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【連載版】戦国に転生した五十一歳、兵糧係から成り上がる 〜刀は振れないが、腹を満たせば兵は立つ〜  作者: あちゅ和尚


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第5話 十俵の帰り道

 南谷村から笠森城へ向かう道は、細かった。


 米俵を積んだ荷車が一台。


 その前後に足軽が二人。


 荷車の横には喜兵衛がつき、少し遅れて久住宗介が歩いていた。


 十俵。


 たった十俵。


 だが、その十俵は、ただの米ではなかった。


 南谷村が城へ預けた米であり、笠森城が今夜を越すための米であり、敵に奪われれば城と村の両方が苦しくなる米だった。


 荷車の上には、米俵だけを積み上げていない。


 宗介が無理に空けさせた隙間がある。


 歩けなくなった者を乗せるため。


 途中で子供や年寄りが倒れた時、荷を全部降ろさずに済むため。


 米だけを見れば、無駄な空きだった。


 だが、人も荷の一つだ。


 しかも、米俵よりずっと壊れやすい。


「重くなるぞ」


 喜兵衛は村を出る前、そう言った。


 宗介は答えた。


「動けぬ者が出てから空きを作る方が、もっと遅くなります」


 喜兵衛は不満そうだったが、最後には黙った。


 今、その空きには太吉が座っている。


 南谷村から城へ知らせに走った時、膝を痛めた男だ。本人は歩けると言い張ったが、数町も進まぬうちに顔色が悪くなった。


 宗介はすぐに荷車へ乗せた。


「俺は米俵じゃねえ」


 太吉は悔しそうに言った。


「米俵より大事です」


 宗介がそう返すと、太吉は黙った。


 冗談ではなかった。


 足を引きずる者が道の真ん中で止まれば、荷車も人も詰まる。詰まれば、敵に追いつかれる。ひとりを乗せることは、全体を進ませることだった。


 道の両側は竹藪だった。


 夕暮れが近づき、風が葉を鳴らす。その音が、誰かの足音にも聞こえる。宗介は何度も振り向いた。


 怖い。


 藪の奥から、いつ槍が出てくるか分からない。


 刀も槍も使えない自分がここにいる意味は、本当にあるのか。


 そう思うたび、荷車の車輪が泥を噛む音が耳に入った。


 ぎしり。


 ぎしり。


 止めるな。


 進ませろ。


 現場が止まれば、全てが詰まる。


「久住」


 喜兵衛が低く言った。


「この先の曲がりで、道が少し狭くなる」


 宗介は顔を上げた。


 前方の道が、竹藪へ食い込むように曲がっている。片側は浅い溝。もう片側は斜面。荷車が傾けば、米俵が落ちる。


「そこで止めないでください」


「何?」


「止めると、後ろが詰まります。曲がりの前で荷を寄せて、車輪を見ながらゆっくり通します。人は先に通さない。荷車の後ろに固めます」


「人を先に逃がすのではないのか」


「ここで先に行かせると、曲がりの向こうで立ち止まります。荷車が通れなくなる。先に道を見る者だけ一人」


 喜兵衛は舌打ちした。


「面倒なことばかり言う」


「道が面倒なんです」


「それはそうだ」


 喜兵衛は足軽の一人へ顎をしゃくった。


「佐吉、先を見ろ。曲がりの向こうに何かあれば戻れ。深追いするな」


「へい」


 佐吉が槍を低く構え、曲がりの先へ進んだ。


 宗介は荷車の前に回った。


「車輪の右を見てください。溝へ落とさないように。押す者は二人で足ります。多すぎると互いに邪魔になります」


 村の若者が不満そうに言った。


「こんな時にゆっくりしてられるか」


「急いで落としたら、もっと遅くなります」


「敵が来たらどうする」


「だから、落とさないんです」


 宗介の声は、自分でも驚くほど硬かった。


 村の若者は言い返しかけたが、喜兵衛が睨むと黙った。


 荷車が曲がりに入った。


 ぎし、と木が軋む。


 牛が鼻を鳴らす。


 太吉が荷車の縁を掴み、米俵が揺れないように押さえた。


 その時だった。


 曲がりの先から、佐吉が戻ってきた。


 顔色が変わっている。


「藪の奥に影! 三、いや四!」


 場が凍った。


 南谷の者たちが息を呑む。


 牛が不穏に首を振った。


 宗介の膝から力が抜けかけた。


 来た。


 とうとう来た。


「荷車を止めるな!」


 宗介は反射的に叫んだ。


 自分の声に、自分が驚いた。


「曲がりを抜ける! ここで止めたら詰まる!」


「敵だぞ!」


 若者が叫ぶ。


「止まったら狙われる! 前へ出せ!」


 喜兵衛が即座に怒鳴った。


「聞こえたか! 押せ! 車輪を見る者は右! 槍持ちは藪側へ!」


 足軽二人が藪側へ出た。


 槍先を低く構える。


 戦うためというより、飛び出してくる影を少しでも遅らせる構えだった。


 荷車がぎしぎしと進む。


 宗介は牛の横に立った。


 牛の目が血走っている。


「落ち着け、落ち着け」


 自分にも言っていた。


 落ち着け。


 ここで牛が暴れれば、荷車は倒れる。


 十俵が道に散る。


 太吉が落ちる。


 後ろの村人が詰まる。


 それだけは駄目だ。


 藪が揺れた。


 男たちが飛び出してきた。


 鎧らしい鎧はない。粗末な胴丸、槍、鉈。賊か、落ち武者崩れか、どこかの小勢力の先触れか。宗介には分からない。


 ただ、目だけは分かった。


 飢えている目だ。


 米を見ている。


「米を置いていけ!」


 男の一人が叫んだ。


 足軽の佐吉が槍を突き出した。


「寄るな!」


 槍と槍がぶつかる音がした。


 宗介は腰が引けた。


 戦うなど無理だ。


 目の前で刃物が動いている。現代で見たどんな危険とも違う。ひと突きで血が出る距離だった。


 だが、逃げるわけにもいかない。


「太吉!」


 宗介は叫んだ。


「米を押さえろ! 落ちた俵は拾うな!」


「落ちたらどうする!」


「拾うために止まれば、全部取られる!」


 太吉の顔が歪んだ。


 だが、彼は荷車の縁にしがみつき、米俵を押さえた。


「善助! 後ろの者を散らすな! 道の左へ寄せろ! 右は溝だ!」


「分かった!」


 善助が村人たちを怒鳴りつける。


「左へ寄れ! 走るな! 子を抱えろ!」


 ひとりの女が悲鳴を上げ、子供を抱いたまま走り出しそうになった。


 おきぬではない。南谷の若い母親だった。


 宗介はそちらへ駆け寄りかけたが、足が泥に取られた。


「ぐっ!」


 膝をついた。


 泥が手につく。


 情けない。


 こんな時に転ぶのか。


 知識があっても、道一つまともに走れない。


「何をしている!」


 喜兵衛の怒声が飛んだ。


 宗介は歯を食いしばって立ち上がった。


「水!」


「何?」


「子供に水を少し! 泣き声で牛が暴れる!」


 喜兵衛の目が一瞬だけ丸くなった。


 すぐに、彼は荷車の脇に下げていた竹筒を取って、善助へ投げた。


「飲ませろ! 少しだけだ!」


 若い母親が子供に水を含ませた。


 子供の泣き声が少しだけ弱まる。


 牛の首の揺れも、ほんの少し落ち着いた。


 その間にも、藪から出た男たちは足軽二人と押し合っていた。


 数は多くない。


 だが、こちらも少ない。


 敵を倒す必要はない。


 荷車を通すまで、止めればいい。


「喜兵衛!」


 宗介は叫んだ。


「米俵を一つ、見せ荷にできますか!」


「何だと!」


「全部を守るために、一つだけ道端へ転がす! 拾わせて足を止める!」


「ふざけるな! 米を捨てるのか!」


「十俵全部を取られるよりましです!」


 喜兵衛の顔が怒りで赤くなった。


 宗介も震えた。


 自分が何を言っているか分かっている。


 村から預かった米だ。


 命の米だ。


 それを囮にしろと言っている。


 正しいかどうかなど分からない。


 だが、敵の目は米に向いている。


 ならば、その目を一点へ寄せるしかない。


 喜兵衛は一瞬、荷車を見た。


 太吉を見る。


 押している若者を見る。


 藪から出てくる男たちを見る。


「……一番外の、縄の短い俵だ!」


 喜兵衛が吠えた。


「中身は割れ米だ! 落とせ!」


 太吉が目を剥いた。


「本気か!」


「落とせ!」


 荷車の端にあった小さめの俵が、道端へ転がった。


 どすん、と鈍い音がする。


 敵の一人がそちらを見た。


 もう一人も目を奪われた。


「米だ!」


 その一瞬で、足軽の佐吉が槍を押し返した。


「今だ! 車を出せ!」


 喜兵衛が叫んだ。


 荷車が曲がりを抜けた。


 牛が前へ出る。


 車輪が溝をかすめたが、落ちなかった。


 宗介は心臓が喉から飛び出すかと思った。


「止まるな! 坂の上まで行け!」


 善助が村人を押し出す。


 若い者が荷車を押す。


 母親が子を抱え、年寄りが杖を突き、太吉が荷車の上で米俵を押さえる。


 敵は落ちた俵へ寄った。


 だが、一人だけが諦めずに追ってきた。


 足軽のもう一人が槍を合わせる。


 短い押し合い。


 呻き声。


 血が一筋、泥へ落ちた。


 宗介は息を呑んだ。


 斬られたのは、こちらの足軽だった。


 肩から血が出ている。


「乗せろ!」


 宗介は叫んだ。


「荷車の空きへ! 今乗せろ!」


「米がある!」


「空きを作っただろう!」


 喜兵衛がすぐに動いた。


 傷を負った足軽を荷車の後ろへ押し上げる。太吉が手を伸ばし、引っ張った。傷の男は呻いたが、何とか乗った。


 もし荷車に米を隙間なく積んでいたら。


 この男は置いていくしかなかったかもしれない。


 その考えに、宗介の背中が冷えた。


「布!」


 宗介は自分の袖を掴んだ。


 だが、どう切ればいいのか分からない。


 刃物も持っていない。


 喜兵衛が短刀で布を裂いた。


「押さえろ!」


「血を止めるんです! 強く、でも息ができるように!」


「分かっておる!」


 喜兵衛が怒鳴りながらも、傷口を押さえる。


 宗介は自分の無力さに歯を噛んだ。


 知っていることはある。


 だが、治療などできない。


 応急の言葉を出すのが精いっぱいだった。


 背後では、落とした俵を奪い合う声がした。


 敵同士で揉めているのか、怒号が重なる。


 その隙に、荷車は坂を上がった。


 笠森城の門が見えてきた。


 門の上から声が飛ぶ。


「戻ったぞ!」


「荷車だ!」


「怪我人がいる!」


 宇平次の声が響いた。


「門の左右を空けろ! 水桶を退かすな! 真ん中を通せ!」


 昨日なら、水桶が邪魔になっていたかもしれない。


 人が集まり、誰が何をするか分からず、門の前で詰まったかもしれない。


 だが今、門の中央は空いていた。


 水桶は左右。


 人は脇。


 荷車は真ん中。


 宗介は門をくぐった瞬間、膝から崩れそうになった。


 だが、まだ終わっていない。


「怪我人を荷車から降ろすな!」


 宗介は叫んだ。


「先に寝かせる場所を作ってから! 下ろしてから場所を探すな!」


 おきぬが走ってきた。


「こっちだ! 風の当たらないところを空けてある!」


 市松が板切れを抱えている。


「門の水、左が半分切った!」


「右から回せ! 左へ運ぶ者を一人!」


「粥は?」


「鍋は生きてる!」


 鍋は生きてる。


 その言葉に、宗介は妙なほど救われた。


 竈の火は消えていなかった。


 薄い粥がまだある。


 怪我人に熱いものを飲ませられる。


 門に立つ者にも、少しは回せる。


 荷車が庭の端へ入る。


 米俵が降ろされる。


 喜兵衛が数えた。


「一、二、三……九俵」


 声が重かった。


 宗介は泥だらけの顔を上げた。


「一俵、落としました」


「捨てたのだ」


 喜兵衛は言った。


 その声は怒っていた。


 だが、宗介だけを責める声ではなかった。


「だが、九俵は戻った。人も戻った」


 荷車の上で、肩を斬られた足軽が呻いている。


 太吉も震えながら座っている。


 善助は母親と子供を城内へ入れ、年寄りを座らせていた。


 九俵。


 一俵を失った。


 完全な勝ちではない。


 そもそも、勝ちと呼んでいいのかも分からない。


 だが、十俵全部を奪われずに済んだ。


 荷車は戻った。


 怪我人は置き去りにしなかった。


 村人も何人か城へ入った。


 宗介はそれだけで、胸がいっぱいになった。


 そこへ、片瀬弥四郎が来た。


 若い城主は、門の外へ目を向け、それから荷車、米俵、怪我人、村人を見た。


「何があった」


 喜兵衛が膝をついた。


「道中、藪より賊が出ました。数は多くありませぬ。米一俵を失いましたが、九俵と村人は戻りました。足軽一名、肩に傷」


 弥四郎の目が宗介へ向く。


「宗介」


「はい」


「お前の目で申せ」


 宗介は唾を飲み込んだ。


「曲がり道で襲われました。道が狭く、そこで止まれば詰まるところでした。荷車を止めずに通し、敵の目を逸らすため、一俵を道端へ落としました」


 郎党の一人が眉を吊り上げた。


「米を捨てたのか」


「はい」


 宗介は逃げずに言った。


「十俵を守るために、一俵を捨てました」


「勝手なことを」


 郎党が言いかけた時、喜兵衛が口を開いた。


「わしが許しました」


 場が静まった。


 宗介は喜兵衛を見た。


 喜兵衛は苦い顔のまま、弥四郎へ頭を下げている。


「米を惜しめば、荷車ごと取られたやもしれませぬ。あそこで一俵を落としたから、敵の足が止まりました」


 弥四郎は黙って聞いた。


「荷車に空きを残していたため、怪我人も乗せられました。門も詰まらず通せました。水桶の置き場も、邪魔になりませなんだ」


 喜兵衛は一度息を吐いた。


「悔しいが、こやつの段取りが効きました」


 その言葉は、宗介の胸に重く落ちた。


 褒められたというより、ようやく一つ、仕事として認められた気がした。


 弥四郎は荷車の上の怪我人へ近づいた。


「名は」


「佐吉でございます……」


「よく戻った。手当てを受けよ」


「はっ……」


 弥四郎はおきぬへ目を向けた。


「粥は」


「あります」


「飲ませよ。湯もだ」


 おきぬが頷き、すぐに動いた。


 弥四郎は次に善助へ向かった。


「南谷の米、九俵は城で預かる。一俵は失った」


 善助は唇を噛んだ。


「……はい」


「だが、その一俵で、お前たちと残りの米が戻った。失った分は、城の帳に記す」


 弥四郎は市松を呼んだ。


「書け。南谷より十俵預かり。道中、一俵を失う。城へ九俵。失った一俵は、城の判断によるものとする」


 市松は慌てて板に炭を走らせた。


 字は拙い。


 だが、残る。


 善助の顔が変わった。


 完全に納得したわけではない。


 失った米は戻らない。


 それでも、城が「知らぬ」と言わなかったことは、村人たちの胸に残ったはずだった。


 弥四郎は宗介を見る。


「一俵を失ったことは軽くない」


「はい」


「だが、人と荷車と九俵が戻ったことも軽くない」


「はい」


「勝ちではないな」


 宗介は頷いた。


「はい。勝ちではありません」


「では何だ」


 問われて、宗介は少し考えた。


 勝利。


 撃退。


 武功。


 そういう言葉ではない。


 これはもっと地味で、泥臭くて、誰にも誇れないようなものだ。


 だが、命に近い。


「被害を小さくしました」


 宗介は答えた。


「全部を守れなかった。でも、全部を失わずに済みました」


 弥四郎は静かに頷いた。


「それも戦か」


「たぶん」


 宗介は正直に言った。


「俺にも、まだ分かりません」


 弥四郎は少しだけ笑った。


「分からぬまま働く者は、嫌いではない」


 その時、門の外で遠く鬨の声が上がった。


 大きくはない。


 だが、近い。


 敵は一俵を奪って満足したわけではないのだろう。


 川向こうの連中か。


 南谷を狙った賊か。


 その背後に、もっと大きな勢力の影があるのか。


 宗介には分からない。


 分からないが、今やることは分かる。


「門の者に水を!」


 宗介は声を張った。


「握りを配れ! 怪我人には粥! 蔵へ米を入れる者は喜兵衛の指示を聞け! 俵を湿った床に置くな!」


 足軽たちが動く。


 昨日ほどの迷いはない。


 宇平次が門で叫んだ。


「兵糧方の声を聞け! 飯を持たぬ者は申せ! 水桶は左右だ、真ん中を塞ぐな!」


 兵糧方。


 その言葉が、宗介の耳に残った。


 誰かが自分をそう呼んだ。


 刀はない。


 槍もない。


 武功もない。


 けれど、今この小さな城の中で、宗介には立つ場所ができかけている。


 煙の中、竈の火が赤く揺れた。


 九俵の米が蔵へ運ばれる。


 一俵の喪失が、重く胸に残る。


 怪我人の呻き声が聞こえる。


 村人のすすり泣きも聞こえる。


 それでも、城はまだ崩れていない。


 腹を満たせば兵は立つ。


 水が届けば、門は持つ。


 荷を止めなければ、人は戻る。


 宗介は泥と汗で汚れた手を握りしめた。


 今夜は、まだ終わっていない。


 だが、笠森城は昨日より少しだけ、倒れにくくなっていた。


第5話─了

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