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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第六十二話 麦を買う理由

「槙尾の麦が、和木原に押さえられました」


 柏屋惣右衛門がそう告げた時、久住宗介は思わず箸を止めた。


 朝の粥には、昨日運び込んだ粟が混じっている。米だけのものより幾分粗い舌触りだが、腹に入ればありがたい。おきぬが水加減を工夫したおかげで、昨夜よりも食べやすくなっていた。


 もっとも、二俵の粟で笠森城の食糧事情が片づくわけではない。


 喜兵衛は今朝も蔵で残りを数え、普請飯を増やさぬよう釘を刺したばかりだった。


 その矢先の知らせである。


「全部ですか」


 宗介が尋ねると、惣右衛門は首を横に振った。


「売り物に出ていた麦のうち、まとまった荷です。槙尾の荷宿に残っていた分だけでなく、近くの商人が預かっているものにも買い注文が入っております」


「ずいぶん手広いな」


 宇平次が腕を組んだ。


「笠森に売らせぬためか」


「そのつもりがないとは申しませぬ。しかし、妙なのは買い方です」


 惣右衛門は懐から小さな帳面を取り出した。


 商人の帳である。


 見せられる範囲だけを開き、指先で一箇所を示した。


「値を上げているのです。しかも、買った麦をすぐには運ばせていない」


 片瀬弥四郎が顔を上げた。


「買って、置いておくのか」


「はい。手付の銭を置き、残りは引き渡す時に払う約束だそうです。三日ほどのうちに、荷をまとめて受け取ると」


 宗介は粥の椀を置いた。


 買い占めなら理解できる。


 穀物を市場から消し、値を吊り上げる。あるいは笠森が困るのを待ち、高値で売りつける。


 しかし、引き取りの日を揃える必要があるだろうか。


 高い値を払ってまで買い集めた麦を、わざわざ荷宿へ預けたままにする。


 保管場所がないのか。


 運ぶ人足が足りないのか。


 それとも、決まった日に必要なのか。


「どれくらいの量ですか」


「私が確かめた範囲では、十俵を超えます。ほかにも声をかけているようですが、そこから先は分かりませぬ」


 十俵余り。


 笠森にとっては大きな量だった。


 昨日は二俵の粟を運ぶだけで、人足たちの肩が赤くなった。山道を歩くのに時間がかかり、帰城した頃には、働き盛りの若者でさえ足を引きずっていた。


 その何倍もの穀物を、一度に動かそうとしている。


 宗介の頭に、別の疑問が浮かんだ。


「和木原は、運び手も集めているんでしょうか」


 惣右衛門の指が止まった。


「そこにお気づきになりましたか」


 弥四郎が宗介を見る。


「どういうことだ」


「麦を買うだけなら銭で済みます。でも、荷宿から運ぶには人が要ります。荷車を使うとしても、道と牛が要る。何俵も一度に動かすなら、前もって手配しなければ間に合いません」


 喜兵衛が低く唸った。


「昨日、こちらが苦労したところだな」


「はい。しかも和木原は、引き取りの日を揃えようとしている」


 宗介は惣右衛門へ向き直った。


「麦だけですか。ほかに、まとめて買われているものはありませんか」


「そこまでは、まだ……」


 惣右衛門が答えかけたところへ、門番の声が響いた。


「牛渡しの又七、参りました!」


 宗介は思わず顔を向けた。


 又七。


 南谷下の古い牛渡しを使い、細々と商いを続けている男である。牛渡しは水の具合によって止めるため、大荷を動かすには向かない。それでも小荷を運ぶ商人にとっては、渡し賃を余計に取られずに済む貴重な道だった。


 又七は門をくぐるなり、惣右衛門の姿を見つけて足を速めた。


「柏屋殿もおいででしたか。ちょうどよかった」


 その声には、商いがうまくいった時の明るさがない。


 肩にかけた荷を下ろすと、又七は弥四郎へ頭を下げた。


「若様。和木原の渡しで、おかしなことが起きております」


 宇平次の顔が険しくなった。


「何があった」


「草鞋です」


「草鞋?」


「槙尾へ向かう商人が、草鞋をまとめて買い集めておりました。初めは和木原の渡しで使う人足の分かと思ったのですが、縄もずいぶん買っている。しかも、いつもの荷持ちとは違う男たちが受け取っておりました」


 宗介は、惣右衛門へ目を向けた。


 商人も同じことを考えたらしい。


 扇子を閉じ、又七に尋ねる。


「草鞋は何足ほどだ」


「見えた分だけでも四十足ほどはありました。もっとあったかもしれません」


 宇平次が身を乗り出した。


「受け取った男たちは、武装していたか」


「刀を差した者が混じっておりました。ただ、槍を持っていたわけではございません。荷を受け取ってから、和木原の館の方へ向かいました」


 又七はそこで言葉を切り、ためらうように続けた。


「それと、干した魚も買っておりました。細かい包みに分けたものを、まとめてです」


 宗介の背中を、冷たいものが伝った。


 麦。


 草鞋。


 縄。


 干物。


 ひとつずつなら、珍しい商いではない。


 商人が麦を買うことも、人足の草鞋を揃えることも、渡しで縄を使うことも、当たり前にある。


 だが、同じ頃に、同じ場所へ集まっている。


 それも、普段より多い量で。


 喜兵衛がゆっくり口を開いた。


「若様。兵糧を揃えているようにも見えますな」


 広間が静まった。


 弥四郎はすぐには答えなかった。


 視線を落とし、膝の上で指を組んでいる。


 宇平次が低い声で言った。


「和木原が兵を出すつもりなら、こちらも備えねばなりません」


「どこへ出す」


 弥四郎が問う。


 宇平次は答えに詰まった。


 和木原は笠森と争っている。


 渡し賃を吊り上げ、偽札を流し、水場へ火を持ち込み、黒谷の炭と山の木まで押さえようとした。


 笠森を狙っていると考えるのは自然だった。


 しかし、軍勢が本当に笠森へ向かうと決まったわけではない。


 槙尾へ圧力をかけるつもりかもしれないし、別の小領主との争いに備えている可能性もある。


「分かりませぬ」


 宇平次は認めた。


「だが、見過ごせません」


「そうだな」


 弥四郎は惣右衛門と又七を見た。


「二人とも、よく知らせてくれた。だが、今聞いたことは、買い集めた荷と、荷を受け取った者の話だ。兵を出すと決まった話ではない」


 惣右衛門が頷く。


「その通りでございます」


「ならば確かめる。和木原の買い物に、こちらまで踊らされてはならぬ」


 若い城主の声音は落ち着いていた。


 宗介は、そのことに安堵した。


 もしここで弥四郎が和木原の出陣を決めつければ、笠森は守りに人を割き、道普請も商いも止めなければならない。


 ただでさえ米が乏しいのだ。


 兵を集めて待たせるだけでも、蔵の中身は減っていく。


 敵が何もしなくても、こちらが勝手に腹を空かせる。


 それだけは避けたかった。


「宗介」


 弥四郎が声をかけた。


「お前はどう見る」


 宗介は少し考えた。


 軍勢の動かし方など、詳しく知っているわけではない。


 この城へ来るまで、戦など他人事だった。現代で配送の仕事をしていた五十一歳の男に、戦国の軍勢を見ただけで数や行き先を言い当てる知識はない。


 だが、荷を動かす仕事なら、多少は分かる。


「麦を買っただけでは、まだ何も決まりません。ただ、本当に兵を動かすなら、食べ物だけでは足りないと思います」


「ほう」


「兵が歩くなら草鞋が要ります。野で飯を炊くなら薪や鍋も必要です。荷を運ぶ人足も、途中で水を使う場所も要る。全部を館から持ち出すのは大変でしょう」


 宗介は手元にあった小さな木片を並べた。


 麦。


 草鞋。


 縄。


 干物。


「買ったものだけでなく、これから何を集めるかを見れば、少しは分かるかもしれません」


 太助が口を挟んだ。


「炭を焼く時も似たようなもんだ。木だけ集めても窯は動かねえ。水も飯も要る。大勢を山へ入れるなら、先に食わせる算段をする」


「そうです」


 宗介は頷いた。


「和木原が何人動かすつもりかは分かりません。でも、荷の量と運び先を追えば、準備していることの一部は見えるはずです」


 宇平次が腕を組み直した。


「兵そのものを数えるより、先に荷を見るのか」


「兵を数えられるなら、それが一番です。ただ、和木原の館へ近づくのは危ない。商人が普通に見られる荷なら、怪しまれずに確かめられます」


 弥四郎は頷いた。


「よし。無理に探るな。商いの場で見えることだけ拾え」


 それから宇平次へ向き直る。


「南谷と古炭道の見張りを改める。人数をむやみに増やすな。交代で見ろ。夜も同じ者を立たせ続けるな」


「承知しました」


「槙尾の左馬助殿にも知らせる。ただし、和木原が攻めるとは書くな。麦、草鞋、縄、干物を集めていると分かった範囲だけ伝えよ」


「御意」


 弥四郎はそこで、宗介へ視線を戻した。


「買い入れは続ける。敵が麦を買ったからといって、笠森が飯を買うのをやめるわけにはいかぬ」


「はい」


「ただし、値を競うな」


 その言葉に、惣右衛門が深く頭を下げた。


「それがよろしいかと存じます」


 宗介も同感だった。


 和木原が十俵買うなら笠森も十俵買う、などという勝負はできない。


 銭が尽きるのはこちらが先だ。


 昨日二俵の粟を運べただけでも、城の者は相当に働いている。買い集めた穀物を運ぶ力にも限りがある。


 それでも必要なものは買わなければならない。


 宗介は惣右衛門へ尋ねた。


「尾張筋の小さな荷については、どうでしょう」


「探しております。粟や稗を少しずつ持つ者には、話を通せます。ただ、和木原が値を上げていると知れば、売り手も高く言いたくなりましょう」


「そうですよね」


 宗介は苦笑した。


 商人が高く売りたがるのは当たり前だ。


 安く買えるはずだと期待する方が間違っている。


 惣右衛門は続けた。


「ですが、こちらにはひとつ利がございます」


「利、ですか」


「笠森は、その日の荷をその日に改め、約したものを払う。黒谷の彦蔵にも、そうしたのでしょう」


「はい」


「和木原は高い値を示しますが、支払いを後にする話も少なくない。高値より、すぐに銭が欲しい商人もおります」


 宗介は顔を上げた。


 黒谷の彦蔵を思い出した。


 和木原は、炭を回せと命じながら、代金は後でまとめて払うと言った。


 笠森は三小俵だけを買い、その場で塩と針と縄を渡した。


 あの時、彦蔵は随分驚いていた。


 値だけが商いではない。


 いつ払うか。


 どこで受け取るか。


 誰が荷を運ぶか。


 売り手にとっては、そこも大切なのだ。


「では、笠森が確実に買える小荷を探してください。高値にはできませんが、荷を改めたらその場で払います。代金を後へ延ばさない」


「承知しました」


「それと、運ぶのはこちらで引き受けます。槙尾の荷宿まででも、道が許すなら取りに行く」


 惣右衛門が扇子を閉じた。


「それなら、売りたい者はいるでしょうな。すべては無理でも、幾らかは集まるかもしれませぬ」


 弥四郎も頷いた。


「城の銭で払える分だけだ。無理な約束はするな」


「もちろんです」


 宗介は答えた。


 買える量は小さい。


 しかし、買ったものが確実に届けば、それだけ城の飯になる。


 空手形を握って蔵の底を見るよりは、よほどましだった。


 昼過ぎ、宗介は喜兵衛と蔵へ入った。


 昨日買った粟の袋は、すでに口を締め直され、乾いた場所へ並べられている。


 おきぬが試しに炊いた分を除き、残りは開けていない。


 宗介は米俵と粟の袋を眺めながら、考えていた。


 和木原が兵を動かすなら、笠森の蔵は真っ先に狙われるかもしれない。


 敵にとって、兵糧を奪うことは、兵を斬るのと同じくらい効くだろう。


「どうした」


 喜兵衛が尋ねた。


「火が怖いんです」


「火所なら、太助とおきぬが見ているぞ」


「火所の火ではなく、蔵へつけられる火です」


 喜兵衛の顔が変わった。


 以前、南谷の水場へ火を持ち込もうとした男たちがいた。


 油を含ませた藁を隠し、煙を大きくしようとしていた連中である。


 あの時は、未然に止められた。


 だが、和木原が本当に兵を動かすつもりなら、城を正面から攻めるより、蔵へ火をつけた方が早いかもしれない。


「蔵番は増やせますか」


 宗介が尋ねると、喜兵衛は渋い顔をした。


「人を増やせば、その分だけ飯が減る」


「なら、夜の見回りを変えましょう。足軽が交代する時、蔵の外も見る。蔵の近くへ油や藁を勝手に置かせない。火所から火種を運ぶ時も、蔵の脇は通らないようにする」


「今の者だけで回すのか」


「できる範囲で。無理なら宇平次さんと相談します」


 喜兵衛はしばらく考え、頷いた。


「分かった。ただし、見回りを増やしすぎて眠らせぬのも困るぞ」


「はい」


 そこは痛いほど分かる。


 人は寝なければ動けない。


 見張りを増やした結果、昼に働く者が倒れたのでは意味がない。


 宗介は蔵の扉へ手をかけた。


 乾いた木が軋む。


 外には、普請から戻った者たちの声が聞こえていた。


 市松が何かを描いている。


 太助が黒谷炭を分けている。


 おきぬの竈からは、薄い湯気が上がっていた。


 城はいつも通りに動いている。


 だが、昨日までと同じには見えなかった。


 守るものが増えたからではない。


 守らなければならない理由が、変わり始めていた。


 夕方、又七が再び城へ来た。


 今度は商いの荷を持っていない。


 宇平次が門へ出ると、男は周囲を見回してから低い声で言った。


「和木原の渡しで、荷車を見ました」


「どこの荷車だ」


「槙尾の荷宿から来たものです。麦俵を積んでおりました」


 宗介は又七の顔を見た。


「もう運び始めたんですか」


「はい。ただ、おかしいんです」


「何が」


「渡しへ来たのに、川を越えなかった」


 又七は汗を拭った。


「普通なら、荷を川向こうへ渡すでしょう。けれど、麦俵は和木原側の道へ運ばれました。渡しから少し上ったところの土蔵へ入れています」


 弥四郎が広間から出てきた。


「土蔵へ?」


「はい。以前はあまり使っていなかった蔵です。今日は戸が開き、人足が何度も出入りしていました」


「何俵か見たか」


「数までは分かりませぬ。荷車が一台、先に入りました。私が見ている間に、もう一台が来ました」


 宗介は眉を寄せた。


 惣右衛門の話では、穀物の引き取りは三日ほどのうちに揃えるということだった。


 すでに運び始めているなら、和木原は荷宿からの運び手も確保していたことになる。


 そして、麦は渡しを越えず、和木原側の土蔵へ集められている。


 何のために。


 弥四郎は又七を見た。


「土蔵へ入ったことは、確かだな」


「この目で見ました」


「蔵の中は」


「見ておりませぬ」


「それでよい。近づくな」


 又七は深く頭を下げた。


 宇平次が不満そうに言う。


「中を見れば、もっと分かるかもしれませぬ」


「捕まれば、又七は帰れぬ」


 弥四郎は即座に返した。


「商人に忍びの真似をさせるな。見えたことだけ聞け」


 宇平次は口を閉じた。


 宗介は弥四郎の判断に頷いた。


 又七は商人である。


 道を知り、荷を見て、噂を運ぶ。


 それだけでも十分に価値がある。


 危険を冒して蔵の中へ入り、和木原に捕まれば、商人一人を失うだけでは済まない。笠森と取引する者が、皆おびえることになる。


 弥四郎は太助を呼んだ。


「黒谷から和木原側の道は見えるか」


「場所によります。古い炭道の高いところからなら、渡しへ下る道の一部は見えます」


「館の中は」


「見えません」


「それでよい。明日、宇平次の者を連れて道だけ見ろ。人足や荷車がどちらへ進むか、それだけでよい」


 太助は頷いた。


「承知しました」


「善助には南谷の水場を見させる。小六には牛渡しの水を見させろ。敵の荷を追うために、自分たちの仕事を捨てるな」


 弥四郎の命令は明確だった。


 見張る。


 だが、追い回さない。


 備える。


 だが、騒がない。


 宗介は、ようやく息をついた。


 それでも胸の奥の不安は消えなかった。


 和木原が本当に兵を集めているなら、こちらには時間がない。


 蔵の米は少ない。


 粟も、買えたのは二俵だけ。


 道はまだ弱く、荷車で大量の兵糧を運び込むこともできない。


 その一方で、和木原は銭を使って麦を買い、人足を揃え、草鞋や干物まで集めている。


 同じ戦支度を始めれば、笠森は先に息切れするだろう。


 弥四郎は皆を下がらせた後、宗介だけを残した。


 庭には夕日が差し込み、市松の板の影が長く伸びている。


 若い城主はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。


「宗介。もし和木原が兵を出すとして、笠森は何日持つ」


 宗介はすぐには答えられなかった。


 城の守り。


 兵の数。


 水。


 薪。


 矢。


 傷ついた者の手当て。


 そして米。


 何日持つかを決めるものは、あまりにも多い。


「戦い方によります。城へ籠もるのか、外へ兵を出すのかでも違います」


「城へ籠もるなら」


「今の米だけでは長くありません。昨日買った粟を混ぜても、安心できる量ではないです」


 弥四郎は頷いた。


「城兵だけに食わせるなら、もう少し延ばせるか」


「はい。ただ、南谷や黒谷の者を城へ入れるなら、その分は減ります。怪我人が増えれば、別に食わせる必要もあります」


「皆を城へ入れればよい、とはいかぬな」


「入りきらないでしょうし、家畜や田畑も放ってはおけません」


 宗介はそこで言葉を切った。


 弥四郎は自分より遥かに若い。


 それでも、城を守る責任は彼が背負っている。


 宗介は兵糧の話ならできるが、誰を城へ入れ、誰を外に残すかを決める立場ではない。


 それが、急に恐ろしくなった。


 戦になれば、数字では済まない。


 食わせる相手を選ばなければならない。


 どの道を守り、どの道を捨てるか決めなければならない。


 昨日まで水札や橋の順を巡って争っていた相手が、槍を持って押し寄せるかもしれない。


 弥四郎は、そんな宗介の顔を見て言った。


「今夜から、蔵の米のうち籠城に残す分を分ける。普請飯へは回さぬ。ただし、人足の飯をいきなり絶つこともしない。明日から必要な仕事だけ選ぶ」


「はい」


「米や粟の買い入れは続けろ。買えるものを、無理のない値で買え。運び手の体も潰すな」


「承知しました」


「俺は槍と城の備えを見る。お前は兵糧を見る。宇平次には道を守らせる。それぞれの仕事をして、それから考える」


 弥四郎は立ち上がり、広間の外へ目を向けた。


「和木原が何を企んでいようと、こちらが先に飢えるわけにはいかぬ」


 宗介は深く頭を下げた。


 今の自分にできることは、それしかなかった。


 夜、笠森城では粟の混じった粥が配られた。


 昨日より少し慣れた味になっている。


 足軽たちは椀を持ち、静かに食べていた。


 宇平次は食べ終えると、佐太を連れて夜の見回りへ出た。


 喜兵衛は蔵の戸締まりを確かめ、おきぬは竈の火を落とす。


 太助は明日の道を確かめるため、善助と小声で話していた。


 誰も、和木原が攻めてくるとは言わなかった。


 まだ分からないからだ。


 だが、城の空気は確かに変わっていた。


 宗介は空になった椀を持って、蔵の方を見た。


 昨日は、二俵の粟を買えたことが嬉しかった。


 今日は、その二俵をどう使えば一日でも長く城を支えられるか考えている。


 同じ穀物なのに、見え方が違う。


 戦の備えとは、槍を磨くことだけではない。


 麦を買う。


 草鞋を揃える。


 縄を用意する。


 荷車を集める。


 歩く道を確かめる。


 そんな地味な仕事が積み重なった先に、武装した兵が立つのだろう。


 和木原が集めた麦の行き先は、まだ分からない。


 だが、荷はすでに動いている。


 それだけは確かだった。


 宗介は蔵へ向かい、喜兵衛とともに戸の掛け金を確かめた。


 木の冷たさが掌へ伝わる。


 蔵の向こうには、まだ少ない米と粟がある。


 その一俵一俵を守ることが、やがて城の兵を立たせる。


 笠森に足りないものは多い。


 しかし、敵が買った麦を羨んでいるだけでは、何も増えない。


 明日は、笠森が買える荷を探す。


 運べる分だけ運び、食わせるべき者へ食わせる。


 その当たり前の仕事を続けながら、和木原の動きを見極めなければならない。


 宗介が蔵を離れようとした時、城門の方から宇平次の声が聞こえた。


「宗介、若様のところへ来い」


 足を止める。


 宇平次は松明を持っていた。


 普段より顔が硬い。


「何かありましたか」


「槙尾から使いが来た」


 宗介の胸がざわついた。


「和木原のことですか」


「そうだ」


 宇平次は一度言葉を切り、低い声で続けた。


「麦を買っているだけではないらしい。和木原が近くの小領主へ、人を出せと触れているそうだ」


 宗介は声を失った。


 麦。


 草鞋。


 縄。


 干物。


 そして、人。


 別々に見えていたものが、ようやくひとつの形を取り始めていた。


 ただし、何人集まるのか、どこへ向かうのかは、まだ分からない。


 宇平次が言った。


「若様が待っている」


 宗介は空の椀を喜兵衛へ預け、広間へ向かった。


 遠くで夜番の足音が響いている。


 城の外は暗い。


 だが、和木原の麦俵だけは、すでに動き始めていた。




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