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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第六十一話 蔵の底

 喜兵衛が米俵をどかした時、蔵の奥に床板が見えた。


 久住宗介は、その光景をしばらく眺めていた。


 少し前まで、そこには俵が積まれていた。城の者が食う米、万一の籠城に備える米、傷病人や人足へ出す米。それぞれ置き場所を分け、喜兵衛が減り具合を見ていたものだ。


 それが今は、俵を動かさなくても奥の壁が見える。


 朝の光が戸口から差し込み、舞い上がった糠埃を白く照らしていた。


「六日だな」


 喜兵衛が言った。


「何がですか」


「このまま普請飯を出し続けた場合だ。城の者だけに限れば、もう少し持つ。だが、普請に人を出して、朝夕に粥を炊き、傷んだ者へ別に飯を出せば、六日も怪しい」


 宗介は思わず俵を数え直した。


 何度見ても同じだった。


 米は増えない。


 濡れ荷から助けた塩や干物はある。黒谷から届く炭も、細々ながら途切れていない。槙尾との水場の取り決めもでき、南谷下の小橋も人と小荷なら通れるようになった。


 ところが、その道を使って肝心の米を運ぶ算段が、十分ではなかった。


 水を守り、火を守り、道を直す。そのために働く者へ飯を出しているうちに、城の蔵が痩せていたのである。


「種の豆を残したところで、蒔いた翌日に腹は膨れませんね」


「当たり前だ。芽が出るかどうかも、まだ分からん」


 喜兵衛は空いた床へ腰を下ろし、膝をさすった。


「宗介。俺はお前のやり方を悪いとは思わん。南谷も黒谷も、前より城を頼るようになった。商人も戻ってきた。だがな、人が集まれば食う口も増える。良いことをした分だけ米が減るというのは、何とも皮肉な話だ」


 宗介は返す言葉がなかった。


 人が働けば飯が要る。


 そんなことは五十一年も生きていれば分かる。


 しかし、分かっていることと、足りるように運ぶことは違う。


 現代の配送の仕事でも、荷物の行き先が増えたからといって、車や人員が勝手に増えることはなかった。限られた車と人手で何とか回し、無理が続けば、最後にはどこかが破綻する。


 今の笠森も、それに近かった。


 しかも、こちらには代わりの車もなければ、電話一本で呼べる応援もいない。


「若様へ話しましょう」


「ああ。今日は米の減りをごまかすな」


「ごまかせる量でもありません」


 喜兵衛は笑わなかった。


 宗介も笑えなかった。


 広間では、片瀬弥四郎が宇平次と話していた。


 南谷下の小橋は昨夜も異状なし。ただし荷車は依然として通せず、六蔵の待ち場には朝から小荷を抱えた者が集まっているという。


 報告を聞いた弥四郎は、いつものように次の仕事を命じようとした。


 その前に、宗介が口を開いた。


「若様。蔵の米が足りません」


 宇平次が振り向いた。


 弥四郎は宗介の顔を見ると、手にしていた紙を置いた。


「どれほどだ」


「今のまま普請飯を続ければ、六日も怪しいと喜兵衛さんが見ています。城の者だけに絞れば少し延ばせますが、それでは道を直す手が止まります」


 宇平次の眉間に皺が寄った。


「城の米を人足に出しすぎたか」


「それはあります。ただ、普請を止めれば済む話でもありません。道が荒れれば商人が来なくなる。炭も塩も細ります」


「だが、城兵の腹まで空かせるわけにはいかんぞ」


「承知しています」


 宗介は頭を下げた。


 宇平次の言い分は正しい。


 城を守る兵が空腹で槍を持てなくなれば、どれほど立派な道を作っても意味がない。


 弥四郎はしばらく黙っていたが、やがて喜兵衛へ尋ねた。


「米を買う銭は」


「あります。ですが、城の備えから出すことになります。余裕のある銭ではございません」


「買う相手は」


「そこが問題ですな。近場の村は、笠森と似たようなものです。米を出せと言えば、今度は村の腹が減ります」


 宗介は頷いた。


 周囲の村から無理に集めるわけにはいかない。


 それをやれば、和木原がやっていることと大差なくなる。


「尾張筋です」


 宗介が言うと、弥四郎が目を上げた。


「柏屋か」


「はい。商いの荷に、米か雑穀を混ぜてもらえないか相談します。ただし、大荷は運べません。南谷下の小橋も、牛渡しも、今のところ米俵を積んだ荷車を通す道には使えません」


「古炭道はどうだ」


「人が背負うなら通せます。ですが、荷車には狭い。米俵をそのまま運ぶのではなく、小分けにする必要があります」


 宇平次が腕を組んだ。


「人足が要る。また飯が減るぞ」


「だから、運んだ米より多く食わせるような仕事にはできません。運ぶ人数と往復の回数を先に決めます」


 宗介は床に指を置き、道筋を示した。


 笠森。


 古炭道。


 槙尾西沢。


 そこから槙尾の荷宿。


 水場はすでに取り決めがあり、槙尾の立ち会いも得られる。大荷を通せない代わりに、少人数が小荷を背負って往復することはできるはずだった。


 無論、道が通れることと、買う米があることは別である。


 弥四郎は立ち上がった。


「柏屋へ使いを出せ。米でなくともよい。食える雑穀があれば買う。ただし、村の種籾や種豆まで買い上げるな」


「はい」


「宇平次。古炭道を見た者を集めろ。護衛は最小限でよいが、荷を背負った者を無防備にはするな」


「承知」


「喜兵衛。米を出す仕事も絞れ。すぐに要らぬ普請は延ばす。ただし、城兵と、今日実際に働く者の飯は削りすぎるな」


 喜兵衛は深く頷いた。


 弥四郎は最後に宗介へ向き直った。


「買えるだけ買う、という話にはするな。いくら出し、どれだけ運べるかを見て決めろ」


「分かりました」


「蔵が空く前に気づいたのだ。まだ手は打てる」


 そう言った弥四郎の表情に、楽観はなかった。


 若い城主も、笠森の置かれた苦しさを理解している。


 宗介は、そのことに少し救われた。


 昼前、柏屋惣右衛門が訪れた。


 使いを出すまでもなかった。


 南谷下の小橋を渡ってきた商人の話で、笠森の普請が一段落したことを知り、荷の流れを確かめに来たのだという。


 宗介が米の話を切り出すと、惣右衛門はすぐには返事をしなかった。


 懐から扇子を出し、閉じたまま膝の上へ置く。


「笠森が米を買うとなれば、値は安くありませんぞ」


「承知しています」


「しかも、大荷を運べぬ」


「人で運びます」


「その人を食わせる飯も要りますな」


 惣右衛門は、こちらの弱いところを遠慮なく突いてきた。


 だが、責めているわけではない。


 商人として、払うものと得るものを見ているのだ。


「槙尾の荷宿に、搗いた粟が二俵ございます。もとは尾張筋へ回すつもりの荷ですが、まだ買い手を決めておりません」


 宗介は身を乗り出した。


「売っていただけますか」


「値が合えば。ただし、笠森まで届ける値ではありませぬ。槙尾で引き渡します」


 喜兵衛が険しい顔になった。


「つまり、運ぶ手間はこちら持ちか」


「その通りです。柏屋が人を雇って笠森まで運べば、値は上がります。古炭道を知る者も、こちらで集めねばならん」


 宗介は考えた。


 高い運賃を払うか。


 自分たちで運ぶか。


 城には人足がいるが、ただ働きはさせられない。飯も出す。道中の怪我や荷の損も考えなければならない。


 しかし、笠森の者なら古炭道を知っている。南谷の善助も、黒谷の太助も、道の危うい場所を見てきた。


「槙尾の荷宿で現物を改めてから買わせてください。乾きと中身を見たい。代金は城から出します」


「結構です」


「ただし、二俵すべてを一度に運ぶのは避けたい。小荷に分けて、人の背へ載せます」


 惣右衛門が目を細めた。


「俵を解けば、途中で減った時に揉めますぞ」


「荷宿で分ける前と後を改めます。柏屋さんの手代にも見てもらう。袋を閉じたら、笠森までむやみに開けない」


「それなら、商いになりますな」


 惣右衛門はようやく扇子を開いた。


「ただ、ひとつ申し上げておきます。粟は米ではありません。城の者が食い慣れておらぬなら、炊き方も変わります」


「そこは、おきぬさんに見てもらいます」


「よろしい。飯を炊く者に聞かずに穀物を買う城は、長持ちしませんからな」


 宗介は苦笑した。


 まったく、その通りだった。


 話が決まると、弥四郎は自ら喜兵衛と銭を数えた。


 蔵の備えから出す銭である。


 米が減ったから買えばよい、と軽く出せるものではない。


 宇平次は足軽を二人つけると言ったが、宗介は一人で足りないかと尋ねた。


「山道では、前と後ろを見なければならん。護衛が一人では、どちらかを捨てることになる」


 そう返され、宗介は口を閉じた。


 武辺の仕事には、武辺の勘定がある。


 そこまで節約して荷を失えば、元も子もない。


 運び手には南谷と笠森から道を知る者を選び、太助が先導する。宇平次は城に残り、佐太が護衛を率いることになった。


 宗介も同行する。


 喜兵衛には止められた。


「お前が一袋背負うわけではあるまい」


「荷宿で現物を見ます。それに、運ぶ手順を現場で一度確かめておきたいんです」


「足を引っ張るなよ」


「それは気をつけます」


 出発前、おきぬが小さな握り飯を用意していた。


 宗介はそれを見て、思わず喜兵衛を振り返った。


 喜兵衛は苦い顔で頷く。


「道中で倒れられても困る。持っていけ」


 おきぬは宗介へ包みを渡した。


「帰ったら粟を少し見せな。今の竈でどう炊くか、試さなきゃならないからね」


「分かりました」


「それと、黴の臭いがするものは買うんじゃないよ。安いからって腹を壊す飯を持ってこられたら、こっちが困る」


 宗介は深く頷いた。


 城の飯を守る者は、蔵の中にも、竈の前にもいる。


 片方だけ見ていては駄目なのだ。


 古炭道には、まだ伐られた若木の跡が残っていた。


 道の端では、湿った土が黒く固まり始めている。雨で流れた小石が草の根に引っかかり、狭い箇所には人一人がようやく通れる幅しかなかった。


 太助は先頭を歩き、ときどき振り返って足元を確かめた。


「帰りは荷が増える。ここの曲がりでは、前の者に近づきすぎるな」


 宗介は息を切らしながら頷いた。


 荷を背負った者が転べば、後ろも巻き込む。


 だから、帰りは人の間を空ける。


 当たり前のことだが、荷がない今のうちに言っておかなければ、帰りには余裕がなくなる。


 槙尾西沢の水場では、安西新蔵の配下が立ち会い、通る人数と用向きを確かめた。


 笠森が何をするのか、すでに柏屋から話が通っているらしい。


「城の米が足りぬか」


 男は気の毒そうに尋ねた。


 宗介は曖昧に笑うこともできた。


 だが、隠しても荷を見れば分かる。


「普請で思った以上に減りました。買えるうちに補います」


「そうか。古炭道へ戻るなら、夕暮れ前に西沢を越えろ。荷を背負ったまま暗くなれば、足を取られる」


 男はそれだけ言い、水を使わせてくれた。


 槙尾の荷宿に着いた時、宗介の脚はすでに重かった。


 建物の軒先には俵や木箱が積まれ、荷持ちたちが縄を締め直している。濡れた草鞋の臭い、干物の塩気、馬の汗、土壁に染みついた穀物の匂いが混ざり合っていた。


 柏屋の手代が、奥から二俵を出してきた。


 俵の表面は乾いている。


 縄も傷んでいない。


 しかし宗介は、その場で買うとは言わなかった。


「中を見せてください」


 手代は頷き、俵を開く。


 中から出てきた粟は、きれいに搗かれたものだった。


 宗介は掌に少し受け、匂いを嗅いだ。


 おきぬほど穀物を見る目はない。


 それでも、湿りや異臭がないことは確かめられる。


 同行した南谷の者にも見てもらった。


「悪くないです。古い臭いもしません」


 宗介は頷いた。


 ここまで来て、ようやく買える。


 だが、手代が告げた値を聞いて、同行した人足たちが顔を見合わせた。


 安くはなかった。


 宗介も胸の奥で顔をしかめる。


 それでも、今ここで値切り倒せば、柏屋は次から笠森の荷を嫌がるだろう。


 商人にも商人の都合がある。


 弥四郎から預かった銭の範囲に収まることを確認し、宗介は買い入れを決めた。


「二俵、いただきます」


 手代が頭を下げる。


「毎度ありがとうございます」


 そこからが、宗介たちの仕事だった。


 俵を解き、持参した丈夫な小袋へ分ける。


 分けた袋の重さを揃え、口を縄で締める。


 ひとつだけ重すぎれば、その荷を背負った者が遅れる。遅れた者へ周囲が合わせれば、全体が遅れる。無理をして歩けば、山道で転ぶ。


 宗介は、手代とともに分ける前後の量を確かめた。


 途中で穀物がこぼれぬよう、袋の口を折り返してから縛る。


 最後に、背負う者へ荷を当ててみた。


「これは少し重いな」


 佐太が言った。


 若い人足が無理に笑う。


「持てます」


「持てることと、山道を歩ききれることは違う」


 太助が横から口を挟み、袋の中身を少し別の荷へ移した。


「帰りは坂がある。見栄を張って転ぶくらいなら、軽くして歩け」


 その男は黙って頷いた。


 宗介は太助に目を向けた。


 かつて甚内の下で炭を運ばせていた男は、今は他人の背負い荷を軽くしている。


 その変化をわざわざ口にするつもりはなかった。


 太助自身も、褒められたがってはいないだろう。


 それでも、宗介には少し嬉しかった。


 荷を分け終えると、手代が余った縄をまとめて差し出した。


「これは返しますか」


「柏屋さんへ返してください。まだ使える縄です」


 宗介が答えると、手代は意外そうな顔をした。


 俵を解いたあとの縄は、荷主によって扱いが違う。勝手に持ち去れば、あとで揉める。


 今回は、持参した縄と袋で運ぶことにしていた。


 細かな取り決めだが、そこで曖昧にしない方が、次の商いは早くなる。


 その時、荷宿の奥で、別の商人が声を荒らげた。


「その麦も、もう買い手がついたというのか」


 宗介は振り返った。


 男が、荷宿の主人らしい者へ詰め寄っている。


「昨日まで売れると言っていただろう」


「先に銭を置く相手が出たのだ。こちらも商いだ」


「どこの者だ」


 主人は答えなかった。


 だが、男の口から次に出た名で、宗介の足が止まった。


「和木原か」


 荷宿の主人は、困ったように周囲を見回した。


 宗介はそれ以上、近づかなかった。


 ここで聞き耳を立てても、話がこじれるだけだ。


 ただ、その言葉は胸に残った。


 和木原。


 米や麦を買う者が増えるのは不思議ではない。


 だが、和木原が今この時期に、槙尾の穀物まで押さえようとしているなら、話は別だった。


 宗介は二俵の粟を分けた小袋へ目を戻した。


 今日は買えた。


 だが、次も買えるとは限らない。


 帰り道、誰も余計な話をしなかった。


 人足たちは小袋を背負い、佐太が前後の歩く間隔を見ている。太助は危うい曲がりで先に立ち、荷を背負った者を一人ずつ通した。


 宗介は最後に近い位置を歩いていた。


 荷は背負っていない。


 それでも息が苦しい。


 五十一歳の体に、山道は遠慮してくれない。


 だが、荷を持たぬ自分だからこそ見えるものもあった。


 人足の歩幅。


 肩の傾き。


 荷の揺れ。


 水を飲む回数。


 重い荷を背負った者ほど、休むと言い出すのが遅い。


 宗介は途中で休みを入れた。


 佐太が振り返る。


「まだ歩けるぞ」


「歩けます。でも、ここで休まないと、次の坂で止まります」


 太助が周囲を見て頷いた。


「この先は休める場所が少ねえ。今のうちだ」


 道脇の乾いた場所へ小袋を下ろす。


 人足たちは肩を回し、竹筒の水を飲んだ。


 ひとりが笑いながら言った。


「米より軽いと思っていたが、粟も重いな」


 宗介は石に腰を下ろし、息を整えた。


「腹へ入る前は、何でも重いですよ」


「兵糧方殿は、軽そうですな」


「俺の荷は、皆さんに背負ってもらっていますから」


 その答えに、何人かが笑った。


 けれど宗介自身は、笑いながらも落ち着かなかった。


 運ぶ者の疲れが見える。


 その疲れに出す飯も、運んでいる穀物から差し引かれる。


 荷を動かすには、人が要る。


 人を動かすには飯が要る。


 飯を運ぶためにも、飯が減る。


 何度も見てきた道理だったが、今日ほど重く感じたことはなかった。


 古炭道を抜け、笠森の城門が見えた時には、空の色が少し傾いていた。


 門番がこちらを見つける。


 佐太が先に声をかけた。


「粟だ。槙尾で買った分を持ち帰った!」


 門の内側が騒がしくなった。


 喜兵衛が出てくる。


 市松も小札を抱えて走ってきた。


 おきぬは竈の前から顔を出し、背負われた小袋を見るなり言った。


「まず、ひと袋こっちへ。炊いてみるよ」


 宗介は頷いた。


「残りは喜兵衛さんにお願いします。槙尾で分けた数と同じか、もう一度確かめます」


 喜兵衛は袋を受け取り、ひとつずつ蔵へ運ばせた。


 誰も勝手に開かなかった。


 それが、宗介には少し頼もしかった。


 笠森の者たちは、荷を取り合わずに扱うことを覚えてきている。


 すべての者が従順になったわけではない。荷を見つめる足軽の目には、隠しきれない空腹があった。


 だが、今ここで袋を開けて食べれば、明日の飯が減る。


 そのことも、もう分かっているのだろう。


 弥四郎が庭へ出てきた。


「無事に戻ったか」


「はい。粟二俵分、槙尾で小荷に分けて運びました」


「怪我は」


「ありません。ただ、古炭道は荷を背負うと時間がかかります。今日のやり方なら通せますが、人数を増やすだけでは早くなりません」


 弥四郎は頷いた。


「まずは、よく運んだ」


 その言葉は宗介だけでなく、人足たちへ向けられていた。


 荷を下ろした若者が、照れくさそうに頭を下げる。


 宇平次が近づき、小袋のひとつを持ち上げてみた。


「重いな」


「山道では、なおさらでした」


 宗介が答えると、宇平次は人足たちへ向き直った。


「今日は飯を食って休め。明日は同じ人数をすぐには出さん。足を傷めては次が続かん」


 人足たちの顔が緩んだ。


 弥四郎も異を唱えなかった。


 城を守る足軽にも、道を歩く人足にも、休みは要る。


 倒れるまで使えば、次に動く者がいなくなる。


 夕方、おきぬが試しに炊いた粟を持ってきた。


 米だけの粥とは違い、少し粗い匂いがした。


 おきぬは木匙で混ぜ、指先へ少し取って確かめる。


「悪くないね。粥にすれば食べられる。ただ、米と同じつもりで火にかけると、底へつきやすい。水加減も見なきゃならない」


 宗介も少し口にした。


 素朴な味だった。


 腹が膨れるのなら、今の笠森には十分ありがたい。


 喜兵衛は蔵から戻り、報告した。


「運んだ分は揃っております。途中の損もありませぬ」


 弥四郎はようやく腰を下ろした。


「では、明日から粥に混ぜよ。ただし、今日買った分を当てにして、普請飯を元どおり増やすな」


「承知しております」


 喜兵衛が答える。


 宗介も頷いた。


 二俵の粟を買えたからといって、兵糧の問題が解決したわけではない。


 減る速さを少し緩めただけだ。


 だが、今日の笠森にはそれが必要だった。


 蔵の底を見て、米が足りないと分かった。


 そこで粥をさらに薄めるだけなら、いずれ働く者が倒れる。


 人足飯をすべて止めれば、道が荒れる。


 道が荒れれば、次の穀物は来ない。


 だから、先に運んだ。


 城の銭を使い、商人から買い、道を選び、人を選び、荷を分け、休みを入れた。


 その結果が、蔵へ入った二俵の粟だった。


 宗介は粥の湯気を見ながら、ようやく少し肩の力を抜いた。


 しかし、そこで惣右衛門が口を開いた。


「若様。今日の買い入れについて、ひとつ申し上げておきたいことがございます」


 弥四郎が顔を向ける。


「何だ」


「槙尾の荷宿に残る麦ですが、先ほど手代から知らせが入りました。和木原の者が、まとめて買いたいと申し出ているそうです」


 宗介は顔を上げた。


 荷宿で聞いた騒ぎとつながった。


 惣右衛門は続ける。


「まだ売買が決まったわけではありませぬ。ですが、和木原が値を上げて買うなら、周囲の商人もそちらへ流れるでしょう」


「笠森を干上がらせるつもりか」


 宇平次が低く言った。


「そこまでは分かりませぬ」


 惣右衛門は慎重に答えた。


「和木原にも米は要ります。ただ、あの方が笠森の普請と人足飯を知らぬはずはない。穀物の値を押し上げれば、笠森が困ることも分かっているでしょう」


 弥四郎は黙っていた。


 庭には、今日運んだ粟の小袋を片づける音が響いている。


 先ほどまでの安堵が、少しずつ薄れていった。


「柏屋」


 弥四郎が言った。


「笠森が高値を出せば、和木原より先に買えるか」


「買えるかもしれませぬ。しかし、それを始めれば、次は和木原がさらに値を上げます。銭の多い方が勝つ商いになりましょう」


「笠森には向かぬな」


「はい」


 宗介も同じことを考えていた。


 ただ穀物を買い集めるなら、和木原の方が有利だ。


 渡しを持ち、商人への圧力もかけられる。銭を積む力でも、笠森は大きく劣る。


 同じやり方で争えば、負ける。


 ならば、何を変えるか。


 宗介は蔵の方を見た。


 今日、穀物は運べた。


 荷車は使えなかった。


 人が背負った。


 それでも、確かに届いた。


 銭だけでなく、運ぶ道と手を持っていること。


 それが笠森に残された強みだった。


「若様」


 宗介は口を開いた。


「次に買うものは、米や麦だけに限らなくてもよいと思います」


 弥四郎が目を向ける。


「何を買う」


「村や商人が余らせている、食べられるものです。粟でも稗でも、保存の利くものなら。無理に一度で大荷を買わず、小荷で少しずつ集める。ただし、家の食い分と種にする分は買わない」


 惣右衛門が扇子を閉じた。


「小荷の商いですな」


「はい。大きな俵をまとめて買えないなら、買える荷を探す。笠森まで届けてもらうのが高いなら、自分たちで取りに行く。その代わり、運べる量と道を先に決めます」


 惣右衛門はしばらく宗介を見ていた。


 やがて、ゆっくり頷く。


「それなら、探せる荷があるかもしれませぬ。尾張筋の商人には、米俵を扱わずとも、雑穀を小さく売る者がおりますからな」


「頼めるか」


 弥四郎が尋ねる。


「探すことはできます。ただし、約束はできませぬ」


「それでよい」


 弥四郎は即答した。


「笠森も、買うと言った以上は銭を用意する。だが、無理な値では買わぬ。村の種も奪わぬ」


 惣右衛門は深く頭を下げた。


「承知いたしました」


 話が終わると、宗介はもう一度蔵へ向かった。


 喜兵衛が、買ったばかりの粟を置く場所を整えていた。


 米俵の減った床に、粟の小袋が並んでいる。


 量は多くない。


 あの空いた床を埋め尽くすには、まだ遠い。


 それでも、朝にはなかったものが夕方には置かれていた。


 喜兵衛は宗介に気づき、口の端をわずかに上げた。


「今日は、蔵の底ばかり見ずに済むな」


「明日になれば、また見ますよ」


「そうだろうな」


 老人は苦笑し、小袋のひとつを軽く叩いた。


「だが、悪くない。減るばかりだった蔵へ、久しぶりに外から穀物が入った」


 宗介は頷いた。


 それが何より大きかった。


 守るだけでは、蔵は満ちない。


 節約するだけでも、限界がある。


 どこかから買い、運び、受け取り、食える形にする。


 兵糧方の仕事は、そこまでやって初めて形になる。


 宗介は空いた床と、新しく並んだ粟の小袋を見比べた。


 まだ足りない。


 だが、運ぶ手は見つかった。


 次は、その手をどう増やさずに、運ぶ量を増やすか。


 五十一歳の頭には、考えるべきことが山ほど残っていた。


 その夜、笠森城の粥には、少しだけ粟が混じった。


 いつもより粗い舌触りに、足軽の一人が首を傾げた。


「米が変わったか」


 おきぬが答える。


「粟だよ。槙尾から運んできたんだ」


「粟か」


「嫌なら、明日は米を買ってきな」


 足軽は慌てて椀を抱え直した。


「嫌とは言っておりません」


 周囲に笑いが起きた。


 宗介もつられて笑ったが、椀の中身を見ているうちに、笑いは静かなものに変わった。


 粟は二俵。


 城の腹を永遠に満たす量ではない。


 明日も食えば減る。


 その先も減る。


 だが、明日まで何もできないわけではなくなった。


 今日、古炭道を通って粟を背負った人足たちは、もう休んでいる。


 疲れた足を休め、また動けるようにするためだ。


 彼らが運んだ穀物を食い尽くす前に、次の荷を探さなければならない。


 和木原は、銭で道を塞ぐつもりかもしれない。


 ならば笠森は、道を知る者と、荷を運ぶ者と、売ってくれる商人をつなぐしかない。


 宗介は最後の粥を啜り、空になった椀を置いた。


 腹は十分に膨れていない。


 けれど、今朝見た蔵の底を思えば、今日の一椀は軽くなかった。


 少なくとも明日、同じ道を通って別の荷を運ぶ算段ができる。


 兵糧係にとって、それは何より確かな前進だった。



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