第六十三話 槍五人の触れ
「三日後の朝までに、槍持ち五人を和木原の渡しへ参集させよ。兵糧は各々三日分を持参すること」
槙尾から届いた書付を読み上げた片瀬弥四郎の声が、夜の広間に響いた。
久住宗介は、思わず顔を上げた。
兵糧、三日分。
槍持ち、五人。
それを周辺の小領主に求めているという。
和木原主膳が、いよいよ兵を集め始めたのだ。
広間には弥四郎、宇平次、喜兵衛、それに槙尾から使いとして来た安西新蔵がいた。燭台の火が揺れるたび、畳のない板敷きの床へ四人の影が伸び縮みする。
新蔵は疲れた顔をしていた。
夜道を急いできたのだろう。袴の裾には乾ききらない泥がこびりついている。
「その書付は、川向こうの小領主へ届いたものにございます。受け取った家が、槙尾の左馬助様へ相談に参りました」
弥四郎が紙を置く。
「槙尾にも同じ触れが来たのか」
「槙尾へは、渡し筋の取り締まりに協力せよとの申し入れがございました。ただ、左馬助様は兵を出すとは答えておりませぬ。周辺の家々がどう返事をするかも、まだ分かっておりません」
宇平次が低く唸った。
「和木原が周りの領主に兵を出せと命じる道理はないでしょう」
「命令というより、申し入れの形です。しかし、断れば和木原の渡しを通る荷の扱いが厳しくなると、それとなく匂わせております」
「脅しではないか」
「そう受け取った者もおります」
新蔵は慎重に答えた。
宗介は書付を見つめた。
五人と聞けば、少ないようにも思える。
だが、三つの家が応じれば十五人。五つなら二十五人になる。そこへ和木原自身の兵が加われば、笠森にとって無視できない数だった。
もっとも、何軒に触れが届いたかも、実際に何人集まるかも分からない。
今ここで敵の兵力を決めつけるのは危険だ。
「何のために集めると書いてありますか」
宗介が尋ねると、新蔵は書付の一節を指した。
「川筋の乱れを正し、商人の往来を守るため、と」
宇平次が鼻を鳴らした。
「商人の往来を乱しているのは、和木原の方ではないか」
言いたくなるのも無理はない。
笠森札を持つ荷の渡し賃を吊り上げ、偽の札を流し、水場や炭の道へ圧力をかけてきたのは和木原である。
南谷下の小橋にしても、笠森は抜かれた釘を打ち直し、人が落ちないようにしてきた。
その笠森が、今度は川筋を乱す側にされようとしている。
「笠森の名は書いていないのですか」
宗介が尋ねた。
「この書付にはございません」
新蔵は答えた。
「ですが、和木原が何を問題にしているかは、周辺の者も知っております。水札、牛渡し、濡れ荷改め。笠森と和木原が争っているのは、隠しようもありませぬ」
弥四郎は腕を組んだ。
「兵を集める口実としては、都合がよいな」
「はい」
「槙尾の左馬助殿は、何と」
「槙尾の裁定は変わらぬ、と。笠森が決めた水場と渡しの取り決めは、槙尾の立ち会いを受けたもの。和木原が兵を集めたからといって、勝手に破ってよいものではないと申されました」
宗介は少しだけ息をついた。
槙尾が、以前の取り決めを守る姿勢を見せている。
それは大きい。
だが、槙尾が笠森のために兵を出してくれると決まったわけではない。
新蔵も、それをはっきり伝えた。
「左馬助様は、笠森と和木原が無用な刃傷に及ぶことを望んでおられませぬ。まずは動きを確かめよ、と」
弥四郎は頷いた。
「分かった。知らせ、ありがたく受ける」
新蔵が頭を下げる。
その横で宇平次が口を開いた。
「若様。こちらも兵を集めましょう。和木原が三日後と言うなら、先に備えを整えるべきです」
「どれだけ動かせる」
「城の守りを残して、動ける者を選びます。ですが、南谷の道も古炭道も見なければなりません。すべての道へ十分な兵を置くことは難しい」
弥四郎は喜兵衛へ目を向けた。
「兵糧は」
喜兵衛の顔が渋くなった。
「今日、籠城に残す米を分けました。槍持ちを城へ集めて飯を出し続ければ、当然、その分だけ減ります。昨日買った粟二俵も、いつまでもあるわけではございません」
宗介は無意識に膝を握った。
和木原は麦を買い、草鞋を揃え、縄や干物を集めている。
こちらは蔵の底が見え始め、ようやく粟二俵を買えたところだ。
同じように兵を集めて飯を食わせれば、戦う前に笠森の方が息切れする。
だが、守りを薄くすれば攻め込まれる。
困った。
本当に、困った。
五十一歳になるまで、厄介な仕事はいくらでも経験してきた。荷物が届かない、車が足りない、人が来ない。どれも頭の痛い話だったが、失敗すれば槍で刺されるという仕事ではなかった。
宗介が考え込んでいると、弥四郎が尋ねた。
「宗介。兵糧方から見て、気になることはあるか」
「和木原が買った麦の行き先です」
宗介は答えた。
「昨日、又七さんが知らせてくれました。麦俵は和木原の渡し近くの土蔵へ運ばれています。そこへ周辺の兵が集まるなら、食べ物を出す場所として都合がよい」
「寄せた兵を、その土蔵で食わせると」
「そのつもりかもしれません。ただ、触れには各家で三日分の兵糧を持ってこいとあります」
喜兵衛が頷いた。
「最初の三日は、それぞれに食わせる。あとは和木原の麦を使うつもりか」
「そういう考え方もできます」
宗介は書付へ視線を落とした。
「ですが、もっと気になるのは、集まる場所です」
宇平次が顔を上げた。
「渡しか」
「はい。和木原の渡しに集めるなら、兵を川の向こうへ送るのも、川沿いに動かすのも都合がいい。笠森へ向かう道だけを守れば済むとは思えません」
太助や善助と歩いた道が、宗介の頭に浮かんだ。
南谷の水場。
古い牛渡し。
黒谷へ向かう炭の道。
槙尾西沢へ抜ける小道。
どれも、城の外にある。
笠森城そのものは守れても、外から米を運ぶ道が塞がれれば、蔵は減る一方だ。
「和木原が城を攻めず、道を塞ぐだけだったら」
宗介はそこで言葉を切った。
広間が静かになる。
宇平次が先に答えた。
「兵糧が尽きる」
「そうです。和木原が兵を集めている間も、こちらは食べなければなりません。商人が来なくなれば、笠森は戦う前に弱ります」
弥四郎はしばらく考えた。
やがて、宇平次へ向き直る。
「城へ兵を集めるのは、まだ待て」
「若様」
「備えを怠るなと言っているのではない。城門と蔵は守る。だが、外の道まで捨てれば、守る城に飯が入らなくなる」
宇平次は口を閉じた。
弥四郎は続ける。
「古炭道を確かめろ。槙尾西沢から笠森へ荷を運ぶには、今もあそこが頼りだ。南谷は善助と小六に任せ、水場と牛渡しを見させる」
「承知しました」
「宗介も行け。ただし、危うければ宇平次の指図で下がれ。お前に槍を持たせるつもりはない」
宗介は深く頭を下げた。
「分かりました」
ありがたい命令だった。
敵がいるかもしれない山道へ行くのは、正直なところ怖い。
だが、これからも穀物を運ぶなら、現場を見なければならなかった。
どこが危ないのか。
荷を背負った者が、どこで足を止めるのか。
そこを知らずに運べとは言えない。
安西新蔵は夜が明けてから槙尾へ戻ることになった。
城では客間を用意したが、宇平次たちはそれどころではなかった。
足軽の持つ槍を改め、弓を使える者を選び、古炭道を見に行く支度を進めた。
宗介も喜兵衛とともに蔵へ向かった。
籠城用に分けた米は、奥へ寄せてある。
残りの粟と米は、明日からの飯に使う。
喜兵衛が米俵に手を置いた。
「三日後か」
「はい」
「短いな」
「短いですね」
老人はしばらく黙っていたが、ふと顔を上げた。
「宗介。戦になれば、蔵へ来る者が増える。怪我人も、逃げ込む者もな。だが、米を求める者へ何でも出していたら、皆が飢える」
「分かっています」
「分かっていても、断るのはつらいぞ」
宗介は返事ができなかった。
水場や橋なら、危ないから止めると言えた。
しかし、腹を空かせた者へ飯を出せないと言わなければならない時、自分はどんな顔をするのだろう。
まだ想像したくなかった。
喜兵衛は宗介の肩を軽く叩いた。
「今から全部背負うな。明日の荷を通すことから考えろ」
その言葉に、宗介はようやく頷いた。
夜が明けると、空は薄く曇っていた。
風は弱い。
雨の気配はないが、山の木々には昨夜の湿り気が残っている。
宇平次を先頭に、佐太と足軽たち、それに太助と宗介が古炭道へ向かった。
弥四郎は城に残った。
城の守りを整える者がいなければ、外へ出た兵も帰る場所を失う。
宇平次はいつもより口数が少なかった。
太助も、道の先を見ながら歩いている。
宗介はその後ろを懸命についていった。
普段なら荷を運ぶ人足の足音が聞こえる道である。
ところが、今日は妙に静かだった。
湿った土を踏む音と、風に揺れる枝の擦れる音ばかりが耳につく。
太助が足を止めたのは、黒谷へ向かう道が細く分かれる場所だった。
「妙だな」
低い声だった。
宇平次が振り向く。
「何が」
「ここは、昨日まで草がかぶっていた」
太助は道脇の藪を指した。
細い枝が何本も折られている。
切り口は新しい。
しかも、薪にするには長さが揃っていなかった。
ただ枝を集めたのではなく、人が通りやすいように払ったらしい。
「黒谷の者が通ったのではないか」
佐太が尋ねる。
「炭を背負うなら、こんなところを広げる必要はねえ。いつもの道を使う」
太助はしゃがみ込み、土を指で触った。
「足跡もある。草鞋を履いた者が何人か通ってるな」
宗介も覗き込んだ。
確かに、湿った土に足跡が残っている。
だが、数は分からない。
山仕事の者が通っただけかもしれない。
宗介がそう考えていると、少し先で佐太が声を上げた。
「宇平次殿。こちらを」
佐太が立っていたのは、道が大きく曲がる手前だった。
そこには細い杭が打たれていた。
白い木肌が露出した新しい杭で、上には粗い縄が短く結ばれている。
太助が顔をしかめた。
「誰がこんなものを」
宇平次が杭を見た。
「道の印か」
「黒谷の者なら、こんなところに新しく打たねえ。ここを知らない者には目印になるだろうが」
宗介は杭の向こうを見た。
曲がり角の先は、少し広くなっている。
荷を背負って山道を歩いた者が、休みを入れるにはちょうどよい場所だった。
昨日、粟を運んだ時も、別の少し広い場所で荷を下ろした。
重いものを背負っていれば、そういう場所がありがたい。
だが、その広がった場所の両脇には、木が密生している。
人が身を隠すこともできそうだった。
宗介の背筋が冷たくなった。
「宇平次さん」
小さく呼びかけた。
「ここで荷を下ろしたら、両脇が見えませんね」
宇平次の目が細くなる。
宗介は続けた。
「昨日の人足なら、ここで休みたいと思うはずです。でも、誰かが藪に隠れていたら……」
「囲まれるな」
宇平次が低く答えた。
その時だった。
山の上から、小石の転がる音がした。
太助が顔を上げる。
「伏せろ!」
鋭い声とほとんど同時に、矢が飛んだ。
乾いた音がした。
宗介のすぐ横にある木へ、矢が突き立っていた。
あまりに突然で、何が起きたのか理解できなかった。
宇平次が宗介の肩をつかみ、道脇の倒木の陰へ突き飛ばす。
宗介は膝から泥へ落ちた。
息が詰まる。
続いてもう一本、矢が飛んだ。
「敵だ! 槍を前へ!」
宇平次の声が響いた。
佐太が槍を構えた瞬間、肩口の布が裂けた。
矢がかすめたのだ。
赤いものが滲む。
「佐太さん!」
宗介が声を上げると、佐太は顔をしかめながらも槍を握り直した。
「大丈夫だ。深くはない!」
道の上手で、人影が動いた。
三人。
いや、奥にもまだいるかもしれない。
宗介には数えられなかった。
木の陰に弓を持つ男が見え、別の男は短い槍のようなものを手にしている。
家の旗は見えない。
和木原の者かどうかも分からない。
ただ、こちらへ矢を放ったことだけは確かだった。
宇平次は槍を構えた足軽を制した。
「追うな! 道を離れるな!」
男たちはこちらを窺っていたが、やがて藪の奥へ姿を消した。
足音が遠ざかる。
それでも宇平次は、すぐには兵を動かさなかった。
ほかに弓を持つ者が隠れていれば、追った足軽が射られる。
道の曲がりの先が安全とも限らない。
宗介は倒木に背を預けたまま、震える息を整えようとしていた。
槍も刀も持っていない。
立ち向かうどころか、矢が飛んだ瞬間に体が固まった。
五十一歳にもなって情けない。
そう思いかけたが、すぐに考えを改めた。
怖くて当然だ。
本当に死ぬところだった。
先ほどの矢が、木ではなく胸に当たっていたら。
そう考えるだけで、胃の奥が縮んだ。
「宗介、動けるか」
宇平次が尋ねた。
「……はい。怪我はありません」
「なら、しばらくそこにいろ。まだ安全とは言えん」
宗介は黙って頷いた。
佐太の肩からは血が滲んでいる。
矢は深く刺さっていなかったが、衣服が裂け、皮膚を傷つけられていた。
おきぬに渡された布を取り出し、宗介は佐太へ差し出した。
「傷を押さえてください。汚れた手で触らない方がいいです」
「この程度なら動ける」
「動けるのと、血を流したままでいいのは別です」
佐太は苦笑したが、素直に布を受け取った。
太助はその間に、道の端を調べていた。
新しい杭。
払われた枝。
踏み荒らされた土。
そして、木の陰に残された足跡。
「やっぱり、ここを見てやがった」
太助が呟いた。
宇平次が尋ねる。
「荷を襲うつもりだったか」
「そこまでは分からねえ。だが、ここで待つには都合がいい。荷を背負った者は坂を登ってくる。息が上がったところで曲がりへ入れば、逃げるにも荷を捨てるしかねえ」
宗介は、その説明を聞いてぞっとした。
昨日、粟を運んだ道である。
もし昨日の帰りに、ここで矢を射られていたら。
人足たちは荷を背負っている。
槍も持っていない。
逃げようとして転べば、穀物は道へ散らばるだろう。
袋ごと奪われるかもしれない。
護衛がいても、矢の飛んでくる場所によっては守りきれない。
「若様へ知らせましょう」
宗介が言った。
宇平次は頷いた。
「もちろんだ。だが、まずこの道をどうするかだな」
太助が、先ほどの杭を指した。
「これは抜く。ただし、木はむやみに切るな。道の上から人が見える場所を作るなら、枝を払うだけで足りるところがある」
「見張れる場所があるのか」
「曲がりの手前に、小さな高みがある。黒谷へ抜ける者なら知ってる。そこからなら、道へ入る人影が見える」
宇平次は太助へ案内を命じた。
宗介はその場に残ろうとしたが、宇平次に促され、佐太とともに後ろへ下がった。
足軽二人が前を警戒し、残る者が周囲を見ながら進む。
高みへ上がると、確かに道の曲がりを見下ろすことができた。
そこに立てば、荷を運ぶ者を遠くから見守れる。
ただし、木の陰も多い。
敵が先に入り込めば、今度は見張る側が危ない。
「ここへ常に人を置くのは難しいな」
宇平次が言った。
太助が頷いた。
「二人もいれば道は見えるが、夜は危ねえ。ここだけ見ていても、別の場所から入られりゃ分からん」
宗介は高みから道を見下ろした。
敵の姿はもうない。
先ほどの矢が嘘だったように、山は静かだった。
だが、木に突き立った矢と佐太の血は、確かに残っている。
「荷を運ぶ時は、ここを先に見てもらうしかありませんね」
宗介が言うと、宇平次は頷いた。
「そうする。荷を背負った者を先頭には出さん。まず道を改め、危うければ引き返す」
「引き返しても、荷は失いません」
「そうだ。だが、何度も引き返していれば、城へ米が入らなくなる」
宇平次は宗介を見た。
「そこはお前の仕事だ」
厳しい言葉だった。
だが、間違っていない。
道を守る者と、荷を運ぶ者。
どちらか一方だけでは、兵糧は届かない。
宗介は頷いた。
帰城したのは昼を過ぎてからだった。
佐太の肩は、歩いている間に血が乾き始めていた。
城門へ入ると、おきぬがすぐに気づいた。
「佐太、その肩はどうした」
「矢で少し擦っただけだ」
「擦っただけなら、そんな顔はしないよ」
おきぬは佐太を竈から離れた場所へ座らせ、布を外して傷を洗い始めた。
宗介はその横で、喜兵衛に古炭道のことを話した。
喜兵衛の顔が険しくなる。
「昨日の粟が、危ないところだったか」
「昨日は何もありませんでした。でも、今日の様子では、もう安心して人足を通せません」
「道を閉じるのか」
「閉じたら、それこそ和木原の思うつぼかもしれません」
宗介はそう答えたが、自信はなかった。
敵がどこの者かも分からない。
狙いが笠森の兵糧だったのか、それとも見回りの足軽だったのかも、まだ断定できない。
だが、古炭道が危ないことだけは、身をもって分かった。
広間では、弥四郎が宇平次の報告を聞いていた。
「矢を射られたのか」
「はい。道の曲がりに人が潜んでおりました。姿を見せたのは三人ほどですが、ほかにもいた可能性があります」
「和木原の者か」
「印はありません。断定できませぬ」
弥四郎は頷いた。
その顔には怒りがあった。
だが、怒鳴らなかった。
「こちらから追ったか」
「追っておりませぬ。藪の奥へ誘われれば、伏兵がいるやもしれません」
「それでよい」
弥四郎は少し考えてから、宗介へ尋ねた。
「古炭道は、まだ使えるか」
「道そのものは通れます。ただ、荷を運ぶ時は護衛が必要です。曲がりの手前に見張れる高みがあるので、そこを先に確かめ、荷が通る間だけ人を置くのがよいと思います」
「普段から兵を置けば、飯が減る」
「はい。ですから、荷を運ぶ時だけです。道を守る兵と、人足を一緒に動かします」
喜兵衛が口を挟んだ。
「運ぶ量が少なくなりませぬか。護衛の分だけ人を出せば、背負う者が減ります」
「減ります」
宗介は認めた。
「でも、荷を奪われるよりはいいです。それに、昨日のように一度で二俵を運ぶことばかり考えなくてもいい。買える小荷を、守れる人数で運ぶ方が続くと思います」
弥四郎はしばらく黙っていた。
昨日までは、いかに荷を運ぶかを考えていた。
今日は、その荷をどう守るかが加わった。
敵は、こちらの都合など待ってくれない。
道を直した翌日に壊されることもある。
荷を買った翌日に、奪われる危険が生まれることもある。
それでも、笠森は飯を食わなければならない。
「宇平次」
弥四郎が言った。
「古炭道の見張りは、お前に任せる。荷を通す時だけ兵をつけろ。ただし、道のどこに兵を置くかは、毎度同じにするな」
「承知しました」
「佐太は傷が落ち着くまで無理をさせるな。代わりの者を出せ」
佐太は広間の外でそれを聞いていたらしい。
不満そうな声が返ってきた。
「若様、槍は持てます!」
「持てることと、使えることは違う。今日は休め」
弥四郎の声に、佐太は黙った。
宗介は思わず口元を緩めた。
以前なら宇平次が同じことを言っていたかもしれない。
若い城主も、兵を使うだけではなく、休ませることを考えるようになっている。
もっとも、今は笑っている場合ではなかった。
弥四郎は続けた。
「槙尾へ知らせを出す。古炭道で矢を射られたこと、印のない武装した者がいたこと、佐太が負傷したこと。見たまま伝えよ。和木原の仕業とは、まだ書くな」
宇平次が深く頷いた。
「御意」
「そして、城の守りも固める。だが、南谷や黒谷の者をむやみに城へ集めるな。あの者たちには家も田畑もある」
弥四郎は宗介を見た。
「兵糧方の仕事は変えぬ。米を買え。粟でも稗でもよい。ただし、荷を運ぶ者を危ない道へ無防備に出すな」
「承知しました」
宗介は頭を下げた。
ここまで言われれば、やるしかない。
怖いから運ばない。
危ないから買わない。
そう言えば、笠森は確実に弱っていく。
けれど、危険を知らずに人を出せば、今度は人足が死ぬ。
その間を見なければならない。
夕方、柏屋惣右衛門が城へ来た。
宗介は古炭道で起きたことを伝え、今後の荷運びには護衛をつけると説明した。
惣右衛門は黙って聞いた後、扇子を閉じた。
「では、笠森が買う荷は、槙尾の荷宿で渡す形を続けましょう。無理に笠森まで届けようとはいたしませぬ」
「助かります」
「ただし、こちらも人足へ危険を隠すことはできませぬ。荷を運ぶ道に武装した者が出たとなれば、商人は怖がります」
「分かっています」
惣右衛門は宗介をしばらく見ていた。
それから、少しだけ表情を緩めた。
「けれど、笠森は道が危ないと正直に言う。荷を流してから言い訳するより、よほどましです」
宗介は深く頭を下げた。
商人の信用というものは、不思議なものだ。
立派な約束を並べれば得られるわけではない。
むしろ、都合の悪いことを先に伝える方が、長く続くこともある。
「小荷の買い入れは、どうでしょう」
宗介が尋ねると、惣右衛門は頷いた。
「稗を一俵なら、槙尾で売りたいという者がおります。値も、笠森が出せぬほどではありませぬ」
宗介の胸が少し明るくなった。
一俵。
大した量ではない。
だが、今の笠森にはありがたい。
「明日、買えますか」
「相手が荷を持ってくれば。ただし、古炭道が危ないのでしょう」
「はい。ですから、宇平次さんと相談してから人を出します」
惣右衛門は頷いた。
「それがよろしいでしょうな。穀物は、買っただけでは腹に入りませぬから」
宗介は苦笑した。
昨日までなら、それは当たり前の話だった。
今日は、その当たり前がひどく重かった。
夜、笠森城の竈では粟の混じった粥が炊かれた。
佐太は肩を布で巻かれ、おきぬからしばらく重いものを持つなと言われている。
不服そうだったが、宇平次に睨まれると大人しく椀を受け取った。
太助は古炭道の様子を弥四郎へもう一度話していた。
善助は南谷へ戻り、小六には牛渡しの水を見続けるよう伝えている。
喜兵衛は蔵の戸を確かめ、今日も籠城に残す米を別にしていた。
いつもの笠森城である。
だが、宗介の耳には、朝の矢の音が残っていた。
木へ突き立つ乾いた音。
佐太の衣が裂けた音。
宇平次が槍を構えろと叫んだ声。
現代で生きていた頃、配送の仕事は危険もあった。交通事故や荷崩れを見たこともある。
しかし、荷を運ぶ道で人から矢を射られるなど、考えたこともなかった。
ここでは、それが起きる。
水札を作っても、橋を直しても、荷の値を決めても、槍を持った者が現れれば、それだけでは守れない。
だから兵がいる。
だから城がある。
宗介はようやく、その当たり前の意味を知り始めていた。
弥四郎が椀を置き、宇平次へ尋ねた。
「明日の古炭道は」
「夜明けに先行の者を出します。道を改め、安全を確かめてから荷を通します。危うければ無理はさせませぬ」
「それでよい」
弥四郎は頷いた。
「和木原が兵を集めるのは三日後だ。しかし、こちらの道はすでに狙われているかもしれぬ。油断するな」
宇平次の顔が引き締まった。
宗介は粥を飲み込んだ。
薄い。
だが、その粥を炊くために、昨日は何人もの人足が山道を歩いた。
明日は、そこへ護衛の足軽も加わる。
米を一俵運ぶために、どれだけの手が要るのか。
その手を守るために、どれだけの備えが要るのか。
考えるほど、兵糧の仕事は重くなる。
けれど、買った穀物を城へ届けなければ、何も始まらない。
宗介は椀を置き、明日運ぶ予定の稗一俵を思った。
まだ買ってもいない。
道も安全とは言えない。
それでも、運ばなければならない。
和木原が集めた槍が、いつどこへ向くかは分からない。
しかし、笠森の兵糧を運ぶ道には、もう矢が飛んできた。
宗介は、朝見た白木の杭を思い出した。
知らぬ者が打った、道の印。
あれを見逃していれば、次に矢を受けたのは、穀物を背負った人足だったかもしれない。
城の外で夜風が鳴った。
その向こうに、川がある。
川向こうでは、和木原が麦を集め、槍を持つ者を呼んでいる。
笠森は、まだ戦を始めていない。
だが、兵糧を守る戦いだけは、すでに始まっていた。




