
そこへ兵を置かれれば、商人は近づかなくなる。
仮に槍で荷を止めなくても、兵が十五人も居座る水場へ、好き好んで穀物を運んでくれる商人はいないだろう。
「西沢は槙尾の水場です」
宗介が言うと、使いの男が頷いた。
「はい。槙尾の立ち会い印を受けた荷が使う場所にございます。新蔵様は、和木原が勝手に兵を置くことを認めておられませぬ」
「左馬助殿はどうしている」
弥四郎の問いに、使いは背筋を伸ばした。
「槙尾の兵を増やす支度を進めておられます。ただ、笠森と和木原の争いへ深入りしたくない家臣もおりますゆえ、まずは西沢から兵を退かせるよう命じられました」
宇平次が腕を組んだ。
「槙尾も、兵を出せば飯が要る。長く睨み合えば、和木原の思うつぼですな」
弥四郎はしばらく考えた。
若い城主の視線が、宗介から宇平次、喜兵衛へと移る。
「宇平次。動ける兵を六人選べ。槙尾から援けを求められたなら、西沢を守る。ただし、槙尾の領内で勝手な戦を始めるな」
「承知しました」
「宗介も同行せよ。敵の飯場を見てこい。槍の数は宇平次が見る。お前は、何をどれだけ運び込んだかを確かめろ」
宗介は喉が乾くのを感じた。
昨日、牛渡しで槍を向け合った光景が、まだ頭から離れない。
あの時は、周辺の小領主から来たらしい五人が戦いに加わらなかったため、どうにか双方が引いた。
しかし、今日も同じように済む保証はない。
「承知しました。ただ、先に申し上げておきます。俺は兵の戦い方までは分かりません。見て分かる荷のことだけ、お伝えします」
「それでよい。分からぬことまで答えろとは言わん」
弥四郎はそう言って立ち上がった。
「西沢を奪われれば、笠森の買い入れは細る。だが、兵を失ってまで奪い返すこともできぬ。槙尾とともに、相手が何をするつもりか見極めてこい」
宗介は深く頭を下げた。
今度は、敵の飯場を見る。
それが自分の仕事だった。
◇
槙尾西沢へ向かう道は、いつもの商い道とは違う様子になっていた。
荷を背負った商人がいない。
草鞋の足音も少ない。
いつもなら水場の近くで休んでいる荷持ちたちも、今日は姿を見せなかった。
代わりに、槍を持った男たちが道の脇に立っている。
槙尾の兵だった。
笠森の一行を見ると、そのうちの一人が前へ出た。
「片瀬の若様から援けを出していただいたか。新蔵様は西沢の手前におられる」
宇平次は頷き、兵を進ませた。
宗介もその後ろを歩く。
道が細くなる場所へ差しかかると、木々の向こうから煙が見えた。
黒い煙ではない。
薄く白い、飯を炊く時の煙だった。
その匂いが風に混じって流れてくる。
宗介は足を止めた。
薪の燃える匂い。
湿った藁の匂い。
そして、麦を煮る時に出る独特の匂い。
胸の奥が冷たくなった。
本当に飯を炊いている。
西沢の入口へ着くと、安西新蔵が槍を持った五人ほどの兵とともに待っていた。
「宇平次殿。来ていただき、助かりました」
新蔵の顔には疲れが浮かんでいる。
夜明けから和木原の兵と押し問答を続けていたらしい。
「相手はどのような様子です」
宇平次が尋ねると、新蔵は沢の向こうを指した。
「西沢の外れへ入り込み、荷車を止めております。槙尾の水場へ兵を置くなと申しましたが、川筋の警固だと言い張っております」
宗介は、木の陰から相手の様子を見た。
兵は確かに十五人ほど。
槍を持つ者が数人、道の入口に立っている。
残る者は荷車の周りへ集まり、俵や木箱を下ろしていた。
その中央には、大きな釜が二つ置かれている。
片方はすでに火にかけられ、湯気を上げていた。
その周囲に人足が四人ほどいる。
槍を持った兵とは違い、薄い衣を着て、腰には縄や小刀を下げていた。
明らかに飯炊きと荷運びのための者たちだった。
「なるほど……」
宗介は思わず呟いた。
新蔵がこちらを見る。
「何かお気づきになりましたか」
「兵だけではありません。飯を炊く人足まで連れてきています」
「それが何か」
「和木原は、ここを一日二日の見張り場所で終わらせるつもりではないと思います。釜と飯炊きの人足を置けば、兵が戻らなくても飯を食わせられます」
宇平次が腕を組む。
「十五人を食わせるには、どれほど要る」
「人によって違いますが、城の粥より多く食べるでしょう。槍を持って歩くなら、それだけ腹が減ります。ですが、あの麦俵だけで何日持つかは、中身を見なければ分かりません」
宗介は慎重に答えた。
遠くから俵の数だけ数えても、どれほど詰まっているかは分からない。
兵が持参した三日分の兵糧もあるはずだ。
ここで敵はすぐに飢えるなどと決めつけるのは危ない。
ただ、飯場を作っていることは明らかだった。
新蔵は顔をしかめた。
「つまり、槙尾の水を使って、和木原の兵を養うつもりか」
「そう見えます」
宗介は沢へ視線を向けた。
西沢の水場は、荷持ちたちが休み、水を飲むために使ってきた場所だった。
そこへ十五人の兵と飯炊きの人足が居座る。
水を汲み、釜を洗い、食べ残しを捨てる。
そんなことを続ければ、商人の使う水場ではなくなる。
宗介は、槙尾の新蔵へ尋ねた。
「西沢の水を、和木原の兵が勝手に使うことは認められているのでしょうか」
「商人や旅人が水を飲むことは止めませぬ。ですが、兵が飯場を作り、沢の水を使い続けるなど、許した覚えはありません」
「なら、今のうちに止める必要があります」
宗介は言った。
新蔵が眉を寄せる。
「もちろんです。しかし、向こうは槍を持っております。押し返すにも、こちらが先に槍を向けたことにされかねません」
確かにそうだった。
和木原は、笠森が川筋の警固を妨げたと槙尾へ訴えている。
ここでも同じ話になるだろう。
兵を退かせようとすれば、和木原は槙尾が警固を妨げたと言う。
笠森が加われば、さらに話は大きくなる。
宗介は、沢の向こうで飯を炊く者たちを見た。
釜をかき混ぜる男。
薪をくべる男。
俵を開いて麦を出す男。
彼らは武士ではない。
飯を炊くために雇われた人足だ。
その姿を見ているうちに、宗介はひとつの違和感を覚えた。
「新蔵様。あの麦俵は、和木原が槙尾の荷宿で買ったものなのでしょうか」
「詳しくは聞いておりませぬが、そうだと聞いております」
「なら、荷を運んだ者も、槙尾の荷宿を知っているはずです」
新蔵が宗介を見る。
「それが何か」
「飯を炊く者まで、和木原の家臣とは限りません。荷を運び、釜を据え、麦を炊くために雇われた者なら、仕事の範囲があるはずです」
宇平次が低く言った。
「兵を退かせられずとも、飯を炊く者を退かせるか」
「退かせるというより、何を頼まれて来たのか確かめたいんです」
宗介は答えた。
「商人の荷を運ぶつもりで来たのか。兵の飯を炊くために雇われたのか。槙尾の土地へ勝手に陣を据えることまで引き受けたのか。それによって話が違います」
新蔵はしばらく考えていた。
やがて頷く。
「分かりました。まず、相手へ使いを出しましょう」
◇
和木原の兵を率いていたのは、昨日牛渡しへ来た男とは別人だった。
四十ほどの武士で、名を大塚兵庫助と名乗った。
日に焼けた顔に、深い皺がある。腰の刀はよく手入れされており、具足も古びてはいるが、粗末なものではなかった。
新蔵が前へ出ると、兵庫助は面倒そうな顔をした。
「槙尾から何度も人が来るが、こちらは川筋の警固をしているだけだ。何を騒ぐことがある」
「川筋の警固を名目に、槙尾の水場へ兵を置くことは認められません。飯場まで据えるのであれば、なおさらです」
「兵が飯を食わずに働けると思うのか」
兵庫助は鼻で笑った。
宗介は、その言葉に思わず頷きそうになった。
その通りだ。
兵も飯を食わなければ動けない。
だからこそ、和木原は麦を買い、釜を運び、飯炊きの者まで連れてきたのだろう。
ただ、そのために他領の水場を使い、商人の道を塞いでよいことにはならない。
「兵庫助殿」
宗介は、新蔵の後ろから声をかけた。
「飯を炊いている方々は、和木原の家臣なのでしょうか」
兵庫助の目がこちらへ向いた。
「誰だ、お前は」
「笠森の兵糧方、久住宗介と申します」
「笠森の者が、槙尾の話へ口を挟むのか」
「西沢は、笠森の荷も使わせていただく水場です。兵糧を運ぶ道が塞がれるなら、私どもにも関わります」
兵庫助は口元を歪めた。
「ならば、和木原へ従えばよい。荷を改め、怪しいものを通さぬ。それだけの話だ」
「兵の飯を炊くために来た方々も、荷改めをするために雇われたわけではないと思いますが」
宗介は、釜のそばにいる男たちへ視線を向けた。
そのうちの一人が、こちらを見ていた。
年配の男だった。
四十代後半か、五十を少し過ぎているだろうか。肩幅は広いが、顔には疲れが浮かんでいる。
男は、兵庫助の顔色を窺っていた。
宗介はその様子を見て、さらに言葉を続けた。
「荷を運ぶ者にも、飯を炊く者にも、引き受けた仕事があるはずです。槙尾の水場へ兵を据えることまで、約束して来たのでしょうか」
兵庫助の表情が険しくなった。
「余計なことを聞くな」
だが、その言葉より早く、釜のそばにいた年配の男が口を開いた。
「我らは、和木原の渡しまで荷を運ぶ話で雇われました」
兵庫助が振り向く。
「黙っておれ!」
男は肩を震わせたが、口を閉じなかった。
「渡しに着いたら、さらに上流へ運べと言われました。ここで飯を炊けとも。だが、最初に聞いた話では、槙尾の土地へ入るとは……」
「銭は払っている!」
「まだ半分しかいただいておりません」
男の声は小さかった。
しかし、周囲には聞こえた。
兵庫助の顔が赤くなる。
宗介は胸の奥で何かがつながるのを感じた。
和木原が集めた兵。
買い集めた麦。
運ばせた荷車。
そして、飯炊きの人足。
兵を動かすためには、すべて必要だ。
だが、そのすべてが、和木原へ忠誠を誓っているわけではない。
銭で雇われた者には、銭と仕事の約束がある。
それを勝手に変えれば、不満が出る。
兵庫助は宗介を睨んだ。
「笠森の兵糧方が、こちらの人足を惑わすつもりか」
「惑わすつもりはありません。ただ、槙尾の水場へ兵を置くために雇われたのか、確かめているだけです」
宗介はできるだけ落ち着いて答えた。
怖くないわけではない。
兵庫助は刀を差している。
周囲には槍を持った兵もいる。
こちらが言葉を間違えれば、昨日の牛渡しと同じことになるかもしれない。
だが、新蔵が前へ出た。
「兵庫助殿。槙尾の土地へ飯場を据えることは認めません。荷を運んだ者が帰るなら、槙尾は妨げませぬ。兵が水を飲むことまで止めるつもりもありません。しかし、ここへ陣を置くことは別です」
兵庫助は唇を結んだ。
しばらく沈黙が続く。
その間にも、釜から湯気が上がっていた。
麦の煮える匂いが、風に乗って流れてくる。
兵たちは腹が減っているのだろう。
何人かが釜の方へ目を向けていた。
宗介は、その様子を見て考えた。
兵庫助がここへ来た理由は、笠森の道を塞ぐためだけではない。
兵を食わせる場所が要るのだ。
和木原の渡しから離れた場所へ兵を出し、そのまま居座ろうとすれば、毎日飯を運ばなければならない。
だから釜を持ってきた。
だから人足を雇った。
しかし、ここは槙尾の土地だ。
領主の許しなく陣を据えれば、槙尾そのものを敵に回す。
兵庫助も、それは分かっているはずだった。
「兵庫助殿」
宗介はもう一度声をかけた。
「ここで炊いた飯を兵に食わせたら、和木原の渡しへ戻るということでしょうか」
兵庫助がこちらを見る。
「なぜ、そんなことを聞く」
「もし今日の飯を炊くために立ち寄っただけなら、食べ終えてから退けば済みます。ですが、明日も明後日もここで炊くなら、槙尾へ許しを求める必要があります」
兵庫助は黙った。
新蔵が言葉を引き取った。
「その通りです。今日の飯を食って退くなら、槙尾は追いません。ただし、釜と荷車を置いていくことは認めぬ。火の始末も、そちらで行っていただきます」
兵庫助は顔を歪めた。
しかし、すぐには反論できなかった。
ここで槙尾の兵と戦えば、和木原は槙尾へ明確に槍を向けたことになる。
しかも、飯を炊く人足は動揺している。
兵も空腹だ。
今すぐ戦を始めるには、具合が悪い。
兵庫助は、やがて吐き捨てるように言った。
「今日の飯を食わせたら退く。それで異存はあるまい」
新蔵は頷いた。
「結構です。ただし、兵は西沢の水場へ近づきすぎぬように。飯を炊く火も、商人の荷を傷めぬ場所で落としていただきます」
兵庫助は返事をせず、釜の方へ戻った。
宗介はようやく息を吐いた。
退く。
少なくとも、今日のところは。
だが、和木原が西沢を諦めたとは思えなかった。
◇
兵庫助の兵たちが飯を食い始めると、空気は少し緩んだ。
槍を持った男たちも、椀を手にすればただの腹を空かせた人間に見える。
宗介は少し離れた場所から、その様子を見ていた。
釜は二つ。
麦俵は、開かれたものが一つと、まだ縄を解いていないものがいくつか。
飯炊きの人足は四人。
兵は十五人ほど。
しかし、宗介が本当に気にしていたのは、そこではなかった。
水を汲む場所である。
人足の一人が桶を持ち、沢へ下りていく。
その後ろには、別の男が汚れた釜の蓋を抱えていた。
宗介は思わず声を上げた。
「そこでは洗わないでください!」
男が驚いて足を止める。
兵庫助も振り向いた。
「今度は何だ!」
「釜の蓋についた飯を沢へ落とせば、水場が汚れます。槙尾の商人も使う水です。洗うなら、水を汲んで離れた場所でお願いします」
新蔵がすぐに頷いた。
「その通りだ。水場へ汚れを流すな」
人足の男は困った顔をした。
「桶が足りませぬ」
宗介は、荷車の横に置かれた木桶を見た。
水を運ぶための桶が二つある。
ただ、片方はすでに汚れた水を入れているようだった。
「きれいな水を汲む桶と、洗い物に使う桶を分けた方がいいです」
年配の人足が頷いた。
「それならできます。汚れた水は沢から離して捨てます」
兵庫助は苦い顔をしたが、止めなかった。
宗介は、その様子を見て少しだけ安心した。
敵の兵であっても、水を汚したいわけではない。
ただ、急いで飯を炊き、片づけようとしている。
そこに場所の決まりがなければ、悪気がなくても水場は荒れる。
しかし、だからといって油断はできない。
和木原の兵がここへ陣を据えようとした事実は変わらないのだから。
飯を食い終える頃、兵庫助は荷車を呼び寄せた。
釜を下ろしていた人足たちが、再び荷を積み始める。
開いた麦俵は口を締め直し、縄で荷台へ固定する。
兵たちも立ち上がった。
槍を持ち直し、和木原の渡しへ戻る支度を始める。
新蔵は最後まで見届けた。
宇平次も槍を持ったまま、道の脇に立っている。
宗介は荷車の車輪を見た。
湿った土が深くえぐれている。
車は重い。
麦と釜と木桶を積んでいるのだから当然だ。
ここから和木原の渡しへ戻るには、また時間がかかるだろう。
その時、宗介はふと思った。
十五人の兵が、ここへ来る。
飯を炊く。
食べる。
また戻る。
そのために、麦俵を積み、釜を運び、薪を使い、人足を雇っている。
兵が槍を持って歩くために、どれほどの手間が必要なのか。
和木原の兵糧が豊富に見えたのは、麦俵を買い集めていたからだ。
だが、買った麦は勝手に飯にはならない。
釜も、薪も、水も、人足も要る。
そして、それらを運ぶ荷車も必要になる。
「宇平次さん」
宗介は低い声で呼びかけた。
「和木原の兵が次にどこへ来るか、少し考えたいことがあります」
宇平次は宗介へ目を向けた。
「言ってみろ」
「今日、西沢へ来た兵は十五人ほどでした。ですが、釜と麦を運ぶために荷車と人足が必要でした。和木原が同じように別の場所へ兵を置くなら、また荷車が動くはずです」
「なるほどな」
「兵だけを見ていると、どこへ向かうか分からないかもしれません。でも、釜や麦俵を積んだ荷車なら、通れる道が限られます」
宇平次の目が鋭くなった。
「古炭道は荷車が通れん。南谷下の小橋も同じだ」
「はい。牛渡しも、大荷を載せた荷車には向きません。だから、和木原は荷車を通せる道を選ばなければならない」
宇平次は、引き返していく荷車を見た。
「つまり、あの車がどこへ動くかを見れば、兵を置こうとする場所を絞れるということか」
「少なくとも、飯場を作る場所は予想しやすくなると思います」
宗介は答えた。
もちろん、兵が自分で食べ物を背負えば、荷車なしでも動ける。
水と薪を現地で得られるなら、もっと身軽になるだろう。
それでも、十五人もの兵を長く置くには、補給が必要だ。
その荷を運ぶ道には、限りがある。
宇平次は頷いた。
「若様へ伝えよう。明日からは槍だけでなく、荷車も見る」
「はい」
宗介は、引き返していく和木原の兵を見送った。
まだ戦にはなっていない。
だが、向こうも兵糧を運び、こちらも兵糧を運ぶ。
同じ道を巡って、互いの腹を支える場所を奪い合っている。
そのことが、ようやく実感として分かってきた。
◇
笠森へ戻ると、弥四郎は報告を聞き終えるまで黙っていた。
和木原の兵が槙尾西沢の入口へ飯場を据えようとしたこと。
槙尾が認めず、飯を食わせてから退かせたこと。
飯炊きの人足は、もともと渡しまで荷を運ぶ約束で雇われていたらしいこと。
そして、兵を長く置くには麦だけでなく、釜や薪や水を運ぶ必要があること。
宗介は見たままを伝えた。
弥四郎はしばらく考え、やがて口を開いた。
「和木原は兵を集めた。だが、集めただけでは動かせぬということか」
「はい。少なくとも、長く働かせるには飯が要ります」
「では、あの荷車を見ればよいのだな」
「それだけで全部分かるわけではありません。ただ、飯場を作るなら、荷車の動きが手がかりになると思います」
弥四郎は宇平次へ向いた。
「和木原の渡しから出る荷車を見張れ。だが、追って捕まえようとはするな。どの道へ入るか、どこで止まるか、それだけでよい」
「承知しました」
「槙尾にも知らせを送る。今日、西沢を守ったことへの礼も忘れるな」
宇平次が深く頭を下げた。
宗介は、少しだけ肩の力を抜いた。
今日も、兵は無事に戻った。
槙尾西沢も、和木原の飯場にはならなかった。
それは大きな成果だった。
だが、安心してよいわけではない。
和木原には麦がある。
兵もいる。
荷車もある。
そして、何より笠森を困らせるつもりがある。
敵が次に何をするかは分からない。
しかし、荷の動きは隠しきれない。
宗介はそのことを、今日の西沢で確かめた。
夕方、喜兵衛が蔵から出てきた。
「宗介。今日も米は減ったぞ」
「そうでしょうね」
「兵を動かせば、腹も減る。お前が言っていた通りだ」
老人は苦い顔で笑った。
「ただ、今日は槙尾西沢を守れた。あそこが使えれば、次の荷も運べる」
「はい」
「なら、飯を出した甲斐はあったな」
宗介は頷いた。
戦わずに道を守る。
それは、戦って勝つより難しいこともある。
槍を向ければ、相手も向ける。
しかし、飯を炊く人足が何を引き受けて来たかを確かめれば、相手の足元が少し揺らぐ。
兵を食わせるために必要なものを見れば、次の動きも読めるかもしれない。
宗介は蔵の扉へ目を向けた。
笠森の米は少ない。
昨日買った稗も、いつかは尽きる。
その前に次の荷を探し、運ばなければならない。
しかし、今日の出来事で、ひとつだけ気づいたことがある。
敵もまた、同じことをしている。
買い、運び、炊き、食わせる。
和木原の兵も、腹が減れば動けない。
しかも大勢を集めれば、それだけ多く食わせなければならない。
槍を持った兵が強く見えても、その背後には麦俵を運ぶ人足がいる。
そこを見なければ、戦の形は分からない。
宗介は、蔵の戸を閉める喜兵衛の背を見た。
城の米を数える老人。
火所の炭を分ける太助。
水場を見る善助。
牛渡しの水を読む小六。
道を守る宇平次。
そして、決める弥四郎。
笠森は、小さな城だった。
兵も多くない。
米も豊かではない。
だが、誰が何を見ているかは、少しずつはっきりしてきた。
その夜、弥四郎は宇平次を呼び、地面へ簡単な道筋を描かせた。
和木原の渡し。
槙尾西沢。
古炭道。
南谷下の小橋。
牛渡し。
宗介はその横に、荷車の通れる道を示した。
宇平次が言った。
「敵が十五人を動かすなら、釜と麦を運ぶ車が要る。だが、別の兵が持参した飯だけで動けば、車なしでも来られる」
「その通りです」
宗介は頷いた。
「だから、荷車が見えないから安全とは言えません。でも、荷車が動けば、その先に飯場を作る可能性があります」
弥四郎は道筋を見つめていた。
しばらくして、指先を和木原の渡しへ置く。
「ここから槙尾西沢へ荷車を動かした。今日は退いたが、麦と釜はまだ残っている」
「はい」
「ならば、次はどこへ持っていくかだな」
宗介は頷いた。
弥四郎は、地面に描かれた道筋を指でなぞった。
そして、ふと手を止めた。
「宇平次。和木原の渡しから、笠森へ荷車で近づける道は、ほかにないのか」
宇平次が少し考えた。
「川沿いの旧道なら、荷車は通れます。ただし、途中で道幅が狭くなりますし、南谷の者も使っております」
「そこは、笠森の城門へどれほど近い」
「南谷の外れを回れば、城の下手へ出ます。古炭道より遠回りですが、荷車は通れます」
弥四郎は宗介を見た。
「敵が飯場を作りながら進むなら、その道も使えるのではないか」
宗介の背筋が冷たくなった。
確かにそうだった。
和木原が槙尾西沢を押さえようとしたのは、笠森の商いを止めるためかもしれない。
だが、もっと直接的な狙いも考えられる。
西沢へ兵を置けなければ、川沿いの旧道から笠森へ近づく。
途中で飯場を作り、兵を食わせながら進めば、少人数でも城の近くへ居座れる。
それは、単なる嫌がらせではない。
城を攻めるための支度になる。
「若様」
宗介は、地面の道筋を見つめたまま言った。
「和木原の荷車が次に動いたら、どこで止まるかを見なければなりません。兵の数だけでなく、釜を下ろす場所が大事です」
弥四郎は頷いた。
「分かった。今夜から、川沿いの旧道も見張る。兵糧を運ぶ道として、あそこを使わせぬようにする」
宇平次が頭を下げた。
「承知しました」
その時、城門の方から足音が響いた。
見張りに出ていた足軽が戻ってきたのである。
「若様! 和木原の渡しから、また荷車が出ました!」
弥四郎が顔を上げた。
「どちらへ向かった」
足軽は息を整えながら答えた。
「川沿いの旧道です。槍を持つ者が数人、前を歩いております」
宗介は、地面に描かれた道筋を見た。
和木原の渡し。
川沿いの旧道。
そして、笠森城。
敵の荷車が、今度はそこへ向かっていた。
宗介は喉の奥が乾くのを感じた。
槍を持った兵だけなら、見張りかもしれない。
だが、釜と麦俵を積んだ荷車が一緒なら、話は違う。
和木原は、兵を食わせながら進む場所を探している。
それも、笠森城へ近づく道で。
弥四郎は立ち上がった。
「宇平次。兵を選べ。今度は、こちらが先に道へ出る」
宇平次が深く頷いた。
若い城主の目には、もう迷いがなかった。
「和木原に、城の下まで飯場を持ってこさせるな」
宗介は立ち上がろうとして、足が少し震えるのを感じた。
また槍が出る。
また危ない道へ向かう。
だが、今日はひとつ分かっている。
敵の飯場は、兵を食わせるためにある。
その飯場が城へ近づけば、次に動くのは槍だ。
宗介は深く息を吸い、弥四郎へ頭を下げた。
「俺も行きます。荷車が何を運んでいるのか、確かめます」
弥四郎は頷いた。
「ただし、前へ出るな。お前には、敵の釜と麦を見てもらう」
宗介はもう一度、頭を下げた。
笠森の城門が開く。
宇平次の足軽たちが、槍を持って走り出す。
宗介もその後ろへ続いた。
川沿いの旧道には、すでに和木原の荷車が向かっている。
笠森の兵糧を守るための戦いは、とうとう城の下へ近づこうとしていた。




